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第三回 #書き出しコロシアム FinalSet精読記事

 こんばんわ。ここのところ人の作品を読むのに注力してますが、いちおうわたしはWeb小説書きです。作家志望なんです! 信じてください!


企画概要・ルール

【企画趣旨】
書き出し祭りで結果を残した手練れ同士の、匿名ガチバトルを目指します。

また本企画では「書き出しの向こう側」をテーマとし、全参加者に2話目・3話目を書いていただきます。より連載に近い形での勝負、スキルアップの場としても活用していただければ幸いです。

(中略)

【作品規定】
基本的には書き出し祭りに準じます。
以下の点が異なります。
・文字数は0〜6000文字程度(なろうフォーマットで改行空欄を含めない文字数)。
・2話目、3話目、それ以降を想定した作品であること。

【企画概要】より

 書き出し祭りというのは、肥前文俊さんという方が運営している別の匿名競作企画です。
 ちなみにこの書き出しコロシアムは玄武総一郎さんという別の方が運営しているので全くの別物です。

【ルール】
本企画は以下の流れで進行します。
(優勝者が出るまで作者発表はお控えください)

1st set(予選)

2nd set(準決勝 & 敗者復活戦)

Final set(決勝 & 下剋上マッチ)

1st set
・予選
いつもの書き出し祭りと同じく、書き出し1話目を持ち寄り匿名で公開、得票を競います。結果発表後、上位5名に準決勝に進んでいただきます(作者名の公開は行いません)

2nd set
・準決勝
予選を勝ち抜いた5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位3名が決勝に進み、下位2名が下剋上マッチに進みます。

・敗者復活戦
予選で上位5名に入れなかった作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位2名が決勝に進み、それ以外の方が下剋上マッチに進みます。

Final set
・決勝
準決勝・敗者復活戦を勝ち抜いた作者様5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。

得票数が多かった方が優勝となります。
※ただし、下剋上マッチの結果を踏まえます。

・下剋上マッチ
惜しくも準決勝・敗者復活戦で敗れた作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。
一位通過の方の得票数が決勝戦で一位の作品の点数を超えていた場合、下剋上成功で優勝となります。
※ただし下剋上マッチのみ、投票欄に「該当作品なし」が出現します。

同上

 今回はそのFinalSet分に対する評価記事です。
 ちなみに気づいているかどうか知らないけど、作品タイトルはそのままリンクになっているから、気になったらタイトルクリックすればじかに読みにいけまっせ! よろしくです。
(※本記事では「ストーリー」、「ドラマ」などといった創作用語を独自の文脈で用いているため、不明点があった場合は前回記事より「構成力・場面づくり」の章をご確認ください)

▼前回記事(1stSet、2ndSet)


FinalSet評価軸

 FinalSetへの評価軸は下記3点によって構成します。
 そのうえ、やくもの投票基準についても独自のルールを設定します。

 決勝戦枠はFinalSet単体の評価軸の優劣のみで決めます。

 下剋上枠は総合評価点が40/50以上かつ、FinalSet単体の評価軸が10/15点以上のもので優劣を決めます。この水準に達しない場合はどんなに推し作品でも泣く泣く落とします。ほんとはみんな大好きなんだよ! 信じて!

 ということで評価軸の解説。

読後感:

 3話を含めた全体での話のまとまり、読後感を評価します。
 読後感の良し悪しについてはポジティブなものとネガティブなものの両方があって、決してポジティブだから良いとか、ネガティブだからだめというふうにはならないです。みんな胸糞映画やイヤミス、わかってても観るよね……観るよね……?

 だったら何を評価するのかって話なんですが、おおまかに言うと次の3つに集約されます。

①あらすじやこれまでのストーリーから来る期待が満たされたか(読みたいものが読めている、という感覚の有無)
②読者目線で一定の興味が持続できているか
③物語のつくりがなんらかの感情やイメージをつくれていたか

 かんたんに解説します。

①は、あまり説明の必要がないと思いますが、ここには筆者自身の誤読や妄想から来る期待とのズレもありえます。こればかりは正しく読みうることは難しいと思いますので、どうかご容赦ください。

②は、「今後何に注目して話の進展を見ていくべきか?」という話の焦点づくりができているかどうかの技術点です。これができていないと単純にヒキがあっても弱いなと思うので、その辺は各作品ごとの個別の話のなかで掘り下げます。

③は、②の延長線上にある技術点なのか作家性なのか、というところですが、例えば「今後この話を読んでいると”どういう気分”になれるのか?」といったところの筋道がイメージできたかどうかを見てます。具体的には個別の話で見ていきますが、すごく単純な話、「泣ける話」か「怒る話」か、「笑える話」か、といった感情のセットアップについての考察です。

今後へのフック:

 読後感の評価項目と若干かぶるのですが、こちらはどちらかというとヒキの強さです。もっと先が読みたい! ってなったらすなおに加点します。技術点的なものも考慮しますが、どちらかというと個人的に内容への興味がどれだけ深まっているかと、次の事件・展開への予感に対しての期待票です。

印象値:

 最後です。結構難しい話なのですが、作品を誰かにおすすめする時になんていえば伝えるかなーっていう作品全体に対する印象の評価です。

 そもそも、わたしのやっているように作品を精読する人って、自分でいうのも変ですけど、レアなんですよね。
 わたしが言っているディテールひとつ、正しく読み取るわけでもないし、むしろ誤読してまちがった印象で話を解釈することも多い。わたし自身、適当に小説読むと存在しない記述を脳内補完して別物にすることなんてザラです。みなさんもドラマ化・アニメ化した作品を先に見てから原作読むと、先に見た作品のキャストや声、動きをありきで見てしまうと思いますが、あんな感じです。結局「小説を読む」ということは、娯楽作品においては、読者の頭の中で、勝手に想像されたものの評価で良し悪しの判断を食らうので、書き方に多少の差異はあっても、読者の頭のなかを完全にコントロールするなんて無理だと思うんですよね。

 それはそれとして。

 この印象値の概念は、ひょっとすると今後自作を書くときにも、これからの創作を考えるときにも重要な内容だと思います。
 要するに、読者は作者の書いた「10分の1もちゃんと受け取ってない」ってところがこの評価軸のスタート地点だからです。

 ではこの評価軸の焦点はどこかというと、3行で要約した時のインパクトがどれくらいあるか、ってことです。3行要約の観点は独断と偏見でやります。が、そのフレーズをどう作るかについては個別の作品評でやってみますが、読者が無数の1作品に対する記憶量ってそんなもんだという前提で組むと案外おもしろいことになると思ってこの評価軸を加えました。

以下、作品への感想です。

【決勝戦】

奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜 3話

前回までの整理と印象値

 つい先週読んだばかりなのに覚えているところと覚えてないところがあります。
 まず、世界観の細かいところは覚えてません。自分自身世界観にこだわった作品を書く人間なのですが、神界っぽいものがあるなーとか魂がふたつあるんだなーとかそういうことが漠然の脳みそに残っているだけで、ぶっちゃけ設定面での理解は比較的乏しい状態です。ひどい話ですが、たぶん作者も行間で雰囲気を感じ取ってくれればいいように書いていると信じてます。

 一方主要登場人物はまあまあ覚えてます。まず、﨟󠄀たけた外見に狡知に長けているのに内面のぶっちゃけ声がやけに等身大な女性:凌華。そしてその身体のうちに宿る謎の存在:妲己。
 いっぽうでその妲己に従うが見かけは雉の喜媚(九頭雉鶏精)と、突如やってきて取引を持ちかける謎の青年:玄布。あとそのバックに居ると思しき玄天上帝。

 やけに意味深な会話が続きますが、要するに前回は玄布の側が取引を持ちかけるはずが、逆に人探しを頼まれるといった場面で終わってしまいます。そもそもこの話の核になる部分がまったく見えないというのが曲者で、この辺の人物相関図が『呪術廻戦』の主人公:虎杖と宿儺の奇妙な感じに似てます。妲己の存在はつねにワイルドカードで、プロット的には最悪どうとでも話が転がってしまう、手のうち隠しの術です。
 また、前回の評価軸として設定した、主人公を巡る人物相関図と主人公を取り巻く日常世界の広がりが、2nd時点では一切展開しなかったというのもだいぶ局地戦という感じがします。似たような理由で『保護したおじさん……』の評価は下げましたが、本作はまだ風呂敷を拡げきっていないなという嫌な感じ(※別に作品の欠陥を言ってないです)があり、しょうじきどう振り出すのか? というギャンブル的なプロット進行を感じてます。

 いちおう予想だけ言うと、中華世界観、男女バディで『賭ケグルイ』or『賭博黙示録カイジ』をやるようなめくるめく頭脳バトルもの、といったものを想定してみます。はたしてどうなるのでしょう。

本文感想

「そもそも、どうして私を探していたのよ」

 そうだよ。おれそれが第二話で知りたかったんだよ(迫真)。

 玄天上帝は玄布のことをかなりお気に召しているらしい。昔馴染みではあるが、彼は凌華のことを失せ物探しの名人か何かだと思ってる節がある。

 ん? 玄布と凌華は知り合ってはいけないのに昔馴染みなのでしょうか? ちょっとこの辺よくわからないのであとで体育館裏に集合しましょう(不穏)。

 それはさておき、この話になって急に知りたい情報がすなおな文章でスラスラ流れるように出てきました。いったいどういうことなのか。
 しかし、物語上必要な情報です。主人公の人柄や、玄布との会話、なぜ主人公がそういう境遇にあってどういう生活をしているのか。

 場面で、地の文で、説明がなかったとは言いません。しかし面白いことに、第三話になるまで、どちらかというとそれは行間情報でした。
 何度も言いますが、読者は書かれたことの100%を理解してません。第一話はしょうじき読みにくかったと言っていいのですが、その理由は「一文一文の表現力が高すぎるから」という逆説的な根拠に基づいてます。主述関係が複雑化した構文(複文・重文の組み合わせ)だったり、倒置法だったり、体言止めと列挙の連打だったり。

 文章のつくり方は千差万別なので、パターン化するのは不可能なのですが、それでも思うのは、魅せる文章と映える文章と読みやすい文章、あるいは意味の通る文章というのはそれぞれ別のレイヤーにあるものです。視覚効果に優れている文章が意味が通るとは限らないし、正確な文章が決して読みやすいとは限らない。本作の第一話、第二話で叩きつけるように描かれた文章は、その漢字の流麗さもあって、魅せて・映えるというものをひどく強調しているような──いっぽうで、パワーポイントのスライドでも眺めるような、そんなデザイン化した文章を読む心地でもありました。

 黒曜石は四の陰爻、珊瑚は二の陰爻、瑠璃は一の陽爻。是則、八卦の艮を示し山を現す。
 翡翠は六の陰爻、琥珀は五の陽爻、金剛石は二の陰爻。是則、八卦の坎を示し水を現す。

第三話より

 こういう文章などは文章レイアウトによる視覚効果を充分に発揮した箇所ですが、対になっているものを改行によって配置し、文字列的にもほとんど同じ高さに「是則」以降を据える。こういう視覚的な配置がハマるところ、ハマらない(というとへんだけど、あえてわかりにくくしてるのか? と思うところ)が第一話・第二話でちょっと凸凹している気もしましたが、第三話は比較的平易です。

 たぶん、やっていることが本筋に戻ってきているからだと思います。

 第三話でやっているくだりは、よく読むと第一話冒頭で開示された「あらすじ」をきちんとなぞっています。筆者もあれっと思ってあらすじに戻ってようやく把握したんですが、第二話のトリッキーさは、あらすじに明記されていないギリギリのラインで発生した特殊な場面なようでした。ストーリーの本質をほのめかす設定と情報の開示、といえばよいのでしょうか。

 ともかく。

 設定の独自性──それも、設定そのものの内容の独自性よりも、その魅せ方・テキストによる演出面の独自性が強烈なインパクトを残していますが、あらすじやプロットのラインだけを細かく読み取ると、王道の冒険ファンタジーという座組に見えました。
 恋愛の有無はわかりませんが(比較的恋愛ではなさそう?)男女バディの、マスコットの雉が一羽。そんな珍道中といったところか。

「畢竟。めんどうくさがらず、協力しろってことね」

 わりとこのセリフに本作の魅力の表と裏が凝縮しているような気がしていて、第二話の時点で薄々察していたのですが、内容の平凡さを文体と演出のトリッキーさで散らす、といったケレン味表現の作品、というのがわりと突っ込んだ感想です。たぶん、ここにたどりつく3話分を、平易な文体で書くことも可能でしょうがそうするとこの作品の魅力は激減する。『新世紀エヴァンゲリオン』のTVアニメ版の特殊なカット、奇をてらった構図(TV版第二話の冒頭では脇の下から見上げるような作為的なアングルがありますが、その場面で語られるセリフはストーリー本編とは一切関係がありません)、といったものと感覚的には似た印象があります。
 本作も非常に遠回りはしましたが、やっていることは王道の冒頭です。主人公の日常世界と性格・背景の掘り下げを行いつつ、ドラマの基軸となる主要人物の紹介、今後のことを見据えつつ、意味深なものを配置する。「畢竟(ひっきょう)」という難読語を使っていることもそうですが、「要はこういうこと」と落着してしまえばなんでもないような、それでも凝っているところに魅力があるのだという、アンバランスさもありました。

 こういう作品は、結構好みが分かれます。
 で、好きな人がめちゃくちゃ好きなのもわかります。

 美術史の世界にも、マニエリスムというものがあって、事物の描写の正確さや遠近法への忠実さ、均等な画面構成などではなく、歪みやパースの狂いといったものをとことん突き抜けようとすること、その表現に特化しようとすること自体に魔力を持っている一連の画風というものが存在します。本作を強いていうなら、中華マニエリスム世界観といった、韜晦(とうかい)すら含んだ、それでいて、一度取り憑かれるとずっと奥まで覗きたくなる、蠱惑的な迷路、先行きの不透明さ、といったものが、奇遇の読めなくなった仙女とおなじ目線で読者を惑わし続けているありさま、なんとも圧巻でした。
 好きの暴力、というと本当に失礼なんですが、そういったものがあって、この手の作品の根底にある「厨二病的なもの」に対して非常に順当なつくりになっているのが強みなのだと思います。

■印象値まとめ

・縁とゆかりが読めない男女が
・カードゲームとサイコロ振り回して
・魔物とか女神とかと戦う(であろう)話

※笑えるシリアスな冒険譚、という印象
(基本骨子は『暁のヨナ』とかみたいな「花とゆめ」「Lala」系統の少女漫画風冒険ファンタジー。やってることは『賭ケグルイ』や『賭博黙示録カイジ』、『HUNTER×HUNTER』っぽい)

▼評価
読後感    :★★★★☆(変則的な王道)
今後へのフック:★★★★★(NEXT ENEMY感好き)
印象値    :★★★★☆(好きな人は滅茶苦茶好きなやつ)
・Final評価    :13/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :41/50

贋作公主は真龍を描く 3話

前回までの整理と印象値

 本企画のイチオシ作品1号です。その作家性の高さ、描写・表現力の安定性、予想通り・期待通りのものを一流に仕上げてくるワザマエ。どれも優れた逸品であることは言うを俟たないでしょう。
 唯一、表面上のストーリー進行が王道過ぎて、意表を突くというところまでいかないだろうというのが難点ですが(その点『奇遇仙女』は色々言いましたがそのトリッキーさで話の筋をひっくり返すあたりはひとつテクだなと思ってます)、それでも直球に投げたもののうちに秘められたもの──その熱量に当てられたという感じです。

 『奇遇仙女』がキャラクターのインパクトで覚えているのに対して、実はこちらはキャラクター一人ひとりの印象は薄いです。むしろ世界観や舞台背景・主人公を巡る話の筋立てのほうに印象が強く、あくまで登場人物は物語(正確に言うと歴史の)一部にすぎないという極めて冷静にコントロールされたもの、という感触もありました。それが今回表に出るか、裏となるか。わたし自身は物語の構造と表現レベルのものに期待したいですが、キャラクターのインパクトについて、もう一押し欲しいという読者の心がつかめるかはやや不安が残ります。

