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個展:nothings / 中間レポート

intro

ぴーしょー!
約束の場末 オーナーのポポ・アルージォです。
亜熱帯オキナワは、梅雨というより雨季といった様子で激しい雨に見舞われています。
とりわけ激しく降った日は、県内の各地で道路が冠水し、車が立ち往生したり暗渠から水が噴き上げたりしていました。
準廃墟もまた、雨に打たれつつ湿度を帯びつつの中、なんとか6/15(土)からの個展「nothings by. SUPER SHY BOYS」の開催をスタートしました。
会期は、6/15(土)〜6/16(日)、それから平日は閉めて6/22(土)〜6/24(月)となっており、この原稿を書いているのは6/17(月)なので、会期前半を終えたところです。
二日間の会期前半でぽつりぽつりと撮った手元の写真を並べつつ、徒然なるままの中間レポートをゆるり書いておきますので、既にご来墟いただいた皆さまも、それから後半にご来墟を予定している方々も、はたまたそれぞれぞのご事情で今回の会期に来られない方も、一緒に僕のプチ振り返りにお付き合いいただけると幸いです。

DAY.00:搬入(2024.6/14 fri)

搬入・設置を進めるSUPER SHY BOYS

6/14(金)、搬入の日。
サラリーマン稼業を終え妻と合流し娘を迎える。平日のルーティンはいつも通りに進み、夕飯を早々に終えて準廃墟に向かう。22時、亜熱帯の梅雨をくぐり抜けながら約束の場末に着く。街場の廃墟は静かに佇み、今夜運び入れられる予定の作品たちを待っていた。
先に着いた僕も同じで、SUPER SHY BOYSの到着を待つよりほかに特段やれることがない。通りに降りしきる雨音を聞くでもなく、ぼんやりとタバコに火をつける。夜が更ける。ふと、「これもこれで、nothingsな状態だな」とか思って独りニヤける。
しばらくして、SUPER SHY BOYSが到着した。まず、運び込まれたのは大判の布地であった。不意に広げると、それらは一気に作品として約束の場末を彩る。慣れた様子で、一枚、また一枚とまるで予定されていたような手際でSUPER SHY BOYSの表現が準廃墟を埋め尽くした。否、覆い尽くした。と言う方が実際に近い。
夜半まで続いた搬入が終わり、ひと息ついて準廃墟の鍵を下ろす。百軒通りの静寂さと激しい雨の間を縫うようにして、僕らはnothingsに向かって帰路についた。

DAY.01(2024.6/15 sat)

オープン間際、楽しい兆しバリバリな一角

会期初日の6/15(土)は、昼からのオープンに向けて慌しかった。
起き抜けの寝ぼけた身体を引きづりながら、休日出勤の妻を職場に送り届け、午前中は娘のスイミングへ。娘が泳いでいる勇姿を傍目に、僕はスマホと向き合いながら会期スタートに向けてSNSへのポストをしたためていた。雨間なのか昨日までの豪雨は止み、少し真夏めいた蒸し暑さの車内でひとり、いよいよ始まるSUPER SHY BOYSの個展のことを思い浮かべていた。
じっとり汗ばむ。気温と湿度と一緒に高揚感が上がっていく。一服つけて、娘の終わりに合わせてお迎えを済ませて約束の場末へ向かう。
13時のオープン30分前に到着し、真っ先にエアコンをつけ、灯りをつけ、紙袋にスタンプを押す僕の横で、プール上がりの娘はイスとテーブルを拭いてくれていた。まだ幼さの残る彼女が、嫌な顔せず、それどころかむしろ意気揚々と手伝ってくれているのが嬉しく、頼もしい。
諸々の準備を終え、I HOPE SO(北谷町)でゲットしたフレグランスを焚く。立て看板を軒先に出し、扉を開け放ち、nothingsの初日が始まった。

