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#山尾三省の詩を歩く 7月


アオスジアゲハ

     アオスジアゲハの五、六羽が
     むれをなして
     水たまりのへりに止まり
     だまって水を飲んでいる
水たまりには
     空や白雲や緑陰が映り
     アオスジアゲハ達自身の姿も 映っている
 
     生死ということは こんなものかな
     こんなものでは少し物足りない気もするが
     これほど静かなのは
     わたくしなどの及ぶところではない
アオスジアゲハの五、六羽が
     水たまりのへりに止まり
     だまって 永遠の水を飲んでいる

『五月の風』(野草社)

 今年は6月27日に梅雨が明けた。過去最短の梅雨だったらしい。確かにまだまだ降ると思っていたから、少々拍子抜けの感があった。
 だが、梅雨入り発表前の5月からずっと降り続いていたから、それほど雨の季節が短かったような気はしない。
 梅雨明けと同時に、突然やってくる青い青い空と強い日射し。山々の尾根や谷の陰影がどんどん深くなっていく。
 丁度、26日は雨が結構降っていたから、27日に晴れ上がった空の下、林道を車で走るとあちこちに水たまりが残っていて、アオスジアゲハの五、六羽がそのへりで水を飲んでいた。どんなにスピードを落として走っても、すぐにアオスジアゲハはパーッと飛び散っていく。
「夏が来た」と思った。
 私が屋久島に移住した30年前は、アオスジアゲハはもっともっとたくさん、十羽二十羽とひとつの水たまりに群れていた。
 こんな美しい蝶がいるのかと不思議な青い筋模様に見とれたことを思い出す。
 いつからか、五、六羽がせいぜいになってしまった。
 生物が生きていくのに必要不可欠な水を飲むという行為。静かに水を飲むというしぐさは静かに生きるということに繋がる。アオスジアゲハの声も羽音さえも立てない生き方に三省さんはどんどん惹きつけられていく。
 三省さんの詩には時折「生死というものはこんなものでは少し物足りない気もするが」というフレーズが出てくる。三省さんにとって生きること死ぬことはもっと劇的なものであるはずだったということだろうか。60年安保闘争やカウンターカルチャーを目指していた部族の活動など、とても激しい生死の時代を経て、屋久島に移住して気付いていく静かさの中の生死の在り方。その中でぽろっとこぼれるように呟かれるこのフレーズ。静かに生きて死んでいくという方向へ転換しながら、なお劇的な生死にも心残りがあるような…読む者になにがしかの心の揺れを生じさせるフレーズだと思う。

…………
山尾 春美(やまお はるみ)

1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。