明徳義塾・馬淵史郎監督(侍ジャパンU-18代表監督)が語るーー「令和の高校野球」への対応法ーー世代別代表を戦う【馬淵野球】とは
大学代表との壮行試合を終え、第31回 WBSC U-18ベースボールワールドカップが8月31日に開幕します。春のWBC優勝、大谷翔平(エンゼルス)の大活躍、慶應義塾高の107年ぶりの優勝で幕を閉じた夏の甲子園に続く形で注目されます。この大会を指揮するのは馬淵史郎監督(明徳義塾高)。並み居るドラフト候補スラッガーがメンバーから外れ、「バントができる選手を20人選びました」とリップサービスで答えるような人選となった侍ジャパンU-18代表。ある意味、〈色〉が強く出ましたが、いまの「馬淵野球」とはなにか? 少し前に語ってもらった代表の人選方法についてなど、今大会を見るに参考になるだろう『別冊野球太郎2020春』に掲載したインタビュー記事を転載します。
(取材・文=寺下友徳)
完全秘密裏に進んだ「代表監督就任劇」
「?!!!!」
2月19日夕方前、私の頭脳は一瞬にしてこんな感じになった。視線の前にあるスマホにはこんな文字が躍っている。
「侍ジャパンU-18代表新監督に名将・馬淵史郎監督が就任」
「どうせ『甲子園! 名将・馬淵語録』(東京ニュース通信社)を書いているお前は事前に知っていたんだろ?」とんでもない。寝耳に水である。なぜなら、馬淵監督とは侍ジャパンU-18代表の結果を踏まえ、昨年秋にもこんな会話があったからだ。
私「こうなったらもう、馬淵ジャパンしかないじゃないですか?」
馬淵監督「絶対ないわ! だって俺は謹慎を食らっているからな」
そうなのだ。実は馬淵監督は部内不祥事に伴い2005年8月から1年間の謹慎処分を受けている。長期謹慎処分者を代表監督としないこれまでの不文律の原則に倣えば「馬淵ジャパンは望んでも絶対にありえない」が正解のはずだった。
それでも「ありえない」ことはいま、現実となっている。私は普段は滅多に使わない馬淵監督の携帯電話番号を押した。
私「代表監督就任おめでとうございます。しかし、びっくりしましたよ」
馬淵監督「おう。実は昨年の時点で決まっとったんだけどな。正式発表になるまではよう言わんかったんよ」
後日、馬淵監督の甥である松山聖陵・中本恭平副部長に聴いたところ「正月の時点で侍ジャパンU-18代表監督就任は決まっていた」とのこと。
しかしながら、このサプライズ人事は馬淵監督が近親者を除き一切漏らさず、かつ周囲に一切漏れなかった。SNS全盛。先日の「センバツ中止」ですら記者会見の30分前に報道されることからもわかるように「正式発表はもはや添え物」である現世においてはこれも奇跡に近いといってよいだろう。
ともかくもサイは振られた。では、馬淵監督は代表で、いったいどんな戦いをしようとしているのか? そして代表監督になったからこそ、春から「球数制限」や「申告敬遠」が導入される大会においての戦い方にも変化が生ずるはず。その答えは高知県須崎市浦ノ内にきっと、あるはずだ……。
練習から見える「令和高校野球」への対応
「近寄るなよ!! コメントは練習の後や」
3月2日・事前に取材許可を得てから訪れた明徳義塾野球道場。マスク着用でやってきた私を見た馬淵監督は眼光鋭く想定内の牽制球を放ってきた。
当然の対応だ。新型コロナウイルスの影響により明徳義塾自体も3月1日に開催予定だった卒業式は中止。取材日から春休みを繰り上げて休校とし、運動部を含む寮生は野球部と帰国差し止めとなった中国などからの留学生を除き全員が帰宅。加えて帰宅中の生徒全員には毎日の体温報告を義務付けるなど細部にわたり校内感染を防ぐ対策を敷いていた。
「校外に出ないことで安心できる」明徳義塾にとって、すなわちこの非常事態下の取材者は歓迎されない客人ということである。
もちろん当方もその点は重々承知。まずは選手・スタッフからは常に2メートル以上の距離を置き、練習を拝見することにした。すると練習から基本を重視する明徳義塾にあっても、微妙な変化があることに気付いた。
この日の練習は前夜降った雨の影響で午前中は個別トレーニングからスタート。グラウンド整備後に始まった二遊間ノックの遊撃手に米崎薫暉とともに入ったのは合田涼真。新チ-ム立ち上げ当初は一塁手、昨秋は三塁手を務めていた合田は、伊予三島シニア時代から慣れ親しんだ遊撃手で軽快な動きを見せる。これならば内野3ポジションを務めることができそうだ。
グラウンド状態も回復しシートノックへ。ここで馬淵監督はエース・新地智也に声をかけた。
「今日はライトに入れ。ただ、返球はせんでええからな」
ここで私はある会話を思い出した。それは以前「1週間500球以内」が正式決定される前に馬淵監督と球数制限について話をした時のことである。そこではこんなことを言っていた。
「たとえば1回戦とかは新地を先発させても、点差がある程度ついた状態で勝っていたら、試合の途中で新地を一塁手に入れる場合はある。これならもし点差を詰められても新地を投手に戻せばいい。リスクはあるけど、球数制限に対応するためにはこういうこともしていかないといかん」
その流れに沿って考えると新地のシートノックでの右翼手起用はその発展形。返球させないことでケガのリスクを排除しつつ、彼の外野手適性を探ろうというのであろう。
このように「令和の高校野球」への対応策がすでに練られている明徳義塾。その傾向は午後からの紅白戦でさらにくっきりと現れた。
前日登板の新地はこの日の登板はなく、Aチームの先発は2年生左腕の代木大和。そして遊撃手には合田、三塁手には竹下慶、右翼手には加藤愛己がスタメンに名を連ねることに。センバツ半月前にしてさらに選手層をあげようとする意図がそこに感じられた。
そして紅白戦を終え、フリーバッティングに入ってからしばらくすると、いよいよ馬淵監督に話を聴く機会が訪れた。
「昨日も同じような取材があったけどな。じゃあ、とっとといこか」
名将も人の子。紅白戦で代木が好投し2本塁打も放ったとあって、朝の時点よりは明らかに表情も柔らかだ。これならば令和の高校野球戦術に加え、侍ジャパンU-18代表・戦略概論も聞けそうである……。
「考えることが増えた」令和の高校野球
「そりゃあんた、ピッチャーの投球数は3試合で500球くらい。だから1回戦突破しか考えてないチームは1週間500球以下だろうが、300球以下だろうが関係ない。出たとこ勝負。どこも条件は同じだからね。
逆に2つ以上勝って上に行きたいチームだったら、当然2番手投手、3番手投手の準備をする。うちらも当然やっている。
だから、いままではベンチ入りメンバーにピッチャーは2人でよかったけど、そんなことはもうありえないよね。やっぱり3人、ないしは4人。その中で野手がピッチャーとして抑えに入ってくれれば助かるし、当然ウチも考えている」
案の定。1週間500球以内の指針が導入された球数制限の話から「馬淵節」は全開スロットルだった。ということは逆に言えば、野手も複数ポジションができた方が投手を途中で野手に入れる場合もスムーズにできるということになるが?
「そういうこと。それはウチだけでなしにヨソも考えていることでしょ? たとえば、5点差がついた時は満塁ホームランで4点取られても、まだ1点がある。となれば後々のことを考えればそうなるよね」
たしかにここまでは誰もが考えてもおかしくない。ただここからは長年、勝負の世界に生きる男ならではの理論であった。
「それと1回戦。明らかに6分4分で勝てる可能性がある時は勝負をかけて2番手を先発させる場合もある。これはどこの監督も考えるでしょう」
「いや馬淵監督、そこまで視野が達していないことが多々あるんですよね。実は」という返事は心の中にしまい、質問を続ける。
「ということは『試合を読む力』がますます大事になるということですよね?」
その時、将のトレードマークである眼鏡の奥が光った。ように見えた。
「だからそこが問われるんよね。監督としては。『ここを勝負』とするか。ないしは『勝負はまだ先にある』として、苦戦するかもしれないけれども別の策を打つか。そこは監督同士の駆け引きにもなってくるわな。
それと日程的なことを考えれば天気予報もきちんと見ておかないといけない。雨が降ったら球数制限のくくりが消えることもありえる。ないしは1日3試合のうち、2試合目までやって中止になったことによるラッキーな部分も出てくるわけよ」
球数制限だけでなく選手のコンデション、日程、天気など、あらゆる条件を想定し、そのすべてに対応できる準備を整える。私は10年以上取材をさせて頂いて「変わることを恐れないこと」が馬淵史郎監督の真の凄さの要因だと思っているが、そこにも確固たる根拠があることを、この言葉たちからあらためて思い知らされた。
「いままで以上に情報や状態を把握しなくてはいけない? そういうことです。これまで以上に考えることが多くなってきた。出たとこ勝負でエースで4連投、5連投は考えられんのだから。継投のポイント、ピッチャーの起用法など、余計に監督の手腕が問われる。勝ち進んだ時にどうにか対応できる能力を付けないといかん。