本文感想

 キャラクター論についてはけっこう難しいところがあるのですが、『奇遇仙女』と比べると(あるいは『一日勇者』や『Sランク探索者』でも良いのですが)、どうしてもキャラクターの弱さがあります。そしてそれは、皮肉にも作り込まれた作中世界の、その厚みに原因があります。

 彩玉は、早くも翌日から贋作作りに着手した。
 截の皇子──暁飛は、必要な画材は提供すると請け合ってくれたし、彩玉もこの際遠慮なく高価な顔料や金箋──泥金を塗布した豪奢な輝きの高級紙──を多めに発注した。

(似せるならケチケチしちゃダメよね。柳宗儀が画材を惜しむはずはないし。描き損じも出るかもしれないんだし)

 もちろん、余ったら懐に入れる気満々である。北辰族に画材の適切な数量が分かるはずもなし、取れるところから取っておくのは庶民の知恵というものだ。

 キャラクターの魅せ方は多数あります。本作ではストーリーの進行の中で、主人公が取る態度や考え方・習慣的なものの中にそのキャラクターを肉付けする仕方です(リアクションではない、というところが大事。リアクションよりレイヤー1層分深めて人物の心理を描いている。このあたり非常にラウンドキャラクター的で、文芸の人物の描き方です)。
 本作は、その人物造形を、身分的なもの、異民族へのあてこすり、といった世界観由来の思考によって基礎づけています。ある意味考証的と言っていいのですが、そのことが結果的に他作品と比較したときのキャラクターの弱さにつながっている気がします。悪いことではないんですが、キャラクターを起点に読む人にはもうワンポイント推すものがあってもいいのかもしれないなっていう気がしますね。

 もちろん、本作だって単独で考えたときは非常に活動的で、経歴もあり、中身が薄いというわけではありません。むしろそのキャラクターがたどったであろう人生の厚みは、他の作品と比較しても十二分に奥行きがあると、そう読み取る行間には事欠きません。ところがそれでも「薄味」なのです。なんというか、ストーリーと世界観に埋め込まれた、という感じが強く、主人公も本名よりは二つ名「贋作公主」というほうが印象強く、「落ちぶれた負けん気の強い姫君」という雰囲気のほうが印象深い。
 これがどのようなデメリットをもたらすかというと、漠然とした記憶のツギハギで理解すると、「落ちぶれた負けん気の強い姫君」が「征服民族の皇子」に強要されて、「贋作を作って宮廷陰謀に参加する話」という印象値になってしまう。要するに彩玉という名前で認知するキャラ性が、その活動力に対して”弱い”のです。

 おそらく、作者もこの弱さに半ば自覚的なのだと思います。だからあらすじの時点でキャッチコピーをつくった。それも最初と最後で、ダメ押しのように。

 あらすじでつくったイメージは、なんとなく思っているよりも「読中感」に強い影響を及ぼします。言ってしまえば、タイトルとあらすじというのは小説によっての「顔」であり、タイあらが良い、というのは第一印象がステキなイケメンみたいなものなのです。
 しかしこの作品は、ある意味”隙”がありません。第三話で彩玉が班欅に見せる甘えの言動すら、世界と同化したその人物の持つ可愛げ、強いていえば『史書』や『漢書』で垣間見る人物のちょっとしたエピソードのようなものに見えてしまう。芸術点としての「人間味」は強くても、娯楽・商品としての「キャラ」ではない。

 これを書きながら思い出したことがあります。『子連れ狼』など、漫画原作で有名な小池一夫氏によるキャラクター理論、「敵には欠点を、主人公には弱点をつくれ」というもの(独自研究?)。
 この作品の彩玉には(ヒーロー役に握られる)”弱み”があっても、性格的な弱点が突出しておらず、それがかえって”キャラ”ではなく”作品(物語・歴史)の一部”といった趣きをつくっているような気がします。『奇遇仙女』の場合は、面食いの雉や押しに弱い(そのくせ何考えてるかわからない妖しい)イケメン、とにかく振り回されるくせに妙に頭良く振る舞おうとする二重魂魄の主人公など、個々のキャラが強い。その差が、おもしろいくらいに対比になっています。

 もちろん、班欅は不肖の弟子の筆の乱れを見逃してはくれない。ぶっきらぼうな叱責は、彩玉にあくまでも画工であれ、と言い聞かせているかのよう。お前は公主じゃない。亡国の怨みなんて関係ない、と。

 いっぽうで、この彩玉の人物をめぐるラウンドキャラクター的な掘り下げぶりは、こうした作品づくりそのものに言及する地の文の手付きにダイレクトに反響していて、第一話からこのかた、期待を賭けている作家性・作品性への表現の達成を裏付けています。
 この場面を抽象化すると、「作品づくりに個人的な感情は不要だ。それは作品の完成度を、受け手のニーズを損なう」ということのこれは現れです。つまり「作家性の自己否定」という複雑なテーマが内包されています。

 おそらく。というかこれは勝手な自分語りなのですが。

 Web小説を書いて商業なりなんなりを目指す人間にとって、「書きたいものを書いて売れる」だなんてほど、ファンタジーなことはないと思います。まだ一度も商業誌でものを書いたことのないこれはただの寝言・妄想の類でしかないのですが、創作行為に手を付けてたのしかったこと、その初期衝動というものを現在でもなおキチンと中心軸に捉え続けられる人間はかなりレアな人間だと感じます。
 いないとは言いません。しかし、多かれ少なかれ、創作者は受け手の存在によってなにかを曲げられ、なにかを書き換えられていきます。あるものは「売れる/売れない」という判断を、あるものは「ウケる/ウケない」という判断を、そしてあるものは、「書く前と書いた後で見える景色が変わってしまった」ということも。結局制作過程において、作者はさまざまな理念を、さまざまな現実と折り合いを付けて作品に下ろす努力をします。

 作家性、というのは、要するに書き手・制作側の持っている強い理念・情念のことを指します。それは本人の持つ技術や能力によって作品に昇華され、ときにいびつで、ときに美しく、ときに狂おしいほどの魅力を放ちます。だから作家名を関する作品に強い意味と価値が付与される。いっぽう、AIなどの制作の努力をスキップするツールが横行すると、作家性に関して極めて感性的な判断・センスの要素が強調されるようになった。要するに思考と感性の蓄積と瞬発力こそが作家性・センスの領域であり、その果てに生成されたアートこそが作品なのだということになりつつある。
「再現性」という言葉が商業作家の間でキーワードとなったのはいまに始まったことではありません。しかし、”個性”における再現性という、奇妙なロジックとはなんなのか。贋作づくりのモチーフはつねにこの問題にぶつかります。作家本人の手を経ずして、作家本人であるかのように振る舞う芸術品とは、まさにAIによって作られたアートと根本的に何が異なるのでしょう。

 そして、贋作作家における個性というのは、なんなのでしょう。

 檀侵攻にあたって手柄を立てた方々は、ある意味気楽なものだ。配下についた者たちは、兄たちの武勇に期待しているのがはっきりしている。乗り遅れた末っ子は、自分で売りを考えなければならないから辛いところだ。

太字は原文中では傍点

 本作にはもうひとりラウンドキャラクターがいます。それは暁飛です。かれを巡る宮廷などの背景は、今回初めて描写されますが、穿った言い方をすれば、贋作作家のもうひとつの顔でもあります。
 上記引用箇所で「売り」という言葉を使っているところがきわめて意図的な配剤で、これを恣意的に読むならば、作品を売る編集者の立ち回りのようなものを邪推してしまいます。商業作家における作品は、商品でもあります。編集者は、制作者の芸術家の側面をよく理解し、考慮しているものがあっても、同時に会社や商業の論理で動かざるを得ない立場をも内包しており、決して単純化されない存在です。いい作品を売りたい。しかし売れなければ作品を延命出来ない。これは重版や続刊の有無が日々問われている商業作家の世界では、つねにヒリヒリした、自分ごとのニュースです。

 しかし、どんなに考えても、どんなに裏の意図をまさぐっても、こうしたことに正解なんてものはありません。その錯綜する有り様は、まるでそれ自体が宮廷陰謀劇のように複雑怪奇で、人間の厚みが露呈する舞台装置そのものなのだと感じます。
 この宮廷社会で、他の強みや思慮が錯綜する社会の中で、自分に求められている強みとはなにか。自分が売りにしなければならないものはなにか。それは同時に、キャラクターの厚みに直結し、占領直後の混迷期におけるサバイバルゲームの様相を見せていきます。それは同時に、1クリエイターとしての懊悩を、この市場世界における〝覇権〟の在り処を問いかける姿勢そのものです。

 暁飛はその身分と生まれから、皇帝を目指すことになるでしょう。そしてその手段は贋作=中国の歴史をイミテーションし、意図的にファンタジーに作り変えられた、そんな作品によって実現を目論まれます。しかし作り手の中にも、個人的な想いがあり、苦しみがあり、葛藤がある。読者はそのありさまを物語によって垣間見ます。そして、読者は、その制作過程を信じることによって、作品を〝本物〟だと感じ取るようになるのです。

 物語は暁飛の内面の欠損・寂しさを暗示して終わります。プロットのことだけを考えれば、それは彩玉とのロマンスの予感ですが、同時に、その寂しさを本物の寂しさでもあります。制作の論理と商業の論理がぶつかり合い、接点を見出すことがあるのか? これはクリエイターにとっては暗黙に刺さる内容だろうなと思いました。

■印象値まとめ

表面的な印象値
・落ちぶれお姫様と皇家の三男坊が
・贋作づくりを通じて
・宮廷の陰謀を切り抜けるラブロマンス(?)

※補足:ヒーロー、ヒロインのキャラクターが「ヒーロー」「ヒロイン」という役割に特化していて、ちょっとパンチ力が弱い。むしろ世界観やストーリーと言った、実際に読んでみたときの読み心地に比重を置いている。

 非常に繊細でシリアスな、すばらしい物語なのですが、どういう気分に読みたいか? と訊かれると答えにくい。そういう難しさもあります。笑えるほどコメディでもなく、泣くために読むわけでも(もちろん)ない。作品に込められているのは喜怒哀楽でいうなら、「怒り」が一番近いが、その怒りを読者に向けるでもなく、ただ内向的に鋭利に研ぎ澄まされているような──そういう趣きも感じています。端的に言うと文芸の厚みなんです。
 だから文芸の観点でもう一個の印象値を整理すると次のようになります。

深層的な印象値
・商業作家として「売れるもの(≒贋作)」を書きながら
・自分のやりたいこと/信念(≒真実)を
・どこまで〝作品〟として読者に信じてもらえるか(≒絆)を問う作品

※作家志望の多い昨今、むしろ広く刺さるテーマなのかなって気もしますので、このテーマ性自体は他作品にない強みかなと思いました。

▼評価
読後感    :★★★★★(王道の路線をキチンと敷いている)
今後へのフック:★★★☆☆(布石を張ったという感じで、ヒキは弱い)
印象値    :★★★☆☆(テーマの深さは評価するものの、表面的な印象値の弱さが気になった)
・Final評価    :11/15
◆2nd評価    :15/15
◆1st評価    :19/20
◆総合評価    :45/50

「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~ 3話

前回までの整理と印象値

 「前回までのあらすじ」戦略が功を奏して……というのは半ば冗談ですが、プロットレベルで言うと一番真っ当な連載小説の流れをつくっていて、こちらも非常に盤石なつくりをしてます。

①一日勇者になっちゃった主人公
②最初の仲間とロイ王子の妹との新しい絆

 という流れで来た第三話、順当に考えれば酒場に行って、仲間を集めて「最初の町」を出るところ、といったヒキで終わるのが少し見えているのですが、逆にそれで終わらなかったら困るまでありますね。

 本作の最大の魅力は中学生が読める内容とストーリーテリングです。だからそのプロットを複雑にすることはできませんが、絶妙に演出と場面のインサートをすることで、「意味深」のフックを打つことに成功しています。その構えも今後は崩れないでしょう。だとすると、意外性の出し方はいまのところキャラクターしかないはずです。新キャラに期待してみます。

本文感想

 な、なにぃーーーー! こいつ、最初の町すっ飛ばしてる! 文字通り飛んでやがる??!

 まさかの飛竜で移動シーン。おまけに目的地は「雲」。ちゃんとファンタジーしてるぅぅぅ。

 おそらくラノベでハイ・ファンタジーだったら最高点差し上げてます。それくらい、ファンタジージャンル固有の遊び心と、地の文の対象年齢を下げている感じがきちんとマッチしている。うらやましい出来栄えです。
 期待通りの新キャラも、期待以上に個性的で笑ってしまいます。ていうかみんな主人公好きすぎませんかね? 夢女子の作った人物相関図みたいになってますよ。すべての人物紹介の末尾に「わたしのことが好き」って書いてあるあれですよ、あれ。

「私たちに力を貸してもらえませんか? 一日だけでいいんです。私 “一日勇者”なので!」
「ゆ、勇者だって?!」

 ベアルさんは呆然とした様子になる。

「……ってことは、その腰に下げてるのは、本物の“聖剣”……」
「え―っと……はい、本物です。王都でのイベント中に何故か抜けちゃって。それで私は、魔王討伐の旅にでることになったんです」

 こういう会話で、何度もあらすじをリマインドしているところも技術点高いです。しょうじき『奇遇仙女』や『贋作公主』は、一個前二個前、なんやかんや筋や伏線を確認するために振り返ります。形状違えど、書籍を前提としているストーリーの厚みを感じますし、それはそれでいいのですが。
 本作に関しては、きわめてストレートに読み果せるのが強みで、ある意味Web連載小説としてひとつの完成形をなしていると思います。情報の密度・濃度がつねに一定で、改行の頻度も計算されている。

 いっぽうで、読者に隠している設定の、隠し方・開示の手順がウマすぎます。このひとはおそらく90年代からゼロ年代の『週刊少年ジャンプ』を滅茶苦茶読み込んで育ってきたのでしょう。連載を追いかける1話ごとのイベント管理が『ドラゴンボール』や『幽☆遊☆白書』の頃のものを思わせますし、意味深なセリフの配置や場面の切り替え方が『ONE PIECE』『NARUTO』『BLEACH』が全盛期だった頃の手付きを思わせます。
 話の軸、主人公の目線で起こっていることはつねにキャラクターの活劇にしつつ、複雑なプロットは設定の隠し方・開示の手順(特に別目線の場面のインサート)によってつくっている。『奇遇仙女』の第三話でも似たようなことをやっているため、常套手段だと思いますが、本作はその基礎ラインの平易さがよくできているため、より一層劇的なものに見えます。

 しょうじき、ここに来て一気に面白くなりました。ゆるしがたい暴挙です(褒めてる)。

 物語の語り方についても、一見イージーな構えに見えて非常に手の込んだというか基礎力の高い構成です。かんたんに言うと、「第一話・第二話とおなじことをしてる」んだけど、「ひねりを加え」てるんです。
 本作の第一話は非常に説明的ですが、導入の見事さと視点人物がもたらす語りの平易さによって、つねに「そういうもんだ」という納得感があります。このあたりは作者の腕の見せどころです。いっぽうで同時に、主人公から見たときの「最初の仲間(?)=ロイ王子」の加入エピソードになっていることも見逃せません。「仲間あつめ」とは言いましたが、第一話の時点ですでに勇者パーティーには”最初の一人”が加わっているのです。

 重要人物には過去エピソードがつきものですが、第一話の時点でサクッと行うことによって、読者はその主人公のイージーさとセットで「こいつら、チョロい」と思ってしまいますね。これで先入観のキャラ付は成功です。どんでん返しをするためには先入観をつくらなければなりません。このあたりは本当にテクです。
 いっぽう、このあとに続く展開で、ロイ王子は徐々に不審な動きを見せ、第三話でその真相の一部が暴露されます。この情報の積み重ねと、一気に崩す段取りが巧妙で、ちょっとゆるしがたい暴挙ですね(二度目)。

