あなたのお尻はいくつありますか? ~翻訳は難しい
ここ数年、僕は家でヨガをやっています。最初は YouTube の動画を見ながらやっていたのですが、今はアプリを入れています。で、このアプリの日本語が微妙に気持ち悪いのです。
元々は英語で作られたアプリを日本語化したものらしいのですが、時々翻訳のミスがあって「足」と言うべきところを「手」と言っていたりするのです。そんなもん、動画を見てりゃ分かるだろうと言われるかもしれませんが、画面を見ながらだとできないポーズもたくさんあります。
だから、画面を見ずに音声だけ聞いてやっていると時々ツイスター・ゲームみたいなことになってしまうのです。
でも、気持ち悪いのはそこではなくて、もっと微妙なところです。
例えば、「足を腰幅に開いて」などと言っています。これ、一般的に日本語では「足を肩幅に開く」と言いますよね? 「腰幅」というのは英語の逐語訳なんでしょうか? なんか、そういうところに引っかかってしまいます。
また、足を前後に開くポーズで、例えば右足を前に出して左足を後ろに引いているような場合に、右足のことを「前足」と言っていたりもします。
しかし、犬とか馬とかで考えると「前足」とは四肢のうちの前の2本であり、二足歩行をする人間の場合は手に当たる部分です。だから、右足を前足と言われると微妙に気持ち悪いのです。
じゃあ、どう言えば良いかと言うと、とても単純で、「前の足」です。「前の足に重心をかけて」とか「後ろの足を伸ばして」とかであれば何の問題もないのです。ただ「の」の1字/1音を節約するためだけにちょっと変な日本語になっているのを、僕は少し残念に思います。
もうひとつは、「右のお尻を引いて」などと言う表現です。
言いたい意味は分かりますよ。あるポーズを取るとどうしても右腰が前に出がちになるけれど、それを後ろに引いて体の向きをまっすぐにしろと言うのです。
しかし、「右のお尻」という日本語はこれまた微妙に気持ちが悪くないですか?
「右の耳」とか「左の腎臓」とか、人間の体に左右2つがペアになっているものであれば何の不自然もないのですが、しかし、お尻は確かに2つに割れているとは言え、数としては1つしかないんじゃないでしょうか?
それを「右のお尻」と言うから変なのであって、本来であれば「お尻の右半分」と言うべきじゃないでしょうか。その表現が如何にも冗長だと言うのであれば、すでに上に書いたように「右腰を引いて」と言えば良いと思います。
そう、日本語としては「お尻を引く」よりも「腰を引く」のほうがむしろ自然なんですよね。
日本語の「腰」と英語の waist は違います。日本語の「腰痛」は英語では backache ですよね。「それじゃ背中痛じゃないか! イギリス人やアメリカ人は腰まで背中なのかよ」と言いたくなりますが、しかし、本当にそうみたいなんですよね(この点は後述します)。
日本語の感覚としては、腰は1つしかないのか2つあるのかと訊かれると微妙ですが、でも右腰と左腰があるのは確かです。しかし、英英辞書を引くと waist は
であり、通常は腰回り全体を指す言葉のようです。
一方、同じ辞書で hip を引いてみると、
となっていて、つまり単数形の hip は日本語で言うお尻の片側だけを指すことが分かります。
さらに別の辞書で今度は waist の語釈を読み返すと、
と、hip が複数形で使われており、どうやら間違いなく、英語ではお尻は1人について2つずつあるみたいなんですよね。我々が日本語の「お尻」を英訳するなら、He has big hips.(彼はケツがでかい)のように複数形にしなければならないということです。
確かに英語では、pants とか shorts とか trousers など、穿く(つまり、足とお尻を入れる)ものが全部複数形になってますもんね。そこに収まるお尻が2つあっても不思議ではありません。
ところで、前掲の辞書の waist の定義に戻ると、「お尻と胸、またはお尻と背中の上半分の間に挟まれた部分が腰」ということになって、日本語としてはなんだかおかしい気がしませんか? つまり、hips でお尻周り全体を指すこともあるみたいだし、同じようにやっぱり前側も waist なんですね。
で、後ろ側は「お尻と背中の上半分との間が腰」ということは、「背中の下半分=腰」ということになって、そうなるとなるほど腰痛を backache と言うわけだと納得が行きます。
ことほどさように2言語間の微妙な違いというものはあります。
少し前にも書きましたが、翻訳というのはまことに難しい作業です。