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ことばと生き方──ことばに対するこだわり

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若い頃から「ことば」というものに興味があり、2001年から2018年まで“ことばのWeb”を主宰していた流れで書いた文章を集めています。
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#表現

続々・気になる放送のことば

この間「ことばの変化に対してはすべからく寛容であるべきだと思っています」と書いたばかりですが、 とは言いながら、ことテレビとかラジオとか新聞とかに関して言えば、時々「その表現はおかしくないか?」と言いたくなることがあります。 それで、note にもこんなことを書きました: 一般人の話し言葉ならともかく、やっぱり公共のメディアには正確で理解しやすい表現を使ってほしいし、そのためには規範性の高い、つまり辞書に載っている意味から外れないことばを使ってほしいと思うのです。 そ

続・気になる放送のことば

続・のようなものニュースを見ていて久しぶりに「猟銃のようなもので警察官を撃った」という表現に接し、やっぱり違和感を覚えました。 もちろんこれは使用されたのがまだ猟銃だと断定できない時点での報道であり、正確性を期するためにニュースが選んだ言い回しなのですが、前にも書きました通り、「のようなもの」という表現には「似ているけれど本当はそれではない」という含意があります。だから気持ち悪いのです。 例えば、 という表現で言えば、見えているのは黒い虫に似たものであって、実際に虫では

上映が開始になる

映画館によっては本編上映直前に「まもなく上映が開始になります」というテロップが出るところがあります。松竹系だったか、テアトル系だったか?(今は出していないのかもしれませんが)。 で、この表現、気になりません? え?我々の世代だけ? でも、「上映が開始になる」って、まるで何もしないでも、放っておいたら自然に(勝手に)上映が始まるみたいじゃないですか。なんでそんなに他人事みたいに言うんでしょう? いや、「まもなくお昼になります」だったら分かるんですよ。「私どもの会社はまもな

文章の書き方の問題 ~改行と行開け~

たとえば、こういうことなのかな、と思うんです。 みんな、そんな書き方をしてるじゃないですか。 改行を多くして、しかも、行間を広めに取って。 そういう書き方でないと、今の読者には却々読んでもらえないんじゃないだろうか なんて考えたりしています。 だって、あまりにビュー数が伸びないし、あまりにスキがつかないから(笑) でもね、我々の世代には、こういう書き方にはなんとなく抵抗感があるんですよ。 たとえば我々の書き方だとこんな感じになるんですが、我々にとってはこっちのほ

大和の豊かな言い回し(全6章)

知人へのメールの冒頭に「お申し越しの件」と書いたら、「最近の若い人はきっとお申し越しなんて言葉知らないでしょうね」という返事がきました。確かにそうでしょうね。 「お申し越し」って解ります? 英語で言うならオファーですよね(こんな言葉のほうがよく通じたりする不思議!) 実は私は最近意識してこの手の言葉を使うようにしています。 「この手の」とは何かと言いますと、やまと言葉の動詞2つを重ねて作った動詞、もしくはそこから転用した名詞です。 自分の語彙を増やそうとするとどうして

言葉のデフレーション、表現のインフレーション

言葉のデフレfacebook や twitter に、何かを観て「号泣した」なんて書いている人がいます。映画の宣伝文句に使われているのも見たことがあります。私はそういう表現を見るたびに「本当に号泣したのか!?」と思ってしまいます。 「号泣」って大声を上げておいおいと泣くことですよ。しくしくじゃなくておいおいですよ。本当に大声上げて泣いたんですか? 私は今日までに映画館で 1300本ぐらい映画を観てきましたが、映画館で「落涙」したことは何度もありますが「号泣」したことは一度