シリセードマスターになった話。
雪山は、夏山と全く異なる。景色はもちろん、雪が積もっている分、ルートも違う。そしてなにより、下山は滑り降りることができるのが楽しい。
今シーズン最後の雪山は、残雪の尾瀬「至仏山」だった。しかも初めて小屋泊をするビッグイベント。小屋泊ということは、いつもの日帰り登山よりも荷物が多くなる。これまでで1番重い荷物を運ぶということに不安が拭えず、前日から緊張感が高まっていた。
当日、登山口に着いても緊張感は変わらない。気合を入れている私に、師匠が「荷物は持ってあげるよ。」と甘い誘惑を囁いた。優しさはいつ何時でも甘んじて受け入れるタイプだ。これ幸いと、1番重い水(1ℓ)を持って欲しいと申し出た。すると食い気味に、「水くらい自分で持て。」と突っぱねられ、"水は命だ"と、朝から叱られた。
反省しつつ、それでもなんとか荷物を減らしたかった私は、インナー以外の翌日の着替え及び寝巻きを置いていくことにした。ずっと曇り予報だったし、今回は雪山だ。普段からそんなに汗をかかない方だし、2日間くらい平気だろうと判断した。
比較的ゆるやかな雪道を登り、至仏山の山頂を目指す。雪は残っていても、木々は新緑を感じさせる濃いフレッシュな緑色で、パワーをもらえる。そして予報に反して、天気が良かった。雪の白、葉の緑、空の青、コントラストが最強だ。
ルートの半分ほど進むと、樹林帯から尾根道にかわった。木がないので周囲を全て見渡すことができ、何歩進んでも絶景だった。
ただ聞いていない、こんなに暑いだなんて。今年度で1番汗をかいていた。まさに命の水だと、師匠とはなるべく目があわないように気をつけながら、自分で運んだ水をごくごく飲んだ。
暑い暑いとみんなで言いながら、山頂に着いた。山頂からの景色は更に圧巻だった。雪が頭に積もっている山々を見渡しながら、吹き抜ける爽やかな風を感じる。尾瀬のポテンシャルを見せつけられた。
下山道の斜度は大きく、滑って下山できると、みんなが滑り始めた。ソリを持っていなくても、レインパンツを履けばそのままお尻で滑れる(シリセード)ということだったので、私も挑戦してみた。
足を使って普通に下りると、神経も体力も使うが、座って滑るだけなので楽だ。その上、速い。更に至仏山は滑走路が長く、思う存分滑りを楽しめる。
滑って、止まったら新しいスタート地点まで歩いて、また滑り出して。いい気になって私は滑りまくった。
歩(尻)を進めていくと、先に滑っている人が途中で何度か飛び跳ねるほど傾斜の大きい道に差し掛かった。友人はそれを見て、怖いからここは普通に下りる、とシリセードを諦めていた。ここまで順調に滑ってきた私は、諦めたくなかった。謎にアスリート根性が出てきていた私は、自分(尻)を信じてスタート地点に立った。
滑り出しから、これまでとスピードが違った。かなり速い。体が何度も跳ねる。その度に雪が舞う。さながらスプラッシュマウンテンだ。「楽しい」と「ちょっと怖い」が共存し、何度か息を飲む。このまま尾瀬沼まで落ちてしまうのではと思うほどスピードが出ていたが、ふと体(尻)が止まった。
すると近くで私の滑りを見ていたマダムたちが、「うまいうまい!」「シリセードマスターだね。」と拍手をしながら褒めてくれた。今日1番の長く難しいコースの滑走を認められ、楽しさは倍増した。
滑走後の興奮が冷めた頃、髪も顔もシャツもびしょびしょなことに気づいた。更に、荷物を減らすために着替えを置いてきたことを。汗と雪で濡れたシャツに我に返った。
着替えなんて、ほんの数百グラムだ。なぜそれをケチったのか、我ながら謎が多い。しかも今回宿泊する小屋には、お風呂付きだ。汗を流してスッキリした体で再びそのシャツを着ると思うとゾッとする…
シリセードマスターの称号よりも何よりも、私が欲しかったのは1枚の着替えだった。今後はどんなに荷物を減らしたくとも、水と着替えは命だと思い、置いていくまいと心に誓った。