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音を楽しめる? 漢字を楽しめる?

中学の時の音楽の教師がこんなことを言っていました。

「音楽は“音を楽しむ”と書くんだから、みんな、もっと楽しまないと」

そういうの、昔からどうも好きになれないんですよね。「人という字は右と左から支え合っている」とか「愛という字は心を受けると書く」とかね。

ま、言いたいことは分かるんですよ。でも「人」という字は左右から凭れ合った図ではなく一人の人間の胴体と2本の足を象った文字です。なのにそれを無理やりこじつけて説教臭くなってるのが好きになれないんですよね。

「音楽」の話に戻ると、「楽」に「たのしむ」という意味があるのは確かです。しかし、「音楽」の「楽」は楽しむという意味ではありません。ここでの「楽」は「音楽」の意味です。

何を言っているのか?と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、漢和辞典を引いてみてください。「楽」という字の、多分2番目ぐらいの意味として「音楽、楽曲」などと書いてあると思います。

「楽曲」は決して「楽しい曲」ではありません。「楽器」は「楽しい器」ではありません。「楽譜」は「楽しい譜面」ではありません。「楽団」や「楽隊」は「楽しい人たち」ではありません。ベートーベンが「楽聖」と呼ばれるのは楽しい人だったからではありません。

これらの漢語における「楽」は全て「音楽」という意味なのです。

「楽」には確かに「たのしい、たのしむ」という意味もあります。「安楽だ、らくちんだ」という意味もあります(この場合は大抵ラクと読みます)。これ以上は書きませんが、他にも幾つか意味があります。

しかし、しつこいようですが、「音楽」の「楽」は、この字が持っているたくさんの意味のうちの「音楽」という意味です。だから、「音を楽しめ」なんて言われると、私はなんか胡散臭く思ってしまったのです。素直な中学生じゃなくてごめんなさいね(笑)

漢字には大抵複数の意味があります。日本人ならそんなことは誰でも知っているでしょう。ただ、どういう意味なのか解らずに使っている漢字も少なくありません。私はそういうことを考えるほうがずっと好きです。

例えば「白」は色の名前です。その色のイメージから比喩的に「清らかである、穢れがない」などの意味で使われることもあります(「潔白」「清白」など)。明らかという意味にも使われます(「明白」など)。

では「言う、申し上げる」の意味があるのはご存知でしょうか?(現に漢文ではこの字に「まう-ス」と仮名を振ることがあります)

「告白」「自白」「白状」などはその例です。そう言われると、ああ、これらの単語の「白」はそういう意味だったのか、と納得できるでしょ?

あるいは、「中」に「当たる」という意味があることは? 「的中」「命中」「中毒」などがその例です。「中」とかいて「あたり」さんという苗字の人もいますよね? 「あたる」で変換すると「当たる」「当る」のほかに「中たる」も出てきたりするでしょ?

そうそう、最近では変換のお陰で新しい漢字や新しい意味を知ることもあります。

たとえば「まとめる」と打つと「纏める」などというとんでもなく難しい字が出てきて「そんな漢字あったのか!」という感じ(笑)

あるいは「わきまえる」。ワープロが出てくるまでは(古くてすみませんw)私はこれを漢字で書いたことも読んだこともありませんでした。ところが PC で文章を書くようになると、いきなり「弁える」と変換されてびっくりします。

そう言えば「弁」にもいろいろな意味がありますよね。

「雄弁」とか「弁舌」とかいう単語から、なんか「話をする」とか「議論する」という意味がありそうだなと想像はつきます(「弁解」になると、もう少し悪いニュアンスが加わって「言い訳する」みたいな感じでしょうか)。

「弁証法」や「思弁」の「弁」は「分析する」というところでしょうか?

じゃ、「弁当」の「弁」は? これは漢和辞典で調べても見当がつきません。でも、語源を当たってみて分かりました。

「弁当」はそもそも「便当」と書いたのだそうです。「同音による書き換え」は漢字の世界ではよくあることです。で、今でこそ「弁当箱」と言いますが、昔は「便当」だけで「弁当箱」のことを表していたそうです。

で、外出先で食べられる便利な食事(あるいはそれを入れる器)のことを「便当」と読んだのが今では「弁当」になってしまったのだとか。こうなると、もう元の漢字の意味とは全く関係がなくなってしまいますね。

では、次。「花弁」の「弁」は一体何でしょう?

「花弁」の「弁」は「かけら」あるいはそのものズバリ「はなびら」の意味です。

では、次の問題──え? もう勘弁してって? じゃあ、その「勘弁」の「弁」はどういう意味でしょう?

「勘弁」の「勘」は「考える」、「勘弁」の「弁」は「思弁」や「弁別」などと同じくものごとの違いをしっかりと見分けること。──よく考えて本当のところを見分けると他人の過ちを許すことができるということなのでしょう。

ま、それこそが身の程を弁えた態度ということなんでしょうかね。別に「音を楽しめ」って言われても、怒ることないじゃないですか、って?(笑)

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山本英治 AKA ほなね爺
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