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第三回 #書き出しコロシアム 1stSet精読記事(11/26完結)

 ご無沙汰してます。今日は大作だぞ~。


企画概要・ルール

【企画趣旨】
書き出し祭りで結果を残した手練れ同士の、匿名ガチバトルを目指します。

また本企画では「書き出しの向こう側」をテーマとし、全参加者に2話目・3話目を書いていただきます。より連載に近い形での勝負、スキルアップの場としても活用していただければ幸いです。

(中略)

【作品規定】
基本的には書き出し祭りに準じます。
以下の点が異なります。
・文字数は0〜6000文字程度(なろうフォーマットで改行空欄を含めない文字数)。
・2話目、3話目、それ以降を想定した作品であること。

【企画概要】より

 書き出し祭りというのは、肥前文俊さんという方が運営している別の匿名競作企画です。
 ちなみにこの書き出しコロシアムは玄武総一郎さんという別の方が運営しているので全くの別物です。

【ルール】
本企画は以下の流れで進行します。
(優勝者が出るまで作者発表はお控えください)

1st set(予選)

2nd set(準決勝 & 敗者復活戦)

Final set(決勝 & 下剋上マッチ)

1st set
・予選
いつもの書き出し祭りと同じく、書き出し1話目を持ち寄り匿名で公開、得票を競います。結果発表後、上位5名に準決勝に進んでいただきます(作者名の公開は行いません)

2nd set
・準決勝
予選を勝ち抜いた5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位3名が決勝に進み、下位2名が下剋上マッチに進みます。

・敗者復活戦
予選で上位5名に入れなかった作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の2話目」です。得票数が多かった上位2名が決勝に進み、それ以外の方が下剋上マッチに進みます。

Final set
・決勝
準決勝・敗者復活戦を勝ち抜いた作者様5名で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。

得票数が多かった方が優勝となります。
※ただし、下剋上マッチの結果を踏まえます。

・下剋上マッチ
惜しくも準決勝・敗者復活戦で敗れた作者様で得票数を競っていただきます。提出いただく作品は「予選で書いた作品の3話目」です。
一位通過の方の得票数が決勝戦で一位の作品の点数を超えていた場合、下剋上成功で優勝となります。
※ただし下剋上マッチのみ、投票欄に「該当作品なし」が出現します。

同上

 今回はその1stSet分に対する評価記事です。

1stSet評価軸

 2話3話がある程度約束されているので、いわゆる文庫本の30~50ページ相当の分量は間違いないと思っていいでしょう。
 そのためフェーズごとに評価軸の内訳が多少変わります。今回1st Setの評価軸は下記の4分野を前提に考慮します。すべて5点満点です。

文章力・表現:

 ストーリーを扱う手付きとして、描写の機能・効果を主観的に評価します。これは語彙が豊かであればよいというわけでもなく、簡潔であればよいわけでもありません。
 基本路線としては、表現として配置されたテキストが、ストーリーを示す状況・背景、およびプロット、ドラマを描くにどれだけインパクトを与えうるかを勘案します(※1)。もう少しわかりやすく書くと、下記の通り。

①主要登場人物が「どんな人物であるか」を提示・表現できているか
②主要登場人物に与えられたミッション(使命・ストーリー上の目標)が明確で、読者に一定の筋を提供できているか ※2
③上記を満たした上で、人物をめぐる背景や世界・キャラクターに対する美的表現を達成できているか

 厳密にいうとキャラクターに主眼を置く必要はないのですが、いちおうエンタメ小説であることを前提にしているため、登場人物の目線を評価軸として重視してます。ただし、文芸レベルで人物を掘り下げる必要はないと思うので、そのあたりを考慮したものは芸術点としての加点になります。

※1:上記の基本路線のため、誤字・脱字、改行・字下げなどの不備は極度の混乱をもたらさない限り無視します。各種用語については後続の「構成力・場面づくり」の章を参照。
※2:あくまで読者がその人物を起点に物語を理解する、という導入の補助線という意味で理解してほしい。したがって内面描写は必須ではない。

構成力・場面づくり:

