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研究書評「地域スポーツ(現在:運動部活動の地域移行)」

※卒論に向けた情報収集と情報から私自身が感じたことを記録しています。


研究書評 Vol.1 (2023/04/20)


富本靖・堂元慎也・滝澤宣頼(2015)「日本における総合型地域スポーツクラブの現状と課題--ヨーロッパスポーツクラブとの比較から--」『學苑』昭和女子大学、896巻、19-32

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げた文献は昭和女子大学の雑誌「學苑」に掲載されている紀要論文である。本稿では総合型地域スポーツクラブの現状を踏まえながら、現在直面している問題を紐解き、今後の総合型地域スポーツクラブのあり方について検討している。本稿からは総合型地域スポーツクラブの情報や現状について知見を得ることが、主な選択理由である。

【内容】
 第1章では総合型地域スポーツクラブの現状について述べている。総合型地域スポーツクラブとはその地域の住民が運営するスポーツクラブのことを指し、複数の種目が用意され、子ども・高齢者・障害者に至るまで、そして初心者からトップレベルの選手までが、それぞれの年齢・興味・関心・技術レベルに応じて利用できるクラブである。また、単にスポーツを通した健康維持や人間関係の構築にとどまらず、地域に存在する他の社会的機関(行政、企業、他のスポーツ団体、大学、医療機関、NPOなど)と連携し、それぞれの組織の持つ特徴や技術、ノウハウ,ネットワークを有効に組み合わせることで各機関が地域の中で単独では生み出せない相乗効果をもたらし、地域の活性化がなされることが期待されている。平成20年時点では全国に2768クラブが誕生しており、地域住民がその地域のニーズに合った活動を展開している。しかし、大きな課題として運営資金が指摘されている。
 第2章では総合型地域スポーツクラブが抱える問題・課題について述べている。現在のクラブ運営で不足しているものとして①運営方針の明確化 ②経営資源の確保 ③会員確保のための工夫 ④スタッフの育成の4点が指摘されている。
 第3章ではヨーロッパのスポーツクラブの実態としてドイツを中心に取り上げている。ヨーロッパのスポーツクラブは日本の総合型地域スポーツクラブと異なる点としては「文化」として完全に地域に定着している点である。また、ドイツでは年間66億ユーロもの人件費がボランティア活動によって賄われている。
 第4章では総合型地域スポーツクラブの育成・支援の方向性について述べている。この章で著者は地域のよってスポーツクラブの運営のノウハウに格差がある点に言及しており、成功には各自治体の横のつながりで連携して助け合う必要性を指摘している。

【総評】
 本稿からは総合型地域スポーツクラブとスポーツ振興の関係性や現状、ヨーロッパのスポーツクラブ関する知見を増やすことができ、大きな収穫となったと考える。
 今後は総合型地域スポーツクラブについて具体的な事例が記載された文献を調べ、それに関する知見をさらに増やしていきたい。


研究書評 Vol.2 (2023/04/27)


こんにちは!Yamatoです!
今回は地域スポーツコミッションに関する文献を読みました!

細田隆・瀬田史彦(2018)「地域スポーツコミッションによる地域活性化のあり方に関する研究」『都市計画論文集』公益社団法人日本都市計画学会、53巻、3号、439-444

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げた日本都市計画学会が発行している都市計画論文集の文献である。本稿では「地域スポーツコミッション」に関する研究内容となっている。前回は多世代・多種目・多指向型の地域住民が主体となって運営を行う総合型地域スポーツクラブの現状について知見を得たが、今回はより大きな組織である地域スポーツコミッションに関する事例についての知見を得ることが本稿の主な選択理由である。

【内容】
 近年、地方自治体のスポーツ政策の1つとして多様な主体の連携により全国で地域スポーツコミッション(地域SC)が設立されている。地域SCは地方自治体、民間企業、大学、スポーツ競技団体等が、地域におけるスポーツ振興、スポーツツーリズム推進のため、連携・協働して取り組むことを目的としている地域レベルの連携組織であり、国のスポーツ基本計画において、「スポーツによる地域の活性化を目的とする連携組織」とされている。本論文では「地域SCは、地域の課題に応じ目的を特化し、行政単独の施策実施ではなく、目的に応じた専門分野を持つ主体が連携すること、また、円滑な事業実施を可能にする仕組みを持つことで、その活動によってそれぞれの目的に対応した高い効果を挙げることができること。」を仮説としており、その検証として本論文ではアンケート調査を実施し、設立目的、参加主体、運営形態、活動内容、実施事業、効果等を調査し、類型化を行い、全国的な傾向を把握し、地域の課題や政策目的に応じた、地域SCの具体的な取組みを明らかにしようと試みた。調査の結果から、地域SCは地域の活性化のために、地域の課題に応じた異なる目的や活動内容を持つこと、目的達成のために異なる分野の構成員で組織されていること、全国の地域SCを活動内容、事業種別で分類すると大会誘致開催型、合宿誘致型、健康づくり型、総合型に類型化できることが明らかになった。結論では、地域SCは上記で明らかにした要素が具備されると、地域活性化に資する成果を生む可能性が高いことを明らかになったと述べている。また、地域SCの問題点や課題としては、活動費用の調達の困難、人材不足を指摘している。

【総評】
 本稿からは地域SCの仕組みや特徴を知ることができた。特に、アンケート調査と事例調査による地域SCの類型化と調査団体それぞれの目的や構成について詳しく知見を得ることができ、大きな収穫となったと考える。今後は課題として挙げられている活動費用の調達の困難や人材不足に関して詳しく記載された文献を読み、知見を増やしていきたい。まだ、研究の方向性が定かではないため、引き続きスポーツと地域に関連した文献についても調査していく。


研究書評 Vol.3 (2023/05/18)


こんにちは!
今回は部活動の地域移行に関する研究を調べました。

長瀬基延・柴崎直人(2022)「公立中学校における部活動の地域移行に向けた部活動改革の視点に関する考察 : 多治見市の学校部活動と地域ジュニアクラブとの連携による取組の調査を通して」『岐阜大学教育学部研究報告、教育実践研究・教師教育研究』、24巻、181-187頁

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げたのは岐阜大学教育学部の研究報告の論文集の一部である。本稿では「部活動の地域移行」の改革における視点について考察を行なっている。今回は部活動の地域移行についての事例についての知見を得ることが本稿の主な選択理由である。

【内容】
 筆者は部活動の地域移行の先行事例である多治見市の取り組み(多治見方式)の実態や構築までの変遷を明らかにすることで、学校部活動の地域移行を円滑に推進するために有効な知見になると考え、上記を目的として研究を行なった。多治見市の部活動改革は2000年の「部活動の在り方を検討する委員会」の発足、「岐阜県スポーツ振興審議会答申」の発表から始まった。その後、「こいずみ総合クラブ」という地域ジュニアクラブが設立され、地域で活動できる体制が構築された。多治見方式のメリットとしては、生徒及び保護者には、①学校の域を超えた活動の場の確保、②より専門的な指導を受けられる、③冬季も含めた活動時間や機会の確保、④様々な立場の大人と接点ができることによる教育効果への期待、⑤保護者のコミュニティ形成、地域においては、①生徒及び保護者の地域との接点や地域参画の機会増加、②青少年教育やスポーツ、文化的活動の支援に携わりたい地域人材が育成活動に参加する機会ができる、教師には①時間的負担の軽減、②担当部活動未経験の教師の指導に対する負担軽減、③積極的に指導に携わりたい教師のニーズに対応、というメリットがあると筆者は述べている。一方、多治見方式の検討課題については、保護者負担の課題、指導者確保・連携の課題、生徒負担の課題の3つのカテゴリーに分類して述べていた。最後に筆者は、教師側だけでなく、生徒・保護者、地域の目線にも立った部活動の在り方の模索、家庭・地域・学校がそれぞれ主体性を持つことができ、三位一体となって部活動を支える視点、生徒が安心して部活動に打ち込める環境の構築に向けた共通理解、の3つが改革を推進する上で重要であると結論づけた。

【総評】
 本稿からは多治見市による部活動の地域移行からわかる部活動改革におけるメリット、課題や必要な視点を知ることができ、大きな収穫となったと考える。多治見方式の事例は好事例ではあるものの、あくまでも1つの方法に過ぎないため、今後は他地域の地域移行に関する取り組みの知見をさらに増やしていきたい。


研究書評 Vol.4 (2023/05/25)


野村駿・太田知彩・内田良(2021)「部活動問題の社会的構成 ―部活動の語られ方からみる部活動改革推進の背景―」『名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要. 教育科学』, 67巻, 2号,p.109-119

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げたのは名古屋大学大学院教育発達科学研究科紀要に掲載されているものである。本稿では朝日新聞の記事を資料として部活動改革推進の背景について考察を行なっている。今回は部活動改革に至った経緯に関する知見を得ることが本稿の主な選択理由である。

【内容】
 本稿では、朝日新聞の投書記事を資料として部活動に関する言説を跡づけ、その推移と特徴を分析している。筆者は明らかになった知見として3点あげている。第一に、部活動関連の記事は2010年代半ば以降に急増しており、部活動への意味づけは年代によって大きく変化していた。具体的には1990年代から2000年代にかけて、否定から肯定へ、そして2010年代には、一転して否定の論調が強まっていった。また、投稿者の属性別にみると、全体の傾向として部活動を肯定する「子ども」と肯定と否定の間で揺れ動く「家族」「教職員」という構図が確認された。しかし、2010年代になると、どちらも否定の割合が高まっていくことが明らかになった。第二に、2000年代までは学校週5日制との関連において部活動の長時間化や地域移行を視野に入れた部活動の指導体制を問題視する批判的な意見がわずかながらに寄せられていたが、それらは「学力社会」批判やゆとり教育を後押しとしつつ、部活動の教育的意義や「生徒の意思」の尊重を主張する教員や子どもの声によってかき消されていった。第三に、2012年に発生した体罰事件を機に部活動に批判的な記事は急増した。また、単に教員バッシングにとどまるものはほとんどなく、その背景にある部活動の制度設計や教員の働き方の問題へと結びつけられていた。さらに、この事件以後、教員や保護者だけでなく、医療関係者やそれまで部活動に肯定的であった子どもからも部活動に否定的な意見が寄せられるようになった。以上の知見から筆者は考察として、2000年代まで部活動改革が進まなかった一要因として「子どものための部活動」という構図が強固に存在しており、「学力社会」批判やゆとり教育は上記の構図をより強固なものにしていたと述べている。また、2012年の体罰事件を機に「子どものための部活動」という構図が徐々に「子どものため」に部活動を改革するという構図へと融解され、部活動を問題視する声が広く共有されるようになったと考察している。筆者は最後に、部活動改革は教員のためだけではなく、「子どものため」も意識した部活動改革を進めることを提言している。

【総評】
 本稿からは、年代ごとの部活動に関する論調の変化を知ることができ、大きな収穫となった。また、部活動改革は教員・生徒、両方からのアプローチが重要であると認識した。今後はその点を踏まえて、部活動の地域移行に関する研究を行なう必要がある。


研究書評 Vol.5 (2023/06/01)


谷口勇一(2023)「中学校部活動の地域移行動向をめぐる現場のリアリティ:惹起されつつある「揺らぎ」に体育社会学はどう相対するべきなのか」『年俸体育社会学』、4巻、69-81頁

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げたのは年俸体育社会学に掲載されているものである。本稿では今日的な部活動の地域移行に向けた政策的な動きが、現場レベルでもたらす「揺らぎ」について言及している。今回は部活動の地域移行の政策によって生じる「揺らぎ」は何なのか知ることが本稿の主な選択理由である。

【内容】
 本稿では、筆者は部活動の地域移行動向を受けて、1)学校において惹起されることになった「揺らぎ」の諸相を解釈すること、2)地域移行の受け皿としての総合型地域スポーツクラブをめぐる「揺らぎ」の諸相を解釈すること、教育・スポーツ行政において惹起されることになった「揺らぎ」の諸相を解釈することを目的としている。本研究における揺らぎの定義としては、「既成・既存の価値観、規範、枠組みをめぐる動揺状態に他ならず、動揺状態の常態化の中から、新たな価値観、規範、枠組みが創出される可能性を秘めた社会的(人間的)な営為の1つ」としている。「学校をめぐる揺らぎの諸相」については、問題が山積している部活動をめぐり本格化してきた地域移行動向に対する一定以上の歓迎意向が存在する一方で、「部活動は学校内に存在すべきなのでは」といった意向が根強く存在している状況である。質問紙調査においても、保健体育教員の今後の部活動運営形態に対する意向が「学校内存続」と「学校外への移譲」とで二極化しており、既成・既存の部活動観と新しい部活動観をめぐる教員間のコンフリクトが表面化しつつある状況である。つぎに、「総合型クラブをめぐる揺らぎの諸相」については、総合型クラブ関係者が学校(教員)以上に子どもたちにとって好ましいスポーツ環境の整備と提供に対して本気であること、また、良好とはいえないスポーツ環境(部活動制度)に身を置いている子どもたちの存在を知りながらも具体的な改善に向けた動きを起こして来なかった学校(教員)に対する不満の意識が強く存在しており、熱量の高い総合型クラブ関係者と学校(教員)、さらには教育・スポーツ行政間のコンフリクトの存在している。「行政をめぐる揺らぎの諸相」については、部活動を取りまく国の方向性(地域移行)に倣いつつも、深層的には「部活動の学校内存在を正当化しようとする」意思が存在しており、地方自治体の教育・スポーツ行政においては、部活動の地域移行を施策化している国との間におけるコンフリクトが存在している。

【総評】
本稿からは、学校、総合型クラブ、行政といった3つの場で惹起されつつある「揺らぎ」、コンフリクトを知ることができ、大きな収穫となった。今後は自分自身、部活動の地域移行を肯定的な面ばかり捉えており、否定面からも見ていく必要があると感じた。その点を踏まえて、部活動の地域移行に関する研究を行なう必要がある。


研究書評 Vol.6 (2023/06/08)


水本可菜恵・神野賢治(2023)「地方小都市における運動部活動の地域移行に関する研究―顧問教師の指導実態と意識に迫る―」『富山大学教育学部紀要』第1巻、第2号、53-70頁

