shell
核戦争はもう流行らないのか。
それが流行る近未来。
金持ちはみんな核シェルターを作り、立て篭っていた。
核シェルターの周りには機関銃が外向きに配備され、そのさらに外側には無数の地雷がしかけられている。
言うまでもなく、「敵」から身を、シェルターを守り切り、核戦争で生き延び、そして新たな世界で子孫を残すためだ。
彼らにとって、冷凍睡眠だとか遺伝子バンクなどは、リアルではない。
生き血が通い、矛盾しているようだが、死を短かに感じているからこそ、生の実感を得られるものだ。
ある家族が、核シェルターにいる。
息子が、「敵」と戦うための銃の手入れをしている父に尋ねる。
「いつまでテキと戦わないといけないの?」
「戦争が起きるまでさ」
「戦争が起きたらテキと戦わなくてよくなるの?」
「戦争でみんな死んじゃうからね」
戦争を知らない息子は納得する。
と、父親の銃が弾を発射する。
誤って弾倉に弾を込めたまま引金をひいてしまったのか、引金はひかなかったが、銃の故障で暴発してしまったのか、それは分からないが、いずれにせよ、そうして発射された弾が核爆発にも耐えるシェルターの内壁に跳弾し、息子の脳天にめり込んだことに、間も無く彼は気付き、悲鳴を上げる。
シェルターにいたのは彼の家族だけではなかった。
彼の妻だけなら、彼が故意に息子を殺したのではないと信じたかもしれない。しかし、そこにいた「仲間」は、「敵がいるのは外だけではなかった」と判断した。
父親は、シェルターを追われることになった。
さて、父親はただの男になり、その男は外の世界で何を見たか。
そこには懐かしい風景が広がっていた。
核シェルターの周りの廃墟地区を除けば、金を持つかつての指導者達がいなくなった世界は、同じ形を保って、そこにあった。同じく、かつてあった平和とともに。
彼は自分が自由になったことを知った。
食料に制限もあり、青空も見えない、緑の草原も青い海もそこから吹く風を受けることもできない、火薬と鉄板とコンクリートと焦げ臭い血と肉の匂いの立ち篭める、ただ、家族との未来へのささやかな希望だけがあったシェルターに残った妻のことを、まず考えると、やっと自分が失ったものに気付けた。
俺の息子は、シェルターの中で死んだ。俺の銃で。
俺は今、ここにいる。いつ核戦争が起きて死ぬかも分からないシェルターの外で。
彼は武器を取り、「敵」と「仲間」が戦う戦場へ帰っていった。まだ手にしていない自由を求めて。
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