濁りのルール、ルールの濁り
私は学者でも専門家でも何でもないのですが、昔から「ことば」が好きで、自分のホームページに「ことば」についていろいろ書いてきました。
そんな中のひとつに、2つの単語を繋ぎ合せた時に、後ろの単語の頭が濁るか濁らないかという問題があります(もちろん後ろの単語の頭がカ行・サ行・タ行・ハ行など濁ることができる場合だけですが)。
例えば「流れ」+「星」は「ながれぼし」となって「ほし」が「ぼし」に変わるのに、「流れ」+「作業」は「ながれざぎょう」にはなりません。この違いはどこから来るのでしょう?
これには緩い原則ですが、ちゃんとしたルールがあります。私も若い頃は全く気づかずに使ってきました。
【法則1】 後ろの単語が濁音を含まない場合は語頭が濁音化するが、後ろの単語が濁音を含む場合は濁音化しない
例えば
中には「え、舌づつみを打つって言うじゃない?」と思っている人もいるかもしれませんが、そもそも「鼓」を「つつみ」だと思いこんでいるところが問題です。
もし「つつみ」であれば確かに「舌」+「つつみ」→「舌づつみ」になります(「風呂敷包み」と同じです)が、「鼓」は「つづみ」なんです。既に濁音を含んでいるので頭は濁らないし、仮に濁ったとしても「づづみ」になってしまうはずです。
ただし、この原因は必ずしも「鼓」を「つつみ」だと思いこんでいるところにあるのではなく、例えば「お騒がせ」が「おさがわせ」になってしまうのと同じメカニズムであると説明する人もいます(これを「音位転換(Metathesis)」と言うそうです)。
さて、少し逸れてしまいましたので、話を元に戻してもう少し例を挙げてみましょうか。
ただし、上で書いたようにこのルールはとても緩い原則なのです。例外を探そうとすればいくらでも出てきます。
例えば「使い捨て」は「つかいすて」であって「つかいずて」ではありません(「捨て」は濁らないのかと言えばそうでもなくて「聞き捨てならない」の場合は濁っています。この違いは説明できません)。
また、相撲の技で「上手」+「ひねり」は「うわてびねり」ではなく「うわてひねり」です。「恋愛結婚」は「れんあいげっこん」ではなく「れんあいけっこん」だし、「商業高校」は「しょうぎょうごうこう」ではなく「しょうぎょうこうこう」です。
さて、勘の良い方はお気づきになったかもしれませんが、後ろが漢語の場合は当てはまらないことが多いような気もします。
でも、「小田原提灯(おだわらぢょうちん)」とか「裏なり瓢箪(うらなりびょうたん)」、「歌合戦(うたがっせん)」、「丁稚奉公(でっちぼうこう)」など、見事に濁音化している例もたくさんあるのです。
古い言葉の(例えば江戸時代から使われていたような)場合はこの原則が当てはまる確率が高いのに対して、新しい言葉では当てはまらないことも多いように思います。
なんて書いておきながら「交代交代」は「こうたいごうたい」ですが「参勤交代」は「さんきんごうたい」ではありません。こりゃダメですね。
ただし、これは言えそうです。
【法則2】 前が漢語の場合は濁音化しない
だから「恋愛結婚」や「商業高校」、「参勤交代」は当たらないのです(「交代交代」は同じ単語の反復なのでちょっと違うケースに分類しておきましょう)。
でも、最初の例「高野豆腐」は濁ってるんですけど…まいっか(笑)
ただし、こんな具合に何から何までケースバイケースで、こういう場合は例外とはっきり言えないのかと言うと、そうでもなくて、例えば
【法則3】 後の単語が外来語の場合は濁音化しない
のは確かです。
例えば「お試し」+「セット」は「お試しゼット」にはなりません。「賃金」+「カット」は「賃金ガット」にはなりません。「老人」+「ホーム」は「老人ボーム」にはなりません。「鉄筋コンクリート」も同じです。
外来語だけに元の単語が何であったか分からなくなってしまうと具合が悪いからでしょうか?
ただし、「雨」+「合羽(かっぱ)」は「あまがっぱ」です。
え、何のことか解らないって? カッパは外来語です。元はポルトガル語です。
でも、これなんかはそれこそ江戸時代に入ってきて、漢字まで充てられていて、もはや誰も外来語だなんて思っていないほど純日本語化しています。だからカッパがガッパに濁ってしまったんですね。
って、例外の説明しておきながら、最後になって例外の例外なんか出してくるなよ、って思われたかもしれません。でもね、
【法則0】 言葉なんてそんなもんですよ。理屈では割り切れないんです。
結局みんながどう話しているかによって標準が決まってきます。厳格に適用できる文法やルールなんて多分あり得なくて、必ず例外があり、その例外にまた例外があり、なんだかなあ…。
でも、そこが面白いのだと私は思っています。
以上が、私がいろいろ考えて、勝手にまとめてみた「濁りのルール」であり、その「ルールの濁り」なわけですが、当然こういうことを専門に研究している学者さんもおられるわけで、そういう方の著書を読んで、新しい法則を知ることもあります。
例えば『日本人も悩む日本語』(加藤重弘・著)という本で、私は以下の法則を知りました。
【法則4】 動詞が2つ結合した場合(複合動詞)は濁音化しない
つまり、「殴る」+「倒す」は「殴りたおす」であり、「殴りだおす」にはならないのです。「押す」+「返す」は「押しかえす」であり「押しがえす」にはならないのです。
ふーむ、なるほど。ただ、ややこしいのは、この本で最初に出てくるのは、上記のルールの例外のほうで、「着替える」なのでした。
皆さん、これをどう読んでます? 私は「きがえる」でした。でも、従来は「きかえる」だったのだそうです。時代が進むにつれて、私が上で述べたように「ルールが濁って」来たらしいのです。
かなり年配の方は今でも「きがえる」と言われると違和感を覚えるとか。でも、若い方はどうなのでしょう?
と言うかもしれません。
でも、じゃあ「履き替える」「書き換える」をどう読むのか?と問われると、これを「はきがえる」「かきがえる」と読む人は多分皆無で、そうなるとやっぱり「着替える」が例外だと判るのです。
「がえる」と読むのは「アマガエル」とか「ヒキガエル」などの蛙の名前(つまりは名詞)がほとんどで、複合動詞で「がえる」になるのは「着替える」ぐらいなのです。
でも、面白いのは「着替え」は動詞ではありませんので、これは「きがえ」なのです。年配者も若い人も同じで、「きかえ」と言う人はいません。
このルールで言うと、「行き止まり」は「いきどまり」でも「行き止まる」は「いきとまる」、「行き詰まり」は「いきづまり」でも「行き詰まる」は「いきつまる」でなければなりません。
「いきとまる」とか「いきつまる」って何か間抜け、と思うかもしれませんが、歴史的には日本人は確かにそう発音していたらしいのです。
面白いですよね。法則はあるのだけれど、次第に変わって行くのです。
でも、ここまで読むと、結局私が上で書いた
【法則0】 言葉なんてそんなもんですよ。理屈では割り切れないんです。
というのが一番しっかりした法則であるような気がします。そのために番号をゼロにしたのです(笑)
本当に書きたかったのは実はこの1行だけのことだったのですが、でも、それでは説明不足だし、説得力もないでしょう? だから、こんなにああでもないこうでもないと、ややこしいことを書いてみました。
どうでしょう? 読み応えありました?(「応え」はちゃんと濁ってますよね?)
こんなことも書いています。