 書き出しコロシアムにおける一連の記事では「ストーリー」という用語を「イベントの連鎖(≒話の筋立て)」という意味で用い、類義語である「物語」と意図的に区別します。「イベント」というのは作中で発生する事件・アクションのことを意味し、各イベントを正しい時系列ないし因果関係のもと整理し説明可能にしたものを「プロット」と定義します。
 いっぽうこのプロットを基底に、読者の反応を一定の範囲でコントロールすることを目的としつつ、場面設計したものを「シナリオ」と呼称します。「シナリオ」においては設計した場面をどの順序で読者に提示するか、という点で含んで考慮してもらえればと思ってます。そして各登場人物がおのおのの目線で発生するイベントを受けて、心理的にも行動的にも影響を受け、葛藤する一連の流れを「ドラマ」というふうに説明します。以上は独自用語なので他方面での濫用は慎重に行うようお願い致します。

例)
・ストーリー:王が死んだ。王妃も続けて死んだ。王子は部屋にこもってふさぎ込む。過去にこんなことがあった……
・プロット:王が病気で死んだ。王妃は悲しみのあまり自殺した。王子は母の死を自分のせいだと思い込み、過去にその原因を探し求める。
・イベント:王死ぬ(おそらくベッドの上)。王妃死ぬ(部屋で首を吊る?)。王子は回想する(おそらく自室にこもって回想するのだろう)。※3
・シナリオ:王の死の告知。広場で公証人が宣言する。人々のどよめきがある。状況や背景を説明するナレーション。翌日、王子が自室で首を吊る王妃を見る。王子は衝撃を受け、宮廷はパニックに陥る。その後王子は部屋にこもり、回想始まる。
・ドラマ:【主要登場人物:王子】尊敬する父の不慮の死。立て続けに起こる母の自死によって自信と自尊心を喪失する。この失われたものを再獲得するためには過去の楽しかった思い出を再解釈するしか方法がない(と思い込む)から、王子は外界をシャットアウトし、内面(回想)へと逃げる。だがそれが問題の解決には程遠いことも自覚している……

 この評価軸で勘案するのはシナリオとドラマの相関です。しかしわたしはあくまで一読者であり、作者の意図を100%汲み取ることができないため(※4)、結果的にストーリー(作中でテキストにしたがって提供されるイベントの順番)によって、プロットを推理し、シナリオとドラマを独自解釈します。
 基本路線は「文章力・表現」と重複するので繰り返しませんが、この評価軸では、個々の表現力よりも場面の順序性(段取り)に重きを置いて評価実施します。特に意識しているのは規定の文字数に対するイベントの数・重要な場面・背景描写とそうではない場面・背景描写に対する字数・改行の比率を点検します。この字数に対する情報の濃淡・緩急のリズムが出来上がっているものを特に高評価するつもりです。これまでの説明でうまく伝わらなかったら個々の作品評で具体化するので辛抱してください。

※3:小説創作におけるイベント管理は、5W1Hを明確化した具象的な場面設計から、「王が死んだ」という表現で抽象化された状況設定など、多岐にわたるため、情報の濃淡・緩急の補足概念が必要だが、これを理論化した人間はいない。考えるな、感じろ。
 といいつつ補足すると、プロットをシナリオとして個々の場面に設計する過程でイベントが増えたり減ったりすることも多々ある。今回字数が限られている都合上、この字数に対するイベント管理は非常に重要。
※4:作者自身も失敗している可能性があるし、わたしが独自解釈に走って過剰評価することもありえます。あしからず。

題材と切り口:

 作品(=タイトル、あらすじ、本文の総合)が扱うモチーフや内容がどれだけ"広く"読まれようとしているかを見ています。いわゆる「とっつきやすさ」と言い換えてもいいです。簡潔に言うと「話題性(時流)」×「モチーフの明快さ」×「ストーリーのコンセプト」の関数で決めます。
 例えば、"悪役令嬢"や"祠破壊"などのいわゆるテンプレ、ネットミーム関連は話題性とモチーフの明快さが抜きん出ていますが、それに基づくストーリーのコンセプトには一定の平凡さが伴います(そのためこれらの作品群にはどんでん返しを伴う裏シナリオの準備や過激なドラマ、極端な外れ値に相当する設定・モチーフの導入を余儀なくされますが、それは別の話)。一方、「スチームパンク×オカルト×国際謀略モノ」と要約可能なものは決して時流に乗った作品ではありませんが、物語のモチーフが明快かつストーリーのコンセプトがわかりやすく、読者に一定の範囲での予想をさせる(≒興味・関心をつくる)仕掛け作りに成功していると見なします。