 王道の物語を組むときにあまり気をつかわれていないことですが、実は良い物語は「情報の繰り返し」を好みます。
 児童向けの絵本を開いてみましょう。ルーズ・エインズワースの『こすずめのぼうけん』(福音館書店)では、母親すずめから飛び方をおそわったこすずめが調子に乗って遠くに飛びます。あまりに遠くに行ってしまったために家への戻り方がわからなくなり、とにかくみつけた巣をひとつひとつたずねて、自分の巣かどうか、そうでなくても一時的に羽を休めさせてはもらえないかと頼むのが本筋です。

 表現もシンプルなんですよね。

「なかにいれてほしい」とお願いするのですが、からすは「かあかあ かあと鳴けたら 仲間だからいいよ」でも こすずめは「ちゅんちゅんちゅん」としか言えませんから・・・・

石井桃子訳 あらすじより

 ここで大事なのは、それぞれの場面上は、まったくおなじ言葉のリズム・同じ場面の繰り返しをしているというところです。最初はからすの巣。それが、きつつきの巣、ふくろうの巣、かもの巣、と場所は変わりますが、どの巣でも自分の鳴き声を訊かれ、「でもぼく ちゅんちゅんちゅん としか なけません」と言って追い出されてしまうのです。

 ところが、これが何度も繰り返されているうちに、絵本の読者・聞き手の間には「かわいそう」という感情が生まれます。これについて翻訳家でもあり児童文学研究の大家である瀬田貞二先生の(「指輪物語(ロード・オブ・ザ・リング)」や「ナルニア国物語」の原作翻訳者としても有名かと思います)『幼い子の文学』(中央公論新社)では「愛に飢えているものが愛情が報われるというテーマ」という言い方で表現しております。

 実際、この絵本では何度も巣にいれてほしいと頼み込むたびに、いかにこすずめが苦境に追い込まれていくかを、まったく複雑な言葉を用いずに体現しており、そのことに衝撃を受けます。これはひとえに、場面やリズムの繰り返しが、実は読者に設定情報よりもだいじなもの──すなわち物語の質感・情感を伝えるということを暗示しているでしょう。
 繰り返し「ちゅんちゅん」と鳴き、繰り返し追い出されてさまようこすずめの、最後の場面は次の通りです。

 あたりは くらくなりはじめ、ちいさい すずめは、もう とぶことが できませんでした。
 そこで、ぴょんぴょん、ぴょんぴょん、じめんのうえを あるいていきました。
 すると、むこうのほうからも、じめんを ぴょんぴょん、やってくる とりの すがたが みえました。
「ぼく、あなたの なかまでしょうか?」と、くたびれた こすずめは いいました。
「ぼく、ちゅん、ちゅん、ちゅんってきり、いえないんですけど」
「もちろん なかまですとも」と、そのとりは いいました。
「わたしは おまえのおかあさんじゃないの。きょうは、いちにち おまえを さがしていたんですよ。わたしの せなかに おのり。いえまで おぶっていってあげるから」
 そこで、こすずめが、おかあさんの せなかに おぶさると、おかあさんは、こすずめをつれて、きづたのなかの すまで、とんで かえりました。
 それから、こすずめは、おかあさんの あたたかい つばさのしたで ねむりました。

石井桃子訳より

 たいていの物語作者は、まるでプレゼンテーション資料をつくるときのように物語のプロットとシーンの構成を検討し、順番に見せていくことでその表現を達成したかのように思い込みます。ただ、その手順にはひとつ大事な前提があって、「読者が自分の発言や行動に関心を示していて」「直前に目にした/耳にした内容を憶えている」というふたつの障壁があるのです。これをクリアするために無数の手練手管が進化したのが現代の創作技術だと言っていいでしょう。
 しかし一方で、洗練された現代の創作技術は、「絶えず読者の注意と関心を奪って」「大量の設定と情報を詰め込ませて(それが間に合わないヒトがいるから「考察」などというものが流行るのです)」、それで話を繰り広げている。もちろん読者のレベルが上がったというのは容易いですが、すでに倍速視聴の問題が世間を圧倒しているように、エンターテインメントを楽しむこと自体がいつぞやの詰め込み式教育と大差ないものになってしまったきらいはあります。

 作り手としては「よく読めばわかるようにしてあるよ!」って言いたいんですけどね、そうも言ってらんないんですよね。だからこうした、古い物語、良い物語が持っている「文章や構造が持っているリズム感」というところにもう一度考えを置いてみたほうが、よいと思うのです。読者が物語を憶えている、憶えてもらっているということに対して、どこまで作品を開いていくべきかという問題は、じつはわたしの個人的な課題なのですが、それは根本的には創作者全般に関連する重要なテーマのように思います。

 話がだいぶ遠回りしましたが。

 本作はある意味、6,000字の枠の中で「おなじお話」を繰り返しつつも、場面をインサートしたり、キャラクター同士の掛け合いをしたりと飽きさせない工夫をしています。
 重要なのは「繰り返しを恐れない」ということです。だから最後にインサートした「ロイ王子の謎」に対して、読者ははしごを外されたようなショックを受ける。こういう物語の基礎に忠実な作品は、今後もまちがいなく面白いと言えるでしょう。うらやましい(本音)

 まったくもって、ゆるしがたい暴挙ですね(オチ)

■印象値まとめ

・吟遊詩人(アイドル)とあやしげな残念王子が
・つかずはなれず、変な仲間を増やしつつ
・魔王を倒しに行く話(※絶対裏があるよ!)

 こんなん印象値の時点でおもしろすぎます。あと意外に「笑いながら読めるワクワク・ドキドキの冒険譚」なのも良きです。

▼評価
読後感    :★★★★★(第二話とおなじ構成にひねりを加える。物語作法のプロ)
今後へのフック:★★★★★(こんなん続き気になるに決まってる)
印象値    :★★★★★(上記の三行要約の時点でインパクト強い)
・Final評価    :15/15
◆2nd評価    :15/15
◆1st評価    :18/20
◆総合評価    :48/50

奥村さん家のガーディアン 3話

前回までの整理と印象値

 前回、まさかの話がひとつ落着しちゃったんですよね。だから『Chapter2 ~変態教師駆逐編~』という謎ワードをもとに予想をするしかないのですが、とりあえず印象値を再整理してみましょう。
 まずまちがいなく言えるのは、表面的には「おねショタ」の要素が目立つようなつくりになっていて、今後も変わらないと思います。ていねいに読み込めば、AIのアイギスシリーズ自身が人間に対してなんらかの特殊な〝感情〟のようなものを抱きつつあり、それがクライマックスで昇華されるべく展開しているのですが、それは本質のプロットなので、読者にはあまり気にしなくていいポイントでしょう。

 なので、「AI家政婦はおねショタの夢を見るか?」といった感じです。フィリップ・K・ディック先生ごめんなさい。

 意外にSF的にも伝統を継承している手付きが散見され、SF好きにも興味が行き届いたつくりである点も本作は非常に好感が持てました。そのためそちらのほうになんらかのフックがあるか(たぶん落着はない)というところも期待して読んでみます。

本文感想

 この家族変人しかいないのか。

 一時期のラノベ文化で見たような強烈な視覚効果を拝見しましたが、まあ、いいでしょう。「クリリンのことかーーーッ!」ってやつですね。

 あと、この話で確信したんですが、これはやっていることが『ジョジョの奇妙な冒険』の第四部・第五部あたりのスタンドバトルとおなじ論理展開ですね。どういうことかというと。

①主人公には守るべきもの・達成しなければならないことがある
②主人公にはわけあって戦わなければならない状況に置かれる
③主人公には非常に強い制約が課されており、その範囲内で敵を撃退せねばならない

 これの繰り返しなんです。いまのところは。

 連載フォーマットを考えるとひとつの完成形で、ここの「主人公の戦う理由」と「主人公に課された制約」の2つをアップデートし続ければ、話の進展が作れるおもしろいメカニズムですね。
 自分はできていないのですが、連載で物語をつくるにあたって「こういうのがあったほうがいいなー」と思ったものに「1話ごとのパターンを作る」というものがあります。詳しい根拠は『一日勇者~』の項目で書いたので繰り返しませんが、もっと単純に言えば『ダンジョン飯』って前半部分は一話完結式で必ずなんらかの魔物を食べていたじゃないですか。ああいう、「この作品はこういう話なんだな」っていうひとつのパターン構造をつくってしまったほうが、読者も読みやすいだろうなと思ってたんです。

 連載──とくにWeb連載は、尺を意識しなくても作れます。そのため非常に長い物語を掲載することも、非常に短い物語(140字小説とか)をつくることも可能なのですが、長い物語を考える時、やはりどこかでまとまりを意識せざるを得ません。ふつうに考えるとそれは章単位のまとまり、おおまかな起承転結、ぐらいの感覚になると思うんですが、Web小説やTVドラマ・アニメ、週刊連載の漫画(Web連載含む)ではもっと短いペースで物語の印象を明確にしないといけません。そのため、

①1話ごとの短いまとまりと印象(各話ごとで描くこと、まとめるもの)
②中期の目標設定(あらすじで明示するもの)
③物語を左右する真実のミッション(作者が完結のために考えること)

 少なくともこの3つについて、連載を検討する場合は事前に考えないといけないわけです。
 『一日勇者~』はそのありえないほど精密な作り方でそれを実現しましたが、実はこれって『奇遇仙女』における「カードゲーム・サイコロを通じた奇遇を読み取る場面」だったり、『贋作公主』における「贋作鑑賞・制作シーン」のように、書き出しコロシアム参加作レベルになるとだいたいの作者さんがやってることだったりします。作品のなかで繰り返し用いる、中心軸の設定、といえばよいのでしょうか。字数の配分によりますが、6,000字相当の区切りだと、上位作品が皆おなじように「各話で必ず書くこと」と「あらすじのベクトルの明示」、「各話で繰り返し書いたものを通じて、あらすじの真実について掘り下げを行う」という高等テクを使いこなしていることに改めて驚くほかないです。

 本作は、現状2話1作で展開する話が「奥村家との交流」「守りべきもの(おねショタで味付け)」「主人公に課された制約」の3つの軸で一本の太い幹となり、読者は「さあこの状況をアイ子はどう切り抜けるか!」と非常にシンプルな興味に絞ってたのしむことを可能にしてます。いいつくりです。

 唯一気になるのは、この話、この字数でいくとだいたい10話11話くらいまで引っ張れると思いますが、この構成の捉え方がTVドラマシリーズのワンクールぐらいの厚みになるんですよね。2話1セットの各話を重ねることで何が進展するのか、何をゴールとしてこの話の落着を期待するべきか、そのあたりの情報が皆無なのが良くも悪くも、と言った感じですね。その気になれば延々と延ばせる話になってしまうので、それは(物語を重視したい人間にとって)デメリットになる懸念があります。

 とにかく、面白かったです。

■印象値まとめ

・AI家政婦が
・ショタの安全・安心のために
・全力で奮闘する話

※コンセプトは明快だけど、性癖以外の需要があるのか疑問

▼評価
読後感    :★★★☆☆(おねショタ・家族の交流エモい……で読めばええんやろか。SF的な関心をどうフォローしていくかが気になるかな)
今後へのフック:★★★★☆(ふつうの第二話のヒキでしたね。ジョジョ第五部のアニメ版がこんな感じのヒキが多かった)
印象値    :★★★★☆(わかりやすくておすすめしやすい)
・Final評価    :11/15
◆2nd評価    :14/15
◆1st評価    :18/20
◆総合評価    :43/50

保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた 3話

前回までの整理と印象値

 場面転換の仕方については意外性がありましたが、しょうじきわりときつかったかなっていうのが本作第二話の印象です。
 それでも票を獲得して上昇してくるあたりに作者のパワーと、ヒロインの魅力を感じますが、たぶんこれ場面をそのままコミカライズするとそのキツさ露呈しそうなんですよね……わたしも世界観だったり物語の進行だったりをミスることがあったのですが、そういう観点を教わったように思います。

 完成された状況、最初から完結してしまっている人物相関図、というのが、どうもこの作者さんの強みであり、同時に弱点なような気がします。強みはもちろん安心感、安定性といったところ。そして弱点は、ドラマ的な牽引力がない。主人公やヒロインの感情を急激に上下動するようなものがなく、不安(安心の対義語です)にさせる筋の引っ張りにはならない。そのようなところが、おそらく得意・不得意もあるのでしょうが、なんとなくこの話に対してピンと来ていない根拠だったりします。

 第三話ではどうなるのでしょうか。それを知るためにわれわれ探索隊はアマゾンの奥地に向かった……

本文感想

 冒頭の動画配信から音楽が流れるシーンまで。いい場面ですが、情報の重複があります。前回のあらすじ、と言ってもいいでしょうが、このあたりは少しもたつき、チェンジアップを試みようとした印象が拭えません。
 話の路線とギミックは面白いものの、しょうじき第二話感想で指摘した「手詰まり感」は結果的に解消できてなかったというところです。理由もおなじで、結局新キャラを主人公の半径5メートルに配置しなかったことが妙に間延びした感じを解消できないことの原因だと思ってます。このままさらに6,000字進めてしまったのは戦略上のミスかなあという感じです。

 もちろんそのことによるメリット・強みの表出もあります。

 まずウーリャと主人公の:春樹のあいだのイチャイチャ(ラブコメ)が繰り返し見れます。これまで書き出しコロシアムでは安心して楽しめるシーンが比較的少なく、ひんぱんに緊迫した場面、対立といったものを多く摂取してきました。したがって、本作が醸し出す雰囲気のまったり感というかくつろげるような描写は書き出しの殺伐とした世界のなかに突如として遭遇したオアシスのようなものを感じます。
 いっぽうで、このまったりさは、「いまなの?」というチグハグさと裏表の関係だったりします。

 単純なあれこれを抜きにして語ると、この作品の構造的な失敗は、話の緩急のピークが第一話の冒頭だったということです。
 スタートダッシュをする、その上で時間のゆったりした日常世界のほのぼの・コメディを描く手付きは、おそらく作者の得意分野なのだと思います(それにふさわしい出来です)が、いっぽうで、長編を構成する大きな流れの中ではだいぶ強みを生かしきれなかった側面も強く、特に次に起こる事件や人間関係への興味が強く掻き立てられなかったのが正直なところです。

 敵役の設定も、本人が現在形で一度も出てこない。セリフも回想のみで、紋切り型のセリフしか言っていないため、悪役としてのキャラクターの印象が非常に弱いですね。かれと対立する理由は主人公にもヒロインにも名義上ははっきりしてるんですが、読者からすると「友達の友達の……」くらいの距離感で、結局表に出てこないしでなんとも言えないものを感じました。

 唯一、「あ、これSFだな」って思ったのは、反撃の仕方が動画配信ってところでした。なんか北の国で起きてるこtうわなにするやめろくぁせwfghjk

■印象値まとめ

・男の子(大学生)と
・植物型宇宙人の美少女が
・イチャイチャしている話

※宇宙海賊もいるよ

▼評価
読後感    :★★☆☆☆(仲が良いのはもうわかったよ(´・ω・`))
今後へのフック:★☆☆☆☆(ちょっと間延びしすぎてて気持ちが乗らないかなあ)
印象値    :★★☆☆☆(癒やしが欲しい人向けかな)
・Final評価    :5/15
◆2nd評価    :5/15
◆1st評価    :18/20
◆総合評価    :28/50

【下剋上マッチ】

うらみあい 3話

前回までの整理と印象値

 この話はどうなっちゃうんでしょう。構成上のヒキの強さが、創作的な強みである本作は、あえて視点を変えるというこれまたトリッキーな戦術によってその面白みをつくっています。
 それが長所でもあり弱点でもありました。繰り返しになりますが、視点を早々に(とはいっても文庫本で10ページ弱も展開している分量なので書籍版でも充分な厚みなのですが)切り替えてしまったために、第一話でせっかくインプットした人物相関図が、第二話でリセットされたこと、それに両者をつなぐであろう重要なモチーフの暗示が薄かったことなどがあり、「面白いんだけどまとまりが弱い」という印象を少し持っています。

 それに第一話の末尾で提示された強烈なヒキへの回答が引き伸ばされたまま別の視点のストーリーをインプットするため、「そういえば最初のあの人どうなったっけ」というリスクもあります。わたしはいちおう憶えているつもりですが、それはそうとして、最初の人物が本筋にちゃんと関わるかどうかはちょっと怪しい気もしてます。狂言回しなんだろうか、とも思ってる。

