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【WBC・侍ジャパンメンバーのあの頃】ダルビッシュに絶賛された甲子園から3年。宮城大弥は緩急自在でなんでもできる「神様仏様宮城様」に!
WBCことワールド・ベースボール・クラシックで日本一に輝いた侍ジャパン。触発されて野球熱が再加熱した方もいたことでしょう。
これから侍ジャパンの選手を試合で見たり、一球速報を追ったりする際に、アマ時代など選手のバックボーンを知っていると、よりおもしろく、より選手に愛着を持てるはず!
ということで、そんな選手の背景がわかる『野球太郎』の過去記事を公開します。
今回は宮城大弥(オリックス)です。U-15、U-18で代表入り、甲子園にも2度出場、そしてドラフト1位。2年目に13勝、3年目に日本一で4年目のシーズン前に世界一。トントン拍子で栄光をつかんでいるように見える宮城大弥。プロでの成功につながるまで、どのように育ってきたか? かわいい後輩的エピソード、投げることが好きすぎる内面など、『野球太郎No.033 2019ドラフト総決算号』で記事化したアマ時代の宮城投手をご覧ください!
(取材・文=加来慶祐)
※所属チームなどは当時のそのままです
興南サウスポー伝説を継ぐ驚異の奪三振率投手
「日本一を狙えると思った」
2010年に史上6校目の甲子園春夏連覇を達成した興南高校の立役者といえば、春夏の全11試合に先発した島袋洋奨(元ソフトバンク)である。横浜高時代の松坂大輔(前中日)に並ぶ甲子園通算11勝を挙げたこの〝琉球トルネード〞以降、興南高には左腕の系譜が脈々と息づいている。2015年には変則インステップの比屋根雅也(立教大3年)を擁して夏8強へと返り咲き、2017年からは侍ジャパンU-15代表左腕だった宮城大弥によって夏の沖縄を2連覇。この宮城の出現によって、ここ10年間ほど沖縄を席巻し続けた〝興南サウスポー伝説〞は、一つの完成形を迎えたといっていい。
2010年の偉業を成し遂げ、宮城の3年間を見守った我喜屋優監督は、本心を包み隠すことなく言い切った。
「宮城の出現で『再び日本一を狙える』と思ったのは事実ですね。特に彼が3年となったシーズンは〝それ〞が実現してもおかしくはなかった。春先のオープン戦とはいえ、全国トップクラスの明徳義塾高や大阪桐蔭高を抑えて勝っている。それは自信になったし、春の九州大会では、前年秋の九州大会で負けた筑陽学園高へのリベンジを成し遂げた。その筑陽学園高は秋に九州で優勝して、明治神宮大会でベスト4に進んでいるわけだから、十分に全国上位で戦えたはずです」
しかし、最上級生となった2年秋以降は〝あと1勝〞の壁に阻まれ続けた。秋はセンバツ当確まであと1勝と迫った九州大会の準々決勝で筑陽学園高にタイブレークで敗れ(0対1)、3年春の九州大会は決勝で西日本短大付高に1対5と力負け。3年夏の沖縄大会決勝は229球の力投の末に7対8で沖縄尚学高に敗れた。2年秋、3年夏はいずれも延長13回に力尽きた。宮城が最後の夏を振り返る。
「ハッキリ言って自分の力不足です。夏の決勝は明らかに内角を狙われていたので、2回からは外角に決め球を持っていったのですが、初回の4失点が大きかったです。ああいう点の取られ方をしたことがあまりないので、正直〝ヤバい〞と思いました。3年連続での甲子園がかかっていたので、皆、プレッシャーを感じていたし、自分も空回りしてしまいました。3年間やってきた結果、甲子園でどれだけ通用するかを確かめたかったのですが……」
ダル絶賛のドクターK
高校時代の最速は、149キロまで到達した。試合後に取り囲む記者に対しては「球速はあまり意識していない」と語っていたが、実際のところは侍ジャパンU-15代表でチームメイトだった同じ左腕の及川雅貴(横浜高→阪神3位)の最速153キロを意識しながら「及川との3~5キロ差をいかに埋めていくか」を練習へのモチベーションとしていた。
宮城の武器といえば奪三振率の高さだ。昨秋の九州大会では初戦が9回14奪三振、筑陽学園高戦が12回で13奪三振、今春の九州大会では初戦が9回10奪三振、秋のリベンジ戦となった筑陽学園高戦が4回8奪三振、準決勝が4回9奪三振、決勝が9回14奪三振。夏の沖縄大会も登板した6試合で投球回を上回る三振を奪い、準々決勝以降は圧巻の14、14、15奪三振を記録。通算では46回で61個の三振を奪った。