 今回の評価基準は悪役令嬢や異世界転生、ざまあ追放系などの一定のテンプレ、または祠破壊や動物かわいいなど、X(旧Twitter)で一定の爆発力や支持力を誇るコンテンツを流用した内容を標準点(3/5)として、それ以上かそれ以下かで数値評価を試みます。

趣味との合致:

 筆者の趣味です。少し簡単に筆者の自己紹介をすると、筆者は文学畑の人間なので文章が洗練されているほうが好きです。ハイファンタジーやSFが好きなので世界観の作り込みや整合性への考慮、合理的な設定が好きです。

 苦手なものは長文タイトルやテンプレ、既存のサブジャンルに寄せすぎた作品(特に突飛な展開に対して筆者自身が知らないお約束で動いている場合が楽しめないので、その偏りが出がち)ですが、今回ネット小説での競作なので避けて通れないんですよね。そういう作品はなるべく趣味意外の要素でも積極的に評価しようと思います。
 あと、あえて今回の評価軸に入れてませんが趣味枠として「作家性の発露」も評価に加えてます。こだわりの強さや、その題材を通じて語りたいことがあるんだろうなって熱量を感じられたらプラスにしてます。やくもの眼が節穴でないことを祈っててほしい。

以下作品感想

01:うらみあい

▼あらすじコメント

 異なる目的をもった「僕」と「俺」のふたりの物語のようです。
 「僕」サイドは叔母と霊能者の3人のクエスト、「俺」サイドは友人を探す単数の調査で進む予感がします。いっぽうで、「これは村と、男と、女の話。」とあるため物語の中心に男女がいるようなのですが、ちょっとこのあたりはあらすじが散漫な印象を受けるのでコメントは差し控えます。

●野暮な補足
 評価軸には入れませんが、おそらくこの作者さんはストーリーと、ドラマを断片的に切り出してあらすじに置換した感じがします。「作中で起こる事件への予感」と「物語を味わうことで期待できる感動」の間に直感的につながりにくい飛躍があるんですよね。ここをうまくつなげられると、読者にお話の全体像や入口をつくってあげやすい気もしました。
 しかもジャンル的にはホラーであるため、プロットやシナリオのちら見せが難しい構造の弱点を丸ごと引き受けてしまってます。これへたに説明しすぎると怖くなくなるのでそれで悩むんだろうなって気がしました。素朴な感想なのでやくもの眼が節穴の可能性(以下略)

▼感想

 冒頭数行に異変の予感を置き、すばやくショッキングな場面を見せつける。このあたりの手際は大変上手いうえ、即座に「ホラー」とわかる。すばらしい書き出しです。その後も「僕:友坂悠人」のアクションを通じて場面が展開していき、目線人物の反応を通じて読者を物語のなかへと引きずり込んでいく手口が、ホラーを作る上でも大変上手い。
 次の話に引っ掛けていくフックの作り方(ショッカーっていうんでしたっけ。あのホラ、ホラーッ! ってなる展開)、それを提示するタイミングやメインプロットを構成する場面構成は、文庫本の冒頭10ページ分(※いわゆる文庫本1ページを構成する文字数が600文字相当のためそれを元に換算)として進むと思うと、序盤から飛ばすジェットコースターって感じがします。改行・字下げを駆使した恐怖演出も、べたですが小説ならではといったところで、創意工夫に余念がありませんね。

 ただ、文章・表現力について手放しで評価できるわけではありません。ストーリのキモである恐怖演出が伴う劇的な場面の筆致は迫真ですが、それに対比してドラマやプロットを構成する平坦な場面においては、ある程度推敲の余地が残っているような気がしています。例えば下記の場面。

(※前略:叔母が病院に駆け込んで「僕」に声掛けする)
「悠人! 大丈夫なの?!」
「僕は大丈夫」
「それじゃあ、我々はこれで」

頭を下げて去ろうとするお巡りさんを、思わず呼び止める。
不思議そうに振り返ったお巡りさんに、名前を聞いた。もうお世話になることはないかもしれないけれど、名前も知らないままではお礼もできない。

