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上から目線

今の若い人たちは「上から目線」というのを徹底的に忌み嫌うみたいですね。

彼らが使う「上から目線」という表現は今や相手の全人格を否定できるほどのモンスター・ワードになったような気がします。でも、私は彼らがそんな風に言うのを聞くと、時々「そこかよ!?」と思ってしまうんですよ。

何しろ我々の若い頃は「全出勤日=パワハラを受ける日」だったので、「上から目線」慣れしちゃっているのかもしれません(笑)

我々の世代からしたら、全社会的に言葉遣いは乱暴だったし、誰彼なく上から目線でものを言われることも多く、良い悪い以前に日常茶飯事で、だからそういう喋り方に名前さえついていませんでした。

それが、ある日誰かが「上から目線」と名づけたことによって、突如としてそれは誰にも抗えない断罪の旗印となったような気がします。

「上から目線はやめろ」という言葉は相手の人格を全否定して完全拒絶できるモンスターワードになっていませんか?

上から見られるのって、そんなに嫌ですか?

それって、ほんとは上でも何でもない奴が上からものを言うから?

それとも、

相手と自分の関係がどうであっても(つまり、相手が上司や先生であっても)、とにかく上から言われるのが嫌?

でも、問題は言い方が上から目線かそうでないかではなく、あくまで言っている内容じゃないのかなあ?

上から目線の発言でもありがたく神妙に拝聴すべきこともあるし、強硬に反発すべきこともあります。逆に、腰が低く低姿勢であってもとんでもなく失礼なことを言う奴だっていますし、純粋に謙虚な人もいます。

言い方にあまり神経を尖らせず、言っている内容だけ吟味するようにしたほうが、人生が楽になると思うんですが、ダメかなあ?

「国政選挙の際に投票に行けと言われるのは上から目線で嫌!」と言うのを聞くと、じゃあ、選挙に行ったほうが良いと伝えたいときはどういう言い方をしたら良いのだろう?と私たちは途方に暮れてしまうわけです。

「選挙に行け」と言うのは、文法的には命令形ですが、言ってる人は「俺のほうが上だから命令する権利がある」とは思っていないですよ、きっと。

もし相手の言っている内容が正しいかどうかではなく、その言い方が上から目線だからという理由で反発するのであれば、それはまさに昨今アメリカなどで問題となっている“トーン・ポリシング”ではないでしょうか?

そう、発言の内容ではなくトーンを取り締まってしまう Tone Police + ing。警察でもないのにあんまり警察みたいな真似はしないほうが、心の平静は保たれるのではないでしょうか?

日頃「話を聴いていると、こいつ、よくもまあ、いつもいつも、こんなひどい言い方するもんだ。でも、言ってる内容はそこそこ正しいんだよな」なんて思うこともあるじゃないですか。そんなことってない?

いや、「もっと上から目線に慣れろ!」なんて言っても、それこそ上から目線で嫌われて聞いてもらえないんでしょうね。うーむ。

でも、それにしても、今の若い世代はみんながみんな(上から目線にならないように)ものの言い方に気をつけて暮らしているのでしょうか?

私からすると、そんなに気を使うのもしんどいし、逆に気を使われるのもめんどくさくて、ものの言い方に囚われないほうが、人生が楽なような気がするんですが、そうは思いませんか?

ちなみにこの文章は、上から目線にならないように、私なりに一生懸命書いているのですが、まだこんなもんじゃ全然ダメでしょうか?

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山本英治 AKA ほなね爺
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