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型から入ってみる ~心構えではなく単なるテクニックで解決することもある~

最近、書評家の三宅香帆さんに嵌ってしまって、彼女の書いたものをいろいろ読んでいるのですが、先日彼女が東洋経済ONLINE に書いた『「夜のピクニック」読書感想文をプロが書いた結果』を読んで大変感銘を受けました。

2022年11月に三宅さんが note の講座で話した内容の記事

を読むと、このときは少し「極意」めいたことも話しておられますが、今月の東洋経済ONLINE の記事では、読書感想文の書き方で三宅さんが勧めているのはとても単純なこと2つだけで、その1番は「自分の嫌いなモノについて書いた本を選ぶ」ということです。

こういうアプローチ、僕は大好きです。「心構え」みたいなところから入らず、まずは難しいことは何も考えなくてもできることの提言。

「先生に褒められる感想文を書くために、まずは自分の嫌いなモノについて書いた本を選び、その本を読んで嫌いだったモノが好きになった内容の感想文を書け」というのは、純粋に本好きな人にしてみたらあまりに安直で邪道なアドバイスに見えるかもしれません。

でも、これは読書が今イチ好きでない子供たち、感想文が苦手な子どもたちに、とりあえず本を読ませ、悩まずに感想文を書かせる第一歩になっていると思うのです。

もちろん嫌いなモノについて書きさえすれば良い感想文が書けるという保証はありませんが、でも、「やってみたらきっと前より良い感想文が書かけるよ」という三宅さんの子供たちに対する信頼感や期待感が現れているように、僕は感じるのです。

それで以前自分が敬語について書いた文章を思い出しました。そこで自分が書いていたことと、この三宅さんの記事の間に、直接の繋がりはないけれど、どこかに何か共通点があるように感じたからです。

そこで僕が書いたのは、

敬語というのは相手が尊敬すべき人物であるから使うわけではない。
敬語は相手が気をつけないといけない危ない人物であるときに使うべきものだ。

『敬語の稽古』| note

ということです。もちろん尊敬すべき相手に敬語を使うのは極めて適切なのですが、相手が誰にでも尊敬されるような立派な人なら、あなたがちゃんと敬語を使えなくても、多少間違った敬語を使ってしまっても怒ったりヘソを曲げたりはしません。

要注意なのは「俺に敬語を使わなかった」と激怒するつまらない奴です。敬語というのは本来そういう奴とのトラブルを避けるための技術なのです。決して敬う心から自然に出てくるものではありません。トラブル回避のために習得しておくべき必修科目なのです。

もしもあなたが「あんなつまらない奴に敬語を使うのは腹が立つ」とか「あんな奴に敬語を使う必要はない」などと思っているならそれは大間違いで、そういう人にこそ敬語は使うべきなのです。敬語というのはそういう人たちを抑え込むテクニックなのです。

何しろ彼らは敬語を使ってくれさえすれば、「自分は敬われている」と機嫌が良いわけですから。

彼らに対する尊敬の念はとりあえず不要です(ま、尊敬の念があるに越したことはないのですがw)。ただ、彼らを怒らせないためには正しい敬語をマスターしておくことが必須です。そうでないと、「敬語の使い方も知らんのか!」とまたゴネ始めますから。

敬語は「型」です。型から入るとうまく行くものは少なからずあります。まず型から入るというのは決して悪い試みではありません。

礼儀というものは心から入るものではなく形から始まるものだと僕は思っています。心は後からついて来るのです。

心が後からついて来るというのは、「敬語を使っていれば後から自然に尊敬の気持ちが生まれてくる」と言うのではありません。

敬語を使う習慣がつけば、相手が嫌な奴であっても、むやみにぞんざいな態度を取って不用意に刺激したりすることがなくなり、そのことによって相手の心も自分の心も落ち着いてくる──それこそが敬語の効用だと僕は思っています。

「クッソー、あんな奴に」と腹を立てる前に、そんな奴を簡単に丸め込む技術として敬語を使ってみませんか?

「まずは心構えが大切」みたいな七面倒臭い発想は置いといて、とりあえず型から入ってみてはいかがでしょうか?

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山本英治 AKA ほなね爺
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