歴史の上に生きる僕たち。サステナブルツアーの先にある、地球にやさしい旅を目指して
「風を受け、いのちを祝う 地蔵の森」のやっくんこと福元です。
先日投稿した
の内容にフィードバックをもらいました。
関係性がすごく深い方からの指摘だったこともあり、いい意味でぐるぐる回り続ける、すごい問いを受け取りました。
正直、どストレートにフィードバックもらったので、僕としては珍しく自分の中で消化することができず、数日ボディーブローのようにじわじわと効いていました。。。苦笑
やっと消化し始めることができ、
自分の世界(想い)を表現することによって生まれる次への世界(想い)にありがたさを感じている今日この頃です。
フィードバックから大反省もありながら大きな学びもある中で、
すでに世界に放った言葉は、取り消せるものではないと思っています。
簡単に記事は編集することが可能ですが、修正ではなく、
自戒の念を込めて発信することで自分に責任を持って、GWのツアーに臨みたいなと考え、フィードバックをもらった方に了承を得て、この記事を書きたいと思います。
歴史の上にある観光、サステナブルツアーの先にあるもの
自戒の念も含めて、そのままフィードバックをいただいたメッセージを載せます。
まずは、丁寧にメッセージ送ってくださったことに本当に感謝です。
そして、僕の描いた世界に真摯に向き合ってメッセージをいただいたことに本当にありがたく思っていると同時に大きな学びを得ることができました。
まずは、文章に謙虚さが足りなかったと同時に怒りの感情や悲しさの感情を沸かせてしまったことに大反省でした。
表現に謙虚さが足りず不快な思いをさせてしまいましたが、僕個人として屋久島の旅全てが奪われていると思ってるつもりは全くありません。
むしろ、サステナブルツアーと呼ばれるような人間と自然が共生する持続可能な旅を提供しているガイドが日本一多いのが屋久島ではないかとも思っています。
そう感じているのは個人の感覚の問題で、
教育者として活動している僕は、ある意味観光に深く関わっていないからこそ出てしまった、プライドを持った方々に配慮しない無神経な言葉だったと反省しています。
観光に対してアマチュアである僕が屋久島の世界自然遺産を守ってきた歴史の上にある観光・旅をさせてもらっていることに謙虚さが足りませんでした。
世界遺産登録から30年間屋久島を守り続けた歴史ある観光・旅の上で僕は活動させてもらえるのだと改めて謙虚な気持ちを持たないといけないと自覚した時間でした。
”旅は与え合うもの。奪うものではない”
反省はしましたが、それでも自分が世界に解き放った言葉には責任を持たなければならないと感じています。
”旅は与え合うもの。奪うものではない”…。と表現した意図
それは、少なからずそういう風に感じている自分と観光に携わっていない島の人たちがいると感じています。
島出身の僕だからこそ島育ちの人たちが気さくに話してくれることがあると思っています。
島のおじーとおばーが話してくれた
「屋久島が疲れている」「屋久島を休ませてあげたい」
という言葉が僕の心の中に棘のように刺さっていました。
この旅の文章は、誰か特定の人に向けたメッセージを書いたのではなく、僕自身の中からでできた言葉を表してみたものです。
メッセージをくれた方の問いに答えるとしたら、自分自身に書いたものです。(企画として、それで良いのかというところがありますが。。。)
僕のスタンスとして、「まずはやってみて考える」を大切にしていて誰とどんな世界を作りたいかも場を通して学ぼうってところが大いにあります。
指摘のあった、ある種のマスターベーションという指摘は的を得ているかもしれません。。。
地球にやさしい旅とは
今回のコンセプトは「地球にやさしい旅」
文章がかなり俯瞰した書き方になってしまっていて、
ポジションもあやふやになっているなと反省です。
今回のことをふりかえり中でただ、
主語は屋久島でなく、地球。
地球から奪うのではなく、地球と人と分かち合える旅を屋久島から
伝えたかったんだと再認識しました。
まだまだ、学んだことは多いですが、今回は長くなりそうなのでここまで。
改めて、真摯に僕に向き合いメッセージをくれた方に感謝を伝えたいです。
ありがとうございました。
地球の宝屋久島から生命が満たされる旅を
屋久島は本当に素晴らしい島です。
屋久島は地球を感じる島。
地球の子どもたちとして僕たちは何ができるのか。
これからも人が訪れるほど屋久島が地球が喜ぶ旅を探求したいと思います。
最後に僕が大好きでこの旅の根底にある屋久島憲章を記して終わります。