 ホラーという形式でストーリーを語るというのは、わたし自身こうしようとはあまり言えないのですが、やはりホラーを取るか、ストーリーを取るかでこの作品の印象は変わると思います。
 ホラーとして見れば、「ゴア描写! 発狂! 心霊ホラー! 不謹慎な被害者! ほら、恒例のホラーの詰め合わせレターパック!」って感じなのですが(言い方)、ストーリーとしてみれば「結局これはだれのなんの物語なの?」という漠然とした印象を残すのみです。もちろん、この”漠然とした”というのは二重の意味で厄介で、ホラーの作品性として見れば「良い意味で」働くことも多い。だから厄介だなあという所感です。

 この手ぶれをうまく補正できれば、一本突き抜けた作品になるかな、って気もしてます。難しい。

本文感想

 新しい視点キターーーーーーーーッ!?(驚愕)

 いちおう第一話の関係者の視点ですが、まさかの新視点でびっくりしました。おまけにしれっとやばめのことが書いてる。因習村かな。本庄さん出番ですよ(風評被害)

 ホラー演出はすばらしい上、短いスパンで展開と情報を叩き込むスタイルは変わらずで、これは強みですね。
 のいっぽうで、この回になっていよいよ情報がパンクしてきた感じで、意味深なセリフに関して「これ前フリあったっけ?」とかちょくちょく前進を妨げられる情報が目につくようになりました。

 これは読んでて思ったのですが、第三話(12,000~18,000字)の期間で新規情報が出てくると結構読みづらさになるような感じがしますね。
 新情報っていうと変な言い方なんですが、叔母さん目線で見える世界がそれまで見えていたものとあまりに違いすぎて、ちょっとびっくらこきます。こういう視点が変わって進行する話は澤村伊智先生の『ぼぎわんが、来る』などを始め少なからず見聞きしたはずなのですが、第一話・第二話で積み上げてきたリアリティのラインとはまた別の座標軸が割り込んできた、という感じもあって、結局どのあたりのラインで読めばいいんだろうという迷いも生まれてしまいました。

 リアリティライン(造語)のつくり方って結構難しくて、例えば『ウルトラマン』の世界に「巨大化する宇宙人とかwww」などと言い出したらすべての特撮ファンに白い目で見られるじゃないですか。いや作者は『ウルトラマン』が好きなんです信じてください。
 それでもとりあえず特撮ヒーロー物(特にウルトラマン系統)でいう、「巨大化して巨大な敵とたたかう」っていうストーリーというかサブジャンルに独自の〝お約束〟みたいなものがあって、作品のリアルさがどうかというよりも、エンタメってもっとそういう根本的な〝お約束〟を通じてリアリティを形成するのでは、という気がするのです。鬼ごっこやかくれんぼのルール説明とか、サッカーや草野球のルールとかとおんなじで、そのルールのなかで楽しく遊びましょう、を暗黙に理解し合うことで本気になれるんじゃないかなと。その「本気になってのめり込む」ってことが、いわゆるエンタメ作品における”リアリティ”の真相のような気がします。

 だから、ミステリーでは密室殺人事件だったり館にヒトが集まったりするわけだし、SFだと宇宙人とか地球崩壊とか起きますし、ファンタジーには勇者と魔王とエルフと美少女がいますし(美少女?)、まあそういうジャンルとかサブジャンルに固有の〝お約束〟ってのがあるわけでしょう。そういうものを感知して、その線にしたがってお話を理解していく、というのも、現代のエンタメではひとつ読みやすさのバランスとして考えることのように思いますね。あ、ちなみに貴族学校はゆるさないです(やめなさい)。

 ホラーにおけるサブジャンルレベルの〝お約束〟については、いろいろパターンがあると思います。心霊、人怖といった「お化けの有無」から、「幽霊への対抗手段≒霊能者の有無」など、そうした作品単位の細かいルールづくりみたいなものがホラーには必要で、それがホラーにおける怖さの演出につながってくると思います。
 本作は、第一話・第二話であまりにも「怪異・恐怖に蹂躙される〝無力なヒト〟」を出しすぎたので、これは不条理に抗いながら、ヒューマンドラマの摩擦で進行するドラマなんだ! っていう先入観のようなものがありました。いわゆる『リング』や、『スクリーム』、スティーブン・キングの『呪われた町』、『シャイニング』、『ペット・セマタリー』系の、主人公サイドに霊能力といった要素がないものという感じです。これでも充分におもしろくできるので、てっきりそっちかなって思ってました。

 ところが、これはどちらかというと比嘉姉妹シリーズや『キャリー』、『ファイアスターター』側の、主人公の側になんらかの霊能力があって、その差の有無で対抗手段が変わる異能サバイバル的な要素が混じってきてます。個々の恐怖演出は非常にレベルが高いものの、ひたすら種別の違う「怖さ」を詰め合わせてきたな、という感じもありました。それがなんだか、作品の中心軸のブレに見えてしまうんですよね。

 アイデアは、特に配達によって届く小包がホラーのトリガーになっている、というあたりは滅茶苦茶現代的で、いいアイデアだと思います。自分でも思いつかないし。
 でも、そのアイデアがあまり深堀りされず、スプラッタやモキュメンタリー(ユーチューバーのくだり)や因習村ホラー、はてには幽霊との遭遇と霊能者、とバラエティ豊かになっていく感じは好みが分かれると思います。わたしはお話の軸のブレとして捉えました。「正体不明ななにか」という一本の軸に絞ってもらうだけでも、たぶん印象はだいぶ変わります。

 その辺のあいまいさ、というのを抜きにすれば、恐怖演出の玉手箱の様相を呈しており、非常にスリリングに読めた感じです。

■印象値まとめ

・なんかよくわからないモノが出てきて
・いろんなヒトを襲って
・怖くなっていく話

※補足:どのキャラクターを起点に読めばいいのか、どのホラーモチーフを起点に読めばいいのかが理解しきれてないのでこういう印象になっています

ちなみに個人的なまとめで恐縮ですが、『リング』の場合は

・「見たら7日間で死ぬ」という”呪いのビデオ”を見てしまった主人公が
・その7日間死に物狂いで
・生き延びようとする話

だし、『ぼぎわんが、来る』の場合は

・「ぼぎわん」という謎の怪異によって
・翻弄されてしまうモラハラ夫と
・その家族の生き残りを賭けた霊能者の戦い

という感じでざっくりとした印象値が整理できます。

▼評価
読後感    :★★★☆☆(「こっっっっっっわッ!」って感じ)
今後へのフック:★★★★★(ヒキは非常に強い)
印象値    :★☆☆☆☆(「怖い」という感情だけが残っていて話が掴めていない状態)
・Final評価    :9/15
◆2nd評価    :13/15
◆1st評価    :18/20
◆総合評価    :40/50

Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営 3話

前回までの整理と印象値

 意外に決勝戦落ちしてしまった本作、強いて言うなら「ダンジョンマスター」が出てきて設定的なものを羅列するのは早かったかなって気もしないではないですが、気にしてませんでした。というか『ログ・ホライズン』で履修済みの内容だったので……といっても負け惜しみです。
 意外なモチーフを、あまりに意外なかたちで提示しすぎてもうまくいかないのがこの作品の失敗だったかもわかりません。作品の印象は相変わらず「リガがドタバタやってる話」だったので、そこに割り込む要素としてはいきなりダンジョンマスターを名乗る少女の世界観のコアの語りはぶっちゃけなにひとつ憶えていないというのが正直なところです。これが伏線で効いてくると第三話の本作の評価はちょっと低くなるかも知れませんね。

 あと、キャラクタードラマとしてのコメディのつくりはかなり高水準で、地の文のリズミカルなつくりもユニークなんですが、本作主人公以外のキャラクターがまったく理解できていないのも結構難しい気がしました。
 第一話はそのパワーが最適だったのですが、第二話・第三話と進むにあたって最後までリガのキャラクターの強さで賄えるかというと、そうではないと思うのです。ダンジョンマスターの少女もなかなかアクが強そうなので、そのあたりがフックになって効いてくれればいいですが……どうもこちらはリガと比べると限りなく記号的(のじゃロリ?)な印象しか残っていないのです。

 リガはその見かけの単純さに対して、意外と立体的なつくり(本音と建前のズレがある)をしています。
 しかし、ダンジョンマスターの女の子はひたすらツッコミと解説に回る平面的な役回りを引き受けてしまっているため、肝心のドラマ面での活躍はなさそうです。いや別に恋愛に発展しろとは言いませんが、このあたりきちんと料理できないといつまでも「リガが自業自得で笑う」っていうフォーマットに安住することになります。『めちゃイケ』みたいな番組で、ナインティナイン岡村が不在になると精彩を欠くようなあの感じ。

 その危うさを、そのままぶっちぎっていくか、チェンジアップを図るのかで今後の印象値が変わります。

本文感想

 ダンジョンマスターの少女──ナイモスが言うには、一般的なモンスターと違い、ドラゴンの主食はありとあらゆる無形のエネルギーだそうだ。例えば、他の生き物の感情だとか、空気中にただよう魔力だとか、時間だとか、重力波(ジュウリョクハ)だとか、効率は悪いが光や風、熱だとか。
 餌いらず。素晴らしい。人間に育てられて食われるために生まれた種族としか考えられない。

太字は筆者

 おい。そんなことはないぞ(迫真)

 思ったんですが、人間はその食生活でエネルギー(カロリー)を獲得し、それを消費して生命活動を維持している(雑)のですが、その観点でいくとエネルギー収支が合ってるの……質量保存則……

 ( ゚д゚)ハッ!

 本筋に戻りましょう。ようやくリガはドラゴン牧場っぽいことをしました。第二話が少々遠回りでしたが、結果的には必要なフェーズだった気もします。でもこれは後からの理解ですよね。難しいなあ。

 チビドラたちは想定以上に弱い。推定ゴブリン以下。迷宮深層において、それすなわち最弱。他のモンスターに見つかれば絶好のエサだ。

 こういうところの「面倒さ」が、ある種のリアリティになって引っかかってくれるところはファンタジージャンルとしては好ましいですね。

「Qurrrrr」
「行け。そんでコイツが育ったら一緒に食おうぜ」

 リガがニカッと笑うと、ジズは少し悩むそぶりを見せて、結局は彼方へと飛び去っていった。
 一件落着である。

 まてまて。落着したのか???

 そんなこんなで緩急とアクション、セリフの掛け合いが続き、ストーリー的にも「第一章」完結! という落ち着きで話が閉じました。

 繰り返しますが文章のリズム感やアクション、リガという主人公の強さはほんとうに高水準なのです。が、第一話のパンチ力の高さが災いして、「二話以降は地味に順当にいったなあ」という感じもありました。
 この話を通じて読者諸賢が思うことはさまざまだと思います。特にわかりやすいひとつの印象は、「第一話で期待を高くしすぎるとかえって厳しいのかあ」という感覚の裏付けにような気がします。わたしは少なくとも最初はそう思いましたが、なんかもう二段階くらい深めて考えられそうな気がしました。

 まず、このお話を通じて、ぼくたち読者は何を期待したかって話です。
 というより、読者は物語一般に対して何を期待して手に取るのかって話がしてみたい。

 (純文学みたいなアートと違って)娯楽作品なんだからそんなに考えなくてもいいじゃない、というのは、じつはわたしは苦手な考え方です。かといって、なんでもかんでも作品のディテールを引っ張ってきて、やれ「若者の意識が低い」とかそんなことを論じたいんでもない。そういう話があってもいいけど、書き出しコロシアムほどその論評から遠いものはないでしょう。わたしがこの企画を面白がって、(そして参加者の方々のお目溢しをいただいて)やっているのは、「面白さ」をいろんな言葉で表現してみようという、ちょっとした野心のようなものです。

 本作はまちがいなくその第一話の書き出しでは最高のSランクだったと言っていい。これがもし書き出し祭りだったら(文字数はさておき)、ぶっちぎりで会場1位、全体でもベスト3までは固い作品でした。そこで得られた期待は滅茶苦茶水準が高い。でも、その期待の内訳について、読者が言葉にすることはめったにありません。今回はそのめったにない機会なので、多少の言語化を試みて、何がすれ違ったのかを(少なくとも自分の中で)明らかにしてみようと思います。

 まず。最初に何を期待したか。1stSetのあらすじコメントで自分が書いた内容は下記のとおりです。

 すでにこれだけでタイトルとあらすじの作り方が及第点を10点くらい超えて来ているのですが、この作品を読み通したときの読後感を作者さんがどう検討しているのかは気になってます。法律の穴を抜けたり、力技とドラゴンの肉で問題解決したりする爽快感と、ドラゴン肉の飯テロ描写、S級冒険者のスローライフを眺めるほのぼの感なのか、あるいはその全部載せなのか。これは評価軸とは関係なく、個人的な興味です(ΦωΦ)

太字引用者

 たぶんこの期待に対しては、一定のアンサーがあります。
・爽快感→リガの行動力と戦闘アクション
・飯テロ→やや弱いけどドラゴン肉を食う場面
・ほのぼの感→とくに第三話で発生するチビドラ育成

 つまり、いちおう全部載せのパターンだと言っていいはずです。

 ちなみに1stの記事では「このまま『ダンジョン飯』ふうにコメディしながら世界観の話になっていったらファンになってしまいそう。」と自分で書いているので、『ダンジョン飯』の類型として考えていた気がします。
 また、2ndでは「ドラゴンとの戦いやアクションの連続だと思います。このあとに唐突にドラゴン肉を食べることについての苦悩なんて出てくると思ってません。それはあったとしてももっと先にあるべきことです。」と書いていて、やはり期待に即したものが読めた満足感でいっぱいでした。この辺、後付でいうとわたしが設定解釈好きなのも影響あるんですが、とにかく第二話までは満足していました。

 ところが、第三話を読んでいて急にゆっくり冷めていく感じもありました。

 相変わらずリガのユニークな行動、その本音(行動)と建前(思考)のズレがもたらすコミカルな展開と、それを突き放す地の文の巧妙さは、第一話から継続して安定したつくりでした。
 しかしそれだけといえばそれだけでした。物語を先に先にと引っ張っていくもの(いわゆるヒキ)がここに来て急に弱くなったこと、そして物語の展開的にも、主人公がなにか行動を起こすよりは時間の経過に任せることによって先に進まざるを得ない状態になったことなど、いろいろあるとは思うのです。で、その流れを見越して、(ダンジョンマスターではなく)チビドラとの交流のなかに主人公の今後ぶつかるであろう葛藤の予感も作っているところは作者も自覚してのことだった、と見ています。

 筋運びとしては正しいのです。物語は、ただショックの強いものを持続させればよいというものではない。
 緩急が必要ですし、それに伴ってキャラクターの掘り下げをしなければならない。でないと、ストーリー上の盛り上がりとドラマの盛り上がりが噛み合わなくなって、物語自体の力を損なうのです。

 では何が不満なのかというと。
 言葉を選ばずにいえば、キャラクターを掘り下げたそのとたん「そういえばおれ『ドラゴン牧場』に興味がなかったな」って我に返ったんです。

 たとえリガがどんなに苦労してドラゴン牧場の経営に成功したとしても、そこで生産されるドラゴン肉をわたしたちは食べられるわけじゃないし、共同経営者でもないため、儲けられるわけでもありません。
 チビドラを眼差す可愛さ・癒やしがあるかもわかりませんが、いずれ奴らは肉になります。そしてその肉は食えません。

 そう、食えないのです。
 絵に描いた餅、ならぬ、文で書いたドラゴン肉です。

 同じことがある大作漫画にも言えます。
 それは、何を隠そう『ONE PIECE』です。

「海賊王に、おれはなる!」

 このフレーズがあまりにも決まりすぎていて、ぼくらはうっかり見落としてしまうんですが、「海賊王になる」ってどういうことか、いまだにだれもわかりません。
 なんなら作中人物もだいたいわかっていません。なにをもってゴールド・ロジャーは「海賊王」を名乗ったのか、それはなんの王で、何を治めていて、なにをもって栄光とされていたのか。だれも知らないしわからない。そんなもののために2億冊もの単行本が流通し、ひょっとすると地球人口の2%くらいの大規模な人間がこれを追いかけている。これを狂気の沙汰と言わずしてなんになるのか!

