ブッダは最後にこういった。
ブッダというものはいない。
我々が普段目にし、拝むブッダとはブッダ師が創った彫刻か、ブッダレーターが創った絵である。
それは、ブッダではない。
ブッダとは、拝むヒトビトのココロにインサイドし、涅槃もそこにセイムジョインしている。
だからブッダ壇のフラワーはヒトのココロに供えている。
もし、ブッダ彫刻やブッダ絵がトゥルーブッダであるならば
何故、我々はフラワーのバックをトゥルーブッダに供えるのだ。
拝むヒトのココロにブッダがいるから
フラワーはヒトに向かってスマイルしている。
フェイクブッダにウィッシュするのではない、自分のトゥルーブッダにホープしろ。
これから始まるのはあるヒトが愚かしくも生き、もがき、フェイクブッダに祈りを捧げるも挫折し、時にフレンドやファミリーとコーポレイトしながらトゥルーブッダと共に乗り越えるヒト生。
つまり、お前の、物語だ。
【死ぬまで続け】