【内容総括・選択理由】
 今回取り上げたのは富山大学教育学部紀要に掲載されている論文である。本稿では地方小都市においての中学校部活動の 「拠点校化」 に着目し、持続可能な運動部活動のあり方について検討することを目的としている。今回は特定地域の運動部活動の地域移行策の知見を得ることが本稿の主な選択理由である。

【内容】
 本稿では、富山県N市で検討されている中学校部活動の 「拠点校化」 に着目し、教師の目線から期待される効果と今後の課題を明らかにしながら、持続可能な運動部活動のあり方について検討することを目的としている。研究方法としては、N市の中学校及び高等学校の運動部活動主顧問を対象とした質問紙調査を実施し、指導実態と意識を把握している。また、質問紙調査では把握できなかった部活動指導に対する詳細な意識や、部活動の地域移行及び拠点校化に関する意見を収集するため、インタビュー調査を実施している。結果としては、1)N市では、中学校、高等学校ともに、ガイドラインを遵守している運動部活動が多く、中学校では「体育以外×経験なし」の顧問教師が、高等学校では「体育以外×経験あり」の顧問教師が最も高い割合を示した。2)充実感を有している顧問教師の割合が高かったが、「専門的指導力の不足」、「校務が忙しくて思うように指導できない」、「研究や自由な時間の妨げになっている」 などの葛藤を抱えている顧問教師が多い。3) 外部指導者に関しては、中学校ではほぼ全ての運動部活動で活用しているのに対し、高等学校では半数のみ。4)将来的に完全に部活動が地域移行することに対しては、中学校では93.0%の教師が「賛成」と回答したが、高等学校では78.2%にとどまった。5)中学校部活動の 「拠点校化」 については、「生徒が専門的な指導を受けられる」、「教師の負担軽減」 などの期待と、「継続指導のできる人材の確保」、「教育的側面の軽視」、「校区外の学校への通学」 などの課題が挙げられた。これらの結果から、筆者はN 市における中学校部活動の拠点校化について検討を行い、団体競技では、特認就学制度を併用しながら拠点校化を進めるのが望ましいとし、個人競技では、競技特性や地域の実情に応じて、学校ごとに活動したり地域のスポーツクラブに参加したりすることも可能だと述べている。また、今後の運動部活動のあり方としては、学校か地域かという発想ではなく、協働して運営する形態を構築する必要があると述べている。

【総評】
 本稿からは、富山県N市の運動部活動の実態や拠点校化における期待と課題を知ることができ、大きな収穫となった。しかし、サンプルサイズが小さく、本稿で示された結果が必ずしも全国の地方小都市の顧問教師の意識や実態と合致するわけではなく、あくまで一例である。そのため、今後も他地域の運動部活動の地域移行に関する実態を調査していく必要があると考える。


研究書評 Vol.7 (2023/06/15)


近藤雄一郎・佐藤亮平・山次俊介・山田孝禎・沼倉学(2023)「運動部活動の地域移行についての議論に関する一考察」『福井大学教育・人文社会系部門紀要』第7号、285-303頁

【内容総括・選択理由】
 運動部活動の地域移行に関わる諸問題について概観し、議論における成果と課題について考察することを目的としており、先行研究とこれまでに進められてきた部活動の地域移行に関する省庁で行われた議論を整理して考察している。今回は省庁が地域移行に関する提言がどのように進んでいったのかを知ることが主な選択理由である。

【内容】
 本稿では運動部活動の地域移行推進に影響を与えたと考えられる「教員の多忙化」「生徒の部活動参加の志向性」「部活動指導に関わる専門性」「運動部活動における教育と競技の関係性」の4項目に関する先行研究を参照し、現在の部活動が抱える問題点について整理している。その上で、これまでに進められてきた部活動の地域移行に関する省庁から出された通知や提言の内容を整理し、どのような形で議論が進められているかを検討し、その議論が従来の議論とどのように折衷していくかについて考察している。研究の結果、文科省およびスポーツ庁によって提出された資料を整理すると、部活動の問題点には教員の労働時間が長時間に及んでいることが挙げられており、この問題点を起点として、部活動の存続に関する議論が展開された。また、生徒たちのニーズが一定程度存在することから、部活動の廃止ではなく存続の可能性が模索され、このような議論の過程で、経産省が提案する「地域スポーツクラブ」の活用の可能性が浮上し、部活動を起点とした経済的価値創出が経済成長戦略として提起された。しかし、文科省は部活動の位置付けを「学校単位」から「地域単位」へとシフトし始めており、経済産業省の進める「未来のブカツ」における実証事業において、部活動が「学校教育」から「教育産業」と「スポーツ産業」と一体化しつつあることから、従来の取り組みにおける運動部活動の教育的機能について評価と検討が必要であると述べている。さらに、提出された資料では、運動部活動に携わる教員の専門性と、運動部活動が教育の論理と競技力の論理の二重構造を持っていることに関しても、十分な議論が進められていないと指摘しており、特に、部活動が教育的な機能を有していることを考慮すると、指導者養成に関してのみに焦点を当てていることを問題としている。そのため、運動部活動における教育の論理は、技術指導や戦術指導などの方法論とは別の問題として取り扱う必要があり、教育文化に関する検討の必要性を述べている。また、運動部活動の地域移行を進める上で「自主性」「継続性」「公認性」の3つを満たす必要があると述べている。

【総評】
 本稿からは、以前調べたことのある論文同様、運動部活動が教育の要素と競技力の要素の両方を持っていることが述べられており、運動部活動の地域移行後のあり方について二重構造を維持すべきなのか新しい形態にすべきなのか気になった。引き続きこの議論に関する論文は読んでいきたいと思う。


研究書評 Vol.8 (2023/06/22)


スポーツ庁・文化庁「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドライン」2022年12月

【内容総括・選択理由】
 以前までの研究書評は部活動の地域移行に関する論文の書評を行なってきたが、私自身地域移行に関する基礎的な知識を精査できていなかったため、今回はスポーツ庁が示している地域移行に関するガイドラインについて見ることにした。

【内容】
 本稿は少子化の中でも将来にわたり、生徒がスポーツ・文化芸術活動に継続して親しむことができる機会を確保することを目指し、学校部活動が生徒にとって望ましいスポーツ・文化芸術環境となる活動の在り方について示しながら、新たな地域クラブ活動を整備するために必要な対応について国の考え方を示すものである。Ⅰ「学校部活動」の項目では、方針の策定は本ガイドラインに則り、都道府県ごとに策定し各学校も都道府県の方針を参考にして部活動の方針を策定することが書かれていた。主な内容としては、教師の部活動への関与について法令に基づいた業務改善や勤務管理、外部指導員の確保、週に平日1日、週末1日の計2日以上の休養日の設定などが記されていた。Ⅱ「新たな地域クラブ活動」の項目では、学校部活動の維持が困難となる前に学校と地域の連携・協働により生徒の活動の場としての新たな地域クラブ活動の在り方について記されている。主な内容としては、地域スポーツ・文化振興担当部署や学校担当部署、関係団体、学校等の関係者を集めた協議会などの体制の整備、都道府県等による人材バンクの整備、意欲ある教師等の円滑な兼職兼業、生徒の志向に適したプログラムの確保などについて記されていた。Ⅲ「学校部活動の地域連携や地域クラブ活動への移行に向けた環境整備」の項目では、新たなスポーツ・文化芸術環境の整備に当たり、多くの関係者が連携・協働して段階的・計画的に取り組むための進め方について示されている。主な内容としては、休日における部活動の地域の環境整備を推進することや、市区町村もしくは地域の多様な運営団体が取り組む体制として段階的な体制の整備推進を示している。また、地域クラブ活動が困難な場合、合同部活動の導入や部活動指導員等により機会を確保することや、令和5年度から令和7年度までの3年間を改革推進期間として地域連携・地域移行に取り組みつつ、地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指すことが示されていた。Ⅳ「大会等の在り方の見直し」の項目では、大会参加資格において学校単位ではなく、地域クラブ活動の会員等も参加できるように見直すことや、教師が引率しない体制の整備、全国大会の在り方の見直しについて記されていた。

【総評】
 本稿からは私自身が今まで曖昧に捉えていた地域移行に関する国の方針を理解することができた。また、地域移行に伴い大会の参加資格の見直しなどが必要であることもわかり、地域移行により生じる他の改善点についても調べて整理していきたい。


研究書評 Vol.9 (2023/06/29)


青柳健隆(2021)「小学校における運動部活動からスポーツ少年団への移行に伴う変化:地域移行を経験した教員へのインタビュー調査から」『体育学研究』 66 巻 p. 63-75

【内容総括・選択理由】
 前回までは地域移行によって生じる変化に関してあまり知見を得ることができていなかったため、今回は地域移行を経験した教員へのインタビュー調査の結果から知見を得ることとした。

【内容】
 本稿は小学校における部活動からスポーツ少年団への移行することによってどのような変化が生じたのかに関する教員の認識を整理することを目的に、部活動の地域移行前後を小学校教員として経験した者 9 名に対してインタビュー調査を実施している。分析の結果、【活動】、【指導・運営】、【教員】、【子ども】、【保護者】に関するプラスの変化やマイナスの変化が見出された。また、それぞれの変化がほかの変化に影響するという関係性もモデル化された。地域移行の背景のひとつに教員の過重負担があり、本研究では本研究では教員の負担に関するプラスの変化として、プライベートの時間が増えたこと、部活動に関わる事務的・心理的・身体的な負担が減ったことが報告され、ねらい通り負担軽減が認識されていた。しかし、子どもの生徒指導上の問題増加に伴って生徒指導上の対応が増えたり、部活動のかわりにほかの業務が増えたりする側面もあった。まとめると、部活動を担当しなくなったことによる直接的な負担軽減は実現したが、間接的な教育負担の増大や他業務の増加によって教員の負担軽減への影響は限定的であると考えられる。OECD 国際教員指導環境調査(TALIS)2018 報告書(国立教育政策研究所編、2019、p.13)のデータによると、日本の小学校教員の仕事時間は 54.4 時間と、比較した 15か国中最長であり、日本を除く 14か国の平均である 39.2 時間に比べて非常に長く、日本の課外活動の指導は0.6時間であり、他国平均の1.2時間よりも短い。筆者はこのことから、教員の負担軽減を実現するためには、部活動以外の業 務負担も含めた業務量の管理や効率化が不可欠であるとしている。また、地域移行により、教員の直接的な部活動負担が減少した一方で、指導・運営を担うことになった保護者の時間的・身体的・経済的負担は増加し、子どもをスポーツ少年団に加入させない・させられない保護者もおり、結果としてスポーツをする子どもが部活動として運営されていた時よりも減少したことも述べていた。また、本稿では、地域移行のもうひとつの背景として少子化を見据えたスポーツ環境の持続可能性があげられている。その点に関して、地域移行のプラス面として専門的指導を受ける機会が広がったことなどが示されていた。一方、学校施設が使えなくなったことなどのマイナス面についてもインタビュー調査で明らかになった。また、教育面から考えると、「部活動の効果が得られなくなった」、「学校の教育効果が減った」のようなマイナス面もあげられている。

【総評】
 本稿からは地域移行のプラス面とマイナス面について教員視点から教員、子ども、保護者、学校教育など様々な視点から捉えており、いい知見を得られた。ただ、この論文は小学校部活動の地域移行なことや教員が認識している変化について述べられているため、子どもや保護者視点の認識や中学校や他の対象についての地域移行における変化を調べる必要がある。


研究書評 Vol.10 (2023/09/28)


スポーツ庁(2023)「運動部活動の地域移行事例紹介〜KUROBE型地域部活動(富山県黒部市)」

【内容総括・選択理由】
 地域移行の事例について自分自身、知見を得れていないため、今回はスポーツ庁が事例として紹介している運動部活動の地域移行の事例を調べた。

【内容】
 富山県黒部市は、中学生の競技力向上、スポーツを通じた健全育成などの充実を図るため、2021年度から地域運動部活動推進事業「KUROBE型地域部活動」として、拠点校の明峰中学校、連携校の清明中学校の2校の運動部活動の地域移行を開始した。2校の運動部活動は30部あり、そのうち10部が休日の地域クラブとして活動している。
 黒部市の2つの中学校で抱えていた課題は以下のようなものだった。

  • 部活動を指導する顧問が専門外の競技を担当しており、専門的な指導が得られないことで生徒たちのモチベーションが低下するケースも見られた。

  • 外部指導者を活用するも指導者と学校とのスケジュール調整が難しい。

  • 生徒数の減少により将来的に一部部活動において部員数不足がおきる懸念がある。

そのほか、教員の労働時間の問題や競技協会との連携不足などが課題にあり、また、将来の生徒数減少による部活動の減退も危惧されていた。このような現状の課題に対応すべく地域運動部活動推進事業「KUROBE型地域部活動」に取り組むことにした。まず、検討会を実施し、各団体の代表者と意見交換を行いながら、拠点校の指定、課題の抽出、各関係団体との連携、部活動の実施方法などについて検討を重ねた。また、この取り組みの運営のために2022年から保護者負担(受益者負担)を導入した。黒部市ではアンケートにて、保護者負担について保護者に意見を伺ったところ、6割以上が負担に協力できると回答している。負担に反対する声のなかには、集金内容が明確にならないとわからないという意見もあった。以上の結果を踏まえて、2022年から「個人の保険料」年額800円と「活動にかかる参加費」月額500円の集金を行った。

【総評】
 本稿からは学校、競技団体、保護者、自治体などが意見を交わしながら、地域一体となって活動されていた。ただ、部活動の地域移行は新しい取り組みのため、1から仕組みやガイドラインを作成し、基盤を作るにはかなり自治体に負担がかかると思った。また、全ての運動部活動が地域移行をしているわけではないため、移行できる体制を整備する必要があると感じた。


研究書評 Vol.11 (2023/10/12)


