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他人事じゃないです

最新の流行語や若い人たちの言葉遣いに違和感を覚えるのは老人の常です。かく言う私も、まあ、自分ではそんなに老いたつもりはないんですが、やっぱり気に入らない表現がいくつかあります。

例えば「自分事じぶんごと」。これ、昔は「がこと」と言ったもんです。

「我が」なんて、なんか古臭くて堅苦しいと思われたかもしれませんが、でも「我が社」とか「我が家」、「我が子」、「我がまま」などと聞くと、まあ、くだけた表現ではありませんが、逆にそれほど抵抗もないでしょう?

要は聞き慣れているかどうか、なんですよね──皆さんが「我がこと」を変に思うのも、私が「自分事」に違和感を覚えるのも。

で、この「自分事」という表現がどこから出てきたかと言うと、多分「他人事」を「たにんごと」と読んでしまったところからだと思うんです。

え?「他人事」は「たにんごと」でしょ?と思われたかもしれませんが、これは元々「ひとごと」と読んでたんですよ。そもそも「他人」と書いて「ひと」と読ませることもよくあります。

そう、「他人ひとの振り見て我が振り直せ」って言うじゃないですか。あの諺における「他人ひと」と「われ」の対比です。

「人」にはいろんな意味があります。他の動物と区別してホモ・サピエンスを意味していることもあれば、社会生活を送っている人間一般の場合もあります。そして、「他人」を表すことも少なくありません。

「他人」が意味する範囲も人によって状況によってさまざまで、自分以外は全部他人の場合もあれば、家族や親しい友人などは他人ではない場合もあります。

さらに、「人の気も知らないで」とか「人が親切に教えてやったのに無視しやがって」などと言った場合、不思議なことにこの「人」はそれを言っている自分なんですよね。これ大阪弁で相手のことを「自分」と言うのの反対ですね。

あ、話がどんどん逸れて行っちゃいました(笑) 元に戻しましょう。

「人」が「他人ひと」を意味しているとき、他人ひとの(つまり、自分には関係のない)ことを「ひとごと」と言い、「他人事」と書きます。そう書かないと「人事」じゃ「じんじ」と読まれてしまいますからね。

なのにこれを「たにんごと」と読む人が増えてきて、その対義語として、「他人⇔自分」の対比から「自分事」という単語が生まれてきたのだと、私は思っています。

私がこれを気持ち悪いなと思うのは「他人事たにんごと」も「自分事じぶんごと」も漢語+やまと言葉の組合せだからです。

漢語は漢語同士、やまと言葉はやまと言葉同士が相性良くくっつきます。だから、やまと言葉の「我が」と「こと」、「ひと」と「こと(ごと)」が結合するのがごく自然なのです。音読みは音読み同士、訓読みは訓読み同士と言っても良いでしょう。

似たような例を挙げると、「関心事」は「かんしんごと」ではなくて「かんしんじ」だし(でも、「かんしんごと」と読んでいる人たくさんいますよね)、日常茶飯事は「にちじょうさはんごと」ではなく「にちじょうさはんじ」ですもんね。

もちろん言葉は理屈では割り切れないので、例外はたくさんあります。

でも、やっぱり大筋として漢語は漢語同士、音読みは音読み同士が収まりが良いのであって、漢語/音読みの「自分」や「他人たにん」がやまと言葉/訓読みの「こと(ごと)」とくっついているのが気持ち悪いなと、私は思うわけです。

まあ、でも、この勢いだといずれは「たにんごと」が勝利して、その内にきっと誰も「ひとごと」と読まなくなるでしょうね。ま、それはそれで良いのです。だって、言葉ってそういうもんだから。

いや、決して他人事だと思って書いているわけじゃないんで、念のため(笑)


言葉についてはこんなことも書いています(いや、他にもいっぱい書いてるんですけど、とりあえず):

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山本英治 AKA ほなね爺
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