屋久島憲法100周年【プレ】
「屋久島憲章」みたいに聞こえる「屋久島憲法」
「屋久島憲章」ができる86年前、1921年に農商務省鹿児島大林区によって発表された「屋久島国有林経営の大綱」のことを屋久島では「屋久島憲法」と呼んだことに由来します。内容は「屋久島憲章」とは全く異なるものです。
「憲法」は、”法”や”掟”の意味と”国の根本秩序”に関する法規範の意味の2義があり、前者は聖徳太子の「十七条憲法」がいい例ですが、今日、一般には後者の意味で用いられます。「屋久島憲法」は俗称ですので、誤解しないことが大切です。
国が作った「大綱」は 7 つの原則から成り、42,000haの国有林のうち、7,000haを委託林として各集落が薪炭材を伐採することを認め、島民を山での作業を優先的に雇用し、当時孤立していた各集落間の道路の整備と橋を「林道整備」の名目で造ることを約束しました。
いつ、誰が「屋久島憲法」と呼び始めたのか分かりませんが、第 1 次屋久島国有林施業計画の中の第一種林が学術参考保護林、天然記念物、国立公園となり、これが1993年世界自然遺産登録につながりました。屋久島の遺産登録地は島全体の約20%にあたる、10,747haです。
「委託林」は戦後「薪炭共用林」と名称が変わり、薪を取り、炭を焼いて燃料として使っていました。広葉樹がパルプ材として利用されだすと、前岳部の薪炭共用林は永田から時計回りに次々と伐採されるようになりました。
1955年代から日常生活で炭や薪を使わなくなり、プロパンガスが普及し始め、薪炭共用林の需要が急速に下がったにも関わらず、1961年、屋久島林業開発公社(1999年鹿児島県林業開発公社と屋久島林業開発公社が合併、鹿児島県森林整備公社となった)が設立され、広葉樹を伐採した跡地に杉などを植えました。その後、木材価格が低迷し、林野庁とのあいだで各共用林組合は 5年毎の契約更新をしなかた為、薪炭共用林は7,000ha から 1,200ha に減っています。
と、ここまでのことは全く知らずに10月12日に行われた「屋久島憲法100周年記念プレシンポジウム」に参加しました。
本番は11月6日・7日に行われる予定です。この日は関係者が参加してディスカッションが行われました。議題の多くは継承と後継です。また、「里巡り」の取り組みについてもお話が聞けました。
「屋久島憲法」は屋久島の”里(住人)”と”森(自然)”の関わりを方向付ける機会のひとつになりそうです。
屋久島憲法100周年記念シンポジウム
11月6日(土)13:00~17:15
11月7日(日)9:30~17:00