西崎遼(2021)「中学校における持続可能な運動部活動に向けて『NRIパブリックマネジメントレビュー』4月号

【内容総括・選択理由】
 今回は運動部活動の地域移行のデメリットの1つである指導者のような人材不足に関する情報を得たいと思ったため、それに関する資料を選んだ。概要としては中学校の運動部活動の現状とスポーツ庁の運動部活動改革に触れつつ、地域移行の人材不足と改善について言及している。

【内容】
 「運動部活動の地域移行」といっても、地域のスポーツ指導者や部活動 OB、保護者などの地域人材に日々の指導をお願いするものや、地域のスポーツクラブ等との連携、拠点校の設置などさまざまな方法があり、明確な定義がなされているわけではない。スポーツ庁の取り組みとしても、2022 年度まで地域部活動・合同部活動を推進するための実践研究が実施されるスケジュールとなっているため、今後多くの方策が検討されるだろう。そこで、本稿では「運動部活動の地域移行」を、地域人材を活用し、教師の運動部活動に係る負担を軽減する取り組みと定義する。運動部活動が地域移行される可能性があった取り組みは過去にも何度か例がある。例えば、スポーツ少年団や、総合型地域スポーツクラブはその一つだろう。ただし、スポーツ少年団の加入率は伸びず、運動部活動と連携がされている総合型地域スポーツクラブの例も少ないのが現状である。部活動指導員を活用している学校は多くない。「『部活動指導員』導入・実施等に関するアンケート調査」(大阪体育大学)によると、部活動指導員に関する問題として、「人材不足(部活動指導員が地域にいない等)」が最も多かった。また、自由記述を見ても、「人口 4,000人弱の小さな自治体であるため、部活動指導員となる人材がいない」や「都市部では、部活動指導員が確保しやすいと思うが、郊外や僻地では人材の確保が難しい」という回答があり、特に地方部においての人材不足がより顕著に出ている。筆者は地域だけでなく日本全体で部活動を支える仕組みにするために、1)部活動の指導ができる人材の確保と部活動の指導ができる人材、2)指導を求める部活動を引き合わせられる仕組みの整備、を主張しており、特に2)では運動部活動の指導ができる人材の全国的な管理と地域外人材からの指導を可能にするオンライン部活動を提言していた。

【総評】
 本稿からは中学校の運動部活動の現状と人材不足にフォーカスを当てた知見を得ることができた。また、オンラインによる部活動指導についても言及しており興味深かった。今後も指導員の人材不足を中心にいかに改善できるかを具体的な事例を踏まえて調査しようと思う。


研究書評 Vol.12 (2023/10/26)


青柳 健隆・石井 香織・柴田 愛・荒井 弘和・深町 花子・岡 浩一朗(2015)「運動部活動での外部指導者活用推進に向けた組織の取り組み事例」『体育会研究』60巻、267-282頁

【内容総括・選択理由】
 今回は運動部活動の地域移行のデメリットの1つである指導者のような人材不足に関する情報を前回に続いて得ることを目的として、運動部活動での外部指導者活用推進に向けた組織の取り組み事例についての資料を選んだ。概要としては、過去の研究について分析と日本の外部指導者の採用を支援する組織へのインタビュー調査と結果について言及している。

【内容】
 学校の課外スポーツ活動において、専門的な指導ができる教師の不足と、教師が指導や運営における大きな負担を強いられることから、外部指導員の活用が奨励されている。しかし、人材の調達が難しいという問題が報告されている。外部指導員の活用を促進するために過去の研究では、1)外部指導員の役割と地位を明確にし、外部指導員と教師との協力的な指導を促進する;2)外部指導員と学校に関する情報の収集と提供を対話的に行い、仲介システムの認識を向上させる;3)外部指導員の採用方法を改善し、適切な試用期間を設定する;4)指導頻度やコーチの数に関する制度上の制約を緩和する;5)外部指導員向けのワークショップを開催する、の5つの戦略が提案されていた。しかし、これらは個人の視点(つまり教師、外部指導員、潜在的な外部指導員の視点)からなされたものであり、組織の視点は考慮されていないと筆者は述べている。また、日本には外部指導員の採用を支援する組織がいくつか存在しており、より現実的で具体的な促進戦略を開発するために、これらの組織の意見も含めて研究している。そこで本研究では、学校の課外スポーツ活動における外部指導者の採用を促進するための組織の試み、問題点、課題、戦略を詳細に調査するために、学校の課外スポーツ活動における外部指導員の採用を支援する11の組織(国立2、県立4、学校3、大学1、企業1)の15人の個人に対して、インタビューを行なった。結果としては、外部指導員の参加を促進するために、情報を共有できる教師によって主導される外部指導員と教師との人間関係の構築、仲介者を通じた情報の対話的な収集と提供、正式な受け入れ前に外部指導員の情報を収集し面接を行う、指導を無償に保ち、コミュニケーションと学習を促進するためのワークショップの開催とフィードバックの作成、試用期間の継続性を考慮するなどが重要だとわかった。

【総評】
 本稿からは組織の視点を含めた問題、課題、戦略を知ることができた。しかし、2015年の資料なため、最新の類似研究にから現状を調べる必要がある。地域移行は移行途中でもあり、課題も山積みだが、まずは指導員の人材不足を中心にいかに改善できるかを制度や組織の構成などの基本的な部分から、具体的な事例を含めて今後も研究を行っていきたい。


研究書評 Vol.13 (2023/11/02)


長澤岳大・松本奈緒(2017)「中学校運動部部活動指導に関する 外部指導者の信念・指導内容・関係性の研究 — その1 秋田県内を対象としたアンケート調査から —」『秋田大学教育文化学部研究紀要』教育科学部門 72巻、123-134頁

【内容総括・選択理由】
 今回は運動部活動の地域移行のデメリットの1つである指導者のような人材不足に関する情報を前回に続いて得ることを目的として、運動部活動での外部指導者の信念・指導内容・関係性の研究についての資料を選んだ。

【内容】
本研究では,秋田県内の 54 名の運動部活動の外部指導者に質問調査紙を行い,外部指導者の実態,信念,指導内容,関係性について明らかにした。研究の結果,以下の点が明らかとなった。1)外部指導者の特徴として,ほとんどが男性であり,40 代が最も多かった。職業は,公務員や会社員が6割を占め,2割が自営業,退職後が9%程度であった。指導する運動部と外部指導員の専門競技の領域は必ずしも一致せず,自分の経験した専門競技だけでなく,他の競技を教える外部指導員もいることが分かった。また,外部指導者の競技成績は,全国大会で好成績を修めた者と特にないと回答した者の二極化の傾向があった。部活動の指導の頻度は週2~3回と回答した外部指導者が一番多かった。指導を依頼された経緯としては,保護者や保護者会の依頼が最も多く,次いで顧問(学校)の依頼が多かった。2)信念については,学校教育の中での運動部活動の位置づけについて知っていると回答した外部指導者は約 6 割であり、運動部活動の意義については体力の向上や心身の成長だけでなく,人間的,社会的成長を意義として掲げていた。3)指導内容については,指導に関しては基本的に技術指導だけでなく,生徒の活動の意欲増進をはかり,発達の途中である中学生の将来を見据えた指導,反勝利主義の指導を心がけている,人格形成や礼儀にも気を配っていることが明らかとなった。身につけさせていることについても,運動部活動に特有の身体能力や競技力・技術の向上,選手としての活躍よりも,一般的事項である人間的成長や基本的生活習慣,他者との接し方,健康の増進や自己管理についてより身に付けさせたいと考えていたことが明らかとなった。4)関係性については,外部指導員は生徒との関係性について,積極的なコミュニケーションに気を配り,生徒の意見を聞くことや理論的な説明を心がけていた。また,先生とは違う立場で生徒に関わることから,学校生活には立ち入らないと答える者と先生ではないこその親しみやすい態度で接する者がいた。保護者との関係性については,外部指導者の 9 割弱は懇親会,保護者会,練習時等保護者と連絡をとる,または懇親する機会を持っていることが分かった。しかし,練習内容や方法等への口出し等をする保護者もいるので,必要以上に干渉せず試合や練習に応援に来て欲しい,部の運営に関して保護者にも協力して欲しいと考えていることが分かった。学校や顧問との関係性については,ほぼ全ての外部指導員が学校や顧問と連絡をとっているが,部活動の内容についてはそれほど連絡をとっておらず,部活動への考え方や活動環境について要望を持っていることが明らかとなった。

【総評】
 本稿からは外部指導員の実態,信念,指導 内容,関係性について知ることができた。限界や今後の課題として対象者が 54 名と調査数が少なく,秋田県内の外部指導員の全体的な傾向を把握するには十分とはいえないサンプル数なため、対象者を増やした調査や他地域の調査を調べる必要がある。


研究書評 Vol.14 (2023/11/09)


長澤岳大・松本奈緒(2017)「中学校運動部部活動指導に関する 外部指導者の信念・指導内容・関係性の研究 — その2 外部指導者に対するインタビュー調査から-」『秋田大学教育文化学部研究紀要』39号、47-58頁

【内容総括・選択理由】
 今回も運動部活動の外部指導者に関する情報を前回に続いて得ることを目的として、前回と同じ著者の論文を選んだ。本論文は中学校運動部の外部指導者の信念や教育的意義、教育内容、顧問や学校、保護者との関係を事例について明らかにすることを目的としている。

【内容】
 本研究の対象者は、秋田県県内の公立中学校において外部指導者を行うAさんである。対象者の属性は、40代男性で卓球部において外部コーチとして部活動に関わっている。Aさんは職業は自営業であり、競技歴として全日本選手権 3 回出場経験がある。本研究は個人を対象に半構造化インタビューを行い、事前の質問紙調査や研究者の問題意識からインタビュー前におおまかに質問内容を考えておき、インタビューを行う最中により質問したい事項が出てきた場合には新しい質問を行ったり、より深く質問をしたい所には時間をかけるなど、流動的に質問を付け加える方法で行った。インタビュー場所は、対象者の勤務先で76分間かけて 1 回のインタビューを行った。研究結果から以下のことが明らかになった。
(1)外部指導者を行う契機は血縁者や知人の紹介であり、縁故や地域性の特性を持つ。(2)指導信念として、強くなるだけでなく、スポーツを通じて感動を体験させる、スポーツを通じた人間関係や出会いの素晴らしさを知る、謙虚に練習をお願いする姿勢を持つ等、人格形成や人間関係の構築も含めた幅広い考えを持っている。(3)指導内容や指導方針として、基本的な技術の習得や自分で考えることを含めた練習、動きながら教えること等の考えを持っている。(4)中学校運動部活動の意義については理解できておらず、制限のある部活動の位置づけに疑問を持っている。(5)関係性については、顧問とはある程度主導権を持ちながらも上手く分担し、保護者とはコミュニケーションを取るように気を配っている。しかし、学校に対しては部活動の活動時間の制約について大きな不満を持ち、部活動の活動時間を延長できるように要望を持っている。また保護者もこの問題について協力し活動時間延長の要望を学校に伝える役目を担うよう過度な期待を持っている。(6)本外部指導者は高い競技力も持ち、青少年のスポーツを通じた全人的形成を目指した指導信念を持っているが、活動時間の制約等の学校の運営・管理上の事情については理解していないという限界を持つ

【総評】
 本論文からはインタビュー調査で質的な要素から外部指導員の実態、信念、指導 内容、関係性について知ることができた。しかし、本論文は 1 回のインタビューにより結果を導き出しているため、把握するには不十分だと感じた。複数回インタビューしたものや対象者を増やした精度の高い調査資料があるか調べる必要がある。


研究書評 Vol.15 (2023/11/16)


森丘保典・谷口勇一「スポーツ指導者の養成および活用における大学地域連携のあり方:運動部活動の地域移行化動向を踏まえて」『日本大学スポーツ科学部 大学地域連携学研究』2:15–22, 2023

【内容総括・選択理由】
 今回も運動部活動の外部指導者に関する情報を前回に続いて得ることを目的として、スポーツ指導者の養成と大学地域連携のあり方について書かれている論文を選んだ。本論文は運動部活動の地域移行化動向を踏まえて,今後の大学地域連携のあり方について検討することを目的としている。

【内容】
 本研究では世田谷区の事例について言及している。世田谷区はすでに 2006 年4 月から,部活動を安定的に継続させることを目的とした「部活動支援員制度」を導入している先進的な地域である。この制度において,学校教員は,管理および技術指導を担う「顧問教員」と,主に管理的側面のみを担う「管理顧問教員」に分かれており,それを支援する「部活動支援員」は,①顧問教員を置けない部活動において管理顧問教員と協力して必要な技術の指導を行いながら練習試合や一部の大会において単独引率を行うことができる「監督」,②顧問教員又は監督の技術指導を補佐する「部活動指導員」,③顧問教員又は監督が心身の故障等により短期的に技術指導が行えない場合に臨時に技術指導を行う「緊急派遣指導員」,④顧問教員が校務の都合等により一時的に部活動に従事できない場合に顧問教員に代わって部活動を見守る「顧問サポート」の 4 種類に分かれている。現在,その登録者数は 449 人(内訳:監督 105 名,部活動指導員 344 名)となっており,年代別の内訳をみると 10 歳代(6%)と 20 歳代(39%)がほぼ半数を占めていることから(世田谷区教育委員会,2022),近隣大学の学生や大学院生などを中心とする若い世代が多い傾向にあると推察されている。上記の部活動支援員の区内配置について,教育委員会は「区の広報紙,ホームページ等による周知」「区内大学の大学生への周知」「他機関によるマッチング機能の活用」「事業者による部活動支援員のマッチング事業」などによって進めているが,特に世田谷区スポーツ振興財団(以下,「振興財団」)による「世田谷区スポーツ・レクリエーション指導者制度(以下,「スポ・レクネット」)」との連携は,重要になっている。 スポ・レクネットとは,区内のスポーツ・レクリエー21ション活動への協力者を登録する制度であると同時に,専門知識を持った指導者養成のための講習会の開催や,区民に対する登録指導者の紹介(マッチング)などを行っている。スポ・レクネットの指導者は,①地域のスポーツイベント等に協力できる「ボランティア指導者」,②中学校部活動の指導ができる「部活動指導者」,③各種目を専門的に技術指導できる「種目別指導者」,④総合型地域スポーツ・文化クラブを安定的・継続的に管理運営していくことができる「クラブマネージャー」の 4 つの種別に分かれている。このスポ・レクネットには,一人の指導者が複数の種別に登録可能となっているが,ボランティア指導者および部活動指導者への登録には基礎講習会(1 日)の受講が必須であり,種目別指導者およびクラブマネージャーとしての登録には,さらなる専門講習会の受講が必要とされている。

