魚座 「存在のゆるし」から始まる
アロマトリートメントをしている時、何度となく「ゆるされている」という言葉を想います。
いつのまにか、「ゆるされてるんだよ」と一筋に語りかけている。
ゆるされている。
ゆるし。
漢字を当てようとしたら何種類かあって、
許し、赦し、聴し…
どれかなと辞書で調べたけど、どれもなんだか違う気がする。
直感的に「赦し」だろうと思っていたのだけど、
赦しに充てられていた意味を読んでいたら、「赦し」の字は、キリスト教における罪の赦しと関係が深いようで、
「赦し」とセットで「罪」がある。
人の罪、神が赦す、赦されざる…など。
「罪」という言葉が強すぎて、
心がギュッとなる感じがしました。
トリートメントで感じる「ゆるし」との違和感が大きすぎて、
どの漢字も充てられなかった。
それにしても、
罪…なんて厳しい世界なんだろう。
罪のない人はいないという眼差しから始める優しい教えなのかもしれないけれど、
決して立派ではないなりに一生懸命生きていることに「罪」という文字を見せられると、本当に悲しくなってしまう。
と強く反応するあたり、
常にごめんなさい、ごめんなさいと、罪の意識を感じながら生きているのだろう。と逆に気がつきました。
お願いだからこの私の行いのいろいろを罪とは言わないでほしい。と。
きっと背中でバンバン放ちながら生きてるのかもしれない。
そしてそれは誰もがみんなそうなのかも。
以前、コミュニケーションの本を読んだ時に、
コミュニケーション不全、
人の話が聞けない、というのは、
自分が正しくて、ちゃんと社会の役に立てている良い人間であるということで塗り固めておくことだけでいっぱいいっぱいの時、
人の話を聞いても内側に聞き入れるなんて、(そこにヒビを入れるようで)とんでもなくて、
いかに自分はちゃんと大丈夫かのアピールでしか返せない。
それはつまり聞いていないのと同じ。
というような文章に深く頷いたのだけど、
それはつまり、自分が密かに知っている、自分は弱く無力で間違いだらけの「罪人」であることを絶対に知られたくないという緊張感で、お互いに接しあっているのだとも言えると思うのです。
トリートメントで身体に触れると、
表面近くの硬さというのは、究極のところ、ゆるされていないというところからきているのだと思うのです。
一生懸命生きてきた。
なぜ一生懸命気を張って、体を張り詰めて生きていたかといえば、
力を抜いたそのままの私では保てないと思っているからで、
それはつまり、
頑張って自分を作り続けていることで私がある、という感じ。
ありのままの私では存在することは「ゆるされていない」と思っているから。
でも、本当は「ゆるされている」のです。
だって命が授けられているのだもの。
この身体でこの世界で生きなさいと生まれ落ちさせてもらえているのだもの。
その「ゆるし」は、罪とセットっぽい「赦し」ではない。
罪ではないよ!罪では決してない!
そんな怖い言葉を言わないで!と私は思ってしまう。
そして、逆の立場で、傷ついたことや傷つけた人、過去を赦す、許す、というのも、そんな理想のように、思うようにはできない。
トリートメントで思う「ゆるし」はそんな難しい
「罪の赦し」ではなく、
「存在のゆるし」
何をしたか、どういう人間か、ではなく、生き物としての存在そのもののゆるし。
植物は、存在をゆるされていないなんて全く考えていないと思う。
芽吹いたところで生きられるだけ生きるだけ。
遠慮するなんてあるかしら。
草を刈っても刈っても盛大に生えてくる。
ここに存在することはゆるさない、なんて草刈りしながら思うのは人間で、
動物は食べることはあれど、草にあなたはゆるされないなんて憤ったりしない。
存在がゆるされないなんてないのだと思う。
だって変だもの。そんなの。
トリートメントで触れると、その方ただ一つの命のぬくもりに感動します。
そして、同時に、なんて力入れて頑張ってるんだろうと、そのギャップにも驚きます。
そうすると、
「あなたはゆるされてるんだから、大丈夫よ」
この言葉が出て来ずにはいられない。
まずはそこから。
力抜いたって、世界はあなたをメッタ打ちにしに来るわけじゃないよ。
優しく迎え入れてくれてるのを感じるはずだよ。
そう思います。
今魚座には、長らくいる海王星に加え、昨年から土星、そして先日より金星と火星が入っています。
魚座と反対側の乙女座のとのラインは、そこのラインのような感じがします。
弱さ、至らなさを身のうちに抱え持って、
少しでも良き自分に磨き上げようとするのが乙女座で、
反対の魚座はゆるしへと向かう。
魚座は宗教とも関係が深いサインですが、
どうしようもない弱さ、それがあったとしても(というかみんなある)、どういう人間であっても存在していいことを知る。
また、役に立たないことはダメなこと、または社会にはないことにされて進んでいく世の中に、そこの場所からその存在を叫び続ける。
そんな感じがします。
私自身のことを言うと、
出生ホロスコープの金星が魚座にあり、
金星期(15〜25歳頃)は、父が亡くなって母子家庭になったこと、
上京して、夢はあれどお金はないアーティストでフリーターの仲間たちとワイワイやっていたり、
在宅、訪問入浴、心療内科のナースを通して、寝たきりであったり、家から出られない、働けない、社会からこぼれ落ちているとも言えるたくさんの方達を見て、
とそんな時期でした。
みんなみんなゆるされている。
ということを、トリートメントを通して感じ合ってゆきたい。
「赦し」の辞書の意味に心がギュッとした私は、
むしろむしろ、「ダメな自分は赦されないだろう」という自己意識をたくさんたくさん持ってるんだなと気づきました。
魚座にお星がたくさんいる今、
「ゆるされている」を進んでゆきたいですね。
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