ああ、そういえば名乗ってなかったっけ。木谷宗一です。普段は四丁目交番に勤務しているから、また会うこともあるかもね」
「本当にありがとうございました」

※太字は引用者 201文字相当

 このあたりのやりとりが特徴的ですが、文言や表現対象の重複がけっこう目立ってて、文芸目線だと気になりますね。お巡りさんのアクションを描写する付帯状況主体の重複がもたらすもたつき感、名前を訊く→名前を訊く理由→「名乗ってなかったな」の内面とアクションとセリフで結局同じことを表現してしまったり。
 同じ用語・文言を繰り返すことを否定するつもりはありませんが、文章に勢い(※読者の意識を高ぶらせ、作品に没入させるという意味。読むスピードを上げるとも言う)を出すためには重複する主語・目的語を意図的に省くのもありかなと思ってます。主語や目的語を繰り返すと独自のリズム感が生まれるのですが、没入感を作るという意味では若干マイナスに働くことが多く、省略のテクニックがあるとよりよい気がします。また企画の性質上、文字数制約もあるため、重要なシーンに字数を割いたほうがいい。この塩梅のためにも、文章や表現を意識するのはありかなと思ってます。

 あと。
 人それぞれかもですが、ぼく個人の想定する”読者”は会話文を結構テンポとリズムで読む傾向にあって、会話の節々に挟まれる「ためらい」や「迷い」、あるいは「倦怠感」や「疲労」といったマイナスの感情を読み飛ばしがちです。ことエンタメでこれを表現する場合は必要な箇所で地の文で心情を表現し、流れをリセットする必要があります。そういった緩急を検討しないと、登場人物の感情に読者が同期できなくなる恐れがあります(ことホラーにおいてこの同期ミスはけっこう致命的なエラーとなりかねません)。

 具体的には。
 この数百文字前で吐き気を催して、えずいていた「僕」がおばさんの掛け声に「僕は大丈夫」と即答するように読める箇所があります。注意深く読めばパトカーで移動している時間があいだに挟まっているので、その間で話せるくらいには回復しているのでしょう。しかし読者はその回復に間に合う時間を、読解に割いていません。「僕」の内面に流れた時間と、読者が文字数ベースで体験した時間(おまけにショッキングな場面を冒頭に受けているので、先へ先へと期待が煽られた状態で読むのでかなり勢いよく文章を読み飛ばします)に、タイムラグが生まれるような気がしました。
 「僕」の内面の一時的な回復は行間情報なので、勢いだけで読むと読者の意識のスピード感と、作者が提示している情報(特に登場人物の心情)のあいだにほんのちょっとだけ"誤差"が発生します。筆者はこの"誤差"には敏感です。ただちに「あれっ、こいつ思ったよりも冷静に喋っているな」という感じがしてしまったため、描写が少しだけ足りなかったか、もしくは場面転換したことを強調するように文章を練る必要があったかも、と思いました。

 このほかにも会話形式の勢いにまかせてしまってよいパートと、地の文できちんと登場人物が何を思って、何を感じているか、誰がその言葉を発しているのかを整理すべきパートの緩急がザラザラしている箇所があります。会話の話者がたまに行間に埋もれていることもあるので、どう読者の意識の流れをスイッチさせていくかが結構大きな課題のように思います。
 その技術点が若干減点となりました。題材と続きの気になる度合いは抜群に高いので、弱点を補うかたちでご検討してもらえればと思ってます。

▼おまけ(他の作品は後日追加します)

※第一話シナリオ分析表(簡易版)

文字数ごとの場面管理をざっくり整理。ダレ場が少なく構成は上手い。

※第一話:感情や場面の起伏をフィーリングでグラフ化したもの

ストーリー展開は典型的なN字型ジェットコースター

※さっきの引用箇所を筆者が直すなら

(※前略:叔母が病院に駆け込んで「僕」に声掛けする)
「悠人! 大丈夫なの?!」

 ぼくはうなずいた。それを見たお巡りさんは「じゃあ、われわれはこれで」と背を向ける。

「待ってください」
「?」
「お名前、教えてください」せめてお礼は言いたかった。
「そういえば名乗ってなかったっけ」

 お巡りさんは振り向いた。

「木谷宗一です。普段は四丁目交番に勤務しているから、また会うこともあるかもね」
「本当にありがとうございました」

※筆者が同場面を書くならこうする 字数は175文字相当

▼評価
文章力・表現   :★★★☆☆(上述の通りで非・恐怖パートをどうテンポよく進めていくか。その文章・表現力に課題を感じる)
構成力・場面づくり:★★★★★(ショッキングな場面からショッキングな場面への移り変わりが非常に上手い)
題材と切り口   :★★★★★(角川ホラー文庫にあったら立ち読みしてすぐ買う)
趣味との合致   :★★★★★(オリジナル度が高そう。わくわく)
◆総合評価    :18/20

02:Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営

▼あらすじコメント

 主人公がだれか、とその欲求、目的意識が明快で、物語の軸がどこにあるのかが非常にわかりやすいです。
 キャラクターを強調する時、三大欲求を始めとする普遍的な欲求をベースに置くと非常に共感性の高い人物造詣にできるので、この作品はその魅力をファンタジー世界観と絡めて非常に上手くやっていると感じました。

 すでにこれだけでタイトルとあらすじの作り方が及第点を10点くらい超えて来ているのですが、この作品を読み通したときの読後感を作者さんがどう検討しているのかは気になってます。法律の穴を抜けたり、力技とドラゴンの肉で問題解決したりする爽快感と、ドラゴン肉の飯テロ描写、S級冒険者のスローライフを眺めるほのぼの感なのか、あるいはその全部載せなのか。これは評価軸とは関係なく、個人的な興味です(ΦωΦ)

▼感想

 これも冒頭1行でアクションがあり、緊迫した場面づくりから導入が始まります。
 ディーン・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』という創作指南本では、エンタメ小説の基本骨子は「良いプロットを作ること」と「キャラクターやドラマを、アクションとして表現しろ」という大きな2つの軸でその創作技術を説いており、この内容は現在においてなお有効です。本作も緊迫した場面、特に主人公がその願望に対して窮地に立たされているということを端的に表現できており、非常に優れた書きぶりです。

 また、文体(物事を語る地の文のリズム・テンポ感)が良い。「役場に相談しにきたのだが、リガを迎えたのは手厚い塩対応だった。」とか「顔も態度もメガネも四角い役人が、くいっとそのメガネを押し上げる」とするユーモアまじりの地の文が、デフォルメの効いたキャラクターを演出していて読み心地の良さを覚えます。古典小説の世界だとプロットとキャラ描写の巧者:ディケンズの小説で頻繁に使われたテクニックです。
 こうしたユーモアは、ときにキャラクターを突き放し、読者を冷静な立場に置きます。このフックが効くことで、徐々に主人公のリガが真っ当な人間ではなく、いささか常識はずれな人間で、「どっちもどっち」というコメディ調の空間へと読者を導くようにできる。だから地の文で語られる主人公リガの内面の叫びも、ちょっとひねくれた読者でも「いやそれは違うってw」とツッコミを入れたくなるようなムードへと転換していくわけですね。

 これはコメディです。コメディなので、笑える必要があり、笑える作品は、キャラクターに対して共感こそすれ同情しないよう、絶妙な距離感を維持する必要があります。ことその演出を確立するために、一定の硬度を保った文体は必須です。まじめくさってずれたことをいうピン芸人が面白いのと道理は同じというわけです。
 とはいえ後半から徐々にノリと勢いが増していくのですが、まあ上記のやつは序盤・導入の話ということで。

 展開づくりも、場面の切り替えの作り方も上手くて、冒頭の拳でテーブルを叩きつけるところと、リガが役所を出る直前に両拳で叩いて出るところが韻を踏んでいるし、次のテイマーギルドで叩き出されるところは、役所を自分の足で出ていく場面に対して対句になってます。あげくのはてにもらった領主の手紙は、追い打ちのように畳み掛けていて、「主人公はもがくけれども状況はどんどん悪化する」をセオリー通りに進めていて、文末のヒキも次の話への引っ張り方も最高のできですね。このまま『ダンジョン飯』ふうにコメディしながら世界観の話になっていったらファンになってしまいそう。ある意味ずば抜けた完成度の高さを誇る一品だったかもと思います。

▼評価
文章力・表現   :★★★★★(ラノベ・エンタメとしては一つの完成形)
構成力・場面づくり:★★★★★(主人公が窮地に追い込まれる場面へのリズム・テンポがめちゃくちゃいい)
題材と切り口   :★★★★★(意外とちゃんとファンタジーしている)
趣味との合致   :★★★★☆(続きあったら読むね)
◆総合評価    :19/20

03:転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー

▼あらすじコメント

 転生者vs転生者!

