#山尾三省の詩を歩く 第15回
雨の季節が始まり、連日のざんざん降りだ。
まだ居ても立ってもいられないほどの大雨にはなっていないが、気は抜けない。
さて、この詩の「ガクアジサイ」はおそらくヤクシマコンテリギ(ヤクシマアジサイとも言う)のことだろう。
今を盛りに、白川山の林道沿いに白い花を咲かせている。
コンテリギとは紺照木なのだと知ったのは最近のこと。葉の裏側を陽にかざすと紺色に見えることから付いた名前らしい。実際、葉をかざしてみるとそう見えないこともない。
雨の日に上下の雨合羽を着て外作業をするのが好きだった三省さんは、ひどい雨になると、普段手の付かないびっしりと繁ったダチクを刈ったり、家周りの厄介な木を伐る作業をしていた。陽射しが強い日より雨の日は涼しいし、雨に濡れることを思えば合羽の中で汗だくになるのはたいして気にならなかったのかもしれない。
ざんざん降りの雨の中での作業は、「わたくし」というものが消えて「わたくし」と自然が(雨と)一体になることをより容易くしてくれるものだったのだろう。
「わたくし」はいつのまにかガクアジサイとなり、大雨を降らす灰色の雲になり、じっとりと湿った土になる。
さらには、蛙になり、沢蟹になる。
そして雨そのものとなって降り続けるのだ。
真理とは、「わたくし」と「ガクアジサイ」は別なものではないということかもしれない。
それにしても、家の傍を流れる谷川の大岩がゴトンゴトンと音を立て始め、家がその振動で揺れるような雨は降らないでほしいと願っている。
28年前は3日間大雨が降り続いた後に岩が転がる音がし出したが、18年前は2時間ほどでその音がし始めた。雨の降り方は確実に変わってきている。台風が南の海上にいる時に前線がかかると、暖かい湿った空気が流れ込んで大雨になりやすいことに気が付いたのはずいぶん前のことだが、それは台風本体より怖いと私は思っている。
そんな雨雲が次々とかかることを最近は線状降水帯として注意を呼び掛けているが、私は20年前から知っていたと思っている。
なんにしても、ガクアジサイの花を気持ちよく眺められるくらいの雨であってほしい。
…………
山尾 春美(やまお はるみ)
1956年山形県生まれ。1979年神奈川県の特別支援学校に勤務。子ども達と10年間遊ぶ。1989年山尾三省と結婚、屋久島へ移住。雨の多さに驚きつつ、自然生活を営み、3人の子どもを育てる。2000年から2016年まで屋久島の特別支援学校訪問教育を担当、同時に「屋久の子文庫」を再開し、子ども達に選りすぐりの本を手渡すことに携わる。2001年の三省の死後、エッセイや短歌などに取り組む。三省との共著に『森の時間海の時間』『屋久島だより』(無明舎出版)がある。