「全球種とも精度は上がってきましたが、変化球はまだまだ見極められます。右バッターへのチェンジアップ、インスラ、左バッターへのスライダーで思うように空振りがとれないんです。カーブももう少しファウルを打たせて、楽な投球に持ち込みたいです」
こう語る宮城だが「どの口が言っているんだ」と言いたくなるほど、全球種は最終学年になってキレが増した。特に春の九州大会ではスライダーとチェンジアップのキレが度を超えていた。これに圧倒的な腕の振りの強さが加わり、相手を牛耳るマウンド上の宮城の姿は、甲子園で1試合22奪三振を記録した桐光学園高時代の松井裕樹(楽天)を見ているかのようだった。
かのダルビッシュ有(カブス)がツイッターで「興南の宮城投手、俺あんなピッチャーになりたかった」「投げ方、球筋、総合的に好きすぎる」と絶賛したが、ダルビッシュは球筋だけでなく宮城の代名詞である〝インステップ〞に好意を抱いている点も興味深い。
2人の左腕
沖縄に甲子園春夏連覇という最高の歓喜をもたらした島袋と、友利結(デニー友利/元横浜ほか)以来となる興南高史上2人目のドラ1投手・宮城。この2人の左腕を育てた我喜屋監督に、あらためて両者を比較してもらった。
「入学当時を比べると、実績ではU-15代表を経験している宮城に分があります。だけど、硬球を投げてきた宮城に対して、島袋は軟式上がりだった分、まだ消耗していなかった。宮城はできあがっているように見えるけど、まだまだ18歳の未完成のピッチャー。体の柔軟性も十分ではありません。冬にストレッチを続けたことで、全力投球できるようになってきたけど、ちょっと油断すると壊れるという怖さは、常にありましたよ」
意外なことに、宮城は肩周辺が特に硬いのだという。現在も暇を見つけては可動域を広げるためのストレッチを欠かさない。また、ランメニューにも苦しんできた。本人が「ジョグ程度ならいいけど、ポール間とかタイム走は苦手」と言うように投げること以外の練習は好まない。投手陣を引き連れて外野ポール間を走る時には、本数を誤魔化すこともあった。本人は「絶対にバレていない」と言い張ったが、さすがに我喜屋監督は「そんなことは百もお見通し」と笑う。我喜屋監督は最初から宮城がごまかしても足りるだけの本数を指示していたのだ。「もうやめておけ」と言うまで走り続けた島袋と「走るよりもブルペンだ」という宮城。両者の性格は両極端で面白い。
「島袋は常時140キロも出ていなかったけど、内角の制球力がよかったから勝てた。島袋も夏の甲子園の準決勝(報徳学園高戦)で0対5という、今夏の沖縄大会決勝の宮城と似た状況に立たされたけど、すぐに変化球主体に切り替えてしっかりと立ち直り、試合の流れを引き寄せた。宮城は初回の4失点後もストレートで押して追加点を許した。状況の変化に対応するピッチングは島袋の方が上でしたね。
また、島袋は細い体だったけど、筋力は宮城よりも強くて柔らかい。ジャンプ力やバランス感覚も上だったから、ケガも少なかった。オーバーハンドから投げることで、身長を180センチぐらいに見せる技も持っていました。もう一人の左腕の比屋根は変則な投げ方で相手を幻惑していたので、まったく違うタイプでしたね」
あれから9年。いまなお興南高のグラウンドに漂う島袋洋奨の幻影。しかし、宮城大弥はそんなことに気がつくはずもなく、マイペースに成長を遂げたのだった。
プラスになった国際経験
プロで投げることになれば、甲子園で鳴らした猛者や、未知の外国人スラッガーとの初顔合わせも多く実現する。本人はその点、特に不安を感じていないという。U-15とU-18という2度の国際大会を経験していることが、大きな自信につながっているからだ。
「U-15の時は準優勝だったので、今年のU-18(WBSC U-18ベースボールワールドカップ)では世界一になりたかった。結果的には5位でしたが、この経験は必ず今後に生きてくる。この経験を無駄にするつもりはありません」
宮城の言うように、代表ユニフォームを着ていなければ経験できないことがたくさんあった。この大会ではストライクゾーンが思ったより狭く、逆球というだけでほぼストライクをとってもらえなかった。また、さすがに各国を代表する打者だけあって、フルスイングをかけながらもボールの見極めがしっかりできており、低めや外角の難しい球でも長いリーチを生かして逆方向に持っていかれた。
