京都のきーひん、神戸のこーへん
関西出身の皆さん、「来ない」を関西弁でどう言いますか?
私はかつて自分のホームページ(現在は閉鎖)で言葉に関するエッセイを書いていて、関西人ですから当然関西弁をテーマにすることも少なくありませんでした。そして、その中に出身地ごとの「来ない」をテーマにしたものがありました。
最初に書いた記事が 2011年3月、最後に書いた註記が 2014年6月と、かなり古いものです。
ちょうど2年前に、ALiS に同じような記事を書いている人がいたので、私もその記事をそこに転載してみたら、いまだにそこそこ読んでもらっているみたいなので、気を良くしてここ note にも転載してみようと思います。
京都のきーひん、神戸のこーへん
関西以外の方はともすれば関西弁のことを「大阪弁」という言葉で一括りにしてしまわれたりしますが、実は関西の言葉というのは地域ごとにかなりのバリエーションがあります。
昔から言われるように、大阪と神戸と京都では微妙に違います。神戸では親しい挨拶「何しとう?」が大阪では「何しとん!?」と喧嘩を売られたように聞こえたりします。上品な女の人なら「何してはんの(ん)?」と聴くかもしれません。人によっては「何したはんの?」にもなるでしょう。
そこに奈良や和歌山の発音や表現があり、滋賀には滋賀独特の言葉があり、兵庫県や京都府の日本海側がまた結構違ってたり、さらには三重や香川・徳島などの微妙に違うイントネーションとボキャブラリーまで加わって形成されているのが関西弁です。
だから、ひとつの標準語に対応する関西弁がたくさんあることがあります。
例えば「来ない」の関西弁。
代表例を挙げると「きーひん」「けーへん」「こーへん」の3つがあります。私の場合は概ね「けーへん」で、表記としては「けーへん」ではなく「けえへん」という感じなのですが、一応他の2つに合わせてこうしておきます。
で、これは割合最近知ったことなのですが、この3つがそれぞれ京都、大阪、神戸の方言であるという説があるらしいのです。そう言われたらそんな気もするし、いや、そんなに厳密には分けられないだろうという気もします。
ずっと気になっていたのですが、このあいだ twitter で呼びかけてアンケートを採ってみました。
その結果をまず書きましょう。表のヘッダ行は出身地です。
そもそも「出身地(育ったところ)」の定義(今回は自己申告によりました)が曖昧ですし、サンプル数55 というのはまともな調査と呼ぶにはあまりに貧弱で話になりませんが、しかし、大雑把な傾向としては「きーひん」=京都、「けーへん」=大阪、「こーへん」=神戸というのが裏付けられたように思います。非常に面白かったです。
上の表では細かいところまで表現できませんでしたが、「兵庫」に分類されている回答者の中には現実に日本海側の人から淡路島の人まで含まれています。そして、兵庫で「けーへん」と答えてくれた方は尼崎などの大阪府に隣接する地域の方ばかりで、そういうところまで読み込むと上記の傾向はますます顕著に見えてきます。
ところで、いただいた回答の中で面白かったのは、「けーへん」を選んだ大阪の方が「きーひん」は「来ない」ではなく「(洋服などを)着ない」の意味である、と答えたくれたことでした。なるほど確かにそうかも知れません。
で、この結果を見ながらふと考えたのは、文法的にはどうなんだろう?ということでした:
(そんな難しい話はどうでも良いという方は以下のブロックをパスしてください)
文法的解説(ったって、私も国語学者じゃないので勝手な解釈ですが)
「来ない」はカ行変格活用(コ・キ・クル・クル・クレ・コイ)の動詞「来る」の未然形「こ」に打ち消しの助動詞「ない」が付いたものです。
一方、関西弁で「ない」に当たる助動詞が「へん」「ひん」です。しかし「ひん」は「きーひん」以外の用例をあまり見ませんので、ここではひとまず「へん」について考えます。
「へん」への接続は「笑わへん」という五段活用動詞の例から明らかなように未然形です。だから、コ・キ・クル・クル・クレ・コイの未然形「こ」が接続して「こへん」となるのですが、いささか語呂が悪いために「こーへん」と変化をして語調を整えたものなのでしょう。
では「けーへん」の「け」とは何かと言うと、それはカ変の活用の中にありません。多分それはカ行変格活用というそもそも変則的な活用がさらに変則的な変化をしたと考えるべきではなく、「こ」が通音(五音相通)を起こしたものではないかと思います。
※ 通音(つういん)とは「ミンチカツ」が「メンチカツ」に変化するような、子音はそのままで母音が入れ替わってしまうことです。
つまり、文法的な変化ではなく音の訛りなのではないかというのが私の考えです。
で、さらに、この「けーへん」のエ段が揃って通音(五音相通)を起こしたものが「きーひん」なのではないかと思うのです。なぜならば「きーひん」の「き」がコ・キ・クル・クル・クレ・コイのキであるとすれば、それは連用形接続になってしまうからです。
そういう解釈を進めて行くと、「来ない」の関西弁で一番由緒正しいのは「こーへん」で、それが「けーへん」→「きーひん」と変化して行ったのではないかというのが私の推論なのですが、かつて長らく都があった京都の言葉が一番由緒正しくないというのはそれはそれで眉唾もののような気もします。
しかし、いろいろ辻褄が合わんぞ
てなことをいろいろと考えていてふと気づいたのですが、先ほど打ち消しの助動詞に対しては未然形接続する例として五段活用動詞の「笑わへん」という例を挙げましたが、「笑う」の代わりに「泣く」を持ってくると、関西弁には「泣かへん」「泣けへん」の2つがあります。
ではこの「泣け」は何か? 仮定形と考えても命令形と考えても理屈が合いません。やっぱりこれも通音(五音相通)なのでしょうか?
