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世の中に大人と認めれた日

1月12日。午後12時35分。北海道札幌市某所。
綺麗に着飾った振袖姿の女性。久しぶりの友との再会に嬉しさの混ざった声もあちこちから聞こえてくる。
今日は成人式。札幌市の若者が集い、世の中に大人として認めれる日だ。
天気も今日という日を祝うかのように雲一つ無い晴天で、雪に日光が反射して街全体が輝いている。

成人式は、私が想像しているよりも楽しかった。
ヴァイオリンとドラムの演奏から幕を開け、お言葉を聞き、何校かのサプライズメッセージを聞いてYOSAKOIを見て抽選会をして幕を閉じました。
楽器の演奏はとても迫力があり、心が躍り今後の人生への期待を高まらせた。
地域ごとの中学校の紹介をすると、卒業中学校が出る度に卒業生が拍手をするムードが生まれ、サプライズ動画には私の卒業校も入っており驚きと嬉しさに包まれたのを覚えている。
YOSAKOIは、演舞と笑顔が会場に集まっている新成人を励ましているように見えた。私もその演舞に励まされ笑顔になっていた人の1人だ。
抽選会は、豪華景品が沢山あり歓声が沸いていた。

成人式と言えば同窓会。
時を遡って前日18:30。札幌某所にあるイタリアンバー。
そこに私もいた。綺麗に盛り付けられた料理と様々な種類のお酒が卓上に並んでいる。2時間続いた同窓会の中でハッキリ感じた事がある。
私と皆との価値観・考え方は異なりすぎている。
食事の仕方、人との接し方、どこを見ても少し自分と周りとの間に違和感を感じてしまう自分がいた。
価値観や考え方は、その人が人生をどう生きてきたか・どのような人と出会ったのかによって変わってくる。
だから、私は【もし~だったら】とか【〇〇について】のような相手の考え方や相手が持っているモノサシの長さや大きさを知れる話が好きだ。
あの日、久しぶりに集まった友達の話を聞いている時、興味が湧いて来なかった。関心が無かった訳では無い。その話に自分が感じられる面白さを見つけられなかった。感じられなかった。

私の価値観も大きく変化したのかもしれない。
私は大学1年の冬から関わる人の層がガラッと変わりました。
夢を追いかけている人・夢を全力で応援する人・どん底の経験をエネルギーに変えている人・自分の人生を全開で生きる為に生きている人など、周りには私を刺激してくれる人しかいなかった。常に自分の哲学を更新するだけでなく、新しい価値観の視野を身に付けたり哲学を増やしている人もいて進化の速度に私は正直、付いて行けていない。

そんな人達から、刺激を貰いながら生きてきて早1年2ヶ月。
私の価値観も、ものすごい勢いで変化したのかもしれない。皆との間で一番感じた違いは、私には明確な自分の柱がある事だった。その柱の周りに肉付けされた考えは柱が変わらない限り、一貫しつつも更新する。
昨年から、実年齢に見られる事がほとんど無くなった事や「大人っぽい・落ち着いている」など言われる事が増えたのも、これが影響しているのかもしれない。恐らく、今後は中学時代の人達と関わる事は無いだろう。

まだまだ、私は未熟な20代前半だ。
子供っぽい所もあるし、分からない事も山ほどある。
選択を迫られる事もあるだろうし、その選択を間違える事もある。
沢山の人に出会い、沢山の価値観や考え方に触れ、心を揺らすだろう。
「世の中」ではなく「自分」で大人を認められる日が来る事を願って、瞼を閉じる事にする。


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