後悔する生き方
近年、何事かを成し遂げた若いアスリートなどが、少し過去の自分を振り返って、「でも、後悔したくなかったから、一生懸命やりました」みたいなことを言っているのを耳にすることが少なくありません。
この後悔したくないという気持ちが、どうも私にはしっくり来ないのです。そう、私はそれを聞くと反射的に、
と叫びたくなることさえあります。
って、そんな風に思いませんか?
最近の若い子たちは何かと言うとすぐに「後悔したくない」と言いますが、私は常々「間違っていたなら後悔すればいいじゃないか」と、周囲に対してと言うよりも、むしろ自分自身に言い聞かせています。
「しまった。あのときこうしておけば良かったのか!」「もっと時間をかけてやっていたら今頃ちゃんとできていたかもしれない」「あれさえやらなければ、こんなことにはなってなかったのに!」──などという、そんな気持ちこそが、「次はちゃんとやろう」というモチベーションになるのではないでしょうか?
私の感性ではそうです。
だから、「間違っていたなら後悔すればいいや。後悔したって構わないから、自分の信じる通りにやってみよう」というのが大抵の場合の私の決断であり、そして自分の判断がそんなにしょっちゅう正しいわけがないので、結局しょっちゅう後悔しています。
でも、それで良いのです。
皆さんは、「後悔したくない」という思いが自分の重荷になる方向に働きませんか? 私の場合は、下手に「後悔したくない」などと考えると、不安感が強まり、体が強張ってしまい、判断力も行動力も失って何もできなくなったりします。
逆に「後悔しても良いのだ」という思いが自分を緊張から解き放ってくれるのであり、また、後悔するからこそ新たな進歩があるのだと思っています。
もちろん、「後悔したくないから頑張る」というロジックも解らないではないです。ただ、その言葉を聞くと、私は「しかし、きみは生涯後悔することなく人生をやり過ごしていけると考えているの?」と訊きたくなってしまいます。
私はどうか? ──私は言わば、日々、一挙手一投足に後悔しています。
「ああ、あんなことやるんじゃなかった」「こっちをやってからやるべきだった」。──毎日が後悔の山です。でも、累々たる後悔の山の上にしたたかに立つことによってしか、遠くにある成功や幸福には手が届かないのだと、私は感じています。
だから、後悔を恐れはしません。「後悔したくないからやろう」ではなく「後悔しても良いからやろう」というのが私の感性です。
「後悔したくないからやろう」のほうが自分にはフィットしていて、自分を奮い立たせる材料になると言う人に「それではダメだ」とまで言う気はありません。
ただ、「後悔したくない」という表現には、私はどこまで行っても違和感を覚えずにいられません。
生きて行く感性の違いについて、今回は書いてみました。