そうすると、関西に於いてはエ段への通音化が進みやすいという推論は成り立たないでしょうか? 例えば「きつねうどん」が「けつねうどん」になるなんてその一例ではないですか。
いや、でも、それは「けーへん」→「きーひん」の逆方向の変化か!
言語学者でもないのにそんなことを一生懸命考えているのは私くらいのものかもしれませんね(笑) 人は私に言うかもしれません──「なんでそんなこと一生懸命考えてはんの?」と。
いや、ちょっと待て。これはどっちが正しいのか?──尊敬の助動詞「はる」への接続は本来未然形のはずだから、「考えたはんの?」のほうが正しいのか?
だんだん分からへんようになってきた、いや分かれへんようになってきた?
関西文化圏が意外に広いように関西弁もまた広いようです。
最初の記事につけた脚註
ちなみに、この後同じ調査を facebook の「クエスチョン」機能を使ってやってみました。こちらのほうが目に留まる率は高いようで、twitter よりもたくさんのサンプルを集められました。
ただし、クエスチョンの仕様では問いを2つ設けてクロス集計することができませんので、今回は出身地・居住地は問わないまま(ただし関西出身者/居住者への限定質問、MAとしました)表現を選んでもらう形にしたのですが、結果は下記のとおりでした(10票以上のみ、2011/5/21正午現在)。
なんか、「こーへん」が妙に多いですね。回答者が阪神間に固まっていたということでしょうか。
Copyright©yama_eigh May.2011
2014年6月追記
この文章を書いてから3年余り。読者の Kさんからメールをいただきました。これが「なるほど」と思える新説なので、ご本人の許可を得て、全文をここに掲載したいと思います。
ひとことで言うと、「きーひん」「けーへん」「こーへん」は「来ない」の関西弁ではなく、「来やしない」の関西弁ではないか、との指摘です。まずはご一読ください。
※ (筆者註)Kさんが上で「ハ行化」と書いておられるような現象を「通韻(同韻相通)」と言います。これは「通音(五音相通)」に対する用語で、母音はそのままで子音が入れ替わってしまいます。例えば大阪弁で「しつこい」が「ひつこい」になったり、江戸弁で「まっすぐ」が「まっつぐ」になったりするようなことです。
言語学の専門家でもない2人が自説を並べてああでもない、こうでもないと言っているだけですが、こういうことをひとりで考えてみるだけでなく、皆で意見を持ち寄ると愉しいですね。こんなことを面白がるのって、せいぜい私くらいのもので、メールなんて誰からもけーへんと思っていたのですが(笑)
2014年6月追々記
ところで、上記の追記を書いたあと、たまたま facebook で上記の質問をシェアしてくれた方があったので、多少は票数が増えたのかなと思って見てみたらびっくりしました。なんと 2014/6/27現在で 71,945票! で、その集計結果トップ10は、
自由に選択肢を増やせる形にしたので、ちょっととっちらかった印象もありますが、これくらいの規模になるとかなり精度が上がった感じはします。設問は作ってみるもんです(笑)
さて、あなたはけーへん?きーひん?こーへん?
◇
ここ note では、言葉については他にこんな記事を書いています: