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【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】打撃で、走塁で、「まさか」こんなに輝くとは……。山形から夢を拓いた中野拓夢はドラフト前はどんな選手だった?

WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。
大いに盛り上がり、触発されて野球熱が再加熱したことでしょうか。これから球場観戦したり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。

今回は中野拓夢(阪神)をご紹介。日大山形高時代は奥村展征(ヤクルト/1学年上)と二遊間(中野は二塁手)を組み、東北福祉大時代は元山飛優(ヤクルト/2学年下)と二遊間(中野は二塁手)を組み、三菱自動車岡崎で高3~大3まで主に務めた遊撃手に戻ってプレーし、プロ入り。
社会人まではプロ注目までならず、指名自体も6位だったものの、1年目から阪神でレギュラーとなり、侍ジャパンでは骨折で一時離脱した源田壮亮を埋める以上の活躍を見せました。
アマ時代のプレーを見ていた側からすると、申し訳ないですが、「まさかまさか」の連続。どうして「まさか」なのか?
『別冊野球太郎ドラフト答え合わせ1998-2022〈増補改訂・完全保存版〉』で掲載した2つのコラムから、その紹介やプロでの変貌ぶり、変貌できた背景を引用してお伝えます。
(取材・文=尾関雄一郎、高橋昌江)

1・社会人時代を振り返る(文=尾関雄一郎)

守備固めのはずが……
 大卒の社会人野手の場合、プレースタイルは既に完成されている。よくも悪くも、プロ入り後の姿はイメージしやすい。しかし当初、守備固めからのスタートと踏んでいた中野拓夢(三菱自動車岡崎→阪神6位)、源田壮亮(トヨタ自動車→西武3位)がいきなり1年目からレギュラーの座につき大活躍。これには本当に驚いた。
 筆者が特に驚いたのは、両者のプロ1年目の盗塁数だ。中野はアマ時代、それほど足が売りではなかったが、30個を成功させ盗塁王に輝いた。37個でリーグ2位だった源田は、アマ時代の取材で「真っすぐに走れないので盗塁は苦手」とこぼしていた。さらに二人とも、1年目から打率2割7分を打つとは思わなかった。
 ともにプロの環境で輝いた。中野の場合、キーワードは「対応力」だ。アマ時代、三菱自動車岡崎の野波尚伸監督(当時)に中野のよさを聞くと「対応力がある」と即答された。プロではこの対応力が生きた。盗塁でも打撃でも、プロの場合はスコアラーが分析した相手データが豊富にある。データを頭に入れた上で対応力を発揮すれば、自在に打てるし走れる。中野にはアマよりもプロで輝く要素があった。源田もプロの環境や指導のもと、元々の俊足や素質を存分に発揮。社会人時代に弱点だった打撃は、春季キャンプで指導を受け、見事に再構築された。
 社会人の野手でも、プロの世界のノウハウによって、これほどプレーの質が高まるとは……。

2・高校、大学時代を振り返る(文=高橋昌江)

 中野拓夢(阪神)は日大山形高、東北福祉大と見てきたが、守備力を生かして「社会人で長く活躍するタイプ」に映っていた。それが、三菱自動車岡崎を経て、いまやプロのレギュラー。大学までは特段、「走るキャラ」ではなかっただけに盗塁数には特に驚いている。

2つの記事とも『別冊野球太郎ドラフト答え合わせ1998-2022〈増補改訂・完全保存版〉』で初出掲載したコラムからの引用です。