【私見】交流型少年院は応援するべき
産経新聞が先日、「『地域交流型』少年院を設置へ 全国初」との記事を配信した。地域住民との交流を通して少年院の少年少女の更生を図る、全国初の第一種少年院を神奈川県に設置する計画があるという。この記事が配信されると、Yahoo!ニュースのコメント欄(いわゆる「ヤフコメ」)では否定的なコメントが相次いだ。
第一種少年院とは
少年犯罪については先日、私怨から甲府夫婦放火殺人事件を引き起こした当時19歳の少年について、改正少年法の下で実名報道が初めて解禁された。重大な犯罪を引き起こした者については年齢を問わず社会の目が厳しくなるのは当然であり、実名報道に賛同する声は多いだろう。
ただし、少年院に入っている少年少女がみな凶悪犯罪者という訳ではない。年齢、犯罪傾向の程度、心身の状況に応じ、入院先が決められる。第一種少年院は、心身に著しい障害がなく、犯罪的傾向が進んでいないおおむね12歳~22歳の青少年を対象とする少年院だ。十分に更生の余地がある青少年が所属していると言える。
ヤフコメの冷たい意見
ヤフコメを見ると、「その人物により被害、損害を受けた人への対応が先」「当人が地域との交流を望むのか?」という意見も多くの賛同を集めていた。しかしこれは明らかに論点がずれている。被害者への補償や償いは最重要だろうが、今回のニュースで重視すべきは地域交流の効果だ。そして、これについてはやってみないと分からない事も多いだろう。
インターネットでは「少年院は閉鎖しておいて欲しい場所だ」などと冷たい意見が目に付く。少年らによる地域への悪影響や、地域への負担を懸念する書き込みもある。確かに、少年院の外に生きる人たちよりは、暴行などに及ぶ可能性は高いのかもしれない。だが、それは少年院をよく知らなかったり刑務所と同一視する人の想像でしかないし、そもそも過去に非行に走った青少年が野に放たれるわけではないし、少年院の職員でも手を付けられないような少年との接触を住民が強制されるわけでもないだろう。
勿論、どのように交流を図るかは、青少年への影響などを踏まえて慎重に検討するべきだろう。これは今後、徐々に詰められていく部分だろう。
ネット民は社会の代弁者なのか
少年院に入る青少年は、心神に多少の問題を抱えていたりする。その原因は恐らく様々で、中には親や親戚から見放されて非行の道に追いやられ、社会から疎外され続けた青少年もいるだろう。だが、これは誰の身にも起こりうる事かもしれない。困難な環境でも努力して自力で状況を変えてきたと自負する人もいるだろうが、視野を広く持ってほしい。あえて言葉を選ばずに書くが、少年院に入らなかった人は運が良かっただけだったのかもしれない。
震災のあった10年ほど前、「絆」との言葉が広く染み渡ったが、人間社会は支え合いで成立している。完全無欠の人間などいないし、誰しもが何かしら問題を抱えていたり、周りに迷惑をかけていたりする。全く誰にも依存せず生きているつもりでも、スーパーで値段を見比べて安い商品を買っている裏では、誰かが低賃金の労働を強いられているだろう。うっかり大事な物を落としても、誰かが届けていてくれたりする。逆もあるだろう。全ての人が支え合いの社会を享受しているだろうに、なぜ「非行少年は社会が支えず必要は無く、隔絶するべきだ」などと考えてしまうのか。
前述した「当人が地域との交流を望むのか?」との意見は、社会から非行少年を隔絶したい大人が、自分の考えを都合のいいように正当化しようとする非常に醜いものだ。当事者でも専門家でもない人間の意見に何千もの人が賛同しているのだ。望むかどうかに関わらず、日本の社会に生きる人は社会で支え合っていく必要がある。その支え合いの効果や経験は青少年にとってマイナスばかりだとは思えないし、こうやって社会に包まれていった青少年らも、時には人間として支える側の人間になるだろう。
実際、凶悪犯罪を犯した青少年が、大人になってから再犯に走るケースは存在している。「少年法」に対して悪い印象を持つ人は多くいるだろうし、筆者も残忍な犯罪にはより厳しい対応が必要だと考える。刑罰の在り方は実態を踏まえて見直していくべきだ。だが、青少年らをよく知らない大人が、非行経験を持つあらゆる青少年の社会的価値を一方的に判断してしまう事には違和感を持ってしまう。人間は神ではないし、他人の価値をそう簡単に決めつけるべきではない。更生の余地がある人には更生できる機会を積極的に見出していくべきだ。
少年院に限らず、貧困家庭の子どもや「トー横キッズ」などの問題は高い関心を持たれていない。だが、日本人が目指すべき社会は、更生すべき子どもたちの進路を一方的に奪う大人に溢れた社会ではないはずだ。
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