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魂の殆ど全てを浄化、千秋楽

今日の自分の演技は、昨日とは全く違うもので、「生きて」いた。そして、演出の手を離れるとともに、思考停止した箇所もあり、そして敗けた。

俳優として1つ殻を破った気がする。
そして、演出家としても多くの事を学べた。

打ち上げにて。

言いたいことを全て言った。
ロジカル派の僕は、フィーリング派の今回の演出家に、演技の方法論を持つべきだと言った。
それはフィーリング派の彼への僻みや、あるいは今回の稽古場で抱いていた不満から来るものではない。

演劇作品は、馬鹿みたいに稽古を重ね、同じシーン、同じセリフを何度も繰り返し(うんざりするほど!)、そして舞台に上がり観客が観れば、そこで1度「完成」を迎えてしまう。
この瞬間、あるいはカーテンコールで拍手を受けて、魂は浄化される。
実験は必ず失敗し、次の成功に向けて、次の開演時間がきて、千秋楽を終えても僕達の探究心は尽きることが無く、作品は永遠に生き続けられる。

今回加わった団体に足りてないものを与えるのが客演の僕の仕事だと思ったし、そして僕が持ってないものをもらうことも許されていると思った。

この経験を大事にしたい。

CTTは「訓練」の場だ。
いつもの「実験」の成果を明確にしてくれて、次の成功への達成度は何倍にも高まる。

これから、2ヶ月後の本公演に向けて「実験」の日々が始まる。
そしてこの本公演を「中間発表」にしたい。
この1年何をしてきたのか、自分の目で確かめ、観客の目で評価を受けるのだ。

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