【総評】
世田谷区のように外部指導者と学校側とのマッチングだけでなく、専門知識を持った指導者養成のための講習会の開催なども行う組織は必要だと思った。他地域でも部活動支援を行っている独自の団体があるのか調べていきたい。


研究書評 Vol.16 (2023/11/30)


スポーツ庁(2023)「令和4年度地域運動部活動推進事業事例集」

【内容総括・選択理由】
 本資料は各地方公共団体や学校・スポーツ団体等において、運動部活動の地域移行に向けて取り組んでいる方々や、これから取り組もうとしている方々の参考となることを目的としている。私自身、まだまだ地域移行に関して情報不足を感じたため、各地域の事例が記載された本資料を読むことにした。

【内容】
 取組事例の1つに大阪府泉大津市の事例があった。泉大津市はスポーツを楽しむ機会提供のため、既存部活動にはない種目を実施している。具体的には部活動未加入者や複数種目ができるよう、生徒のニーズに合わせた種目や運動するきっかけづくりとして開催したレクリエーションスポーツやダンスなどの体験会を実施した。また、大学と連携した指導者の確保をおこなっている。具体的には大阪体育大学の「グッドコーチ養成セミナー」を受講している学生と、外部指導者を希望する部活動をマッチングし、指導者を確保している。さらに、ICTを活用したトレーニングの実施をおこなっている。大阪体育大学とソフトバンク株式会社の協働により、タブレット端末でコーチングのアプリを用いたトレーニング実験を実施。アプリの活用により、教師が競技の専門知識を持たなくとも 、学生が主体的に専門知識・技術を学ぶことができた。元々課題としては「運動部活動の顧問のなり手不足、技術指導できる人材不足、教師の多忙化」、「(運動部未加入者など)運動機会が少ない生徒を対象とした運動機会の増加のための取組の実施」があったが、この取組の結果としてアンケート調査における「スポーツは好きですか」という回答の向上(とても好き:45%→86%)に繋がっている。

【総評】
地域事例について組織図や体制などの具体的な取組について知ることができた。特に指導者の確保のために大学との連携やICTの活用については興味深かった。今後は引き続き事例を調べつつ、大学連携やICTの可能性について調査していきたい。


研究書評 Vol.17 (2023/12/07)


スポーツ庁(2023)「令和4年度地域運動部活動推進事業事例集」栃木県の事例

【内容総括・選択理由】
 本資料は各地方公共団体や学校・スポーツ団体等において、運動部活動の地域移行に向けて取り組んでいる方々や、これから取り組もうとしている方々の参考となることを目的としている。前回同様、各地域の事例について知見を深めたいため、本資料を読むことにした。

【内容】
 今回は栃木県の取組をピックアップした。栃木県の課題としては「県下の中学生の運動部活動時間は全国平均と比較して短い傾向にあるが、質の向上が図られていない。」や「競技未経験顧問への支援策(全体の約4割)」があげられていた。そこで実施した取組としては、医・科学的な知見に基づくトレーニング指導である。具体的には走・跳・投動作の向上を目的に、15分から 30分程度のトレーニングメニューを提供し、対象校で実施した。トレーニングメニューは動画素材として提供されているため、タブレット等で繰り返し見返すことや、自主練習等で活用することも可能となっている。また、ICTを活用した効果的・効率的な技術指導・トレーニング指導を実施した。具体的には、「全運動部を対象としたオンライントレーニング指導の実施」、「専門家からの非対面での指導」、「ICTを活用した練習の記録、即時のフォーム修正や自主的な振り返り等の支援」、「部活動の管理アプリの導入」、「顧問と指導者の円滑なコミュニケーションの体制構築」などが実施された。アンケート結果では、生徒たちの技術は向上したと答えた人は7割以上を占め、スポーツ医・科学的な知見に基づいた短時間で効果的なトレーニングメニューを提供することで、個々の特性や発達段階に考慮した体力の向上をすることができた。作成したトレーニング動画素材は、現場ですぐに活用できるものとなった。また、部活動にICT機器を活用する環境整備を進めることで、部活動に関わる時間が短くできる可能性が示唆された。今後の課題としては

【総評】
前回同様ICTを用いた指導に関する事例を取り上げた。ICTの導入は活用できれば出欠の確認や体調管理、練習日誌の作成・確認、映像を用いた練習や試合の振り返り等がアプリ上でできるようになり、それらにかかる時間が大幅に短縮できる。しかし、体制の整備や導入コストもかかるため、課題も多くあると思った。今後は部活動や地域クラブ活動におけるICT環境の整備やデバイスの管理等について、各市町村等と連携しながら準備を進めていくことが必要だと思う。


研究書評 Vol.18 (2024/01/11)


スポーツ庁(2023)「令和4年度地域運動部活動推進事業事例集」静岡市の事例

【内容総括・選択理由】
 本資料は各地方公共団体や学校・スポーツ団体等において、運動部活動の地域移行に向けて取り組んでいる方々や、これから取り組もうとしている方々の参考となることを目的としている。今回も前回に引き続き各地域の事例研究を目的として本資料を扱うこととした。今回は静岡市の事例を取り上げた。

【内容】
 静岡市は地域スポーツ団体等運営型の体育・スポーツ協会運営型に分類される。この形態では主に、体育・スポーツ協会が運営事務局となり、コーディネーターが指導者の調整、中学校等との連絡調整、活動場所の利用調整、地域のスポーツ団体等との連絡調整などを行う。静岡市の課題としては、少子化や価値観の多様化、部員数が年間300人程度減少し、休廃部を検討している部活動が年々増加していることや50%の教師が専門外の部活動での指導、52%の教師が休日指導に負担を感じていることがあげられていた。そこで、エリア制の導入により学校間で支え合う仕組み「シズカツ」を構築した。具体的には近隣の中学校ごとに15のグループに分け「エリア」を決定し、自身の在籍する中学校に無い部活動でも、エリア内の別の中学校にあれば誰でも参加可能とした。また、部活動指導員や指導を希望する教師、新たな地域人材を配置し、子供たちが専門的な指導を受けられる体制を構築した。結果として、9割以上の生徒が地域移行した部活動について満足していると回答しており、一定の成果をあげている。

【総評】
市内でエリアを区分することで、学校規模に左右されない活動機会を担保できており、良い取り組みだと思った。生徒側では良い結果を得たが、教師側ではまだなく、実際に部活動指導員や休日の指導を希望する教師の他に、約150名の指導員が新たに必要と想定されており、いかにして指導者の確保、教員の負担軽減をしていくのかが今後の課題だと感じた。


研究書評 Vol.19 (2024/01/18)


スポーツ庁(2023)「令和4年度地域運動部活動推進事業事例集」京都府舞鶴市の事例

【内容総括・選択理由】
 本資料は各地方公共団体や学校・スポーツ団体等において、運動部活動の地域移行に向けて取り組んでいる方々や、これから取り組もうとしている方々の参考となることを目的としている。今回も前回に引き続き各地域の事例研究を目的として本資料を扱うこととした。今回は人材バンクに焦点を当て、京都府舞鶴市の事例を取り上げた。

【内容】
 京都府舞鶴市は市内に中学校が7校、生徒数が2052人と小規模の地域である。課題としては「生徒・保護者にとって望ましい地域クラブ活動の実現と教師の負担軽減」をあげていた。主な取組としては、総合型地域スポーツクラブ「舞鶴ちゃったスポーツクラブ」の組織内部に指導者の人材バンクを設置した。市の中学校教師や舞鶴市スポーツ協会に関係する指導者を、人材バンクに登録し、剣道・柔道・陸上・ソフトボール・基礎部活の活動に指導者を派遣する体制で運営している。また、地域クラブ活動に係る事務局も併せて務めることで、総合型地域スポーツクラブを中心に運営する体制となっている。他にも、剣道、柔道、陸上などの既存の種目に加え、「ゆる部活」や「トレーナー部活」といった体を動かすことの楽しさを知ることを目的とした活動を実施している。現状の成果としては、総合型地域スポーツクラブに事務局を配置し、各競技連盟等と連携した体制で運営し、課題が抽出できたとしている。今後の方向性については、関係者との連絡調整・連携体制の構築を目指し、有識者を交えた舞鶴市部活動地域移行あり方検討会(仮称)を開催し、令和6年度以降の地域移行についてより良い運営方法を検討していくとしている。

【総評】
総合型地域スポーツクラブを中心とした体制で、その内部に人材バンクを設置しているのは興味深い取り組みだった。ただ、データやアンケート結果といった具体的な情報を得ることができなかった。今後は体制だけではなく、その体制に関する現状を知ることができるデータを含む事例や文献を探したいと思う。また、人材バンクやマッチングサービスといった指導者確保の取組について焦点を当てて調べていきたい。


研究書評 Vol.20 (2024/04/11)


中澤篤史(2015)「運動部活動は日本独特の文化である――諸外国との比較から」
https://synodos.jp/opinion/education/12417/

【内容総括・選択理由】
 日本の学校では、授業ではなく課外活動として、放課後や休日に運動部活動が広く行われており、全国調査によれば、7割以上の中学生と5割以上の高校生が運動部活動に加入し、ほぼすべての学校が運動部活動を設置しており、半分以上の教員が運動部活動の顧問に就いている。そこで、今回は日本の運動部活動と海外を比較し、地域移行の問題解決に役立つ方法があると考え、部活動のあらゆる項目でどのような違いがあるのかをまとめられた資料を選択した。

【内容】
 本稿は、第1に青少年スポーツの国際状況を概観し、第2に学校間対抗スポーツの国際状況を比較し、第3に日本・アメリカ・イギリスの運動部活動を比較する。それらを通じて、日本の運動部活動が、実は日本独特の文化であることを論じている。
 まず、青少年のスポーツの国際状況について、世界34カ国における中学・高校段階のスポーツの場を、「学校中心型」「学校・地域両方型」「地域中心型」に分けられた表を用いて、説明されている。「学校中心型」とは、学校の運動部活動が青少年スポーツの中心になっている国であり、「地域中心型」とは地域のクラブが青少年スポーツの中心になっている国であり、「学校・地域両方型」とは、学校の運動部活動と地域のクラブの両方で青少年スポーツが行われている国である。結果としては、「学校・地域両方型」が、欧州の大部分や北米を中心に20カ国でもっとも多かった。ただし、その内のほとんどの国では、運動部活動が存在するものの、地域クラブの方が、規模が大きく活動も活発である。「地域中心型」は、ドイツやスカンジナビア諸国など9カ国あり、運動部活動がほとんど存在しない国も珍しくないことがわかった。「学校中心型」は、日本を含むアジア5カ国ともっとも少ない。ただし、日本以外の4カ国が「学校中心型」である理由は、地域のクラブが未発達なためとなっている。たとえば中国や韓国の運動部活動がわずか一握りのエリートのみしか参加していないように、運動部活動そのものの規模はとても小さい。青少年スポーツの中心が学校の運動部活動にあり、かつ、その規模が大きい日本は国際的に珍しい国と述べられている。
 次に、学校間対抗スポーツの国際状況については、アジア・環太平洋地域22カ国の中学・高校段階において、実施状況」「生徒の参加率」「種目の数」「連盟の数」「全国/地区大会の有無」の項目で学校間対抗スポーツの状況を示した表を用いて説明されている。学校間対抗スポーツのそもそもの有無、そして種類や規模は、各国で多様な中、日本は学校間対抗スポーツの機会が「すべての学校」で用意され、「21%の生徒」がその機会を享受し、「30のスポーツ」が提供され、「30の学校スポーツ連盟」がそれを支援し、全国/地区大会が「有」り、他国と比べて突出していた。また、大衆化と競技化が混交した点が、日本の運動部活動の特徴と述べられている。
 最後に、日米英の運動部活動比較については、「設置学校の割合」「各学校の部数」「生徒の加入率」「活動状況」「全国大会」「指導者」「指導目的」の観点から整理した表を用いて説明されている。「活動状況」に関しては、日本とアメリカは活発で高度に組織化されている。ただし、アメリカはシーズン制を敷いており年間を通して活動しているわけではない。対してイギリスは、参加生徒の多くは週1〜2日気晴らし程度に活動するに過ぎず、活発とはいえない。また、日米英の運動部活動の総括的特徴を対比的に述べると、日本は「一般生徒の教育活動」、アメリカは「少数エリートの競技活動」、イギリスは「一般生徒のレクリエーション」として、まとめることができると述べられている。

【総評】
 多くの国で、青少年スポーツの中心は学校の運動部活動ではなく、学校に運動部活動がある場合でも、規模が小さかったり、活発ではなかったりしていることがわかった。また、アメリカとイギリスの運動部活動は、教育活動というよりも、競技活動やレクリエーションとして行われており、日本の運動部活動は日本独特の文化であることがわかった。日本以外では、スポーツは学校教育と別に行われるのが一般的だが、日本では、運動部活動として、スポーツが学校教育に強く密接に結び付けられており、この点が、地域移行において、教育として部活動が移行されるのか、競技力向上のスポーツとして行われるかが曖昧になっているのではないかと考えている。仮に教育と結びつけて行う場合は教員以外の指導者では学校教育が担保されるのか疑問に思った。


研究書評 Vol.21 (2024/04/18)


福生市教育委員会「部活動の地域連携・地域移行に関する 意識調査報告書」2023年9月
https://www.city.fussa.tokyo.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/018/236/06s03.pdf

【内容総括・選択理由】
 部活動の地域連携・地域移行に関して、当事者(生徒や教員など)はどう思っているのかを知るために、今回は東京都福生市が行ったアンケート結果をまとめた調査書を選んだ。具体的には生徒と教員に別々のアンケート調査を行っている。