 そもそもルフィの「海賊王になる」という夢だって、原作第一話ではシャンクスに笑われるくらいの非現実的な夢・妄想の類のように言われる始末なのです。もちろん作中ではその原因が「泳げないのに海賊になる≒海に出る」ということへの笑いなのですが、その動機づけ自体は第一話では不明瞭なままで、「パイロットになりたい」「オリンピック選手になりたい」という少年の夢あるあるの枠のひとつで処理されていきます。

 夢を追いかける少年の夢が、いつか叶うのを目の当たりにする。その光景を見てみたい、と思うのは、ひとつ物語を読む人間の興味関心を説明するには役立つでしょう。
 ところが、作品の世界に生きる人間ならともかく、別世界だと知っていて、しかも「海賊王」なんて得体のしれない目標設定を、だれが応援できるというのでしょうか。「おれビッグになりてえんだよ!」「なにになるんだ?」「わかんねえ、とりあえずおれは”ビッグ”になりてえんだ!」って言われてるのと同じことです。そんなもののために身を乗り出すのは地元のヤンキーかバンドマンの彼女、闇の消費者金融だけです。目を覚ませ僕らの世界がなにものかに侵略されているぞ(違う)。

 となると、ぼくらはセリフや地の文で仮設定されているものとは異なるものによって、期待がつくられているはずなのです。
 結論を言いますが、『ONE PIECE』において、物語を一本貫く大きな「期待」とは”麦わら帽子”によってシンボライズされる「シャンクスとの約束」です。自分が慕って、尊敬して、憧れていた人生の恩師から、信頼をもって預かったものに応えたい、とする、そのルフィの気持ちに、ぼくらは乗っかる。そこにこそ「期待」がある。だからルフィは強くなるし、ルフィが序盤遭遇するよくわからない海賊たちと戦って勝ち抜く爽快感も、根本的にはその「期待」に答えるかたちで成就する。なぜなら、ルフィが仲間を増やし、知名度を上げてその名がシャンクスに知れるとき、「約束の達成」が近づくから。少なくともそれは「東の海編」では重要なモチーフです。それ以降は徐々に仲間との絆にシフトしますが、話の重要なポイントでシャンクス視点に場面が変わることを含めて、物語の一番大きな柱と言っていいでしょう。

 だから『ONE PIECE』という物語に大きな一本の軸が与えられますし、作中で何度も”麦わら帽子”を傷つけられ怒るルフィによって再確認させられる──そういう装置が、かの大長編を底で支えているのです。
 こうした作品を通じて読者が獲得する”感情・感動”のセッティングを、ぼくは自分の独自用語で〝ドラマ〟と言っています。そして、この物語の構造的な欠陥・弱点はその意味でのドラマが存在しないことです。リガというキャラクターは巧みに地の文によって、読者から遠ざけられています。そのためリガというキャラクターが必死になって求める”ドラゴン肉”なるものが、結局のところ空想の産物でしかないとわかっていればいるほど、リガの行動の真剣味が薄れてしまう。笑いの対象になってしまう。

 実際第一話で、第二話の前半でぼくらが暗に期待してウケていたのはこの「空回り」感でした。繰り返しますが、ぼくたち読者はドラゴン肉を食べることはありません。爬虫類の肉を連想して、味を想像することはできなくはないですが、結局のところ空想の産物でしかない。
 そういうものを追いかけている人間は、はたから見れば滑稽です。なにをそんなに必死になって怒るのか──そういう残忍な気持ちを密かに持ちつつ、役人やテイマーズギルド、領主の無理解にぶつかってムキになるリガに、うっかり迷宮のドラゴンを殺し、怒り狂うかれのコメディに、一番の面白みを感じていたのではないでしょうか?

 それが、ダンジョンマスターを名乗る少女と出逢い、ドラゴン牧場の設営に向かって一歩前進したとたん、リガがしゃにむにになって、ときには肉を食べさせ、支離滅裂な論理を用いて説得しようとするあのおかしみはなくなってしまいます。
 どうも、ぼくたちはこの物語にドタバタコメディを期待していたような気がします。それがだんだんと落ち着くべきところに落ち着いて、しっとりとしたドラマへのチェンジアップを目の当たりにしている。いやそんなことないよ、たのしいよって方はごめんなさい。でも、そういうズレ、冷めみたいなものを感じたのであえて言語化してみた次第です。

 物語の楽しみ方は、もちろんひとつではありません。だから、わたしがいま書き出したことには説得力があるかもしれませんが、しょせんはひとつのユニークな解釈にすぎない。しかし、作った作品をどのような気持ちで受け止めてほしいかをセッティングすることは案外重要なことのようです。
 少なくとも、一種の”感動”をゴールとする場合、それは喜怒哀楽でいうところの「喜び」に向かって進むはず。ではその「喜び」とはなんの喜びなのか? だれからも理解されない困難な夢や目標を達成することなのか? だれかを出し抜いて平穏を得ることなのか? それとも、心の底から信頼できる仲間を得ることなのか? いろんな答えがあるはずです。本作はそのゴール決めが浅かったと思います。そのため、リガというキャラクターの掘り下げに耐えきれなかった。その先にあるものが見えなかった、そういった感触を得ました。

■印象値まとめ

・やたら強くてアホな主人公:リガが
・すったもんだありながら
・とりあえずドラゴン牧場を経営するお話

 ドラゴン牧場の経営成功に対するカタルシスがあまり明確に定義できていないため、「すったもんだ」のギャグっぽいところ、変なところに作品の魅力が強調されている気がした。

▼評価
読後感    :★★★☆☆(面白かったしつくりが正確なんだけど、だからなんなんだろうって冷めて行く感じもあった)
今後へのフック:★★☆☆☆(落着してしまったので一区切り感)
印象値    :★★★☆☆(コンセプトはしっかりしてるがコメディの分類で紹介してしまうかな)
・Final評価    :8/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :19/20
◆総合評価    :38/50

深窓令嬢の真相 3話

前回までの整理と印象値

 じつはわたし、ミステリをそんなにまじめに読んだことがありません。そのためこの話の中身をそんなにしっかり覚えられておらず、わりと残念な状態でスタートしてます。

 特に探偵役のマリ以外は壊滅的な記憶力です。たぶんキャラクター的な印象もなくて、ジャックがいたな、あともうひとりはだれだっけ、と。そんな感じで、作者様には申し訳が立たない。

 第一話で提示された「謎」の行先もちょっと覚えていない。結局子爵令嬢に届いた謎の手紙の話だったような……
 その解決編がこれから、という感じですが、どうなるのでしょうか。

本文感想

 解決編どころかサスペンスです。急に面白くなるな!!!(褒めてる)

 小謎・中謎の順番で謎解きのスケールが大きくなっていく流れが非常に爽快だったのと、結構ぼーっと読んでいたんですが、この話できちんとマリが謎解きをし、状況が加速する感じが出ていてよかったですね。だれだほのぼのするとか抜かしたやつは。

おしとやかにぶっちゃけながら進んでいくさまはリラックスしながら読める感じで好感が持てました。

2ndSetの感想記事より

 ばか。ばか。わたしのばか。

 第一章後半で急にせり上がって行く感じは、いままでがスローにじっくり攻めてきた分、強いアクセルという感じもあって、思った以上の爽快感でした。謎解きの快感がそのまま状況のサスペンスに転じていくさま、それがそのまま次の話へのヒキになるさまは、「うぎー! くやしー!」って思ったくらいです(なにがくやしいのかはさておき)。
 ミステリ小説が、どうしても探偵本人が事件に対して部外者になってしまうというドラマ構造的な弱さも、この話でうまいことブリッジ渡してきたのも良かったですね~。なんか徐々にこの作品の株が上がってます。ちゃんと第一話・第二話で温めていたエンジンが、ようやく始動した、というような興奮がありました。

「マリ、これは」

 ベルナールが色と本数が書きとった紙をじっと見つめたマリは、そのまま黙ってペンをとる。

「色と本数で言葉の指定だと思う」

 そう言って色の名前の一文字にまるを1つつけると、ベルナールは頷いて引き継いだ。

「……何が、わかったの」

「今すぐ、信用できる騎士を、王都の南部国道へ。フィリグリー家の屋敷にいる人には察知されないように」

「え?」

 この、探偵役がすらっと結論から言って、倒置法的に推理をたどり直していくプロセスは、ミステリあるあるですが、興奮が高まります。

 ものごとを推理する──考えを整理し、真相に近づくプロセスは、実はその見かけに反して、ちょっとした論理のジャンプを必要とします。
 もちろん、突拍子もない結論だけを言っても伝わりません。「風が吹けば桶屋が儲かる」。そんなことを言われても「はあ?」か「……はあ」としか言えないでしょう。

 それってあなたの感想ですよね?
 いいえ、ケフィアです(古い)。

 とまあ、こういう過程をすっ飛ばしてあれやこれやを言う表現は、その見かけのキメ、パワーワード感を出す反面で、「わかりにくさ」「センス依存」なことがあります。センスでものを書く、というのはどうしても上記の羅列に多少のネットミーム用語を理解しているかそうでないか、で読者に格差を生むデメリットもあるのです。
 お話を面白く、それも、読者を没入させるひとつの仕掛けとして、1~6までの思考プロセスを、1,2,3まで言ったらいきなり「6」を宣言してしまうことです。すると4と5に本来あるはずのものを読者は推理し、考えなければなりません。それが作品に身を乗り出し、想像力によって補填し、作品を「わかった!」という気持ちにさせる。正確にはこれは作品を「わかりたい」という気持ちにさせられているのです。こうしたリズムの意図的な省略によってストーリーの加速と興奮をつくることができる。

 一般的にこうしたことは「伏線回収」とも言われますが、もうちょっと文章の構成上の仕掛けだと思います。すなおに面白すぎて脱帽しました。ついでにカツラも取りました。ツルッツルです。

■印象値まとめ

・めんどくさがりの令嬢探偵が
・男ふたりをこき使って
・貴族社会の謀略を解明するミステリ・サスペンス

※草

▼評価
読後感    :★★★★☆(第一話でふわっとしていたことが急に回収されてびっくり。謎解きによる真相解明のスリリングな感じもよかった)
今後へのフック:★★★★★(続き、まだあ?!)
印象値    :★★★★☆(本があったら最後まで読みたい)
・Final評価    :13/15
◆2nd評価    :12/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :42/50

かがやき損ねた星たちへ 3話

前回までの整理と印象値

 本企画のイチオシ3号です。ちなみにいい損ねたのですが2号は「一日勇者」です。
 本作についてはしょうじき技術的なアラも少なからずあるのですが、それ以上に題材への取材力・熱量、そして文体が良く、作家性の魅力があふれています。この作者の他の作品もきっと面白いだろうという期待が厚くあり、『贋作公主』と並んで作家性の良さが魅力となっております。

 しかも、エンターテイメントとして、読者を楽しませることを怠っていないところがシンプルに尊敬してます。
 わたしもこういう社会派ァな題材をわりと扱うんですが、コメディ描写がいまいち振り切れないんですよね。重いところはきちんと重くする一方で、作品のトーンがキャラクター小説的な方向に振り切れないのは個人的な作風の弱点のような気がします。そんな自分語りはヨソでやりましょうね~。

 (´・ω・`)はい

 で、そんなこんなで、「キャラクターを立てる」「世界観を出す(作家性の魅力を出す)」「文章にきわめてソリッドなものがある(これも作家性の魅力)」という三本の柱がこの作品の魅力ですね。あとはテーマ的なもの、物語を進行する場面構成的なものをどう扱っていくかで、この作品はもう一段階えげつないメガシンカの可能性を残しています。わくわくしてます。

 筋書きとしては、ようやく殺人事件的なものが出てきました。はたしてテロリストグループとの関連は、そして殺人事件そのものがどうなっていくのか、つながりはまだ見えませんが、強烈なヒキとかあるとうれしいなあ。

本文感想

「警部、どこに行くんだろう。平日なのに」
「お見合いだよ。仕事を辞めて結婚しろ、って親がうるさいらしい」
 案外、江田警部も苦労人のようです。
「どこで知るんだ、そんなの」
「僕と警部は、赤い糸で結ばれてるのさ」
 私は薫を無視しました。志村に至っては聞いてすらおらず、敷地の入り口で何かにカメラを向けていました。

 こういうところにキャラが立ってるの憎いなー(言い方)。

 興味深い(というか勝手にわたしが興味を示している)のは、この作者の場合は言動の行間でキャラが立っているんですよね。『贋作公主』が同様に世界観の作り込み、ディティールの表現に富んでいるにもかかわらずキャラとしては弱いというのと、対比的に考えてみたいところです。
 ひとつ大きいのは、この話における人間関係(人物相関図)の矢印の引き方です。『贋作公主』の場合、明確に出自や身分・育ちによってその関係性の絶対さが固く結ばれているのに対して、本作の人物相関図は組織的なものと感情的なものとにうまくレイヤー分けされている気がします。「組織的なもの」というのは、プロットとして必要な「利害関係」や「上下関係」、「対立関係」の整理を意味しますが、「感情的なもの」はどちらかというとあいまいで変化しやすく、当人に掛ける言葉の重さ/軽さのようなもので作られているように思います。また、キャラクターの行動原理も作中世界とは独立して設けられているところにその妙味があるのでしょう。

 例えば、刑事部捜査一課の刑事としての私:吉永嶺次郎と長谷川薫は、組織上は”同僚”ですが、感情的なやりとりでは、吉永→長谷川の線で「躾ける・なだめる・受け身になる」というフォームがあり、その反対の線では「軽口を叩く・からかう・口出しする」というフォームがある。第一話の冒頭をわたしは文句を付けましたが、読み返すとこうしたキャラクターの言動・行動の原理をきちんと明晰に書いている点はシンプルに上手いです。
 また、江田警部に対する人物相関図も吉永・長谷川の両者に微妙な含みがあり、それが会話の行間、ちょっとした言い回しの中に入り込んでくるあたりが、人間関係の立体感を作っています。

 2ndSetの『幻獣牧場の王~』の項目で、わたしは小説の人物造形におけるラウンドキャラクター(立体的な人物像)とフラットキャラクター(平面的な人物像)というものを説明しました。これ自体は過去の小説家の遺産なので大したことではないのですが、この考え方を発展させてみるに、人物相関図そのものにおいても「立体的なもの」と「平面的なもの」があるのではないかと思うようになりました。そんなに単純に考えていいかはわかりませんが……
 人間関係の層の厚みを考えてみると、思ったよりも単純化できないことに驚きます。仕事をともに行うパートナーを、たんに”同僚”としてみるか、”友達”としてみるか、”仲間”、あるいは”同志”としてみるか。このなかのどれかが最適、というわけではなくて、リアルな線はこのなかのどれもがそれぞれパーセンテージで揺れ動きながら、それっぽくバランスを取っているのが人間関係の実際というものではないでしょうか。

 だから、「かれの考えていることはよくわからんが、とりあえず面白いことやってるし楽しくやったろう」とか、「愛想はいいのに信用ならん」とか、そういうグラデーションを持った人間関係というのがある。第一、信用と信頼もニュアンスを求めれば違う意味ですしね。そうしたところに関心があるかどうかでも、人物相関図の組み方は作家性が出てくるはずです。
 本作は、その関係性の絶妙なグラデーションを、よくわかっている感じがします。だから公安部の志村というキャラをさんざん茶化しながらも、嫌味なやつであること描きながら、それでも仕事には真剣な人間であるという側面も同時に見せている。べつにそういうことでキャラが立つわけではないのですが、キャラの深み(人間味)を出しながらも、長谷川が茶化すことでキャラ化するという面白い仕組みにもなっています。

 キャラ化とはなんなのでしょう(哲学)。

 単純な技法でいえば、弱みをつくること。それは共感可能なものであり、親近感をつくるのだという理論はあります。が、多分それだけではない。わたしたちはSNSなどを通じて複雑な人間関係、リアルとSNSなどを線引したり、しなかったりとかつてないほど複雑な人物相関図を生きています。その中で、無意識に接する相手によって見せる顔を変えている。感情の作り方も、言動も、なんならそれは会話の文脈によって平気に軌道修正できてしまう。それでもそこに個性が出てくる。

