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切迫感・不安感を抱えた1年

鍼灸国家試験に合格してから『いざ開業』
それから1年間は生きた心地がしなかった。

常に切迫感・不安感にさいなまれていた。

頑張らなければいけない と意気込んでいるのに、鍼灸院開設に向けて社内スタッフと積極的に進めているのに、セミナーも受け学習も進めているのに。言いようのない不安感がまとわりついていた。

葛藤でもなく、憤りでもない。

私の中での義務感があり3年間学生生活を送らせてもらったのだから、仕事で結果を出さなければいけないという強迫観念に支配されていた。

自分の責任放棄して、自分の権利ばかりを主張する人達が大の苦手であり、日頃からそんな人間にはなりたくないとか、小難しいことばかり考えていた私は、自分が売上という数字をつくらないと何の説得力もないんじゃない?と考えるのは当然でしょ?

ちなみに睡眠はしっかりとれていた。いわゆる不安症・うつ病という精神的な病ではなさそうだ。

なさそうなんだけど、そうかもしれない。
だから知人の医師にきいてまわり「私のこの症状大丈夫かな?」と半年以上毎日ラインして聞いていたくらいだ。

そういえば、国家試験翌日から一日も休息がとれていないことに気がついた。一日読書の日を無理やりつくってみたが、医学に関する書籍をひたすら読み、付箋をはりメモをとり、結局PC作業にうつってしまった。

神戸のカフェで一日ゆっくりしようと思い外出をしてもPCが手放せないのだ。今日も朝7時からドクターセミナーがあり、その後実習。

一緒にいるスタッフに 
●濃いモノが食べたい
●ラーメンが食べたい
●一日ゆっくりしたい
●やすみたい
●何がたべたいかわからない
●食欲がない
●一日5食食べたい
●何をどうしたらいいのかわからない
という、困惑する言葉を投げてしまっていた一年だった。

こんなややこしい私に対して、いつも諦めないでいてくれた仲間は
本当に大切で大切で大事にしたい。

上司から「休み方を知らないんじゃないのか」と言われたが、休みたくない。休むとその分だけ損をした気持ちになってしまう。
休めとかつまらない提案するな!と心の中で毒づいていた。

母親からは「貧乏暇なし!とにかく結果でるまで働こうぜい」と天真爛漫な笑顔で言われてしまう始末。

SNS広告だそうか?リ◎ルートのあの広告掲載したほうがいい?
いやいや、昔からリ◎ルートにだけは投資したくない!と頑なに拒んでいた頑固おやじのような私がいる。対価も保障されない広告投資なんかするものか。何もよりもあのしつこい営業が苦手なんだ。
「僕はこんな人間でーす」と印刷したチラシに名刺を挟んでポストに投函する神経を疑う。

つまりは心に余裕のない私だったんです。いちいち腹立つという感覚。

圧倒的な症例数で勝負することにした

そんなこんなで、心の中は荒れまくっていたのだが、施術においては冷静沈着に集中ができる私。それとコレとは別精神。

腕や技術たるもの、圧倒的な症例数によって確実に比例するはずだ。

おかげさまで紹介が紹介を呼び、更に紹介~~~と今ではご新規様のご予約が困難な状況まで達することができた。
自分ではまだまだ、まだまだこれから!もっと結果をだしていきたいと思っている。

今思う結果とは「お客様の確実な変化」を結果と考えている。
お金や予約数ではない。数値は達成している。

これからはいよいよ本題である「結果」
結果を追い求めすぎるとリスキーな施術に走ってしまうのも怖い。
怖いというか論外。

だから今もなお研修を受け試行錯誤を繰り返している。

この1年の不安感、切迫感は本当に苦しかった。
夜になるとずっとネガティブな言葉を検索していた。
追い詰められた先には、ネガティブな結末しかないんじゃないか、これから先、生きる意味があるのか?など生存の意味から仏教論本を読み漁る日々が続いていた。

インスタグラムで「本日も満席!」とか流れてくるでしょう?
くっそー!と思いながらの1年。こういう負けん気も絶対必要。

がむしゃらに丁寧に向き合う。これに徹してきた1年。

他人と比較をしたり、他人が羨ましく思えたり、自分の人生間違えているんじゃないかと迷走したり、自分が悪い、他人が悪いと他責思考が強くなったり、、、私の心の中のエゴや醜い部分を思い知らされた。

失敗と成功だけじゃなくって
失敗➡失敗➡成功➡失敗➡失敗➡成功➡成功

こんな流れでよくない?

これが経験であり自信にも繋がる。

生きる権利を与えられ、行使することがここまで難しいのかとこの1年そんな気持ちでした。

「仕事なんて向いていなければ辞めればいいじゃん」
昨今、こんな風潮になっていますよね。

でもね、向いている向いていないなんて自分でわかるものなのかな?
言語化能力に優れている人なら、きっと様々な言葉を並べ立てて
「向いている。向いていない」の結論をそれっぽく示すことはできるのでしょうね。

でもやっぱり他人様と仕事をしている以上、お客様がおられる以上
「私の数値化」をしてから「向いている、向いていない」を論評したほうがいいんじゃないかなあ(と考えている)

結論。

自分の「生きよう、がんばってみよう」を満たしてくれるのは自分自身が作り上げるしかないってことを今実感している。

きっとこの感覚、ひと様から与えられるものじゃないし、世の中そんな甘くねーわな。

対価としてお金を得られるのと同じで、タダで何とか基盤や土台を作ってくれるなんて、そんな期待をしている暇があれば働くのだ。

あと私と同じような感情に陥っている人がいれば
●Instagramamだけは見るな
と言いたい。自己嫌悪に陥るだけ。自分より確実にhappyな世界をみて
「おっしゃ!がんばるで!」なんて思えるわけがない。
一時期、病みに闇まくっていた私はブロックやミュートをしまくっていた。
今思えば申し訳ない。相手全然わるくないのにね。

●noteを活用せよ
noteの世界観が素敵。そしてnote住民はやさしいのだ。繊細さんが多いような気もする。「スキ」の一つ一つにまじでありがとうな!と心から感謝している。

●気分転換は控えよう
気分転換なんて簡単にできるわけがない。場所を変えても同じ。
おいしいであろうモノを食べても特別おいしく感じない。
「私、こんな贅沢していいんだろうか」と更に鬱ってしまう。

●知人、友人にあわないこと
だいたいhappyな話をしてくる。よかったねーと共感できない心の狭い自分がいた。この時間何になるんだろう?と自問自答してしまうくらい追い詰められていたのだ。

●家族にもあわない
家族は垣根なく、強烈な言葉をぶち込んでくる。
「あんた、それ大丈夫なん?」など。大丈夫だよ~という度に心が
ずたずたに。
実家の近所の同じ年齢の知人がベンツSクラスを購入していた。
こんなところにも敵がいるのか!という謎の戦闘心をあおる結果に。

ひとりが一番。
自分自身との闘いなんだ。

脳ハック。この本にも助けられたなあ。

苦しいこと、つらいこと、耐えきれないくらいの悲しさ
生きているといろんなことがあるけど。
今もいろいろあるけど。
荒波のような感情を抱えながら、noteのみなさんからのコメント
丁寧に綴られた活字に助られています。


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八色ひろ Hiro Yakusa
やくさひろです。 記事が広くシェアされ、手のお手入れを通して誰かの幸せに繋がることを願っています。 いただいたご支援は活動費として使用させていただきます♡