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上映が開始になる

映画館によっては本編上映直前に「まもなく上映が開始になります」というテロップが出るところがあります。松竹系だったか、テアトル系だったか?(今は出していないのかもしれませんが)。

で、この表現、気になりません? え?我々の世代だけ?

でも、「上映が開始になる」って、まるで何もしないでも、放っておいたら自然に(勝手に)上映が始まるみたいじゃないですか。なんでそんなに他人事ひとごとみたいに言うんでしょう?

いや、「まもなくお昼になります」だったら分かるんですよ。「私どもの会社はまもなく創立30周年となります」でも分からないではないです(「まもなく創立30周年を迎えます」のほうが良いとは思いますが)。

それは、日の出から何時間か経てば勝手にお昼になるし、会社が続いてさえいれば自然と何周年かにはなるものだからです。

近年は何でもぼかした表現にするのが丁寧語だと思われているフシがあって、「私が/我社が/当劇場が上映を開始する」と言うのはなんか押し付けがましい、でしゃばった感じで、それよりも「上映が開始になる」みたいなほうがソフトで高級な表現と思われているみたいです。

若い人たちにとっては、「上映が開始になります」のほうが耳に心地よい、優しい表現なのかもしれませんね。

でもね、劇場従業員の皆さん、上映を始めるのはあなたがたじゃないですか? あなたがたが何かをしてくれないと上映は始まらんのですよ。私が無事に映画を見られるかどうかはあなたがたにかかっているのですよ。

ここはひとつ「まもなく上映を開始いたします」と高らかに宣言してくれませんか?

一種のサービス業なんだから、高らかにサービス宣言して良いと思うんですよね。

「私たちがサービスします」って言い切るの、言うほうも言われたほうも結構気持ち良いと思うんですが、そう思うのは年配の世代だけなのでしょうか?

毎月1日の映画の日に、ふとそんなことを考えました。


言葉についていろいろ書いています。例えばこれとか:

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山本英治 AKA ほなね爺
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