 要するに、キャラ化というのは、ある人物相関図のまとまりの中で果たす、一定の役割と言い換えることができます。ふたりの会話におけるボケとツッコミ、クラスを荒らすやんちゃ坊主とクラスを正す委員長、生活力のない女性と家事が万能な男性、すべてそのキャラ性は、かれらが生きている人間関係における、ひとつの役割の強調です。
 そして、人間関係は、人間がひとり増えるだけでそのキャラ性(人間関係内での立ち回り)が変化します。ビリヤードのボールのように、新しい球が別の球に当たって、乱反射するように構造を変えてしまう。

 吉永と長谷川というバディは、単体ではボケとツッコミです。両者は状況に応じてボケとツッコミの立場を切り替えます。第三者を割り込ませると、長谷川はかれ/彼女を茶化し、吉永がそれを制止する側ですが、ふたりだけになると、吉永がぼーっとしていて、長谷川がそれを知的にリードする立場に立つ。こうした場面ごと──というより、その場面に置かれた人物の数・構成によって、ふたりの立ち位置は細かくスイッチしていって、ドラマを拡げたり掘り下げたりします。
 こういう相互の関係性が、状況に応じてダイナミックに動いているところに、関係性の立体感があり、それがちょうど、キャラが立っていて人間味がある状態の魅力につながっているような気がしました。そして同時に、この物語の本質的な領域も、キャラとその関係性の多面性・立体感を通じてテーマになってる感じがします。

 本作はこの話で非常にテーマ的におもしろいものを暗示しました。それは「大学生が左翼活動という青春を楽しんでいる」というフレーズ。そしてその直前の警察官をほのめかす三連句「権力の犬、社会の歯車、そして、かがやき損ねた星」です。
 本作のタイトルは非常に暗示的です。歴史的事実に取材し、(なろうの規約的に厳しいところがあるので)巧妙にリネームして題材を調理する、いっぽうで、なぜこの物語をつくるのか、という根本的なところに、わたしは個人的に興味がありました。

 表面的には「それはまだ終わっていない物語だから」というふうに1stSetのときは述べております。つまり歴史的な過去ではない、ということ。現在もなお生きていて、生き続けている人間の物語だと。
 しかし現実はどうでしょうか。
 例えば。丸の内の高層ビル街を歩いていて、事件現場だったところを振り向くことがあるでしょうか。そもそも丸の内に行かないよこのボンボンが、て言われたらごめんなさい。わたしも丸の内は行かないです。それはさておき、わたしたちの生きている現実は、生きている場所にはそれ相応の歴史的なものが〝見えない形〟で蓄積しています。平将門の首塚とか原爆ドームのような目に見える形で残っているもののほうが少なく、わたしたちはそうした過去を想像によってしか視ることができません。

 事件の当事者が取った手段を肯定するべきではありませんが、かれらが理想化した社会とは、現代は真逆の方向に突き進み、結果的にはそれは〝なかったこと〟として埋没されているようにも思えます。
 この透明化された事件、事象というものが、世の中にはあまりに多い。それはわたしたちひとりひとりの意識の低さの問題なのか、それとも、そのことに注意も関心も時間も割けなくなっている社会構造の問題なのか。この場で考えても詮無きこと、しかしそういう想像力というものを、どこかで失ってしまっている。そういう負の座標が、この物語の軸をなしています。

 「これはお前らへの脅迫だ」──江田警部のこのセリフで始まるこの物語は、吉永と長谷川に向けられたこのセリフは、かれらが視点人物なのもあいまって、読者自身に呼びかける警告のような役割も果たしています。
 そして同時に、かれらは捜査のプロセスはつねにゴミ漁り、人の経歴、人間の手癖・習慣・生まれ・育ちの再発見の連続です。黒澤明監督の『天国と地獄』(1963年)の中では、すでに車のナンバーや車種の特定に基づく聞き込みや、似顔絵・写真撮影による捜査資料の収集、偽情報による犯人の撹乱などの捜査プロセスが描写されており、本作のそれとは時代の前後こそあれ、矛盾はしません。人物の出自・生活態度の観察による推理的な捜査は松本清張の小説で読んだ気がします。
 しかし志村のキャラによってことのほか「ゴミ」が強調されていく様子は、歴史的事実(たしか実際の捜査もゴミ捨て場のゴミの有無で公安対策してたはず)とは関係なく、物語的な作為も感じます。この作為は悪い意味ではなく、むしろ物語を構成する重要なテーマです。

 つまり。
 かがやき損ねたものたちは、社会のゴミなのか、という問い。

 ゴミは、人間が生きた場所にしか発生しません。それは人間が生活することによって排出され、人間がその生活を行う上で「無駄」「邪魔」「不要」と判断したものを、その生活の表舞台から消すことによってゴミたりえます。つまり「かつては必要だったなにか」です。それが、用済みになってあらぬ場所に放り出されたものです。
 本作では左翼活動を美的なもの、輝かしいものとして吉永は語りますが、歴史的な理解は異なります。一般に共産主義運動は1960年代後半に世界的に沸騰し、「政治の季節」という名前によって記憶されます。全共闘によって東大を始めあらゆる高学歴の大学が乱闘の舞台となったのが1968年から1969年のこと。この間三島由紀夫は単身東大に赴いて大学生と対峙し、村上春樹は大学から距離を置いて過ごしていました。その後、1970年に三島は市ヶ谷で自害し、「政治の季節」は1972年のあさま山荘事件で終焉を告げたことになっている。三菱重工爆破事件は1974年のこと。つまり「政治の季節」の狂宴の、まさに後の祭りの状態から連続テロが開始する。すでにかれらは政治的には捨てられた存在、ゴミの下──アンダーグラウンドに生きることしかできない存在になっていました。

 この話で「かがやき損ねた星」という言葉は、吉永が自分自身に対して言う形容表現です。が、これはいずれ回収されるでしょう。犯人(ホシ)たちを指して、「おれたちがかがやいていた時代はもう終わったんだ」という切なさすら帯びて。
 そしてかれらを「ゴミ」として見放したわたしたち自身が、そこに取り残されるはずです。かれらは人間でした。少なくとも、親近感を持って、興味を持てる人間だったという感触だけを残して。

 ……なんてことを妄想したので置いておきます。

■印象値まとめ

・刑事部のバディが公安部と協力して
・さまざまな虚実を錯綜しながら
・テロリストグループを追いかけるミステリ・サスペンス

※かっちょええ!

▼評価
読後感    :★★★★☆(軽く読めて、重く響く)
今後へのフック:★★★★★(ヒキとしてより、物語への興味が強く駆り立てられている状態)
印象値    :★★★★★(主人公の掘り下げと同時に物語の全体感が見えてよかった)
・Final評価    :14/15
◆2nd評価    :15/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :46/50

失翼の龍操士と霹靂 3話

前回までの整理と印象値

 この話は第二話で急に盛り上がってきました。うわー、これだよこれ、って感じです。ハイ・ファンタジー好き(もっといえばおとぎ話好き)には非常に刺さる美しい物語を期待できますし、その通りでした。

 なにより物語の舞台装置(上=空、下=地の意味づけ)が明確になっているため、ドラマのつくりが的確で、希望が持てました。わたしたちはドラゴンに乗ることはできませんが、ドラゴンとともに飛ぶ空の美しさは想像力によって視ることが出来ます。それは自分の心の黒い雲の向こう側にある光です。こういうものを期待させ、説得力のあるストーリーのもとで表現ができることが空想を是とする物語の強みなのです。
 いっぽうで、この話を絶賛するわりに厳しいことを言うと、こうしたことは読者の暗黙のうちに、直感的に連結することであって、本来は言語化されないものです。言語化は作家志望のあいだでかなりポジティブな意味で用いられることが多いですが、個人的には危険な代物と思ってて、実はその対象に関する感動をベタなものにしがちなんですよね。でも言語化してキャッチーなものにヒトは近づくのですが、どうもこの辺、ややこしいです。

 実は第二話でさんざん肯定的に評価はしたものの、Finalでは少し厳しいことになるかなという気がします。というのも、もうやることが決まっているからです。主人公が下しか見れていない状態が、ようやく顔を上げて、龍と向き合っている。
 その状態から、眼の前の障害があって、ふたりでそれに対処するだけなのが第二話の終わりでした。要するに予想通り・期待通りのつくりが求められていると思っていたほうがいいです。アニメなら主題歌を流すアツいシーンが続くのですが、それに類する演出的なきめ細かさが、この話の満足度のキーになるでしょうね。

本文感想

 うん。うん。そうだね、そうだよね~。

 予想通り、期待通り。こういうのは予定調和的な終わりですが、ここでいう予定調和って悪い意味ではないです。『古畑任三郎』が犯人を自白に追い込めない話なんて見たかない。『名探偵コナン』の未解決事件ファイルなんて見たいわけじゃない。だから、ある種の物語はこういう予定調和と真正面から向き合うので正しいのです。
 そこを、あえてひねらなかったことが非常にすばらしい。わたしはここにひねりをくわえようとして何度も足首をひねり、捻挫しました。

 ひねらない王道の構成と、演出面で底支えする舞台装置。この2つについて本作は非常に抜きん出た強みを発揮してくれました。プロットをシンプルにする場合、世界観や舞台装置の面できちんと整理をしないといけませんからこの点ていねいなつくりで勉強にもなります。
 いっぽう、本作ではその構成をちょっとぐらつきかねない文体上の微妙なブレ(特に第一話で頻出した〝ぼやき〟と説明口調)と、エレアとソロの関係性の固定化が漠然と気になりつつあります。

 まず、ぼやきと説明口調については、詳述はしませんが、どうしても没入感を阻害します。ぼやきは自分で自分を俯瞰するからですし、説明口調は世界を「あるもの(実在を体感するもの)」ではなく「そういうもの(言われたとおりに理解するもの)」に変換してしまうからです。
 本記事では読中感・読後感を言語化することにあまりにも多い字数を割いていますが(しんじゃう)、同時にわたしの吐き出す言葉の熱量をどこか冷めた視点で見てほしいと思って定期的にふざけるようにしています(しんじゃう)。それは原則的には「よかった!」「おもしろかった!」という言葉の裏とか奥にあるものを探る感性の旅なのですが、同時に、言葉にしようがなく感動したことや実感したことを、まるで精密機械をバラバラにして「しょせんはネジと歯車なんだ」と貶めるしぐさにも似ています。だから、ほんらいこうしたことはほどほどに収めておくほうがよいのです。

 それをあえてリミッターを外して、このようにしたり顔のように、偉そうに語っているのは、それでもやる必要があると思ったからでした。
 うるせー、ごちゃごちゃ言うな! て方には申し訳ないので、わたしの感想はてきとうに読み飛ばしてください。

 で、いちおうこの記事をここまで読んでくれた方の期待には応えたいのでその先を言いますと。

 物語を楽しむときに、読みながら「頭で考えること」と「想像力で体験すること」のあいだには微妙な差があります。「理解」と「体験」の差といえばいいのか。例えば体育の授業(一部の人には思い出したくないであろう悪夢の時間)では、先生の言われたとおりに身体が動くかというと、そうではない。そこ、逆上がりができなかったことを思い出してキレない。で、身体が無意識にできることを説明しなさいと言われても、なかなかできない。一流の選手が一流のコーチではなく、一流のコーチが一流のプレイヤーだとは限らないという話で言えば、よくあることかなと思います。
 身体を動かすということについては、そうだと言えるのに、こと小説を書くときにおいては、微妙なズレが有る気がします。つまり「言語化ができていることは理解できている。だから表現できる」という感覚です。たぶん小説においては言葉がすべて、だからそう思われるのも無理はないと思うのですが、ちがうのです。小説における表現は、体育でいう身体を動かすこと=実践の領域であって、頭で理解すること=理論の領域とは回路が異なります。だから、説明的に作品世界を紹介し、提示できたとしてもそれは没入感たっぷりのリアリティにはならないのです。

 おそらくそれは、現代国語における評論文と小説というサブ科目によってある程度線引きがなされたものです。だから、気をつけましょう。やくもはしょせんアマチュアの小説書きであることを、ゆめゆめおわすれなきよう。

 とにかく、この作品はその作品性から言って、エモさに特化した作品のように思います。そのためエモさに貢献しない要素──とくに文章のラインで徹底的に添削したほうがいい。ちょっとその辺が気になったのと。
 あと、この話は恋愛になってしまうのでしょうか?
 いや、人間・龍の年齢的には問題ないのかもですが、おっさんと少女──あれれ? いやでも『狼と香辛料』でも年の差だしなあ。うん。

 なんかそういうことが読み終わってから( ゚д゚)ハッ!となる瞬間があり、エモさに振り切れなかったところが1%くらいありましたね。そこが惜しい。

■印象値まとめ

・やさぐれおじさんと
・前世が龍の女の子が
・再びタッグを組み、大空を翔ける話

※コンセプトは明快だが、主人公ズの組み合わせが『幻獣牧場の王』と被ってしまったのでもうちょっと強く印象を残す要素があってもよかったかもしれない。内容はとてもいいが印象値を更新するほどではなかった。

▼評価
読後感    :★★★★☆(予想通り、期待通り)
今後へのフック:★★★★☆(物語をつなげる謎がしっかりある)
印象値    :★★☆☆☆(中身の良さに対して、けっこう記憶被りしそうなキャラの布陣だった気がする)
・Final評価    :10/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :38/50

官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である 3話

前回までの整理と印象値

 これも第二話は少々苦しかったですね。主人公の日常世界の掘り下げ・広がりがないので結局「主人公がヒロインをどう思っているか」というただ一点だけがドラマの軸になっていて、それは基本路線お預けを喰らったまま遅々として進まない。その感じを良しとするか、嫌と感じるかでかなり評価が分かれてしまう。
 あらすじで書かれていたことを実現する方向に話が進んでいるのはわかりつつも、「卒業式」というイベント自体がなんらかの努力や行動を必要としない、時間の経過とともに発生するイベントだというのもこの話の引っ張る力を弱めてしまったことの原因かもしれません。何事も引っ張っていけばいいわけではないのですが、登場人物のこれからや、その後について読者が関心を持つには、もっとたくさんの要素の掘り下げが必要なのですが、それがないまま字数を使ってしまった無念さもあります。この手の話を見るとわたしは『とらドラ』や『やはりおれの青春ラブコメはまちがっている。』などのライトノベル作品を連想するのですが、ああした作品は、けっこうくだらないけど明確に主人公が取り組まないといけない事件・イベントがあってそこに向かってアクションを起こし続ける感じがよかったです。といっても筆者のラブコメ・ライトノベルの記憶が古すぎるので、最近はそうじゃないんだと言われればそのとおりです(´・ω・`)

本文感想

 あれっ、これ短編だったっけ……

 けっこう急展開に次ぐ急展開だったのですが、なんだかみょうな感じを受けました。卒業式ってそういう意味かあ。
 これ、やっぱりというかだいぶ残念だったと言わざるを得ないのですが、冒頭18,000字の枠でする内容としては、段取りが先にありすぎたような気がしてます。特に主人公とヒロインのあいだの感情がゆっくり温まっていく感じが薄く、(おそらく第二話がそのフェーズだったのですが空振っているので前フリとは思えません)えらく性急な感じがしました。

 あと、ヒロインの置かれている状況が第三話の決定的な場面になるまでかなり設定的で、読者の高いリテラシーをアテにしているような気もしてもんにゃりしました。R18小説を書くこと自体が隠し事になってるヒリヒリ感が、あまりにもなさすぎる。第一話・第二話で積み上げてきたかすかなリアリティを一気に台無しにしてしまったように思います。
 とくにヒロインを攻撃する教頭先生や、ヒロインの正体を漁るマスコミorジャーナリストの存在がきわめて薄っぺらな印象で、そこにはもっと実在する人間がいるはずなのに、なんなら彼女とかれを巡るクラスメイトもいるはずなのに、すっかり背景に溶けて透明になっている点もいただけません。第二話で指摘したとおりです。主人公を取り巻く日常世界、とくに「同級生と過ごす日常」をそもそも描ききれていないため、それが「ヒロインと過ごす別の日常」とすれ違う緊張感も、それが交差してヒロインのいる日常が壊れる悲しみも、なんだか最初から台本があってすすんでいるような感じで、「あちゃー」という気持ちでした。