【内容】
 生徒へのアンケートでは10項目に分けて調査を行った。週休日の活動では、「毎週活動」と回答した生徒が60%で最も多い。「部活動に所属する最大の目的」については、「友達と楽しく活動するため」と回答した生徒が35%と最も多かった。運動部では、「体力・技術を向上させるため」と回答した生徒が最も多かった。部活動の行っていて良いと思う点は、「友達と楽しく活動できている」、「仲間が増えた」と回答した生徒が多く、部活動が生徒の人間関係の構築に関与していることがわかった。所属する顧問・指導者の指導については高騰的な回答が多い一方、「もっと専門的な指導を受けたい」と感じている生徒もいることがわかった。地域クラブの大会参加については、どちらでもよいが最も多かった。全体的には賛成意見が反対意見を上回っていた。教員へのアンケートについては、競技経験・専門知識の項目では、担当する部活動の競技経験・専門知識がない教員が約40%いることがわかった。部活動指導の負担感の項目では、部活動を担当している 77% の教員が部活動指導を負担と感じている。特に、休日の活動を負担と感じている教員が最も多い。部活動地域連携・地域移行に賛成 or 反対の項目では58%が賛成と回答しているが、地域連携・地域移行実施後の自身の希望する役割については、「自身は関わらない」と回答した教員が最も多かった。 

【総評】
 私たちの世代で週末は当たり前のように部活動をしていたイメージがあったが、現在は活動していない部活もあることを知り、時代の変化を感じた。教員は予想通り部活動指導を負担に感じている人が多かった。


研究書評 Vol.22 (2024/04/25)


大阪成蹊大学スポーツイノベーション研究所「大学リソースを活用した部活動の地域移行の受け皿整備の検証」
https://www.learning-innovation.go.jp/existing/doc2021/2021_mirainobukatsu_osaka-seikei_sports-innovation.pdf?230704

【内容総括・選択理由】
 今回は地域移行の受け皿に関して検証した資料を選択した。背景としては、①少子化に伴う部員数の減少・休廃部のケースの増加、②顧問教員の専門性の不足・業務負担/外部の指導者の担い手不足、③部外者でのスポーツ機会の少ない現状があり、中学生の選択肢の幅が狭まっており、中学生年代を含む多世代の新たなスポーツライフの創出&それを実現するネットワーク基盤形成を目的としている。

【内容】
 本資料は、大学などのリソースを活用し、部活動の地域移行の可能性を検証している。具体的には、びわこ成蹊スポーツ大学や高島市の地域クラブと連携し、地域移行モデルを実証している。地域のリソースと大学施設の活用により、中学生の部活動支援を試みている。
 調査結果としては、
保護者アンケートから、部活動月謝の適正価格は2500円とわかった。
また、
• 大学生による部活動指導に対する中学生の満足度は高い
• 大学生が関わることによって生じる新たな大人の負担
• 学生ファーストとなるような環境整備(※中学生も大学生も)
• 段階的な移行に伴い、不定期な活動が増加傾向になることはある程度想定
• 大学生という人的資源を有効活用することによる新たな価値創造の可能性
• 財源確保、交通移動手段確保、時間確保、機会確保
• 地域スポーツクラブのさらなる産業化とその連携方法の模索
• 大学施設で常時 or 定期的に活動することは難しい(日程場所調整や移動の観点からも)
が明らかになった。
上記の課題は、単一期間による解決は困難。地域の諸関係機関が資源と強みを持ち寄り連携して地域移行の実現を目指すべきだと述べている。産官学民連携における具体的な取り組みとしては、
産:地域スポーツクラブの発展と充実、民間企業の参画促進やスポンサー獲得
官:部活動と地域とスポーツの関係性充実に向けた施策や補助金などの更なる展開
学:継続的な実証実験や検証、連携に関するシステム構築、事務局機能の充実
民:各種実証実験やヒアリング調査への参加協力、市内スポーツ活動への理解
としており、大学として地域と連携できることとしては、
・地域における部活動ならびに各種スポーツ活動に対する支援体制・事務局機能の構築
・部活動支援(練習サポート、技術指導、合同練習など)
・スポーツ活動におけるDX活用、指導コンテンツの充実
・スポーツ大会における運営補助、引率補助などに関する学生派遣
・スポーツ活動に関する研修会の実施
があげられている。

【総評】
 不足する専門的な指導者の確保のために、大学生による指導は満足度も高く、一定の効果はあると感じた。ただ、大学生が関わることによって生じる新たな大人の負担と学生ファーストとなるような環境整備が必要だと感じた。また、産官学民連携の連携が地域移行には必要で、地域ごとにも状況が異なる。そのため、研究の方向性としては本資料のように特定地域に絞った検証、研究にしていくべきだと感じた。


研究書評 Vol.23 (2024/05/02)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(上) ―実態と政策の変遷―」
(前半部分)
11-06-173 上-本文.indd (hit-u.ac.jp)

【内容総括・選択理由】
 今回は地域移行に関する調査ではなく、以前ゼミ生からいただいた助言をもとに、日本の部活動の歴史について調べることにした。主な目的はいかにして現在のようにスポーツと教育を絡めた運動部活動が成立したのかを知ることを目的としている。今回は前半部分をまとめた。

【内容】
 本研究の目的は、日本の学校教育における運動部活動の大規模な成立状況が他国と比較して不思議な点に焦点を当て、その成立・拡大・維持の過程を明らかにすることとしている。筆者はその背景や仕組みを解明することを目指しており、不思議な点の根拠を主に5つ指摘している。
 第1に、運動部活動が青少年のスポーツの中心的な場としてこれほど大規模に成立している国は、日本以外に無い
 第2に、運動部活動が教育課程外の活動
 第3に、運動部活動が成り立つかどうかが、生徒の意思よりも学校や教師の働きかけに大きく依存している
第4に、運動部活動を支える学校や教師は、少なからぬ負担を被っている
第5に、これまでに運動部活動を地域社会へ移行させようと試みられてきた
以上を踏まえると、海外 では見られないにもかかわらず、教育課程外の活動であるにもかかわらず、生徒の意思があるか どうかにかかわらず、学校と教師が負担を被るにもかかわらず、地域社会への移行が試みられて きたのにもかかわらず、運動部活動は大規模に成立している。
終戦直後から1950年代前半において、すでに加入率は一定規模に達しており、地域住民に加えて一部の教師が部分的にかかわっていた。だが1950年代後半から1960年代前半にかけて、とくに女子の加入率が減少したことで、運動部活動の規模は縮小した。だが1960年代以降、加入率は一転して増加傾向を示し、その規模は拡大していった。それに合わせて、地域住民のかかわりは減り、教師のかかわりが増えていき、その教師のかかわり方も、顧問教師が指導から引率まで引き受けるという、現在と同じ教師のかかわり方が1970年代後半には一般化した。こうした運動部活動の拡大の背景の一つには、1970年代に、学校体育施設が急速に増え始め、運動部活動を支える施設面での基盤が整備されたことがあった。ただし、公共スポーツ施設や民間スポーツ施設の整備も進み、スポーツ少年団も展開を始め、1970年代以降、運動部活動のオルタナティブとしての学校外スポーツ活動が、少なくとも選択肢としては用意された。しかし、運動部活動が全面的に学校から離れることはなかった。1970年代から2000年代に至るまで、運動部活動への加入率と活動日数は増加し続け、半数以上の教師が全面的にかかわるようになった。その反面で、2000年代には、地域住民のかかわりがふたたび増え、運動部活動と地域社会の関係が強まり始めている。

【総評】
 筆者の5つの根拠を見ると、今まで考えたこと知らなかったものが多かった。特に、以前から運動部活動を地域社会へ移行させようと試みられてきたことは非常に興味深く、外部指導員や合同部活動数も増加傾向だとわかった。まだ、前半部分しかまとめられてないため、次回は後半部分の政策の変遷についてまとめようと思う。


研究書評 Vol.24 (2024/05/23)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(上) ―実態と政策の変遷―」(政策の変遷 「終戦直後~1950年代前半」部分)

【内容総括・選択理由】
 今回は前回に引き続き、地域移行に関する調査ではなく、ゼミ生からいただいた助言をもとに、日本の部活動の歴史について調べた。主な目的はいかにして現在のようにスポーツと教育を絡めた運動部活動が成立したのかを知ることを目的としている。今回は政策の変遷部の「終戦直後~1950年代前半」をまとめた。

【内容】
 前半部分は部活動の加入率や外部指導員の導入など「実態の変遷」について述べられていたが、後半部分は「政策の変遷」について述べられている。具体的には運動部活動の政策を、「学習指導要領」「文部省通達」「保健体育審議会答申」「その他」の観点から表を用いてまとめている。また、さらに、学習指導要領における教科外活動の扱いの変遷や文部省通達における対外運動競技基準の範囲の変遷についても表でまとめており、これらを元にして、その特徴を、「終戦直後~1950年代前半」「1950年代後半~1960年代」「1970年代~1980年代前半」「1980年代後半~2000年代」に分けて記述している。
 終戦直後~1950年代前半までの政策の特徴は生徒による自治と文部省による統制の二重性が制度化された点にある。戦前の軍国主義を否定する形で、終戦直後から民主主義を基調とする教育改革が行われた。体育領域の改革は、「体操からスポーツへ」と総括されているように、自発的に行われるスポーツに大きな価値を与えた。1945年「新日本建設の教育方針」で「明朗闊達なる精神を涵養する為め大いに運動競技を奨励」することが求められ、1946年「第一次アメリカ教育使節団報告書」で「スポーツマンシップと協力の精神とが有する価値を、学校は認識すべき」と記された。こうして価値づけられたスポーツの中で、とりわけ奨励されたのが運動部活動であった。1946年「新教育指針」で「課外運動の重視」が打ち出され、同年の文部省通達で「課外運動としての校友会運動部の適正な組織運営は民主主義的体育振興の原動力」と位置づけられた。さらに、1947年文部省通達で戦前の「野球の統制並びに施行に関する件」が廃止され、1951年保体審答申で「青少年のクラブ活動を促進すること」が提案された。こうした自由なスポーツを運動部活動として奨励しようとする一連の改革の中で、1947年に学校体育指導要綱が設定された。この学校体育指導要綱の趣旨について文部省は、「これからの教育は教師中心の画一主義を排して、学徒の自発活動を中心とする個性尊重の教育でなければならない」と説明し、その強調点として「学徒の個性を重んじて自主的活動を強調したこと」「スポーツを重視して体育の社会性を強調したこと」「課外体育を重視したこと」などを挙げた(文部省体育課長、1947)。運動部活動は、教師に強制される教科活動ではなく、少なくとも建前上は、生徒自身が自発的に行う活動である。それゆえ運動部活動は、教師ではなく生徒を中心に据えようとした、民主主義的な教育改革において大きな価値が与えられたわけである。ここで注意しておきたいのは、そうした価値が付与される前提として、運動部活動は生徒による自治が基本であらねばならなかったということである。しかし一方で、生徒に任せきりにしてしまった場合に教育上の問題が生じるとも懸念され、学校と教師による何らかの働きかけが望まれた。そこで、生徒による自治を求めながら、同時に文部省による統制が敷かれていった。先の1946年文部省通達で「教職員は進んで之[=運動部活動:筆者注]に関与し生徒と共に楽しく運動競技を愛好実施」することが求められ、1947年学校体育指導要綱で「教職員はつとめて課外運動に参加し管理と指導にあたる」ことが指導方針として掲げられた。さらに、1947年学習指導要領で「自由研究」、1951年学習指導要領で「特別教育活動」を設置して、その中でスポーツクラブなどを実施することが試案として示された。この特別教育活動は、従来の課外活動を含み、それを単なる課外ではない「正規の学校活動」として再編成したものである(1951年学習指導要領Ⅱ-2)。また当時、無秩序に乱立した対外試合が問題視された。1948年文部省通達で「勝敗にとらわれ、身心の正常な発達を阻害し、限られた施設や用具が特定の選手に独占され、非教育的な動機によつて教育の自主性がそこなわれ、練習や試合のために不当に多額の経費が充てられたりする等教育上望ましくない結果を将来するおそれがある」ことを理由に、中学では宿泊を要しない程度に、高校では年1回の全国大会までに、対外試合の範囲を制限した。1953年保体審答申でも、「対外問題の諸問題を解決する」ことが学校体育で講ずべき事項として記された。こうした自治/統制の二重性は、基本的にその後も引き継がれていった。ただし、この二重性は、統制によって生徒の自治が擬制的なものにならざるを得ない点で、そして生徒の自治を尊重しようとするために統制が徹底され得ない点で、原理的に矛盾を含むものであったといえる。

【総評】
 終戦直後~1950年代前半は教師ではなく生徒中心による自治と文部省による統制の二重性が生じていた。この期間の運動部活動は生徒が自発的に行う活動であることを基本としていたが、生徒に任せきりにしてしまった場合に教育上の問題が生じるとの懸念から文部省の統制が敷かれ、教師が管理と指導することになっている。これが現在のように教師が部活動で指導するきっかけや基盤を作った時期だと考えられる。次回も続きをまとめていきたい。


研究書評 Vol.25 (2024/05/30)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(上) ―実態と政策の変遷―」(政策の変遷 「1950年代後半~1960年代」部分)

【内容総括・選択理由】
今回は前回に引き続き、地域移行に関する調査ではなく、ゼミ生からいただいた助言をもとに、日本の部活動の歴史について調べた。主な目的はいかにして現在のようにスポーツと教育を絡めた運動部活動が成立したのかを知ることを目的としている。今回は政策の変遷部の「1950年代後半~1960年代」をまとめた。