作品を眺めるSHY氏とご来墟者さん

例によって、SUPER SHY BOYS(以下、SHY氏)は「ゆるやかな人」である。こう見えても僕は普段、定量分析だとか予測可能性だとかエビデンスだとか塗れながらサラリーマンをしている。正直それらの「カタさ」は10年来の社会人経験を以てしても、僕には馴染んでいない。「組織で働くとは、そう言うことだ。」と折り合いをつける器用さもついぞ持てないまま、「苦手なことに身を置くこと」として釈迦が大昔に手放した“苦行”を未だに実践している。ほとほと、この我が身の至らなさ、つまりは「わかっているのに辞められない歯痒さ」を感じながら生きている。
そんな最中、SHY氏が示してくれるその「ゆるやかさ」はある種の自己回復をもたらしてくれる。ゆるやかさ(や、それに類する諸概念)は、時に虚無めく罠を孕んでいる。ところが、SHY氏のそれにはそんなネガティヴィティが見当たらない。人となり然り、それからもちろん彼の作品表現然り、そのゆるやかさや曖昧さは虚無に至らない。僕なりにその理由を考える。彼のゆるやかさを「矜持」が貫いているからだろうと思っている。それは、言い換えれば「純たるクリエイティヴィティ」のようなもの。売れ線だとか、アカデミズムだとか、権威だとか規範だとか、とにかくそう言った「先に用意された基準」を、彼は表現の場にあまり持ち込まないように見える。代わりに、手ぶらに見えるそのアティチュードに付帯しているのは、モチーフへの愛やストロークの心地よさ、版面の成立性といった表現そのものの純度を上げるための取り組みである。
ややこしい文体に勢い付いてしまったが、要はこの「純たるクリエイティヴィティ」と対面すると自ずとこちらも「ゆるやかさ」を取り戻す。今回の個展“nothings”においても、ごくごく自然にそんな場面が初日から見受けられた。赤いイスにゆったりと腰掛けながら、自分のペースで360度をぐるりと見渡す人。作品との距離を引いたり寄ったりしながら、反芻するように見つめる人。それからSHY氏と語り合う人。時間はゆっくりとゆっくりと流れていた。タイパやら効率やらの慌ただしさばかりが幅を利かす時代に、せっかく準廃墟に赴く時間をとってくれたのだから、来墟された方々にはゆっくり過ごしてもらいたいと願う僕の気持ちなど表出すまでもなく、皆さまそれぞれに「ゆるやかさ」を楽しんでもらえたと思う。

スクィージーに記された「NO CONTROL」が象徴的
深く腰掛けつつの談笑、まさに「ゆるやか」

DAY.02(2024.6/16 sun)

2日目、6/16(日)は妻と娘を自宅に残し約束の場末へ。スマホでバスの到着時刻を確認しながらバス停へ向かう。家族の時間に後ろ髪を引かれつつ、すぐに来たバスに揺られながら準廃墟に向かう。最寄りは、諸見。
コンビニで煙草とコーヒーを調達し、昨夜までのゆるやかさの余韻が残る空間にひとり入る。
つい数時間ぶりでしかないのに、ほのかな懐かしささえ感じる。きっとSHY氏の作品がもたらしてくれる自己回復と準廃墟の持つ前時代的なムードが相まって、そう感じさせてくれるのだろう。と、同時に初日の夜に閉めた時とは異なる点にも気がつく。作品や展示物が少し増えている。それだけじゃない、作品そのものに手が加えられている。おそらく昨日の会期中にSHY氏が施したのであろうペイントの痕跡に、心地よいサプライズを味わされつつ、オープンの準備を進める。
よく見ると一角には立って使うアイロン台のようなものと、シルクスクリーン用の資材も設置されている。そうか、今日からは展示に加えてライブプリンティングも行うことになっていた。今朝にでも前入りして運び込んだんだろう。SHY氏のゆるやかさの傍にある矜持をまたしても感じながら、準廃墟の扉を開くとほとんど同時にSHY氏が約束の場末に到着した。イタズラ心を忍ばせた笑顔で「一番乗り?」と聞くもんだから、僕もつられてニヤける。交わされた微かな笑顔もまた、荒い網目にはキャッチされないnothigsの一つかも知れない。
幸いなことに、シルクスクリーンの目は細かい。ささやかなフリをしながら、2日目が始まった。

小窓に添えたシルクスクリーンの版を眺め合う

2日目も相変わらず、贅沢なほどゆったりした時間が流れる。訪れる来墟者の方々との談笑を交えつつ、気ままに不在になるSHY氏の代わりに作品や彼自身について語る場面もちらほら。知らない仲じゃないし、僕だって「ギャラリーとかなんとか」と言いつつも準廃墟で準廃墟なりの展示開催を何度かやってきた程度にはキュレーターなのだ。準廃墟系キュレーター。まぁ、呼び名はさて置き、SHY氏と話したいことも沢山あるし、SHY氏のことを沢山話したいでもある僕なので、改めて約束の場末としての役得を感じさせてもらったりしたのである。
そんなこんなで夕方に差し掛かる16時ごろからは、SHY氏も本格的に在墟しながら、セミオーダー制のライブシルクスクリーンプリント(持ち込みのTシャツなどに、その場で印刷)が始まった。作品群の合間を埋めるように積まれたシルクスクリーンの版から、ご来墟者さまが思い思いの図案を選ぶ様子は、さながらレコ屋で名盤をディグる腕利きDJのように見えて、なんだか少し面白かった。そして、選び抜かれた一枚をTシャツや柄シャツなんかにSHY氏が刷る。ベビー服を持ち込む方もいた。子供の服があっという間にサイズアウトすることを思うと、限られた時間かもしれないけど、それでも日々の場面に楽しさを乗せるようにして、小さな布地にSHY氏の図案を象ったインクが走る。

