言葉の中の男と女
ベルリン映画祭が男優/女優の区別を廃し、最優秀男優賞と最優秀女優賞を統合して最優秀主演賞ひとつにするのだそうです。Politically correct! ジェンダーに対する配慮。時代の要請ですね。
でも、となると俳優さんたちにとっては、今まで男女別に競っていたのがライバルが倍になるわけで、それはそれで大変だなと思います。
最優秀主演賞と並んで最優秀助演賞というのもできるらしい(今までは主演/助演の別はなかったのかな?)ので、これでプラスマイナスゼロとも言えますが、主演は主演同士で1つの賞の取り合いになるわけで、ま、やっぱり大変と言えば大変でしょう。
ところで、これを日本語の問題として捉えると、面白いなと思うのは、元々男優という言葉はなかったのに時代の要請で男優という言葉ができ、それがまた次の時代の要請で消えて行くということです。
なんで元々男優という単語がなかったかと言えば、俳優はみな男と決まっていたからです。
歌舞伎を思い浮かべてみてください。旧時代の歌舞伎に対して新派/新劇というものが出てきて、そこでは女性の演技者も生まれたので、それを女優と呼んだのです。
で、女優という言葉が生まれたから、仕方なく(と言うのも変ですが、賞名などで女優と区別する必要もあって)男優という言葉もできました。こういうのはむしろ珍しい例で、大体は「女○○」という表現ができてそれっきり終わりです。
昔は極端な男社会でした。男と相場が決まっていた職場(あるいは地位など)に女性が進出してきて初めて「女○○」という表現ができたわけです。
女優、女医、女王、女囚、女学生、(これは今は使われていない表現ですが)女学校、女店員、(以下3つはジョ○○ではなくオンナ○○と読みます)女教師、女刑事、女相撲、等々。
男優は別として、男医・男王・男学生・男教師といった表現はまず目にしません。特に何も言わなければ男がやっているのが当たり前だったからです。
またどんな職業にでもつけられる「女流」というオールマイティの接頭語もあります(「男流」という接頭語はありません)。
女流作家、女流棋士、女流弁護士、等々。この「女流」という表現、なんとなく「女が女なりにやっている」みたいなニュアンスが感じられて、私はあまり好きではありません。
他にも「女傑」なんて言葉もあります。豪傑と言えば男に決まっていたのに、男に負けない傑出した女性が出てきたため、そういう表現ができたのです。言うまでもなく「男傑」という言葉はありません。
それがいつしか、いちいち男か女かで表現を変えるのはおかしいということになってきて、私が子供の頃はスチュワーデスと言っていた職業がキャビン・アテンダント(CA)になりました。
当時「男のスチュワーデスさんはスチュワードって言うねんで」と子どもたちが薀蓄を語ったものですが、今や男も女も CAさんです。
また、これは男女の立場が逆ですが、昔は保母さんしかいなかったところに男性が進出してきて、当初は保父さんと呼ばれていましたが、今は保育士に統一されています。
spokesman は spokesperson に、chairman は chairperson にと、そんな風に世界は動いています。
ウルトラマン・シリーズにはウルトラの母をはじめ、これまで何人か女性のウルトラマンが登場していますが、そのうちにウルトラパーソンという総称が使われ始めるかもしれません(笑)