#山に十日 海に十日 野に十日 3月
春の縄文人
三月、タブノキの花が咲き始めると、屋久島の照葉樹林は、一斉に新芽を吹き出す。実に地味な花だけど、タブノキの花は、島に春の到来を告げる花である。
「木の芽流し」が降り注ぎ、タブノキをはじめ、クスノキやスダジイの新緑がモコモコと空へと立ち上がる光景を目の当たりにすると、心は遥かなる時空を超え、縄文時代へと飛翔する。
一万年以上も続いた照葉樹林文化。その担い手であった縄文人。凄いなぁと思う。そんなに長い間、地球環境とうまくやり取りを続けてきた文化が、かつて存在したのだ。
そりゃ、地球上に棲息する人間の数がそんなに多くはなかったのだから「持続可能なあり方が可能だったのだ」という一面も、確かにあるのかもしれない。だがそれにしても、一万年以上も続いた文化の在り方には、敬意を表さざるを得ないだろう。
屋久島で日々暮らしていると、そんな「縄文人」の末裔であることをしみじみと自覚し、体感するのが、春という季節である。
野に、山に、海に、命のエネルギーが満ちる春。
島人たちは、狩猟採集民族の血に突き動かされ、今日もアタフタと野山を駆けめぐる。
里では、ツワ(ツワブキ)やダラ、クサギなどの山菜が採ってくれと言わんばかりに萌え出ているし、海ではイソモンたちが待っている。
だが、「採集」という行為には、「ブレーキ」が付いてないと、あっという間に資源は枯渇してしまう。
縄文人やその末裔たちは、むやみやたらと採りまくってきたわけではない。ちゃんと分を弁(わきま)えていたのである。
そのことを今に伝える言葉がある。それは、
「今日はこっこさでよか」、という言い回しである。
それは「今日はこのくらいでいい」、という意味合いの箴言で、とても重要なアイデア(理念)である。
人間の欲望は果てしがない。資本主義的消費地獄は、底なし沼だ。そんな欲望を律するには、人間が自然に生かされている存在であることを心底自覚し、「これくらいでいい」という身の程を弁える理念がないと、「持続的で永続的な暮らし」なんて、とても実現できないのである。
私たちはこれまで、ひたすら便利さと、快適さと、効率を追い求めてきた。その結果、山や川や海や空を汚染し、地球や子どもたちに、とてつもない重荷を背負わせてしまった・・・。
どうすればいいのか?
取り返しがつかなくなる前に、まずは「身の程を知る」ということから、始めなければならないのかもしれない。
人間って、そんなに偉い生き物なのか?
「万物の霊長」って、思い上がりではないのか?
人工的な世界から抜け出し、大いなる自然にどっぷりと抱かれていると、自分がいかにチッポケな存在であるかということを思い知らされる。そして人間なんて、そんなにたいした生き物ではないのではないか、と思えてくる。
もちろん僕だって、そんな人間の端くれなので、人間はとても愛おしい存在だ。できるなら、地球とともに末永く存続していってほしいと思っている。
だがそのためには、人間が自然の一員としての「分」を弁え、自然に対してもっと謙虚にならなければ、もはや生き残れないだろう。さらに、よりよく生きるということにおいても、もっともっと慎み深くならなければ、未来は存在しないだろう、と思うのである。
そんなことを、心の隅っこで考えながら、僕は今日も野山をアタフタと駆け回っている。豚肉と炒めたクサギの味噌汁を思い、舌鼓を打ちながら・・・。
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長井 三郎/ながい さぶろう
1951年、屋久島宮之浦に生まれる。
サッカー大好き人間(今は無き一湊サッカースポーツ少年団コーチ。
伝説のチーム「ルート11」&「ウィルスО158」の元メンバー)。趣味は献血(400CC×77回)。特技は、何もかも中途半端(例えば職業=楽譜出版社・土方・電報配達業請負・資料館勤務・雑誌「生命の島」編集・南日本新聞記者……、と転々。フルマラソンも9回で中断。「屋久島を守る会」の総括も漂流中)。好きな食べ物は湯豆腐。至福の時は、何もしないで友と珈琲を飲んでいるひと時。かろうじて今もやっていることは、町歩き隊「ぶらぶら宮之浦」。「山ん学校21」。フォークバンド「ビッグストーン」。そして細々と民宿「晴耕雨読」経営。著書に『屋久島発、晴耕雨読』。CD「晴耕雨読」&「満開桜」。やたらと晴耕雨読が多いのは、「あるがままに」(Let It Be)が信条かも。座右の銘「犀の角の如く」。