自己紹介:生い立ち・仕事・病歴
初めまして、ゴミを収集する筋肉と申します。
趣味は筋トレ。現在は家から近所の商業施設内で、ゴミ処理関連の仕事に携わる傍ら、副業を始めるアラフォー独身男性です。
昨年、躁状態というものを人生で初めて経験し、精神科にて双極性障害の診断を受けました。
現在病状は安定し、生活環境も整い、発症前から目標としていた独立自営に向けて、再度トライするにあたり、noteに歩みを残したく、書き始めました。
noteを書くにあたり、そんな私の自己紹介をさせて頂ければと思います。
私の生い立ち
生まれは東京。2歳まで豊洲で過ごしていたようですが、全く記憶にございません。3人兄弟の真ん中で、上に姉、下に弟がいます。
その後、千葉県某ベッドタウンに引っ越し、大学卒業時までいることになります。
小学校低学年までは楽しく過ごしていました。近所の友人達と元気に遊び回っていた記憶があります。ちなみこの時代にできた友人達とは今でもたまに会う飲み仲間です。
小学校高学年になるにつれ、徐々に挫折を経験。私の住んでいた地域はスポーツと言えばサッカーしかなかったので、何となくサッカークラブに入りましたが、全く活躍できませんでした。
身体を動かす事は好きなのですが、球技は苦手で、人と争う感じも、今思えば好きでは無かったのだと思います。惨めな思いを残し、辞める事になりました。
そして中学受験で挫折。受験が盛んな地域だった私の家庭は、兄弟・友人を含め、当然の如く中学受験をしました。私は偏差値55みたいな感じでしたが、何故か早稲田への憧れがありました。
しかし落ち着きがなく、じっとしていられない性分で勉強に集中できません。
結果、偏差値が高い学校ばかり受けましたが、全部落ちてしまいます。
なので中学は地元の公立校に進学。かなりネガティブな気持ちになってました。暗い雰囲気がシンクロしたのかエヴァンゲリオンにハマってました。芥川とか太宰とか読んだり。屈折してたなあ。
趣味は基本読書。椎名誠、野田知佑、村上春樹、村上龍、その他色々、本は良く読んでました。伊集院光の深夜の馬鹿力が救いでした。ガリガリでクソダサい牛乳瓶厚底メガネ中学生。
高校受験もそれなりに頑張ったのですが、やっぱり早稲田には遠く届かず、高校は神宮球場の隣にある私立高校に進学。
陰キャとして過ごした中学生から、高校生デビューしよとするも、色々とやらかしデビュー失敗。結果友人は1人もできず、もちろん彼女もできず。鬱々とした日々を過ごす。
ひたすら本がお友達でした。今思っても、もったいない高校生時代を過ごしたと思います。
そして大学受験。人生で3回目の受験。正直もう疲れてました。自分には早稲田は無理だと分かり、明治、法政に狙いを定めましたが、それも叶わず。
結果、なんとか合格した日本大学法学部に進学しました。
今思えば高校も大学も、両親が必死で稼いでくれたお金で行かせて貰った私立学校。自分の志望校には届かなかったけれども、もっと感謝して学校に通い、明るく学校生活を楽しめば良かったと思います。ですがそれをせず、ひたすらに暗くネガティブに生きる事を選択し続ける学生生活でした。
1年目が大宮からさらにバスで20分というキャンパスに嫌気がさし、ほとんど出席せず。実家で半ニートの様な1年を過ごしました。当然友人もいなく、単位も全然もとれませんでした(15単位!)。
ちなみに高校3年生の末から、大学卒業時まで飲食店でのアルバイトを経験。学校では全く灰色の生活ですが、バイト先では唯一青春エピソードを色々経験させて貰えました。
2年目から水道橋キャンパスになり、単位獲得の為大学には行くものの、常に一人で過ごす。当時、便所飯なんて言葉が流行りましたが、気持ちは分からなくねえっす。
4年生の春から就職活動が始まる。自分なりなんとか活動し、受かった一番大きな会社に入社を決めました。
そしてなんとか無事卒業します。
私の職歴
某証券会社の営業職に就職。
愛媛県松山支店に配属になり、証券営業マンとして3年程在籍するも、何もできず鬱っぽくなり退職。ただ四国は好きになりました。
