お正月
お正月はなんでめでたいのか?
──小学校の頃からそんなことを考えていました。と言うか、その頃から他人と違うためにはどうすれば良いのか、を考えるようになりました。その頃から私は「人は皆同じである」ではなく「人は一人ひとり皆違う」ということを、物事を考えるスタート地点に据えたのでした。
そんな中で、お正月はなんでめでたいのか、というのは少年時代に随分悩んだ問題でした。そう、今思えば私はいつも苦悩に満ちた少年でした。
暦というのは人間が勝手に作ったものです。単位がなく永遠に数字が積み上がって行くのでは、頭で理解するのが難しいから年や月や日などの単位を決めたのであって、そのうちの年の切れ目がお正月であるに過ぎません。
なのに、何故めでたいのでしょう?
なんで1年のうちでこの日、この期間だけ、会う人会う人に「おめでとう」と挨拶し、大人たちは集って酒を飲むのでしょう。なんで誰もが年賀状を交換するのでしょう?
最近になって年賀状を面倒くさく思ってやめる人が増えていますが、実は私は小学生の時分から、(年賀状を作る作業は大好きでしたが)年賀状を交換する習慣については疑問を抱いていたのでした。
で、その疑問は中学時代の終わりぐらいに氷解しました。いや、氷解と言うより、割り切ることができたのです。
お正月が何故めでたいのか? そのことには何の根拠もありません。なのに皆、何も考えずに「おめでとう」「おめでとう」を連呼していています。これほどおめでたいことはないではないですか!
それが中学生の私が到達した結論でした。そして、そのお蔭で、以降は年賀状を出すことに苦悩もなく、割合心安らかなお正月を迎えられるようになったのでした。
さて、それから数十年が過ぎ、今私は年賀状を出していません。2005年の年末を迎えるに当たり、年賀状をやめてクリスマスカードに切り替えたのです(去年からは宗教色を廃してグリーティングカードに変えました)。
これも他人と違うことをやりたいという少年時代からの傾向の延長なのかもしれません。他人と違うことを何の抵抗もなく楽しむことができる女性と結婚していたことも切り替えられた決定的要因でした。
でも、最大の理由は、年賀状を書く慌ただしさから逃れたいということでした。クリスマスカードは12月になればいつ出してもおかしくないので、それを書く日程は年賀状より随分早まります。そのお蔭で、年末に切羽詰まって必死で書くという作業からは解放されたのでした。
でも、いただいた年賀状は楽しみながら読んでいます。「お正月はめでたくない」なんて言う気はありません。
お正月はめでたいです。なんだか分からないからめでたいのです。