初めての遠征計画
高尾山からの下山については省く。こうして私の初登山は、無事というかかろうじてというか、とにかく終わった。
登山の醍醐味として挙げられる達成感は正直よく分からなかったが、数日経つとまた無性に山に登りたくなった。
とりあえず私は山にいることが好きである。登山を始める前も、休日には山の見える場所に行くことを望んだ。
山が好きとは言っても、単純に山にいられればいいのなら、わざわざつらい思いをして自分の足で登る必要はない。車でもケーブルカーでも使えば良いのだ。実際、登山を始めるまではそれで十分だった。
なのになぜ自力で登りたいのか。その理由は今なら少し分かる気がするが、初めの頃は本当に不思議だった。不思議ながらも衝動に突き動かされて山行を重ねていった。
見事、登山にはまったのである。
高尾山ほど疲弊することはなくなり、自分に体力がついていくのが嬉しかった。
初めは主に奥武蔵や奥多摩の標高1000メートル未満の里山に登っていたのだが、いよいよその大台(私にとっての)を超えようとなったとき、どこか記念になる山に挑戦したくなった。
そこで思いついたのが、私の故郷の山である。
私は秋田県秋田市の出身で、そこには太平山というシンボル的な山がそびえている。
シンボル的、と言うのは、多分秋田市内の学校は全てその山を校歌に歌っているだろうと思うからである。違ったら申し訳ないが、少なくとも私の通った小中高はそうだった。
調べれば、太平山の標高は1170メートル。目的にちょうど良い。子どもの頃散々歌った山に登るというのもロマンがあって良い。
埼玉から秋田へ行くのは大金のかかることではあるが、1000メートル記念だし!と勢いで決めた。
登山道の情報を集め始めた。
いちばんメジャーで初心者にも安心な旭又からのコースは、当時通行止めであった。かなり残念だったが諦め、次案として地図上では破線になっているルート。これは上級者向けと書かれているのに加え、片道7時間かかる予想で私の足では日帰りが不可能。
最終的に選んだのは、私が使っている登山アプリでは破線ルートすら引かれていない、丸舞コースと呼ばれるバリエーションルートであった。
破線ルートを上級者向けだからと避けたくせに、それ以上にどうなっているか分からないバリエーションルートを選ぶ辺り、慎重なんだか無謀なんだか自分でも謎である。
しかし旭又が使えない以上、日帰りで山頂を目指すにはそれしかなかった。と思う。多分。
予想コースタイムは7時間。それまで長くても6時間の山行しかしたことがなかった私は、練習として同程度の山行を試した。
終盤は足ががくがくになり気分もだいぶやさぐれたが、非常にためになる体験であった。
保険に加入した。初めて登山届も提出した。何しろ秋田の里山、しかもメジャーでないルートなのだから、どれだけ整備されているかは甚だ疑問である。
いや、整備してくださっている方々を侮っているわけでは決してない。これは関東の人気の山にしか登ったことのない私の方の問題だ。
関東の山と太平山では、登山客の数も整備に携わる人の数もそれに割けるお金も段違いであろうと推測する。私はいわば恵まれた登山道しか知らないのだ。そんな初心者の戯言であるから、どうかご容赦いただきたい。
そして同じ初心者の方にお伝えしたいのだが、たとえ危険のないように思える山であっても保険と登山届は必須と言って良い。実際のところ、危険でない山などあり得ない。
私がこれまで保険の加入も登山届の提出もしてこなかったのはただの怠慢である。
この文章はヘタレ登山者の記録として、どんな失敗も甘えも包み隠さず書いている。それは誰かの教訓になればと願いこそすれ、絶対に真似されたいものではない。
皆で安全登山ができれば良いと思う。
話が逸れてしまったが、最後に、こればっかりは整備の方でも如何ともし難い、熊。
秋田には熊が多い。毎年のように熊に襲われる人が出る。太平山の山域にも当然いる。
もちろん普段の山行でも熊には警戒しているが、何と言うか、私は元秋田市民としてそこに熊がいることを「知っている」のである。
まず、私自身が二度熊に遭遇したことがある。恐れを知らない子どものこと、見かけても「わー、熊〜!」ってなもんであったが、無事だったのはラッキーと言うほかない。
高校の頃、部活の後輩が学校の駐車場に立つ人影を何の気もなしに眺めていたら、その人物はおもむろに四つん這いになって歩き出した。実は熊であった。そんな笑えない笑い話もある。
同級生の家の庭に熊が出たなどというのは珍しくも何ともなかった。熊は日常的にそばにいた。
その場所で出会ったことがあるというのは大きく、よりリアルな恐怖をもたらすものなのである。
余談だが、この文章を書いている令和五年、秋田県内での熊による被害数は過去最多を記録した。テレビなどで見知っている方も多いだろう。
それでも私は太平山に登りたかった。
その頃はまだ登山を始めていなかった主人を登山口までの送迎役として引き連れ、久しぶりに秋田へ帰省した。