退社後、旅という名の現実逃避、バックパッカーもどきを1年ほど経験。
最後は海外でお金を無くし、あえなく実家に帰還。近所のラーメン屋でフリーターとして働き始めます。
ラーメン屋で1年程働いたところで、親戚が起業した、ネットのアパレル販売の会社を、親を通して入社を打診されます。入社を決意し親戚である社長の片腕に成るべく入社しましたが、全くもって仕事ができず。
ガッツもセンスもありませんでした。当時は駒沢にあった事務所の近くにアパートを借り、2年程在籍しましたが、最終的に社長と口論となり退社。
そして30歳の年で再びの就職活動。これが最後の転職だと思い、ご縁があった地元のゴミ収集会社に就業。再び千葉の実家に舞い戻ます。
就職したゴミ収集会社の、今までにないホワイトな環境に感動し、どっしりと腰を据える。
結局そこに7年程在籍し、その間に地元の消防団に入りそこで色々と経験したり、また実家を出て1人暮らしを初めたり、筋トレを初め鬱っぽい症状が改善されたり、本業の傍ら何種類かの副業をしたり、キャンプ、サーフィンなどを趣味としたり、20代の陰鬱な日々から、徐々に幸せな日々を過ごす様になります。
私の病歴
順調に見えたゴミ収集員ライフでしたが、2023年2月上旬に、風邪をきっかけに精神のバランスを崩します。風邪引き身体が治った後、異常な強迫観念に襲われます。その頃は本業、副業、趣味、プライベートととにかく毎日予定を詰め込んでました。それが知らなうちに何かを狂わせていたのかもしれません。
自分でも抑えられない自殺衝動に襲われます。24時間、副交感神経が張り詰め、全く寝れない日が続きました。長時間横になり続けることもできず、とても苦しかったです。
そして4日目位にさすがもうこの夜は超えられないと思い、酒を大量に飲酒を決意。ぶっ倒れても大丈夫な様準備し、映画「トレインスポッティング」をかけながら、一気に大量飲酒しそのまま倒れました。
数時間後目を覚ましました。そしたら驚く事に、今まで感じてた恐怖が全く消失していました。少し前まで本当に死のうか迷う程、自分でも抑えきれない自滅衝動に襲われていた症状が、大量飲酒によりその時は無くなってしまったのです。
そしてそう分かったら、そこから今度は躁状態のスイッチが入ってしまいました。
躁状態とは
壮大なアイデア
非現実的な高い自尊心
睡眠の必要性の減少
より高速な思考と活動
性的欲求
過剰支出
リスクテイクなどの快楽の追求の強化
異常に高いエネルギーや活動の期間を経験する
(ウィキペディアより引用)
とありますが全て当てはまります。具体的には書ききれませが、支離滅裂な行動を非常に短期間の間に行いました。
2月中旬に躁状態が始まり、1週間の長年働いた職場を辞めるとつげ、全くあてもない奈良に移住すると決断。
3月中旬まで様々な躁エピソードを作りながら過ごします。
最後には無理やり部屋の荷物を処分し、軽自動車にキャンプ道具、サーフボード、飼い猫を詰めて出発します。
その後の奈良での滞在記はこちらをご覧下さい。
※現在作成中です。
そして昨年9月、奈良の精神科に受診し、双極性障害の診断が下されます。炭酸リチウム、安定剤、睡眠導入剤を処方されます。(現在も家から近くの病院に通院中。)
色々すったもんだがありましたが、結果として今年の1月に再度実家に帰る事になります。
実家に戻り、現在のゴミ関連会社に就職します。
帰ってからも、就職してから色々と大変ではありましが、やはり慣れた地元であること加え、経験のあるゴミ関連の仕事だからかなのか、順調に職場にも溶け込め、本来の自分の調子に戻ることができました。
そして2024年9月、2年後の独立自営を目指し副業開始します。
最後に
こんな私ですが家族の支えもあって、今は副業に再挑戦し、独立自営という向かってひた走るまで元気になりました。
色々と苦しんだ時も長く過ごしましたが、両親、友人、そしてゴミ収集という仕事、そして全ての出会った人々には感謝しかございません。
長い文章でしたが、最後まで読んで頂きありがとうございます!!
イイねやコメントなど頂けるととても嬉しいです!!
ありがとうございました!!