 もし。登場人物を増やさずにこの筋書きで進めるなら。
 もう少しやってほしかったことのひとつに、ヒロインが官能小説家をし続けることの”本当の動機”の掘り下げがありました。

『私という存在は 一体いくつの苦悩から 生まれているのだろう』

 この言葉、この一文があったことは、少なくともこの物語のなかでもかなり優れた表現のひとつです。むしろこの一行が、この物語の最も重要なモチーフだったのではないか。そのような感じすら、覚えます。
 しかし、このフレーズがほのめかされた瞬間になし崩しに性愛のシーンに入っていくので、肝心のことが伝わらないまま話が進んでしまいます。むしろこのフレーズを冒頭に持ってきて、その言葉で表現することになったヒロインのことをもっとちゃんと日常のなかで見つけていく話がよい。

 賞をひとつ取る、それも国内で高評価を得る「本屋文藝賞」とは、「本屋大賞」と「野間文芸賞」あたりの折衷に見えますが、R18小説が高い評価を得て一般文芸の大賞を獲得した事例は実際に存在します。
 窪美澄さんの『ふがいない僕は空をみた』の山本周五郎賞などがそうです。実際の本屋大賞受賞作品である『52ヘルツのクジラたち』の作者町田そのこさんも、R-18文学賞によって文壇にデビューしました。ほかにも『あの子は貴族』の山内マリコさんや、『成瀬は天下を取りにいく』でベストセラーになった宮島未奈さんも、R-18文学賞からのデビューです。女性が書く官能表現を含んだ文学作品は、一般文芸の領域ではかなり根強い読者層を開拓し、大型の書店では絶対に置いてある著名作を続々と輩出しています。

 本作はライトノベルの領域ではありますが、そうした実在の背景をもとに青春ラブコメのガワを被せたものだと解釈していました。が、ちょっとこれは納得がいかない。
 もちろんポルノを書くことに専念する作家もいるし、そうした作品を書く方々を蔑むわけではありませんが、いっぽうで、小説を書く人間を主人公格に置く物語であるなら、一人のクリエイターとして物語を書くこと、書き続けることの執念や思想に近づかないのは題材の持ち腐れです。とくに青少年が性に持つ関心の、危うさや傷つきやすさといったものは、蓼科というキャラクターが一見非現実的な造詣だからこそかえってリアルに書けるはずのもので、それをまったく無視したこと──とくに、なぜそんなに淡々と研究し書いていられるのかという点に関しての、心理的な掘り下げがないのです。そういうものにタッチしない作品が、『本屋文芸賞』を本当に取れるのか、そういうところにもリアリティがなくなってしまっています。これはいくら官能小説が「ファンタジー(繰り返しますが、こういう言い方は嫌いです)」だったとしても、そうしたものを信じるに足るだけのリアリティがあってほしかったですね。

 受賞作には、それなりに心を打つものがあるはずです。それに近づくことが、青春時代における性への不安だったり恐れだったり、危うさや傷つきやすさだったり、そうしたものとつながってないはずがないでしょう。
 というか、それだけのものを表現するにいたった作家性の軌跡をたどるのも、こうした状況設定のみがなしうるひとつの可能性だったのです。惜しい。もったいない!!!!

 もういいたいことばかりでしたが、この辺にしておきます。お疲れ様でした……(´・ω・`)

■印象値まとめ

・平凡な主人公と
・官能小説家をしている女子高生とが
・なんかいろいろあって愛を育む話

▼評価
読後感    :★☆☆☆☆(期待外れ)
今後へのフック:★☆☆☆☆(短編としてのまとまりがあって、今後どうするつもりかわからなかった)
印象値    :★★☆☆☆(構造の弱さがモロに出た感じです)
・Final評価    :4/15
◆2nd評価    :8/15
◆1st評価    :16/20
◆総合評価    :28/50

魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~ 3話

前回までの整理と印象値

 第一話ではドラマ的にもストーリー的にも劇的なものがありましたが、第二話は主人公の悪夢の詳細に字数を割きすぎていて、ちょっと展開的にはスローな印象を受けました。前世と思しき平凡教師の”宿敵”が今後何かしらのかたちでストーリーに絡むのはまちがいないと思うのですが、そのプロセスが少し説明的で、主人公が何と向かい合って何を克服する話なのかが少々わかりづらくなってしまったきらいがあります。
 そのため、第三話で挽回するなら、じぃちゃんと一緒にたどりついたその場所がどこで(おそらく魔法学校でしょう)、そこで主人公がどんな出会いを果たすのか、といったところに関心があります。寄り道したらゆるさないぞ★

本文感想

 予想とは異なりましたが、ちゃんと現在形で主人公のストーリーが展開してくれました。ハイ・ファンタジー好きにもうれしいつくり。

「客として呼ばれたところに着いたなら、雑事は人に任せなければならない。使用人たちの仕事を奪ってしまうからな」

 こういうセリフで、身分制に触れてくれるところもネット小説とハイ・ファンタジーのうまいミックスで好きです。
 状況や情景をひとつひとつ描いて、ていねいにプロセスを進行させていくのはこの作者さんは非常にうまい。むしろ夢や回想でぶつ切りにしてしまうのがもったいないくらいで、改行をしつつ言葉を削りながら、描写を積み重ねていくほうが向いている気がしました。主人公の一人称に含まれる、ちょっとした擬音やものごとを捉える言葉選び、あるいは動きを表現する言い回しが、丸みを帯びたファンタジックな趣きと、物理的なモノ・コトの存在感とセットで屹立しており、とてもスマートな印象です。

 連れられて行った先にあったのは、応接室。
 豪奢ではないが、要所々々に、高価なものが使われているのがわかる部屋だった。おかげで落ち着いたセンスの良い場所になっていて、金銀宝玉で飾られるよりもよほど高級感があり上質だ。

 じぃちゃんが、案内された二人掛けのソファに座ったので、その横にちょんと腰を下ろす。
 すると間もなく一組の男女、そして僕と同じぐらいと少し年上ぐらいの男の子がやって来た。
(中略)
 男性は一礼すると、自己紹介をしてから、じぃちゃんに手を差し出した。それを見たじぃちゃんは、立ち上がって右手を差し出す。男性はそれを両手で受けて、握手した。
 この辺りにも、細かい礼儀があるんだろうな、と思いながら僕は見ていた。

 っと、座ってるの僕だけだ。立った方がいいかも。

 ここは一例ですが、流れる描写の連続のなかに、当主夫妻の生活態度やじぃちゃんの世慣れた態度、主人公の世慣れてない感じと、それでも目ざとくものごとを観察し、立ち回りを考える賢さも同時に表現しているわけです。

 ひょっとすると、この作者さんは師弟関係のようなものを弟子の一人称で描くような作風が上手いのかもしれません。主人公の世慣れてないのに、観察力だけが優れていて、ちょっと思ったことが顔に出てしまうすなおさなんかは、保護者目線で突っ込む人間がかたわらにいたほうが、会話もしやすく、読みやすさ楽しみやすさにつながっていきます。
 しかしこの高い描写力、師弟関係的な二人組での道中の良さをたたえておきながら、続く言葉が苦しいのですが、この話を引っ張る力は弱いままでした。おそらく第一話で勝手に解釈した「夢」の話が第三話で宙ぶらりんになったからでしょう。もちろん第二話の「悪夢」が第三話にいきなり絡んできたら、ちょっとさすがにご都合が早すぎると思ったかもしれません。ですがこの主人公がその夢・目標に向かって乗り越える課題は結局提示されず、タイトル通り流され続けて出世していくような筋道を連想してしまいます。

 それはそれで良いとは思います。
 というか、なろう小説的には充分早い。

 とはいえ、それでは物足りなくなってしまうのが書き出しコロシアムという魔境です。主人公が積極的に身を乗り出して状況を変えていくなんてことは年齢的にも難しいですが、魔法好きの主人公が何になりたいのか。そのために何をしていかなきゃいけないのか、そういったところの決意表明みたいなものが、第三話にあっても良かったかなと思います。
 ここで引き合いに出すのは卑怯かもしれませんが、似たような話に『無職転生~異世界行ったら本気だす~』という作品があります。『転生したらスライムだった件』が追い抜くまで、それなりの期間「小説家になろう」の総合ランキング1位だった超大作です。この小説は、その見かけに反してアクションを伴う劇的なシーンが序盤はほとんどなく、書籍の単行本でも2巻になるまでアクションがありません(おまけに魔法を使う場面ですしね)。

 にもかかわらず、第一巻の分量には一定の物語の厚みと面白さがあって、それはこの物語の主題が明確に「死ぬ前に後悔した人生を、ちゃんとやり直したい」という主人公の決意が明確に定まっているからなんです。
 前世では不登校になり、世の中を呪って勉強も努力もしなかった。そんな主人公の前世に対して、ルーデウス・グレイラットという名前で転生した『無職転生』の主人公は、だから魔法の訓練をちゃんと行います。おかげでかれは早熟な天才児とされ、魔法の家庭教師ロキシーと出会います。かれは前世で家族と向き合うことはしませんでしたが、今世ではその家族と何度も向き合うことになります。その世界が異世界だったとしても、そこで直面するできごとや判断のドラマは、「実人生のやり直し」と言っていいほどの葛藤・懊悩の連続です。

 もちろんそういうテーマの話は、『無職転生』がやりきってしまったためおなじことをしろというのも変な話だと思います。
 ですが、せっかく改行が多く、行間に含みをもたせた良い描写と、「悪夢」と「夢」の巧妙な舞台装置を設けたのだから、そうとは言わずとも、読者が主人公を追いかけることによって得られる感動の質について検討すべきだったかなと言う気もします。それがあるだけでドラマが生まれ、読者も物語に強く魅せられる・惹かれる要素を持ちます。

 すでに作り手が氾濫している昨今、ただ「面白い」というだけではおそらく弱いのです。「面白い」というのは端的に言って作り方の問題だ、というのがわたしの勝手な持論です。だから、このような記事を書いて延々とくだらない説を垂れ流している。
 いっぽう、現代の読者が求めているのはそうした客観的な「面白さ」ではなくて、読み手個々人にとっての欲求・マッチングです。「これは私/俺/僕の欲求を満たしてくれるのか?」という問い、それは特に、「私/俺/僕の〝好き〟な作品なのか?」という問いかけとほとんど同義です。わたしが高評価を与えた作品は、自分の観点で「良いものだ」とは言えます。しかし「あなたが好きな作品だ」とはなかなか言えません。好きなものというのは究極的に神聖化した個人の領域なのです。だから、あくまでつくりとして問えるのは、「その物語はだれを刺したいのか?」という設計レベルの問いでしかありません。

 面白さのその先へ、この作品には、もっとそれを考えることで化ける余地を感じました。

■印象値まとめ

・魔法使い志望の男の子が
・悪夢に悩まされながら
・自分の夢に向かって少しずつ流されていく話

※流されていくっていうのがちょっとインパクト弱いかも

▼評価
読後感    :★★★★☆(思ったより悪くない)
今後へのフック:★★★☆☆(物語が何を提示しているのかがわからず、それがこの先を読む手を止めている)
印象値    :★★☆☆☆(ちょっとインパクト薄いかな)
・Final評価    :9/15
◆2nd評価    :7/15
◆1st評価    :18/20
◆総合評価    :34/50

Flight to Chaos  3話

前回までの整理と印象値

 徐々に加速していく展開の緊張感がよかったです。字数配分もわりとよかったのですが、これは第三話まで通しで読む前提なのだろうな、という尺の取り方が仇になった気もします。この企画のなかでは比較的推しているのですが、他作品の推し度のほうが高く、そちらに偏ってあまり応援できていないのが我ながら悔しいです。
 第一話でゆっくりと動いた物語の機体は、第二話で火花を散らしました。第三話ではさらに悪化していく状況が楽しめるでしょう。でも、主人公のリアクションが少し見えそうなのが厄介ですね。完結済み長編ならかなりブースト力が高いはずです。ただ……

 そこから先は、本編を読みながら書いていこうと思います。

本文感想

 サスペンスがうめええええ。もうどきどきわくわくします。

「かまわん。俺が責任を取る」

 松永に上昇志向は無い。職務を全うしていたらたまたま今の地位になっただけだった。

 アクション映画で気持ちいいのは、こういう職務と物語の円滑な進行に貢献するプロフェッショナルの存在です。ツボをよくわかっている。
 ある種の紋切り型といえばそうなのですが、スリラー・サスペンスの類が主だって扱うのは非常事態です。そしてその非常事態に対抗する人間を描くことで、人間の活力と、わたしたちの生活・日常世界を支えているプロフェッショナルの意志を知る。こういうところも、アクション映画やスリラーの持つジャンル的な魅力だと思いますね。

 例えば、今日はもうほとんど読まれていませんが、アーサー・ヘイリーという作家がいます。『自動車』『大空港』『ホテル』などの翻訳で有名で、いちおうこれらは映画にもなっています。特に魅力的なのは小説です。かれの小説を読めば、『自動車』なら当時のアメリカの自動車業界が、『大空港』なら空港や航空機で働くひとびとが、『ホテル』ならホテルで働く支配人から料理人までが、緻密な取材によって裏付けられて時計の歯車のようにチクタクと機能しているのがわかる。そのような背景描写の厚みがあります(ちなみに、アーサー・ヘイリーの未訳の小説に「Flight Into Danger」という作品があるのですが、まさかね……)。

 本作品も、その描写の細かいところに航空業界で働く人間のことが挟まれており、おそらく事実に基づいて書かれているはずです。その知識の肉付けによって、相互の頭脳戦や会話の駆け引きが発生する。緊張感がA級のアクション映画のそれで、惚れ惚れします。

 そして、ようやく主人公のお出ましです。

 それまで日常世界にいた主人公ですが、非日常がおそいかかり、緊迫した場面になるかといったところで幕切れです。続きよみたーーーーい!!!

 という気持ちだけで締めてもいいんですが、本編で明らかになるかどうかはさておき、気になること、プロット的にどうしているかが不思議なところがあります。それは、どうやって銃器を飛行機に持ち込んだのか? です。
 副操縦士が関係しているのはまちがいないですが、かれがクロだったしても、客席に銃を持ち込むことを可能にできるとは思えない。ということは荷物検査をスルーする人的・技術的トリックがあるはずなんですが、その辺はまったく詳しくないんで「そんなん気にするまでもないぜ」と言われたら、それまでですね。

 あと、この作品は単行本一冊(もしくは上下巻セット)で完結していること前提で読んでみたい一作です。だから、全体の構成を意図的に伏せていて、情報のちら見が非常に面白い。敵はだれなのか、乗客の中に一味がどれだけいるのか、なぜそんなことをするのか、など。考えたくなることがたくさんありますね。

 サスペンス・スリラーを描くのに、わりと重要なことは、明かすべき手札を明かすことです。第三話前半の副操縦士と松永の会話は、互いの事前の状況や文脈をていねいに描写したからこそ発生する緊張感で、「お互いが隠しておきたいカード」が読者には明確になっている。ここが重要で、それを隠し合うためにどういう方法で実現するのか? という関心がサスペンス・スリラーを構成します。
 『古畑任三郎』や『刑事コロンボ』もそうですね。あの作品はミステリでありますが、犯人サイドから描写を始めることで視聴者から見た時に犯人がなにを隠したいのか、探偵が何を暴きたいのかがある程度開示されたところからスタートします。その駆け引きを実現するのは互いの演技とセリフの掛け合いです。だからあれらの作品は、サスペンスでもあるわけです。

 むしろ、こうしたフェアな情報の開示を怠って駆け引きをしようとするとかえって独りよがりな描写になりがちなので注意しましょう。わたしは何度このミスを犯したことか……(´;ω;`)

 ということで、本作も非常に面白かったです。一押ししたい!