ライブシルクスクリーン by. SUPER SHY BOYS

シルクスクリーンと言えば、市販のTシャツ製造にも用いられるポピュラーな手法の一つである。製版された図案がTシャツ工場なんかで一斉に擦られていく様子をテレビやYouTubeなんかで見たことがある。現代的な、あるいは量産的な手法と言えるシルクスクリーンだが、SHY氏のそれは方法論のベースこそ同じであっても、実態はあまりにも大きく異なる。不均一にセットされるインク、奔放に見えるスクィージー捌き、印刷工程そのものがまるで遊戯の一幕かのようにのびのびと見える。これは、確かに「ライブ」だなと思う。
前にSHY氏が話していた「完成するまでが醍醐味」との言葉を思い返す。プロセスをこそ楽しむと言う彼の素直なまでの創作スタンスは、潔くまた心地よいものである。同時に、数日前にアーティストDENPA氏が言っていた「作品は見る人の存在を経て完成するのかも」のフレーズが脳裏で重なる。SHY氏、DENPA氏それぞれの言葉を借りて僕の思考は少し前進した。
「作り手が作り、受けてが受け取る」、文字にすれば当たり前のように見えてしまうが、これは結構重要な補助線かもしれない。うっかりしていると、作り手と受け手の立場は分断めく。アーティストはアーティスト、一般人は一般人。と言った具合に、僕らはついつい作り手であるアーティスト達を「向こう」に追いやってしまう。悪気があってではないものの、間にある距離を過剰なまでに大きなものとして捉えてしまう。アーティストの出番が制作プロセスで、受け手のターンでようやく完成に至るのだとすれば、あらゆる表現に僕らは介在しうる。大げさだけど、ちょっと嬉しい気持ちになる。
ターンオーバーする刹那、間をつなぐのがギャラリーの本質であるなら、約束の場末だってギャラリーだと言って良さそうな気がしてきた。少なくとも僕自身がこの準廃墟で成したいのは、まさにそうした「中つ役割」であるからだ。ここでもまた予期せず、自己回復の種を拾ってしまう僕であった。

僕のお気に入り:シルクスクリーン図案(左)と大判作品(右)

そうして、夜に差し掛かりながら徐々に2日目も終わりに近づく。駆け込んで来てくれたのは、生まれたての子を抱くご家族。曰く、「この子の初めてのアートは場末です。」とのこと。冗談抜きで恐縮です。寝起きの不機嫌のためか怪訝そうな面持ちで、準廃墟とそこに掛かるSHY氏の作品たちを眺めていたかと思うと、不意にうとうとと微睡んでいた。小さな手は力を込めてもそよ風みたいに優しく、小さな足はスリングに包まれて宙を掻いていた。君がもう少し大きくなって、今のうちの娘の頃に今日の話ができたら光栄だよ。なんて、乳飲子だった頃の娘を重ねてしまって、展示会とは全く無関係に感傷に浸ったりしてね。
だけど、襟を正す機会になった。この準廃墟を僕の自認識がどう曖昧に定義しようとも、ちゃっかりこの子とその家族にとっては、まぎれもなくここはギャラリーなのだ。うやむやにする必要もないだろう。先に名乗って、あとからあとから示していければいい。まして、そのつもりは十分にある。
なんて、SHY氏の展示会の振り返りのはずが、どうしたって約束の場末についての話が多くなってしまった。でもさ、これもまたひとつ。約束の場末らしいと言えばそうだろうなと思う。それに、nothingsと綴る言葉と、そこからのびる展示会の景色は、SUPER SHY BOYSであるし同時に約束の場末でもある。そうストレートに思えるような場面は、理想的なものだ。無理くりオチを付けるわけじゃないし、平日を挟んで会期は後半を控えている。途中の話だと思えば、この支離滅裂な文体もなんとか許容してもらえるだろう。
ここまで読んでくれた、あなたにならば尚更。
どうぞ、引き続き個展nothings by. SUPER SHY BOYSをよろしくお願いします。それから、約束の場末も。

では、残り会期に間に合いましたらぜひお会いしましょう。
ぴーしょー!

着て過ごす日々と、サイズアウト後の日々。いずれも幸あれ。

個展 nothings ※残りの会期など

“nothings” by. SUPER SHY BOYS

6/22 sat, 23 sun, 24 mon
OPEN 13:00 / CLOSE 20:00
入場:500円 ※18歳以下無料

ライブシルクスクリーン:1,500円/1 shot
展示されているTシャツ:一律3,000円/1着
その他、展示作品:ASK(お気軽に声掛けください)

会場:約束の場末
〒904-0022 沖縄県沖縄市園田3-14-35
google map https://g.co/kgs/eStkkcQ

デジタルフライヤー パート2

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