【内容】
 前半部分は部活動の加入率や外部指導員の導入など「実態の変遷」について述べられていたが、後半部分は「政策の変遷」について述べられている。具体的には運動部活動の政策を、「学習指導要領」「文部省通達」「保健体育審議会答申」「その他」の観点から表を用いてまとめている。また、さらに、学習指導要領における教科外活動の扱いの変遷や文部省通達における対外運動競技基準の範囲の変遷についても表でまとめており、これらを元にして、その特徴を、「終戦直後~1950年代前半」「1950年代後半~1960年代」「1970年代~1980年代前半」「1980年代後半~2000年代」に分けて記述している。
 1950年代後半から1960年代までの政策の特徴は、1964年の東京オリンピック開催との関係から、 文部省の統制が緩和され競技性が高まった点にある。
1950年代後半からオリンピック招致運動が本格化し、1959年にアジア初のオリンピックとして 東京オリンピック開催が正式決定された。それに至る過程で、各種競技団体の要望などから、対外試合に関する文部省の統制が緩和されていった。その画期は、1954年文部省通達「学徒の対外試合について」であった。同通達において、中学の対外試合は校内大会に限るという従来の原則が、都道府県大会まで認めると大幅に改訂された。また、世界的水準の競技力を持つ中学生は全日本選手権大会や国際的競技会に参加可能、そして高校生も国民体育大会への参加は例外とされるなど、これまでの統制が緩和された。その後はさらに、1957年文部省通達(対外試合)、1957 年保体審答申、1961年文部省通達と同年の保体審答申などで、宿泊を要しないという条件が見直され、中学校水泳競技の全国大会が特例として認められるなど、統制の緩和は続いた。競技団体は、オリンピックで好成績を残すために早期から中高生の競技力を向上させることが必要であると主張し、政策がそれに応えたわけである。
先に、自治/統制の二重性という特徴を指摘したが、この時代の文部省統制の緩和は、もう一対の生徒による自治を前景化させたわけではなかった。むしろ、1959年・1960年保体審答申で「スポーツ技術の水準向上」や「体力の増強」が求められたように、東京オリンピックという国家的イベントの流れに巻き込まれながら、運動部活動は競技性を高めていった。実際、東京オリンピックの日本選手団355名の中には、高校生14名が含まれた。このように競技性が極度に高まったことで、一般生徒がスポーツに触れる機会が妨げられてしまうことが問題視された。それゆえ統制を再び強化しようとする動きが出てきた。1957年文部省通達(指導)では、「運動部の運営が、単に生徒の自主的活動に放任されることなく、学校教育の一部としてじゅうぶんな指導の行われる」ことが記され、具体的な留意点が細かく記された。たとえば、校長には、教職員以外のコーチに教育への理解を求めることや、先輩や後援会からの悪影響に配慮すること、運動選手を優遇しないことなどが、担当教員には、たえず部の活動全体を掌握すること、過度な練習や暴力行為を防ぐことが、留意すべき点として記された。1968年文部省通達で「関係教員全員が連携を密にし、協力して指導の徹底を図るようにする」ことが記された。こうした競技性の高まりとその反動としての統制の強化は、運動部活動を、いかにして、どの程度まで、学校内に留め置くのかという問題を浮上させた。
その一つの解決策として、1969年文部省通達と保体審答申では、対外試合がひとまず学校教育活動内と学校教育活動外に区別され、後者のあり方を議論するために、日本体育協会・全国高等学校体育連盟・全国中学校体育連盟・全国連合小学校長会・日本高等学校野球連盟・日本 PTA全国協議会・全国高等学校 PTA 協議会・全国教育長協議会・全国体育主管課長協議会・学識経験者で構成される「青少年運動競技中央連絡協議会」が設立された。その後この協議会が十全に機能したとはいえなかったが、文部省の説明によると、その趣旨は学校体育の枠を超えた社会体育の振興にあり、学校教育活動内/外の区別は各学校の判断に委ねるという。裁量権を学校現場に預けたままの状態で、後で述べる運動部活動の社会体育化の端緒が切られたといえる。

【総評】
 運動部活動は1964年の東京オリンピックの影響により自治/統制の二重性のうちの文部省の統制が緩和されたが、もう一対である生徒の自治が強くなったわけではなく、競技性が高まったことがわかった。その後、競技性の高まりとその反動で統制が再び強化されたが、これには運動部活動を、いかにして、どの程度まで、学校内に留め置くのかという問題を浮上させており、現在もその点が曖昧になっていると個人的に感じている。次回も続きをまとめていく。


研究書評 Vol.26 (2024/06/06)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(上) ―実態と政策の変遷―」
(政策の変遷 「1970年代~1980年代前半」部分)
 
【内容総括・選択理由】
 今回は前回に引き続き、地域移行に関する調査ではなく、ゼミ生からいただいた助言をもとに、日本の部活動の歴史について調べた。主な目的はいかにして現在のようにスポーツと教育を絡めた運動部活動が成立したのかを知ることを目的としている。今回は政策の変遷部の「1970年代~1980年代前半」をまとめた。
 
【内容】
 前半部分は部活動の加入率や外部指導員の導入など「実態の変遷」について述べられていたが、後半部分は「政策の変遷」について述べられている。具体的には運動部活動の政策を、「学習指導要領」「文部省通達」「保健体育審議会答申」「その他」の観点から表を用いてまとめている。また、さらに、学習指導要領における教科外活動の扱いの変遷や文部省通達における対外運動競技基準の範囲の変遷についても表でまとめており、これらを元にして、その特徴を、「終戦直後~1950年代前半」「1950年代後半~1960年代」「1970年代~1980年代前半」「1980年代後半~2000年代」に分けて記述している。
 1970年代から1980年代前半までの政策の特徴は、競技性の高まりに対する反省から大衆化が追求され、それに伴って教師の保障問題が生じた点にある。
1969年・1970年の学習指導要領では、総則内で教育活動全体を通じて「体育」を行うように記され、特別活動内に必修の「クラブ活動」が設置された。文部省はその設置理由を、「価値の高いクラブ活動の経験を全ての生徒に得させたい」からであると説明し、さらに必修クラブ活動の設置によって、「課外活動として実施される従前のクラブ活動を触発し、それへの参加がいっそう活発なものとなることが期待される」という。つまり、必修クラブ活動と運動部活動を互いに相乗させながら、スポーツを大衆化させることが意図されていたわけである。さらに1972年保体審答申では、一部の選手を中心とした運動部活動のあり方が見直され、1979年文部省通達・保体審答申では、中学では年一回の全国大会が、高校では年二回の全国大会が認められた。より多くの生徒により多くのスポーツ機会を与えることが目指されたといえる。そして1982年に文部省が発行した『高等学校特別活動指導資料 特別活動をめぐる諸問題』では、「課外の部活動の充実のための配慮」として、(1)学校の管理下の教育活動として計画すること、(2)学校としての指導体制を確立すること、(3)指導に当たる教師の姿勢を確立すること、(4)対外試合や合宿などの基準を明確にすること、が挙げられた。スポーツを大衆化させるために、学校と教師が運動部活動へかかわることが求められたわけである。
 この大衆化路線の中で、運動部活動は拡大し、教師のかかわりも大きくなってきた。必修クラブ活動がスポーツに触れる機会を増やし、その延長として運動部活動を位置づける学校も出てきたことで、運動部活動の加入率は増加していった。と同時に、教師が何らかの部の顧問に就くことが通例となってきた。それゆえ教師の負担が一層重くなり、顧問に就くことに消極的な教師も増えていった。そのため、かねてから問題とされながらも解決されなかった教員手当問題がクローズアップされた。1966年にユネスコ特別政府間会議で採択された「教員の地位に関する勧告」で課外活動の負担について触れられたことを背景に、日本教職員組合は、1970年「教職員の労働時間と賃金の在り方」の中で、運動部活動は社会体育に含まれる活動であるとの認識を示し、手当の支給を求めた。それに対応して文部省と人事院は、1971年「教育職員調整額」、1972年「教員特殊業務手当」を制度化し、運動部活動に指導や対外試合の引率など、業務範囲の不明瞭な教員の特殊な勤務状況に対する手当をいくらか充実させた。といっても、1988年「部活動についての基本的な考え方」の中で日本教職員組合が、運動部活動は社会体育活動であり、その手当は未だ不十分であると論じたように、問題が完全に解消されたわけではなかった。
 さらに教員手当問題の他に、顧問教師の責任範囲も問題となった。運動部活動で事故が起きた場合、顧問教師はいかなる責任を取らねばならないのか。この顧問教師の責任範囲は、実際の裁判結果を見ても、事故の原因や過失の有無などによって事例ごとに多様であった。ただし、文部省は、「一般的にいって、①指導上の過失により、児童生徒を死傷させたことに対する業務上過失致死罪などに問われる刑事上の責任、②児童生徒の死傷による損害を賠償する民事上の責任、および③職務上の義務を怠ったものとして問われる行政上の責任(懲戒処分)」の3つがあると説明していた。こうした説明を受けて、現場の顧問教師は戦々恐々とした。教育課程に含まれない活動に不十分な手当で従事しているにもかかわらず、 もし事故が起きれば刑事・民事・行政上の責任を取らねばならないとすれば、教師は顧問を引き受けることに消極的にならざるを得なかった。実際、熊本市立藤園中学校柔道部で部員が半身不随となる事故が起きた時、1970年7月の熊本県地裁の判決で顧問教師と校長と熊本市が注意義務違反で敗訴した。教員手当や責任範囲という教師の保障問題へどう対応するかが、喫緊の政策的課題として浮上してきたのである。運動部活動の大衆化を追求した結果、膨れあがった運動部活動を支える制度的な綻びが顕在化したといえる。
そうした教師の保障問題は、その一つの解決策として、運動部活動の社会体育化を模索する政策へつながっていった。必修クラブ活動設置以来、それと内容的に類似した運動部活動の取扱い方が現場ではより一層不明瞭になっていた。いったい学校や教師は運動部活動をどう扱えばよいのか。文部省は、運動部活動は「教育課程の一部ではないが、学校教育活動の一部」であり、それを「学校の教育計画の中に盛り込んで実施するかどうかは、当該学校の判断に委ねられている」と回答した。各学校は、自らの裁量で運動部活動の処遇を迫られたわけである。その結果、従来どおり学校教育活動として行うケースがほとんどだったが、中には、部分的あるいは全面的に運動部活動を社会体育化するケースもあった。教師の負担も大きく、保障も十分でないのだから、社会体育へ移行してしまおうというわけである。たとえば、1971年度に保護者が「課外クラブ育成会」を結成し、運動部活動を補う組織をつくった東京都杉並区立阿佐ヶ谷中学校のケース、1971年度から運動部活動を社会体育活動の「少年クラブ」として、中学校区ごとに「クラブ振興会」を組織した兵庫県明石市のケース、1972年度から運動部活動を保護者による社会体育活動に切り替えた岐阜県岐阜市立長良中学校のケース、県教育委員会が中学生スポーツクラブ事業に総額765万円の補助を出し、1974年度で255のクラブを設置した佐賀県のケースなどがあった。
とりわけ熊本県は、県全域で大規模に社会体育化を政策的に進めた。熊本県では、1967年ごろから教員手当問題が議論され始め、1970年7月には先述した運動部活動中の事故に対する学校側の敗訴が決定した。それを受けて熊本県教育庁は県全域で運動部活動を社会体育化することを決定し、1970年11月にその旨を記した通達「児童・生徒の体育・スポーツ活動について」を出した。その要点は、運動部活動を勤務時間内に制限し、それ以降は学校教育活動以外のスポーツ活動として、別途、新たな体制を整えて実施するようにしたことである。この通達によって、たとえば、熊本市立京陵中学校では、勤務時間の5時までは部活動として教師が指導し、それ以降は会費を別に徴収した「京陵スポーツクラブ」として教師と一般社会人をコーチとして行うように変わった。そして熊本県全体では、1976年度においてスポーツクラブ加入率が中学校で52.3%、高校で21.0%にまで増加した。こうした熊本県のケースは「社会体育の勝利」と呼ばれ、運動部活動の社会体育化は順調に進んだように見えた。
しかし、1978年に日本学校安全会の災害共済給付制度が大幅に改善されたことで、事態は急転した。日本学校安全会の災害給付制度とは、学校における児童生徒の事故への特別な救済制度である。先の運動部活動中の事故の場合などのように、事故に対する教師の過失が追求されることで教育活動の遂行に支障が生じてしまうことが懸念されていた。そこでこの災害給付制度の内容が改善され、具体的には、廃疾見舞金および死亡見舞金の額がおよそ4倍に引き上げられ、義務教育以外の学校における掛け金が保護者の全額負担から学校設置者も一部負担へと切り替えられ、児童生徒の災害について学校設置者の免責が特約として認められた。他方で熊本県では、運動部活動の社会体育化を円滑に進めるため、独自に、熊本県スポーツ災害 見舞金運営審議会による、スポーツクラブでの事故補償制度を設けていた。だが、その補償内容は、改善された日本学校安全会の災害給付制度には及ばなかった。そのため、より充実した日本学校安全会の災害給付制度を受けるためには、教師が指導する運動部活動に戻る必要があった。こうした補償の手厚さの違いが一つの背景となり、社会体育化されつつあった運動部活動は、ふたたび学校へ戻っていった。1970年代に模索された運動部活動の社会体育化は、1980年代には全国的に急速に勢いを無くしていった。
 
【総評】
運動部活動の大衆化を追求した結果、教師の負担が一層重くなり、教員手当問題がクローズアップされ、膨れあがった運動部活動を支える制度的な綻びが顕在化した。その中で運動部活動の社会体育化を模索する政策へつながっていったが、国の制度が充実したため、1980年代には社会体育化が急速に無くなっていったことがわかった。上記から、社会体育化は現在の部活動、教員問題の解決にはなると考えるが、そのための制度や指導者問題をどう解決していくかが課題だと考えている。以前よりも人口も減少していることも状況が異なり、現状にあった運動部活動のあり方、スポーツ機会の確保について探っていきたい。


研究書評 Vol.27 (2024/06/13)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(上) ―実態と政策の変遷―」
(政策の変遷「1980年代後半~2000年代」部分)

 
【内容総括・選択理由】
 今回は前回に引き続き、地域移行に関する調査ではなく、ゼミ生からいただいた助言をもとに、日本の部活動の歴史について調べた。主な目的はいかにして現在のようにスポーツと教育を絡めた運動部活動が成立したのかを知ることを目的としている。今回は政策の変遷部の「1980年代後半~2000年代」をまとめた。
 