■印象値まとめ

・不幸体質のスカイマーシャルが
・「ハイジャックされた飛行機」という密室空間で
・サバイバルし、ハイジャック犯(?)と戦う話

▼評価
読後感    :★★★★★(冒険小説の王道!)
今後へのフック:★★★★★(続きが! 読みたいです! 安西先生!)
印象値    :★★★☆☆(コンセプトは明快だがキャラ性より作品性といった趣)
・Final評価    :13/15
◆2nd評価    :13/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :43/50

幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜 3話

前回までの整理と印象値

 本作に個人的に期待しているのは、「癒やし」のバラエティ番組です。言っちゃなんですが、「お涙頂戴」っぽいものをなんとなく期待してます。

 これだけだと聞こえが悪いので、ただちに釈明(言い訳)に入るのですが、世界観自体が「戦争」を強調することや、引退後の主人公をいうものを示すのに対して、どうも想定している読者像が「疲れている人間」という印象があるのです。本作はそうした読者に対して「回復」の作用を提供しているように、第二話の流れでは見えたのです。
 いつの頃からかはわかりませんが、二〇〇〇年代の後半から、ファンタジージャンルが読者に「癒やし」を供給するようになった分かれ目があります。すでに『ロード・オブ・ザ・リング』や『マトリックス』、『ハリー・ポッター』シリーズなど、SFXを駆使した壮大な非日常体験を強調するSF・ファンタジー大作はありますが、これらはまだ「冒険」のていを保ってました。しかし2011年の新潮社日本ファンタジーノベル大賞の選評にて、荒俣宏さんが言った次の言葉が結構記憶に残っているので引用します。

 (前略)数年前から応募作にこういった現象が見られたが、ここまでトーンが一緒というのは初体験である。その傾向とは、「内に向かっての逃避」である。20世紀以来、ファンタジーというジャンルでは「逃避」をテーマに掲げることが流行し、『指輪物語』の著者トールキンも堂々と逃避としての文学の意義を論じたものだが、どうも昨今の「逃避」は苦難の旅というよりはリゾートへの閉じ籠りに近い。異世界の可能性探究というよりは健康ダイエットのような安心志向に動機づけられているのだろうか。

 その結果、今回の候補作はどれも心優しく、また鋭さや追究を好まない。それが現在のファンタジー愛読者に期待される主要素であるならば、それでもかまわないのだが、どうも物語性に力が希薄なのだ。

選評 荒俣宏 「味わいが類似しすぎるのは何故?」より

 あと、ついでなのでおなじ記事から鈴木光司さんの選評を引用。

 以前、ある月刊誌の依頼で、次のようなアンケートに答えたことがある。
「あなたは無人島に流されることになりました。持ち込める道具は、ふたつだけです。さて、何を持参しますか?」
 同様の質問が数十人の作家に送られ、集計して次号の目玉にするという。
 さてアンケート結果が掲載された月刊誌を見て驚いた。半数近い作家が、「ドラえもん」と答えていたのだ。
 確かに、「ドラえもん」の魔法のポケットがあれば、無人島は天国(ファンタジー)に変わる。ウィットに富んだ答えを返したつもりで、豈図らんや、アンケート回答者の思考パターンが重複してしまったようだ。

 ファンタジー小説を書こうとして、安易に「ドラえもん」を持ち込めば、表現でもっとも大切な独自性が失われると、示唆している。

選評 鈴木光司 「ドラえもん」より

 この文面はむかし「小説家になろう」の異世界転生ものを批判するのにだいたいおなじ言い方ができるなあ、と当時筆者は思っていたのですが、おそらく昨今の「ハイ・ファンタジー」ジャンルのWEB小説を説明するのにこれだけ端的な表現もないのではないかな、とも思います。
 上記は否定的な文脈で扱われていますが、結局現今アニメやコミカライズなどで展開する「異世界」の多くは、少なからずこの内容と合致するものも少なくありません。ということはそうしたものが結局「現在のファンタジー愛読者に期待される主要素」だったということなのかもしれません。本作に限った話ではありませんが、いくつかの「ファンタジー」を読んでいるとそう思わされることがありますね。

 だから、いちおう本作にもそういった要素を期待してみようと思います。
 言ってみれば、なろう版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』です。

本文感想

 はいはいはい。やはりそうきたか。

 といっても、これ以上はないでしょうね。思っていた通り『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』的なつくりです。
 大戦の設定と、その傷を受けた人々を癒やす物語。ちょっと泣けてくるところもあって、すごくいい出来でした。個人的にはこれ以上欲張るところはないかなあってくらいの話のまとまり方で、ストーリーに対してキャラクターが粗末になっておらず、構成もゆったりできています。

 シンプルに単独で短編であったら高評価押したいですね。

 ファンタジージャンルについて、個人的な思いはあるのですが、そういったことをこの作品に当てるのは筋違いなのでしません。本作はあくまで「癒やし」というところに焦点を当てて、ブレずに落ち着くべきところに落ち着いた。そういう満足感がありました。
 今後はどうなっていくのだろうか。続きがあったらもう一話(正確には第二章の終わりまで)は読んでみたいような、そういう感じです。ヒキではないところにそういう感じが湧いたのは初めてなので、ちょっとおもしろい発見だなと思いました。

 評価的なことを言うと、読後感と今後読みたくなるかどうかについては比較的高評価なんですが、「どんな話?」と訊かれるとわりと平凡な座組だよ、と答えてしまうかもしれません。
 というのも、『失翼の龍操士』とキャラクターの配置が完全に似ていて、失望したり引退したりしたおっさんを、美少女がやや強引に引っ張っていくような相関図になってしまってます。それの好き嫌いはあると思いますが、こういう類型が出てくると、キャラクターとしては少々弱くなる。作品の印象値としてはイマイチ冴えなかったという感じでした。

■印象値まとめ

・セカンドライフを過ごすおっさんが
・元幻獣の美少女に迫られながら
・ほかの幻獣とその飼主を癒やしていく話

※コンセプトは明快だが『失翼の龍操士』とキャラクター配置がダブっていて、けっこう類型的なところがある

▼評価
読後感    :★★★★★(満足)
今後へのフック:★★★★☆(続きは読みたいな)
印象値    :★★☆☆☆(ちょっとキャラクターが平凡)
・Final評価    :11/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :17/20
◆総合評価    :39/50

転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー 3話

前回までの整理と印象値

 本作はどう読めばいいのかがちょっとわかっていません。

 コメディとして読むにしても、あるいは主人公:ミーティアが困難に遭ってそれを脱出するにしても、どうにもその感動の定義がよくわからないままなのです。作品自体は好きな人には刺さるのかもしれませんが、個人的には「好き」以外の要素で作品に入っていけない感じも強く、完成度が高いだけに内向きに閉じている感触が強いです。
 物語を否定したいわけではないので、なんですが。とにかく、作品に食い込めないなりの楽しみ方を模索しながらFinalSetに臨んでいきます。

本文感想

 あ、これ『クレヨンしんちゃん』の気分で読めばいいんだ。

 なんか脳内で野原ひまわりが内面の声ダダ漏らしにして爆走している絵面をイメージしたらだいたいのことが腑に落ちながら読める。
 全体的には、最初に提示した世界観をミーティアとオリビエでしたいようにして、どんどんはっちゃけて、ぶっ壊していく話なんだなと思うとおかしく楽しく読めました。技法的なものはたくさんあるんですが、もうこの辺まで来るとだいたい説明し尽くしてしまったので、あまり補足するものがないのがちょっとかなしい。

 評価的にいうと、まず今後この話を読み続けるかと言われると、ちょっとノーかもしれません。
 毎週『クレヨンしんちゃん』見てないんですよね。違うと言われたらそれまでなんですが、ストーリー物よりは一話完結の毎週ダラダラ見れる土日のアニメ、という印象でした。

 そのためヒキの弱さも変わらずあって、もしヒキなどを意識するなら主人公に共感可能な動機づけを作ったほうがいいかもしれません。
 ただ、そういうのがなくても面白がれる話としても捉えられるので、書き出しコロシアム上不利な作品だった、と言ってもいいのかもです。

 わりとノリと勢いだけでくすっとできたので、作品が悪いとは思いませんでした。

■印象値まとめ

・お姫様になりたい女児(前世:女子高生)と
・パンクゴシックガールを生産したい謎の青年(前世:青年)が
・絶妙に対立しながらシッチャカメッチャカする話

※うわあ、なにそれ

▼評価
読後感    :★★★☆☆(コメディと思うとそんなに悪くない気がする)
今後へのフック:★★☆☆☆(毎週ダラダラ見れる感じ)
印象値    :★★★★☆(見出しだけ書くとインパクト強い)
・Final評価    :9/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :16/20
◆総合評価    :34/50

死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい 3話

前回までの整理と印象値

 本作は最後まで苦しい戦いを強いられました。恋愛とローファンタジーをミックスしたようなあらすじ、描写に凝った、しかしちょっと冗長にも見える地の文……しかしこの地の文さえ工夫できれば、内容的にはわりと面白いのでは? というのが素朴な感触でした。ヒキも強いし、脇役の配置も興味深い。あとはわかりやすさをどうつくっていくか、です。
 しかし肝心のローファンタジー要素がまだ出てきてません。お金持ちの令嬢やコインを投げ入れる井戸などの描写にローファンタジーの予感があれど、どういうふうに展開するかがまだ読めない本作、第三話で何を成し遂げるのか? わりと期待してます。

本文感想

 切々とした感じが三人称で観察するように書かれますね。こういう書き方っていまでは珍しい気がします。20世紀文学の書き方っぽい。

 自分の願いは叶わなかったばかりか最悪の状況だ。憎たらしいが祈るのが今最も後悔しない、できる手段、だからか無意識に財布に手を伸ばしてまた十円玉を投げ入れようとする。しかし、身体がまだ動揺しているのか財布を乱暴に全開したまま井戸に近づく軸足がぶれ、井戸の縁に手の甲をついた拍子に小銭が全て水に落ちる。それを黙って眺め終わると、ゆっくりと身体を起こし財布を閉める。あるのは惜しいことをしたという気持ちより、今無心で大量の小銭を入れたのだから未亜が良くなってくれないか、だった。幾分冷静になった頭で予鈴を受け入れると識途はその場を去った。

 こういう、改行をいっさいしないで、硬度を保ったまま描く情景と心理が混ざった表現は、書籍ではかなり好きな部類です。第三話に入って、磨きがかかってきた感じもあります。

「僕がもっと早く迎えに行っていれば…こんなことにはならなかったかもしれない」

お前さえいなければ。
嘆く姿を見る識途の乾いた口が動き出す。

「笠原先輩はお付きの人と一緒で車だった。普段から丁寧に送迎されている人の方が事故に遭うなんて想像できないですよ」

 真逆の言葉、先ほどまでの思考が嘘のように凪いでいる。嵐が過ぎ去ったどころか、最初から存在しなかったようだ。

「すまない、彼女に近しい人に言われて少しほっとしてるんだ」

 いよいよキャラクターが揃って、ようやく出てくる劇的な、しかし行間に激情を秘めたままかわされる会話がいいですね。

 と、思ってたら。

 えええええ??!(裏声)

 なんとなく暗示されていたローファンタジー要素が急にまくし立ててきました。そういえば本作の登場人物はみなかなり作り込まれた名前でしたが、そういうふうに来るとは。むしろ懐かしい。これは『マトリックス』みたいなつくりですね。
 今後どうなるかは一気にアクセルを踏んできた感じで、設定的にもまだ飲み込みきれてないところも多いですが、もともと持っていたヒキの強さが加速したのはあります。

 ただ、結局この作品の弱みに直結するのですが、作品の魅力とコンセプトをヒトに説明しづらいのがやっかいです。

■印象値まとめ

・片想い男子の懊悩と
・少し世間知らずの少女をめぐる
・そう、これは神々の遊び

※なんて?????

▼評価
読後感    :★★★☆☆(衝撃の展開にどうしようと思ってる)
今後へのフック:★★★★★(続きどうなっちゃうの??)
印象値    :★☆☆☆☆(ちょっと他の人に魅力を説明しづらい)
・Final評価    :9/15
◆2nd評価    :11/15
◆1st評価    :13/20
◆総合評価    :33/50

まとめ

八雲の個人的ランキング

 企画の結果とは関係なく、採点した結果が出たので最終結果です。

1位:『「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~』
・Final評価    :15/15
◆2nd評価     :15/15
◆1st評価     :18/20
◆総合評価     :48/50

2位:『かがやき損ねた星たちへ』
・Final評価    :14/15
◆2nd評価     :15/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :46/50

3位:『贋作公主は真龍を描く』
・Final評価    :11/15
◆2nd評価     :15/15
◆1st評価     :19/20
◆総合評価     :45/50

同率4位:『奥村さん家のガーディアン』
・Final評価    :11/15
◆2nd評価     :14/15
◆1st評価     :18/20
◆総合評価     :43/50

同率4位『Flight to Chaos』
・Final評価    :13/15
◆2nd評価     :13/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :43/50

6位:『深窓令嬢の真相』
・Final評価    :13/15
◆2nd評価     :12/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :42/50

7位:『奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜』
・Final評価    :13/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :41/50

8位:『うらみあい』
・Final評価    :9/15
◆2nd評価     :13/15
◆1st評価     :18/20
◆総合評価     :40/50

9位:『幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜』
・Final評価    :11/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :39/50

同率10位:『Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営』
・Final評価    :8/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :19/20
◆総合評価     :38/50

同率10位:『失翼の龍操士と霹靂』
・Final評価    :10/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :38/50

同率12位:『魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~』
・Final評価    :9/15
◆2nd評価     :7/15
◆1st評価     :18/20
◆総合評価     :34/50

同率12位:『転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー』
・Final評価    :9/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :16/20
◆総合評価     :34/50

14位:『死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい』
・Final評価    :9/15
◆2nd評価     :11/15
◆1st評価     :13/20
◆総合評価     :33/50

同率15位:『保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた』
・Final評価    :5/15
◆2nd評価     :5/15
◆1st評価     :18/20
◆総合評価     :28/50

同率15位:『官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である』
・Final評価    :4/15
◆2nd評価     :8/15
◆1st評価     :16/20
◆総合評価     :28/50

コメント

 ちょっと予想外といえば予想外でしたが、自分の中では序盤がよかったのに第二話・第三話で人間関係や日常世界の掘り下げが弱い作品にけっこう冷淡だったと思います。特にテーマ性・お話の題材の料理が思ってたのと違うってところが、(とばっちりだったとしても)かなり激減してます。
 逆にスタートダッシュが遅くても第三話で伏線回収され、一気に加速したなと感じた話には高評価で、『深窓令嬢の真相』はFinalで一気に追い上げてきたなって感じでした。

 あと、自分の好みとしては、人物の掘り下げは深いほうが好きなんですが、キャラも立っててほしいみたいで、その両立がある作品、もしくはキャラに特化している作品への評価が高かったですね。意外。
 とりあえず。書き出しコロシアムに参加された皆様はお疲れ様でした。やくももやくもなりの誠意と全力をもって作品に向き合ったつもりです。合う合わないはあれど、なにか作者様への参考意見になってくれればそれに越したことはないこと、あらためて申し上げます。

補足・総合評価点数の意味(12/6追記)

35/50以上 → Web連載ならブクマする

40/50以上 → 書籍化したら買う

 てな感じです。この冒頭3話を無料で読めるって前提でね。

投票先

決勝枠(FinalSet単独の優劣で投票)

『「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~』
・Final評価    :15/15

『奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜』
・Final評価    :13/15

『贋作公主は真龍を描く』(推し票)
・Final評価    :11/15


下剋上マッチ(FinalSet10点以上かつ総合評価40点以上)

『かがやき損ねた星たちへ』
・Final評価    :14/15
◆2nd評価     :15/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :46/50

『Flight to Chaos』
・Final評価    :13/15
◆2nd評価     :13/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :43/50

『深窓令嬢の真相』(推し票)
・Final評価    :13/15
◆2nd評価     :12/15
◆1st評価     :17/20
◆総合評価     :42/50


最終結果(後日追記)

総括(後日追記)

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