「プロで対戦するバッターはレベルが高い人たちばかりなので、この大会で日本にはいないバッターと対戦できたことは大きなプラスになりました。また、外国人の強打者を相手にカーブでストライクがとれたことは自信になりました。あともう1種類増やすことができれば。フォークやスプリットなどの落ちる球も欲しいですね」
世界の舞台で投球の幅をアップする必要性を実感した。プロ入り直前に、宮城はとてつもない大きな教材を手にしたのだった。
嬉々として
興南高の選手には珍しく、下級生の頃から「プロ一本」と公言してはばからなかった宮城。オリックスから1位指名を受けた直後には「憧れの山本昌さん(元中日)のように息の長い投手になりたい」と語っている。高校時代は先発、抑えとあらゆる立場で投げてきた。奪三振型のパワー左腕だけに使い勝手もよく、早い段階からチャンスを与えられても不思議ではない。ましてや山本由伸に代表されるように、近年のオリックスは高卒ルーキーをプロ1年目から積極的に起用し、早々にチームの中心選手へと押し上げていく傾向にある。
高校3年になってからの宮城は、先発登板時よりも途中登板でこそ本来のパフォーマンスを発揮していた感がある。また、途中登板であっても肩の出来上がりが異様に早いため、初球からとんでもないストレートを叩き込んでいた。
もちろん〝温まり〞の早さには理由がある。宮城はイニングの合間に外野同士で行なうキャッチボールも、しっかりとした投球フォームでこなしていた。ブルペンで30球ほど投げ、たとえイニング間に5、6球であっても入念にキャッチボールを行なえば、常に立ち投げと同等の準備をしていることになる。もちろん打順が回ってこない時もブルペンで投げていた。
「外野から常に〝OKサイン〞を送ってきていた。とにかく投げたがる子だから『待て』とストップをかけておいて、いざ『さぁ行け』と〝GO〞を出すと嬉々としてマウンドへ駆けあがる。そんな気持ちを持ち続けていればいい」
こう語る我喜屋監督にとっても、初のドラ1選手の輩出だ。島袋が競技者としての幕を引いた秋。〝興南の左〞の系譜を継ぐ宮城が、喜び勇んでマウンドへと駆ける。
【ライターズメモ】
外野にいる宮城はいつも浮かない表情を浮かべていた。「外野はベンチから遠いし、走ることが多い。だいたいバッターランナーとして走ることすらイヤなので」と言うだけあって、守備中も「早く代えてくれ」という雰囲気を隠そうとしなかった。ベンチに向かってOKサインを送り、嬉しそうにリリーフのマウンドへと駆け出していく姿が忘れられない。
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宮城 大弥(みやぎ・ひろや)
身長172cm/体重80kg/左投左打
2001年8月25日生まれ/沖縄県宜野湾市出身/投手
中学 宜野湾ポニーズ
高校 興南高
★ターニングポイント・興南高★
2年秋の九州大会。勝てばセンバツがほぼ決まる準々決勝で筑陽学園高と対戦した宮城大弥は、延長12回まで13奪三振、被安打5で無失点もタイブレークの末に敗退。宮城が「あの負けがあったから、いまがある」と語る一戦だった。
★こんな選手★
最速149キロのストレートとキレキレのスライダー、チェンジアップで打者を圧倒する奪三振型左腕。投球内容は常にアグレッシブだ。遊び球不要の3球勝負で空振りをとりにいくシーンも多い。リリーフ適性も非常に高い投手だ。
★プロでこんな選手に★
無双の左腕クローザー
先発左腕としての期待は大きい。しかし、高校時代にリリーフで登板し“狙って奪う”、“少ない球数で取る”三振ショーを何度も繰り広げてきた。クローザーとして、オリックスの先発・山本由伸との球界屈指のリレーも見てみたい。
★ここを売り込め!★
群を抜く奪三振力
なんといっても奪三振力だ。打者の左右に関係なく狙って空振りを奪える。高校時代は常に投球回を上回るペースで量産してきたが、レベルが上のプロの打者にも臆せず、春先から三振狙いの投球を続ければ必ず目に留まる。
(取材・文=加来慶祐)
『野球太郎No.033 2019ドラフト総決算号』で初出掲載した記事です。