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ことばと生き方──ことばに対するこだわり

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若い頃から「ことば」というものに興味があり、2001年から2018年まで“ことばのWeb”を主宰していた流れで書いた文章を集めています。
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#意味

意味や用法が変わってきている日本語を集めてみました

時代とともにことばは変わって行くものです。それが証拠に、古典文学を読んでも古語辞典を使わないと意味が分からないでしょ(笑) ただ、それほど長い期間であれば、ことばの変遷に寛容になれるのですが、自分が生まれてから死ぬまでの短い時間にことばが変わってきて、自分が親しんできた意味や読み方や使い方から外れてくるのは正直気持ちが悪いもので、僕もそんなことを note にも何度か書きました。 でも、それは仕方がないことであり、逆にそこがことばというものの面白いところであり、自分が生き

その「生」って、どの「生」ですか?

「生」っていう言葉があるじゃないですか。いろんな場面でみんな気軽に使ってるけど、いろいろ聞いてると、「生」って本来どういう意味よ?って思いませんか? 僕は以前「ことばのWeb」というのをやっていたくらいで、言葉に対して強い興味関心があります(と言っても、多少とも知っているのは日本語と英語だけなので、対象はおのずからその2つの言語に限られるのですが…)。 で、最近よく考えるんです。生っていう言葉には一体どれだけの多義性があるんだろう?って。で、いろいろ考えたり調べたりしたの

漢字の愉しみ──1つの漢字にいろんな意味がある

僕は漢字が大好きです。 漢字は表意文字なので、漢字を使う日本語は表音文字を使う英語などより少ない量で多くの意味を伝えられると言います。 だから、twitter の初期には同じ 140文字だったら日本語でつぶやくほうが有利だなんて言われました(その後英語の文字制限は 280文字に拡大されましたが)。 そして、漢字は元々中国の文字ですから、我々は中国語を知らなくても、中国語圏に旅行したときには案内看板やメニューなどを見て大体意味が分かります(同じ漢字が日中で全然違う意味の場

言葉の音に引っ張られる

言葉の響きに引っ張られて意味を間違えてしまうことってありますよね? たとえば、「はんなり」「あざとい」「おっとり刀」「可及的速やかに」「すべからく…すべし」「嗚咽」「煮詰まる」などについては、前に note に書いたとおりです。 これらの言葉が本来の意味ではない意味に取り違えられてしまうのは、違う意味の単語に音が似ているからではないか、と私は考えています。 今回は他の例についても書いてみたいと思います。 「手をこまねく」と「手招き」文化庁が発表した「平成20年度『国語

漢字のこじつけ──「勉強」は「勉めるを強いる」のではない

知人が facebook に 「勉強って『勉めるを強いる』って書く」って書いているのを読んで、カチーン!と来ちゃったんですよね。 いや、その人が書いている本筋の部分はおっしゃる通りだったんですが、導入部分にその文言が出てきたので、カチーン!と来ちゃいました。 それでコメント欄にこんなことを書いてしまいました。 最初は腹立ち紛れにもう少し激烈な書き方をしていました。「漢文の授業中、寝てたんか、ボケッ!」とかね。さすがにちょっと行き過ぎたかと思って何度か編集した結果が上の文

すべからく誤りを正すべし

言葉には音があります。日本人はあまり意識していないかもしれませんが、その音の響きから私たちはたくさんの印象を受け取っています。 英語では例えばDの音を重ねると不吉な重苦しい雰囲気が出るとされています。英詩ではそういうテクニックがよく使われます。 これは日本語でも同じではないでしょうか? ダ行の音は暗く重く激しい感じがします。 同じくサ行ならサラサラした感じ、ナ行やマ行なら柔らかい感じ、ハ行は薄いものがはためく感じ、ラ行は響いたり弾んだりする感じ、ガ行やダ行なら何かがぶつ

音を楽しめる? 漢字を楽しめる?

中学の時の音楽の教師がこんなことを言っていました。 「音楽は“音を楽しむ”と書くんだから、みんな、もっと楽しまないと」 そういうの、昔からどうも好きになれないんですよね。「人という字は右と左から支え合っている」とか「愛という字は心を受けると書く」とかね。 ま、言いたいことは分かるんですよ。でも「人」という字は左右から凭れ合った図ではなく一人の人間の胴体と2本の足を象った文字です。なのにそれを無理やりこじつけて説教臭くなってるのが好きになれないんですよね。 「音楽」の話