【内容】
 前半部分は部活動の加入率や外部指導員の導入など「実態の変遷」について述べられていたが、後半部分は「政策の変遷」について述べられている。具体的には運動部活動の政策を、「学習指導要領」「文部省通達」「保健体育審議会答申」「その他」の観点から表を用いてまとめている。また、さらに、学習指導要領における教科外活動の扱いの変遷や文部省通達における対外運動競技基準の範囲の変遷についても表でまとめており、これらを元にして、その特徴を、「終戦直後~1950年代前半」「1950年代後半~1960年代」「1970年代~1980年代前半」「1980年代後半~2000年代」に分けて記述している。
1980年代後半から2000年代までの政策の特徴は、多様化、とりわけ指導者や活動自体を外部化させる取り組みが模索された点にある。膨れあがった運動部活動を学校と教師だけで支えることは難しかった。1989年学習指導要領で、部活動参加をもって必修クラブ活動の履修を認める、いわゆる「部活代替措置」が設けられた。この措置を使えば、学校は必修クラブ活動に当てていた週一時間のコマを他教科等へ回すことができた。学校五日制が1992年に月1回で開始され、1995年に月2回へ拡大され、2002年に完全実施されていく中で、授業時数の確保に苦慮する多くの学校は、部活代替措置を用いて必修クラブ活動を時間割上から無くし、代わりに生徒の部活動加入を義務づけた。たとえば埼玉県では、98.8%の中学校が部活代替措置を取った。部活代替措置の下では事実上部活動はカリキュラム内に組み込まれ、それを根拠にしながら顧問教師の配置や部の維持が図られてきた。運動部活動への従事が半ば教育課程内の公務と見なされ、教師の負担はさらに増大したわけである。 1984年に設置された臨時教育審議会以降、教育の自由化を進める改革が議論され始め、教師の負担を和らげ、また子どもの個性を伸ばす方策が、運動部活動を多様化する方向で議論された。1987年臨時教育審議会第3次答申で、運動部活動が「個性の伸張」という意義を有するとして、それを支えるために「人的・物的両面での整備を進める」ことが提言された。また1989年保体審答申では、「特色ある運動部活動の促進」として学校外からの指導者を活用することなどが提案された。それらを下に文部省は、1988年「運動部活動指導者派遣事業」、1990年「運動部活動指導者研修事業」「運動部活動研究推進校設置」、1995年「中学生・高校生のスポーツ活動に関する調査研究協力者会議設置」を実施し、多様な運動部活動のあり方が目指されていった。 ただし、より注意すべきは、こうした運動部活動の多様化が、いわゆる「学校スリム化」の文脈で、その外部化として進められたことである。その転換点は、1995年に社団法人経済同友会が「学校から『合校』へ」で発表した「学校スリム化」論であった。経済同友会は、学校に期待される役割が肥大化していると問題視し「学校を『スリム化』しよう」と提唱した。その「スリム化」すべき対象の一つとして部活動を挙げ、「部活指導を地域社会が引き受けていくことはできないだろうか」と主張した。この経済同友会の「学校スリム化」論が目指したのは、さまざまな形態の運動部活動を実現させるために積極的に後押しするような、従来の多様化としての自由化に止まらず、それをもう一歩進め、運動部活動への文部省・学校・教師の介入そのものを低減させて、指導や運営、さらには活動母体を地域社会へ放任しようとするような、外部化としての自由化であった。その意味で、「学校スリム化」論は新自由主義的であったといえる。この新自由主義的な多様化=外部化路線は、1995年以降の政策的基調となった。1996年中央教育審議会答申と1997年保体審答申で「地域社会にゆだねることが適切かつ可能なものはゆだねていくことも必要である」と、運動部活動を地域社会へ移行する方向性が検討された。さらに1998年・1999年学習指導要領で、「放課後等における部活動が従来から広く行われていた」ことや「地域の青少年団体やスポーツクラブなどに参加し、活動する生徒も増えつつある」ことを理由に、必修クラブ活動が廃止された。と同時に部活代替措置も崩れ、運動部活動への従事を半ば公務と見なす根拠が無くなった。1998年文部省通達で「生徒の個性の尊重と柔軟な運営に留意すること」が記され、2001年文部省通達で「学校が自らの判断で特色ある学校づくりに取り組む」ようにするため、ついに統制が撤廃された。統制が無くなった中で、各学校は自らの裁量で、外部指導員の導入、合同部活動の実施、地域社会との連携、地域社会への移行という、運動部活動の多様化=外部化を模索していった。こうした動向と相前後しながら、運動部活動の指導や運営の多様化=外部化を推進する事業として、文部省は、1997年「スポーツエキスパート活用事業」、2002年「運動部活動地域連携実践事業」、2007年「運動部活動等活性化推進事業」、2008年「地域スポーツ人材の活用実践支援事業」などを実施した。加えて、2000年保体審答申では、運動部活動の受け皿となりうる総合型地域スポーツクラブの政策構想が示された。総合型地域スポーツクラブとは、多世代、多様な技術・技能レベル、多様な興味・目的の者が加入できる地域スポーツクラブである。この2000年保体審答申では、本答申には盛り込まれなかったが、一時、中間報告で地域社会への移行を推進するために「運動部活動の土日禁止」が明文化される経緯もあった。さらに2002年中央教育審議会答申では、子どもの体力低下を防ぐため、運動部活動の充実が求められたが、その具体的方策は、外部指導者の充実や地域スポーツクラブとの連携・融合であった。しかし、こうした多様化=外部化は、あくまで模索に留まり、運動部活動それ自体が完全に外部に委託されるようになったわけではない。多くの運動部活動は未だ学校内に残ったままである。裁量権が学校に委ねられた結果、学校は運動部活動を手放さなかったといえるだろう。それを後追いするように、2000年代後半からは、再び運動部活動を学校教育に結びつけようとする政策も出てくる。2006年には、全国に先駆けて東京都教育委員会が都立学校の部活動を教育課程内に含めるように制度変更した。また2008年・2009年学習指導要領では、「学校教育の一環として、教育課程との関連が図られるよう留意すること」が記された。これに関連して、2008年教育振興基本計画では「運動部活動の推進」が謳われ、同年に部活動手当を含む教員特殊業務手当の増額が実施された。その先行きは未だ不透明であるが、こうした制度変化は、それまでに模索された多様化の方針に転換を迫るものと位置づけられるかもしれない。
 
【総評】
1980年代に現在行われている、部活動の地域移行のように、教師の面からや学校スリム化という面から運動部活動を地域社会へ移行する方向性が検討され始めたことがわかった(多様化=外部化路線。しかし、あくまで模索にとどまった。)。ただ、現在のように少子化が関連していない点は少し違うかなと思った。


研究書評 Vol.28 (2024/06/20)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(下) ―議論の変遷および実態・政策・議論の関係―」
(議論の変遷「終戦直後~1950年代」部分)
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【内容総括・選択理由】
 今回は以前から読んでいた中澤氏の学校運動部活動の戦後史の(下)を調べた。本稿では以下のことを主にまとめられている。
運動部活動の価値づけ方や問題点の論じ方は多様であり、時代とともに変化してきた背景や、それぞれの議論は、いくつかのまとまりを形成しながら、互いに親和的な関係を築くこともあれば、対抗的な関係を築くことがある。これらの議論のまとまりと関係に留意しながら議論の変遷について「終戦直後~1950年代」「1960年代」「1970年代」「1980年代」「1990年代~2000年代」に分けて、その特徴を記述している。
今回は「終戦直後~1950年代」をまとめた。
 
【内容】
 終戦直後から1950年代までの議論の特徴は、自由と自治を基調とする運動部活動に民主主義的な価値が与えられ、それを人間形成の手段として活用するために学校と教師のかかわりの必要性が叫ばれた点にある。終戦直後、戦前の軍国主義を否定する形で「新体育」が目指され、自由と自治を基本とするスポーツが価値づけられた。新体育とは、デューイの子ども中心主義的な新教育の系譜に位置付く、画一的な体操ではなく自発的なスポーツを重視した子ども中心の体育である。この新体育の思潮の中で、とりわけ生徒が自由にスポーツ種目を選び、自治的に活動する運動部活動は、民主主義的な人間形成の手段として高く価値づけられた(浅川、1946、1947;東・清瀬、1948)。たとえば、『新体育』誌上で1947年に開催された座談会「新日本の体育を語る」では、次のような発言があった。「スポーツはやはりスポーツ自体が民主的に組織されておるものですから、それを正しく実行することによって、民主的な人間が育成されて行くという点から言っても、スポーツを重点にして行くのがよいと思うのであります。」(高田通の発言:大谷ほか、1947、p.19)「これからは自主性を重視してやりますから、今までのとはよほど変つて来るわけです。特に課外運動を重視する。課外では一層自治の面が多くなり、自治的運営によつて自主的にやらせる。」(大谷武一の発言:大谷ほか、1947、p.19)
 このように民主主義的価値の与えられたスポーツを多くの生徒が行えるようにするために、運動部活動の整備が求められた。ただしこの整備は、文部省による統制によってではなく、学校と教師の手によって成し遂げられねばならなかった。なぜなら、運動部活動を教育課程へ含めるような画一的な整備の仕方は、生徒の自発性を損なう「形式化」と「強制」を意味するとして忌避されたからである(宮坂、1950)。それゆえ、運動部活動を整備するためには、それが課外活動でありながらも、学校や教師が主体的にかかわることが必要とされた(江尻、1949)。学校と教師のかかわりを求めることは、反面で、地域住民のかかわりや影響を減らそうとすることでもあった。運動部活動の問題は「職業的コーチが文句を言う筋合いのものではない」のであり、「教師自身が決めるべき性質のものである」とされた(西田、1954、p.9)。そして、学校教育の一環として運動部活動を編成するために、地域社会の諸勢力に屈服しないように学校の自主性が求められ(佐々木、1951)、コーチを務める地域住民に学校教育への理解が求められた(宮畑・梅本、1959)。しかし一方で、こうした運動部活動への学校や教師のかかわり、そして文部省の統制を、スポーツの自由と自治を損なうものとして批判する議論もあった。東京高等師範学校教授の浅川正一(1946、1947、1954)によれば、本来スポーツは遊戯であるため、運動部活動ではその自発的活動を奨励しなければならなかった。浅川(1947、p.28)は、「課外運動は正課より一層生徒の自由意志を尊重」すべきであるという立場から、「教師は愉快に遊ぶ彼等の生活を束縛したり、自治的な活動を統制して、彼等の遊戯やスポーツに対する意欲を壓(おさ)えることがあってはならない」と論じた。スポーツの自由と自治を追求するためには、生徒の意思を最大限に尊重し、学校や教師のかかわりは最小限に抑えられねばならなかったのである。こうした立場からは、対外試合の制限などの文部省通達は、自主性を損なう他律的な統制であると批判され(浅川、1954)、自由であるはずのスポーツのあり方を歪曲する「弾圧」であると批判された(藤田、1954)。前節で当時の政策面における自治/統制の二重性を指摘したが、議論面においてもそれと重なる対抗的な関係が確認できる。すなわち、学校と教師のかかわりを求めて運動部活動を教育として編成しようとする議論と、スポーツの自由と自治を追求して運動部活動をスポーツとして編成しようとする議論である。この対抗的な二つの議論は、これ以降にも随所で見られ、戦後運動部活動のあり方を論じる議論の基本骨格であるといえる。
 
【総評】
 政策の変遷でも指摘されていた自治/統制の二重性が議論の変遷においても、同じような対抗的な関係が確認できた。私はこの構図は現在の部活動の地域移行にも関わるものだと考えており、スポーツ、運動部活動に含ませるべきなのか否か、それとも現状のように曖昧のままでいいのかについて今後も議論が必要な気がした。


研究書評 Vol.29 (2024/06/27)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(下) ―議論の変遷および実態・政策・議論の関係―」
(議論の変遷「1960年代」部分)

 
【内容総括・選択理由】
 今回は以前から読んでいた中澤氏の学校運動部活動の戦後史の(下)を調べた。本稿では以下のことを主にまとめられている。
運動部活動の価値づけ方や問題点の論じ方は多様であり、時代とともに変化してきた背景や、それぞれの議論は、いくつかのまとまりを形成しながら、互いに親和的な関係を築くこともあれば、対抗的な関係を築くことがある。これらの議論のまとまりと関係に留意しながら議論の変遷について「終戦直後~1950年代」「1960年代」「1970年代」「1980年代」「1990年代~2000年代」に分けて、その特徴を記述している。
今回は「1960年代」をまとめた。
 