だから、紅白戦でも新地を投げさせない試合も作る。だいぶ代木もカッコになってきたで。変化球が入りだしたから、もう少し球威がつけば1回戦は持つかもわからん。
それと野手がピッチャーをやる条件はまず中学時代にピッチャーを経験していること。いくら肩が強いといっても、短いイニングを投げさせるんだったらまずコントロールと、試合を作れないと話にならんからね。度胸もないとイカン。いきなり『お前行け』と言われてビビるようではダメ。ウチで言えば、新地が投げていて、ある程度点差がついた時点で残り2イニングを投げられる投手がいいね。
過去で言えば1998年の寺本四郎(元ロッテ)から高橋一正(元ヤクルト)につなぐパターンや、2002年に夏甲子園で優勝した時の田辺佑介(元トヨタ自動車)から鶴川将吾(元パナソニック)の時のような感じやな。ウチは甲子園で勝ち上がっている時はみんな複数投手でいっとる。もし、市川(悠太/現ヤクルト)で勝ち上がったら、規定に引っかかっていただろうね(苦笑)。
実は今回も練習試合で野手をピッチャーにさせるパターンも試そうとしてたんやけどなあ。候補としてはおるんよ」
次に聞きたいことを、すべて先回りして言ってしまうあたりは流石。ちなみに野手兼投手を務める予定だった選手は……ここは夏のお楽しみということにしておこう。
名将ならではの「馬淵ジャパン選手選考法」
他に「球数のカウントに入らないので状況次第で使う」申告敬遠や「投手のことを考えると『甲子園のベンチ入りも地方大会と同じで20名にした方がいい』といろいろな監督から話が出ている。俺なら2人増えたら投手と代打を入れる」と情報アンテナを張りつつ、時代に即した準備を怠らない馬淵監督。加えて侍ジャパンU-18代表監督として直面する指名打者や7イニングス制に対しても、同様の制度を導入した紅白戦を行うなど采配テストを積んでいる。さらに馬淵監督は指名打者制と投手負担軽減との関連性にも言及した。
「DH制は投手の負担を軽減する意味でも有効だと思う。だから春はDH制。夏はいままで通り。過酷さを考えたら逆に夏DH制を導入する手もあると思う。ただ、高校野球にはバッティングのええピッチャーもおると思うので、その場合はソフトボールのDP制(打撃専門プレーヤー)のように、セカンドにDHを置くような形を採ってもありかな、と俺は思っているんやけど」
さらに言えば馬淵監督は2002年に日本高校選抜チームを率いて敵地に赴いた日米高校野球親善大会のみならず、社会人・阿部企業(現在は廃部)の監督時代に指名打者制はもちろん、「ずいぶん前の話やけど、牽制やストライクゾーンの国際基準はかなり日本と違った」国際試合も1982年に蚕室野球場開場記念で行われた野球大会を皮切りに、オランダなどで経験がある。なお当時は社会人も金属バットを使用していた時代だ。
「まだ選手も選んでいないのに、どんな戦い方をするかはわからん」と最初は代表監督の話には消極的な馬淵監督だったが、指名打者制を手掛かりにしてみると「馬淵ジャパン」青写真の一端にも言及を始める。
「アジア大会が18人で世界大会が20人。その中で1人がDH専門というのは厳しい。どこかを守れるようにはしてくれないと。ダブルヘッダーや雨で3時間待って20時からの試合開始はあるだろうし、しかも球数制限もある。となるとピッチャーは6人か7人は入れないといけないわけやから。それと相手の野球も含めて研究してみないといけないね」
となれば気になるのは選手選考基準。「日本らしい細かい野球ができる選手。外国(のチーム)ができない、投手を中心にしっかり守る野球をしていく」を基本線にしながら特に投手は「昨年の星稜・奥川(恭伸/現ヤクルト)はやはり相当疲れていたらしいし。今年は特に甲子園の日程が遅いのに、甲子園で優勝争いまで勝ち進んで、肩がパンパンに張ったピッチャーが1週間後に果たして投げられるのか」という部分も考慮に入れ、広く選考が行われることになりそうだ。
ただ、馬淵監督自身は自分の試合以外の大会を視察に行くことは「ない」と断言する。なぜなのか?
「だって、その地域の監督に聞いた方が絶対に試合の数を見ているわけやから。それと選手の性格はそういったところで聞かないとわからないからな」
とはいえこのご時世。数カ月後がどうなるかは誰もわからない。最後に付け加えておけば「逆もまた真なり」は。馬淵史郎監督が好んで使うことわざの1つである……。
注:馬淵監督会話部分の語句引用は監督の雰囲気をより味わって頂くため、できる限りそのままの表現を使用しています。
(取材・文=寺下友徳)
『別冊野球太郎2020春』で初出掲載した記事です。