進み続ける限り⑫
「努力に勝る力なし!」
この言葉にこれまでどれだけ支えられ、そしてこの言葉のお陰でどれだけ色々なことを実現できたかわからない。
ただ、逆にこの言葉に追い込まれることもしばしばあるのである。
人の精神は肉体を超える。
「火事場のクソ力」はその代表的な例である。
しかし、何故火事場で無いとその力が出せないのかというと、肉体がもたないからだ。
限界を超えた力を出し続ければ、肉体はいずれその負荷に耐えられなくなり、壊れてしまう。
そうならないために、肉体は常に全力を出せないようリミッターがかかっているのだが、火事場では持たないだ壊れるだ言っていられないので肉体の限界ギリギリの力が出せるのである。
ここで、「努力に勝る力なし!」である。
私が常に使い続けている「努力に勝る力なし!」という言葉は、火事場には遠く及ばないまでも、肉体のリミッターをほんの、ほんの少しだけ外すことができるきっかけになっているような気がする。
もちろん、“気がする”だけであり、もはや“気のせい”かも知れない。
だが、その“気持ち”程度ではあるかも知れないが、間違いなくこの言葉により頑張れる自分がいるのである。
それが良いと思っていた。
それで良いと思っていた。
でも、どうやらそれによる悪い面もあることが最近になって解ってきたのである。
「頑張れる」とは、「無理をする」こと。
「無理」とは、「肉体」の借金である。
よって、それはほんの少しずつでも、ため続ければいつか莫大な負債として襲いかかってくるのである。
私は一度、試合中に首から下のすべての感覚を失うという状態を経験しているが、今にして思えば技のダメージだけでなく、そのような無理から生まれた負債も関係していたと考えている。
よって、それ以来、なるべく負債をためないように気をつけている。
酒を止めたのも、負債をためないためというのが一つの理由である。
睡眠時間もできるかぎり6時間は確保するようにしている。
だがしかし、
「努力に勝る力なし!」
この言葉を止めない限り、根本的な解決はできないのである。
やっぱりどこかで無理を続けてしまうのである。
そして、今がまさにそんな時かも知れない。
疲労が溜まっている。
パフォーマンスが下がっている。
免疫機能も低下してきてしまっている。
身体の至るところに不調が出てきている。
それがはっきりと自覚できる状態となっている。
わかっちゃいる。
わかっちゃいるけど、やめられない。
また動けなくなるとどれくらい周りに迷惑をかけるかは理解しているのでもうそこまで追い込むことは流石にない思うが、それでもまた近いところまでは追い込んで…否、追い込まれてしまいそうである。
呪。
夢枕獏先生の代表作である「陰陽師」によく“呪”という言葉が出てくるが、きっとそれに近いものなのだと思う。
さて、これからどうなることやら。
取り敢えず、今日から4日間が大きな山場だと思うので、そこをまずは何としても越えていきたい。
努力に勝る力なし!
それでは、ここからはまた約一ヶ月前の出来事を振り返っていくので、よろしければお付き合いいただきたい。
ここから先は
¥ 100
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?