【内容】
 1960年代の議論の特徴は、東京オリンピックに向けた選手中心主義的な運動部活動のあり方が批判され、あくまで学校教育の一環として編成するために学校と教師の主体性を確立する必要性が叫ばれた点にある。
 運動部活動は教育かスポーツか。運動部活動の位置づけは、1960年代に入ると、東京オリンピックへいかに向き合うのかとして、問い直された。まず、選手養成を通じて東京オリンピックに貢献すべきだとする声があった。その貢献の仕方とは、「素質の優れた生徒や青年を発見したならば、組織を通じて推せんすること」(野口、1960、p.12)や、「直接オリンピック競技によい成績をあげるために、選手強化に協力すること」(森、1961、p.11)であった。こうした議論は、第一義的には、運動部活動をスポーツとして推進しようとするものであったが、そこで教育との結び付きが断ち切られたわけでは必ずしもなかった。たとえば、東京教育大学教授の本間茂雄(1960)は、東京オリンピックに向けて、「学校体育の線から、全面的に選手を輩出させるということを企画すること」を求めたが、彼は「学校体育と優秀選手の輩出ということは決して矛盾するものではない」と考えていた。オリンピックを見据えて選手を養成することが、各人の能力の違いに応じて、それぞれの能力を最大限に発達させるという点で、まさに教育でもある、と意味づけられ、「能力の発達」を媒介として、スポーツと教育の矛盾が超克されたわけである。このように、運動部活動をスポーツと見なして、そこで選手養成を目指す流れは、それが能力の発達につながる教育でもあると見なされることで、強く後押しされていった。
しかし、こうした選手養成を目指す流れは、選手中心主義として批判された。運動部活動は全生徒のための教育活動であらねばならない、にもかかわらず選手養成に重点がかけられるため一般生徒の機会や指導が疎かになっている、と問題視された(馬場、1960;山岡、1961;城丸、1962;畑、1963;丹下・瀬畑、1965;全国高校生活指導研究協議会編、1966;粂野、1969)。それでは、選手中心主義に陥らないためにはどうすべきであり、これからの運動部活動はどうあるべきなのか。まず、選手養成を運動部活動に求める学校外からの圧力に対して、学校と教師が主体性を確立することが必要とされた(佐々木、1962;山岡、1962;吉田、1965)。たとえば、現場では、運動部活動や対外競技のあり方に関して体育協会や各種スポーツ団体からの強い働きかけがあったため、それに抗する学校と教師の主体性が求められた(田野村、1965;黒木、1966)。また対外試合のあり方は、学校と教師の決断によって解決されるべき問題であり、それを制限する文部省通達は、学校と教師の主体性を確立することによって撤廃されねばならないとされた(吉田、1961;遠山、1961;前川、1965)。運動部活動が東京オリンピックに振り回された反動として、1950年代に叫ばれた学校と教師のかかわりの必要性を再強調するように、学校と教師が主体性を確立する必要性が求められたのである。その上で、学校と教師が主体的に、一部の選手に独占される運動部活動のあり方を、一般生徒に運動・スポーツの機会を与えられるように変えていくことが望まれた。選手中心主義によって「多くのものは見物や応援の立場にたって、自分でスポーツを行う機会が次第に少なくなってきている」のであり(花輪、1969、p.59)、「全校スポーツ活動の必要」が叫ばれた(山川、1967)。こうした議論の流れは、1970年代に本格化する大衆化路線の政策を後押しし、実態としても教師のかかわりを増やしていった。ただし、学校と教師が主体的に多くの生徒を抱え込むべきとする理念は、その後、教師の負担と保障問題に直面することになった。
 
【総評】
 オリンピックの影響により、運動部活動が選手養成を目的として選手中心主義的な要素が高まり、一般生徒の機会や指導が疎かになったことで批判が生じ。そこで、学校と教師が主体性を確立することが必要とされたことがわかった。引き続き変遷を調べ、現在の部活動に繋がっているのか確認していきたい。


研究書評 Vol.30 (2024/07/04)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(下) ―議論の変遷および実態・政策・議論の関係―」
(議論の変遷「1970年代」部分)

 
【内容総括・選択理由】
 今回は以前から読んでいた中澤氏の学校運動部活動の戦後史の(下)を調べた。本稿では以下のことを主にまとめられている。
運動部活動の価値づけ方や問題点の論じ方は多様であり、時代とともに変化してきた背景や、それぞれの議論は、いくつかのまとまりを形成しながら、互いに親和的な関係を築くこともあれば、対抗的な関係を築くことがある。これらの議論のまとまりと関係に留意しながら議論の変遷について「終戦直後~1950年代」「1960年代」「1970年代」「1980年代」「1990年代~2000年代」に分けて、その特徴を記述している。
今回は「1970年代」をまとめた。
 
【内容】
 1970年代の議論では、教師の負担や保障が問題となり、その解決が、スポーツの自由と自治を求める流れと歩調を合わせながら、社会体育化の方向で模索された。
学校と教師が主体性を確立し、全生徒に運動・スポーツの機会を与えようとする理念は、必修クラブ活動とそれに伴った運動部活動の拡大によって、ある程度は実現されたが、その反面で、教師の超過勤務や負担の大きさが問題となった。当時、教師が顧問に就くことが通例となりつつあり、技術指導ができない顧問教師が出始めた。また1966年の「教員の地位に関する勧告」以来、勤務時間を超えた運動部活動への従事をどうすべきかが繰り返し問題となった。たとえば、休日の引率に対しても代休制度や経済的保障が不十分であり、「週1日の休息が生徒引率のためにつぶされては顧問であるがための負担は余りにも大きい」と訴えられた。そのため、顧問の引き受け手がなかなか見つからないケースも出てきた。こうした現状から運動部活動へスポーツ指導の専任教員を配置する声も上がったが、実現されることはなかった。さらに事故が起きた場合の教師の保障が問題となった。たとえば朝日新聞は、1960年代には、「人間的な交流の場」として運動部活動の効用を喧伝していたが(1966年6月27日付)、1970年代には、教師がその指導に手が回らない現状や、必修クラブ活動と運動部活動との関係に戸惑う現状を報道していった(1972年6月14日付、1972年10月18日付)。この転換の一つの契機は、熊本市立藤園中学校で起きた柔道部員の事故を教師側の注意義務違反とした、1970年7月の熊本県地裁の判決であった。朝日新聞はこの判決を、「現場教師の大きな衝撃 時間外でも責任とはもう顧問はやめたい」という見出しで報じた(1970年8月1日付)。大衆化の追求された1970年代には、このように教師の超過勤務や負担の大きさ、そして事故責任に関する教師の保障問題がクローズアップされ、それらの問題へどう対処すべきかが運動部活動をどうすべきかと合わせて論じられていった。対処の仕方は2通りあった。1つは、運動部活動を勤務時間内に収まるように縮小することで、運動部活動を維持する仕方であった。運動部活動の維持を唱えた代表者は、元文部官僚の佐々木吉蔵で、佐々木は運動部活動の学校教育としての意義を強調し、「運動クラブすなわち運動部を、社会体育として位置づけるべきだとの意見は見当違いもはなはだしい」と断じた。ただし、運動部活動を学校に残すためには、教師の負担と保障を考慮せねばならないため、「運動部の練習時間は2時間以内を原則とする」と具体的な数字をあげて、運動部活動を縮小することで折り合いを図ろうとした。これと対立するもう1つの対処の仕方は、運動部活動を地域社会へ移行し社会体育化するというものであった。運動部活動の移行を唱えた代表者は、当時、国立競技場理事に就いていた西田泰介で、西田は、学校教育の一部としてではなくスポーツの場として運動部活動を捉える立場から、勤務時間内に収まるように運動部活動が縮小されれば、青少年のスポーツ活動が疎かになると警鐘を鳴らし、運動部活動を縮小させることは、スポーツの普及、発展を妨げるという考えを持っていた。西田は、運動部活動のあり方をめぐって、先の佐々木吉蔵と『健康と体力』誌上で対談した。そこでは、運動部活動を学校内で維持すべきと主張する佐々木に対して、西田は「できるだけ学校の外に出す」ことを主張し、維持か移行か、運動部活動のあり方をめぐって2つの意見が対立した。他方で、1950年代から追求されてきたスポーツの自由と自治をさらに徹底して求める議論があり、この議論が運動部活動の社会体育化を後押しした。それによると、クラブとはそもそも私事的な集団であり、自由と自治がもっとも尊重されねばならなかったが、学校教育の中で行う限り、そうした自由と自治が制限される。それゆえ、さまざまな束縛から解放された自由のある社会体育が、スポーツを行う場所としてふさわしいとされた。スポーツの自由と自治を徹底しようとする立場から見れば、文部省、学校、教師はスポーツを教育手段とする点でその価値を減じる仮想敵であった。日本陸上競技連盟の大島鎌吉は、対外試合を制限する文部省通達が、「スポーツの本質的性向で最も価値のあるところ」を「最小限に封じ込もうとしている」と批判し、今後は「拘束の垣根を思い切ってぶちこわし、生徒たちを競技団体の手に委ね、自由と開放の中で」育てるべきだと論じた。体育社会学者の竹之下休蔵は、スポーツが学校と教師の指導下にある限り、その自由と自治が制限されるのであり、それらの価値を十全に発揮するためには運動部活動を社会体育化しなければならないと論じた。ただし、運動部活動が空間的に地域社会へ移行すれば十分なのではなく、その質も変わらねばならなかった。すなわち、体育学者の前川峯雄によれば、そのスポーツ集団が一切の所属や身分に関係なく、ただスポーツを愛好するという理由のみで構成されるスポーツクラブとして生まれ変わらねばならなかった。そうして初めて、教育のためのスポーツではなく、真に自由と自治を備えたスポーツのためのスポーツが実現される、と考えられたのである。こうした議論が、運動部活動の社会体育化を目指した政策と実践を後押しした。
 
【総評】
1970年代の議論では、教師の負担や保障が問題となり、その解決が、スポーツの自由と自治を求める流れと歩調を合わせながら、社会体育化の方向で模索されたことがわかった。ここで、現在の地域移行に似た、運動部活動を地域社会へ移行する社会体育化が出てきたことを知ったのは驚きだった。また、教師の問題は「1970年代から存在していたのにもかかわらず、完全な解決ができていないのは何が原因となっているのか」と考えた。


研究書評 Vol.31 (2024/07/11)


中澤篤史「学校運動部活動の戦後史(下) ―議論の変遷および実態・政策・議論の関係―」
(議論の変遷「1980年代」部分)
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【内容総括・選択理由】
 今回は以前から読んでいた中澤氏の学校運動部活動の戦後史の(下)を調べた。本稿では以下のことを主にまとめられている。
運動部活動の価値づけ方や問題点の論じ方は多様であり、時代とともに変化してきた背景や、それぞれの議論は、いくつかのまとまりを形成しながら、互いに親和的な関係を築くこともあれば、対抗的な関係を築くことがある。これらの議論のまとまりと関係に留意しながら議論の変遷について「終戦直後~1950年代」「1960年代」「1970年代」「1980年代」「1990年代~2000年代」に分けて、その特徴を記述している。
今回は「1980年代」をまとめた。
 
【内容】
 1980年代の議論の特徴は、運動部活動を生徒の非行防止手段として扱うことの是非が論争され、その一方で、台頭しつつあった生涯スポーツ論との関連が論じられ始めた点にある。
 1970年代に模索された運動部活動の社会体育化は、結局のところ失敗に終わった。ただし、運動部活動を学校が引き受けることになった結果を肯定的に評価する議論もあった。たとえば、社会体育化が推進されていた熊本県では、社会体育化したクラブで指導が過熱し学業が疎かになるなど、指導者の教育的配慮の無さが問題視されていた。そのため、「やはり、子どもたちの活動は先生がやるのがいい」と運動部活動を再評価する声も上がり、運動部活動には教育的効果があると見直された。運動部活動の見直しが始まった1980年代は、同時に生徒の非行が大きな問題となった時代でもあった。教育社会学者の藤田英典(1991)が指摘しているように、学校教育の整備・拡充が極点に達した1970年代半ばから、校内暴力事件が多発し、1980年代の学校は生徒の非行問題への対処が迫られた。運動部活動の見直しと再評価は、この生徒の非行問題から、非行防止の手段として運動部活動が学校に必要であるとする主張へつながっていった。たとえば、中学校教師の林正義(1980)は「部活動こそ非行化の歯止め」というタイトルの記事を執筆し、生徒が非行に走るだけの時間を与えないように、一年間を通して部活動を夜遅くまで行うことが大切である、と論じた。また『学校体育』1981年8月号では、「非行防止と体育・スポーツ」という特集が組まれた。その総論として、教育心理学者の鈴木清(1981b)は、スポーツには、非行の発生源となるストレスを解消する予防的な面と、非行少年を更生させる治療的な面がある、と述べた。それに続いた実践報告では、中学校教師の登坂晴世(1981)が「非行ゼロの学校をめざして」として、部活動への参加させることが非行を防止する上で効果的であったと報告し、教育委員会指導主事の茨田勇(1981)が「非行生徒を変えたもの」として、運動部活動に加入したことで更正した非行少年を報告した。運動部活動が実際に非行を防止する効果を有しているかは定かではないが、運動部活動を非行防止手段に位置づける議論は、1980年代に急速に増えた。それに伴って学校や教師は運動部活動へのかかわりをこれまで以上に大きくし、この時期に運動部活動の規模はかつてない程に拡大した。そうした運動部活動の拡大を裏書きするように、過剰な活動に伴う生徒の怪我や学業との両立、顧問教師の負担などを問題視する議論が一気に膨れあがってきた。
 このように非行防止の手段として運動部活動を位置づけたことで、学校と教師はそれにかかわり、生徒自身の意思とは別に、生徒に運動部活動の加入を推奨し、あるいは強制した。こうした実態は、生徒の自主性や自発性を抑圧する管理主義として批判された。
 運動部活動を生徒の非行防止手段として扱うことの是非の論争は、いわば学校教育内での運動部活動の位置づけをめぐる論争であった。他方で、学校教育の外側から運動部活動の位置づけに影響を与える議論が台頭し、それが生涯スポーツ論であった。生涯スポーツ論とは、一生涯を通じてスポーツに親しむことに価値を置く理念であり、その実現を目指す運動である。この生涯スポーツは、時間的には就学期間に限らず一生涯にまで拡張したものであり、空間的には学校体育と社会体育という区分を統合したもので、生涯スポーツが盛んに叫ばれた1980年代は、「いつでも、どこでもスポーツができる」ことが目指され始めた時代だといえる。これは学校教育の枠を超えたスポーツ振興を目指す点で、1950年代から地続きのスポーツの自由と自治を求めた議論の延長線上にあるといえる。運動部活動のあり方も、この生涯スポーツとの関連で再考されねばならないとされ、論点としてスポーツの継続があがり、多くの生徒が参加し続けられるために、運動部活動はどのように変わらなければならないかが問われるようになり、1990年代以降にそれが議論されることになる。
 
【総評】
生徒の非行防止の手段として運動部活動を位置づけていたのが興味深かった。しかし、これは生徒の自主性や自発性を抑圧する管理主義として批判されたこともわかった。私個人の意見としては非行防止の手段として運動部活動を行うのは直接的な解決にはならないのかなと思った。1980年代の章は現在の運動部活動の問題に関連した内容があまりなかったが引き続き運動部活動の変遷について調べていきたい。
また、自身の卒論、研究計画書提出にむけて、「運動部活動やスポーツ機会に対して詳しくなること」、「研究に独自性を持たせること」、「研究の方法論を知ること」が必要だと感じた。




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