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ことばと生き方──ことばに対するこだわり

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若い頃から「ことば」というものに興味があり、2001年から2018年まで“ことばのWeb”を主宰していた流れで書いた文章を集めています。
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#変化

意味や用法が変わってきている日本語を集めてみました

時代とともにことばは変わって行くものです。それが証拠に、古典文学を読んでも古語辞典を使わないと意味が分からないでしょ(笑) ただ、それほど長い期間であれば、ことばの変遷に寛容になれるのですが、自分が生まれてから死ぬまでの短い時間にことばが変わってきて、自分が親しんできた意味や読み方や使い方から外れてくるのは正直気持ちが悪いもので、僕もそんなことを note にも何度か書きました。 でも、それは仕方がないことであり、逆にそこがことばというものの面白いところであり、自分が生き

それは「言葉の乱れ」なのか?

「言葉の乱れ」みたいな言い方はしません。「乱れ」と言ってしまうのはあまりに乱暴だから。 それはちょうど、僕らが中学生の時に、制服の詰め襟のホックをちょっと外していたり、ちょっと幅の広いベルトをしてきたりしただけで「服装の乱れ」なんて言われたのと同じように思うから。 とは言いながら、この年まで専ら日本語を使って生きてきた老日本人としては、やっぱり昨今の皆さんの言葉の遣い方にあまり馴染めないところがあるのも事実です。 例えばこういうことが「言葉の乱れ」などと言われますが…例

ぶりぶり

前にも書いた、と言うか、あちこちに何度も書いているのですが、僕は「どんぶり」を「丼ぶり」と表記するのが気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がないのです。 もちろん言葉というものは変わって行くものだということは重々承知しているのですが、いや、これだけは何とかならんものか、と思ってしまうのです。 表題写真にあるように、全国に多くのチェーン店を展開する企業がこんな看板出してくれちゃたまらんなあ、と今日もため息をつきながら写真を撮ってしまいました。 多分知らない人が多いからこんなことに

「お疲れさまです」と言えない世代

僕らの世代だと「お疲れさまでした」は言えても「お疲れさまです」とは却々言えない人が少なくないのではないでしょうか。他ならぬ僕がそうです。 と言うのも、「お疲れさまでした」は会社に勤め始めた若い頃から使ってきた表現ですが、当時は「お疲れさまです」という現在形の用法はなかったからです。 「お疲れさまでした」は何か骨の折れる仕事をやり遂げた時、あるいはそんなに大げさではなく、単に一日の勤務が終わった時などに投げかけるいたわりの言葉でした。 ところが、今頻用されている「お疲れさ