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外来語のカタカナ表記を考える

先日、ウチの番組を見ていたらテロップに「シラップ」と書いてあって驚きました。

「シロップ」じゃないのでしょうか? 少なくとも僕らは子供の頃からシロップと言い習わし、聞き慣れてきました。

誰かが「英語の発音はシロップではなくてシラップだよ」などと言い始めたのでしょうか? 確かに綴りは syrup なので、シロップよりはシラップのほうが近いのかもしれません。

そういうことは時々起きます。

例えばアメリカ合衆国第40代大統領のロナルド・レーガン(Ronald Reagan)は、大統領候補として報道され始めた当初は「リーガン」氏でした。多分誰かが「いや、アメリカ人の発音を聞いてるとリーガンじゃなくてレーガンだよ」などと言い出したのでしょう。

アメリカの俳優スティーブン・セガール(Steven Seagal)も、多分そのスペリングからだろうと思いますが最初はスティーブン・シーガルと紹介されました。しかし、奥さんが日本人で、自分自身も流暢な大阪弁を喋る本人から「シーガルとちゃうで。セガールや」との申告があってセガールに落ち着いたという話を聞いたことがあります。

固有名詞では特にそういうことが多いのです。自分が思っている響きとあまりに違う呼び方をされると本人も気が悪いでしょうから、そういう気遣いをして当然かもしれません。

でも、実際には英語と日本語の発音を1対1で対応させることはできないのです。他のどの言語でも同じです。違う言語は違う音素で構成されているので、全く同じ音というのはなかなかなくて、一番近い音を充てているにすぎないのです。

しかし、この「一番近い音」というのは誰がどんな風に判断するのでしょう? 録音して波形を比べるというような科学的な方法を採るのであればまだしも、人が耳で聴いて判断するとなると、これは人によってかなりのばらつきが出ます。

前に『耳が良い』という文章を書きましたが、あそこで僕が「時々『困ったなあ』と思うことがある」と書いている現象です。

似たようなことで、こんなことがありました。

僕が学生の頃にゴダイゴというバンドが『モンキー・マジック』という大ヒット曲を放ちました。僕らの世代には説明する必要もないと思いますが、日テレのドラマ『西遊記』のテーマ曲です。

ある日学校に行くと、同級生がその曲を口ずさんでいたのですが、どう聞いても Monkey Mazic と発音していたので、僕は Mazic ではなくて Magic だと訂正したのですが、意外なことに彼は全く聞き入れてくれません。

彼は「だって、(ゴダイゴのボーカリストの)タケカワユキヒデがそう発音しているもん」と言って聞かないのです。タケカワユキヒデと言えば東京外国語大学の英米語科卒業で、きれいな英語の発音ができる歌手として知られていましたし、もちろん z と g の区別もちゃんとついています。

僕は「ははあ、君の耳にはそう聞こえるのか」と呆れて、しかし、そのことはもう彼には言いませんでした。

ことほどさように音を移すという作業にはいろいろと障壁があるのです。

さて、話を元に戻しましょう。

今回のシロップ ⇒ シラップという例はテレビ局が表記を変えたという例です。こういうのは他にもあって、例えば今はファストフードと表記されているものは初期にはファーストフードと書かれていたのではないかと思います。

こっちのほうが原語の音に近いからこっちに書き換えようという考え方も解るのですが、しかし、じゃあそれに倣うとラジオはレイディオウに変えるという話にならないでしょうか?

発明王エジソンはエディソン、アルプスの少女ハイジはハイディではないか、みたいなことになって、実はそんな風な例は山ほどあるのです。

di を ジとしてしまった例で言うと、ガンジー、モジリアーニ、カンボジア、モルジブ、コートジボワール、サウジアラビア、マジソン・スクエア・ガーデン、化学式に使われるギリシャ語の数詞ジ(ジクロルベンゼンなどのジ)、ジレンマ、ジーゼル、クレジット、ジオラマ、アルマジロ、ジステンパー…。

問題はこれらの表記はいずれもかなり定着してしまっているということです。もちろんモルディブとかディレンマという表記も目にするように、それぞれの例によって程度の差はあります。でも、例えばラジオは明日からレイディオウと書こう、セーターはスウェターと書こうと言われると、ちょっと抵抗がないでしょうか?

私にはシラップ/シロップもそれと同じように思えたのです。

それに倣うのであれば、stop はストップよりスタップのほうが近いような気もします。マライア・キャリーよりもムライア・ケアリと発音したほうがアメリカ人には聞き取ってもらいやすいのではないかと思ったりもします。

国語表記の基準とか常用漢字表とかは折に触れて国/文部科学省が変更を加えていきます。それは「明日からはこう書きましょう」と言っているようなもので、上で書いた例に近いものがあります。

ただ、そのほとんどは後追いです。本来はそういう書き方や読み方はなかったけれど、日本国民の多くがこんな使い方をしているので、今後はそれを標準と認めましょうということです。

果たしてシロップ ⇒ シラップという例はそれに当たるんだろうか?というのが私が驚いた理由でした。いや、私以外の多くの人がシラップと言い始めているのであればそれはそれで構いません。

いずれにしても、言葉というものは大変難しく、だから面白いんですよね。はい、そこがすっきりしないところであると同時に、言葉というものの面白いところだと思います。

じゃあ、どっちの表記を採るべきなんだ?と言われると、そんなこと私にも分かりません(笑)

ただ、それは誰かが決めることじゃなくて、みんなが使うことによって定着するものだと思います。

さて、シラップは定着する(あるいは、すでにしている)のでしょうか?

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山本英治 AKA ほなね爺
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