 いや転生モノってぜんぜんわかんないですけどね。だからこのあらすじでわかるのはジャンル・サブジャンルとなんかふたりでてきて盛り上がるだろうなってことだけだったりします。
 明確にこのジャンルです! って宣言みたいなものなので、合う合わないがはっきり出ると思います。おにいさんこの分野専攻してないから何を期待していいかわかんないよ(´・ω・`)ショボーン

▼感想

 ゲームの導入ナレーションみたいな地の文で始まりました。刺激があるわけではありませんが、ストーリーへの導入という意味ではオーソドックスなつくりを意識していると思います。
 天使が生まれるとかは、あらすじと冒頭の雰囲気から「とりあえずそういう設定なんだな……」と思って読み流します。でもハイファンタジーのオリジナル世界観としても通じそうな幻想的な描写だなあ、なんて思ったり。

 って。まさか。

 転生の経緯までていねいに冒頭で書いて進めるタイプのものって初めて読みました(当社比1/4,5)。
 いやたぶん他の作品にもあるのでしょうけど、ちょっと場面の切り替わりの意外性に驚きましたね。

 完全に「私:ミーティア」目線で話が進むので今後の展開にも新登場した転生者と思しきキャラクターにも謎が多いです。考察することも可能ですが意図的にそうしたことは差し控えます(2nd Set以降に取っておきます)。
 冒頭の評価軸として考えたときに、重要である「舞台がどういう場所なのか」「主人公(視点人物)はだれなのか」、そして「主人公(視点人物)は何を目指しているのか」ですが、本作だとゲームの世界観に則って、プリンセスになることがひとつのゴールのようでした。

 これに対抗するものとしてもうひとりの転生者が現れ、パンク系美少女悪魔っ娘にしようとします。
 お話の軸を考えるとき。主要な登場人物のだれとだれが対立関係にあるかを明確にするととても先への見通しが良くなります。とくに異なる目的が対立している状態は緊張感を生み、いわゆるバトル・サスペンスの楽しみを作ることになるわけです。本作はその軸の作りが明快でした。

 ただ、まだ互いのキャラクターの掘り下げが存在しません。転生モノは基本設定と転生前の人生の多重化が行われるので、自然とシチュエーション優先型のシナリオを組む必要があり、これは避けられない課題です。おそらく今後の展開でキャラクターの掘り下げが行われるはずですが、そのことに拠る物語のフックが浅いのはあるかもしれません。ちゃんと手に取って文章を読めば、文章はわかりやすく、世界観も演出も良く出来ているのですが、本作では現状ストーリーから期待できるドラマが希薄なのも弱点かなーっと思ってます(パンク系美少女悪魔っ娘への誘惑を退けて正統派プリンセスになることへの達成感や感動がちょっと想像しづらい……)。
 唐突な場面転換や読者の興味を惹くイベントの発生は、フックの強弱を意味しますが、キャラクターの内面や動機づけ、共感を高める場面づくりはフックの深浅を造ります。いくら強いフックを引っ掛けてもかかり具合が浅いと、刺激が強いだけになってしまうし、逆に弱いフックでもきちんと深く人物に寄り添って描写できていれば読者の心に深く残るものになるはずです。この塩梅がひとつの課題に思えました。

 あらすじからは、転生前に未練のあったゲームを正規ルートでクリアするという目標とドラマのほのめかしが与えられてはいるのですが、この作品は戦略的に物語の導入を意識した結果ドラマ性・キャラクターの内面を掘り下げずに第一話を終えてしまってます。これは仕方のないことです。あとはもう対抗馬の出来しだいなので、引き続き読んでいきましょう。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(粗はなく、非常に安定して読みやすい)
構成力・場面づくり:★★★★★(冒頭ゲーム世界観に結構文字数割いたなって感触で、これがどう出るかが鍵)
題材と切り口   :★★★★☆(アイデアと文章の意外性はあるが、ドラマづくりに課題残るか)
趣味との合致   :★★★☆☆(非専攻者でも読める筋書きで減点要素は少なめ)
◆総合評価    :16/20

04:かがやき損ねた星たちへ

▼あらすじコメント

 おれ、これ知ってる。

 あらすじではいくつかの固有名詞をぼかしてますが、要するにこの事件そのものとほぼ同一した時系列と状況設定でストーリーが進むものです。本作は刑事部の刑事を中心にストーリーが展開しますが、公安目線で捜査の経緯をまとめた資料には門田隆将 『狼の牙を折れ 史上最大の爆破テロに挑んだ警視庁公安部』というノンフィクションがあり、そちらに詳しいです。

 三菱重工爆破事件をはじめ、丸の内のビル街を爆破するテロ事件は複数存在し、一連の事件を指して「丸の内ビル街爆破事件」と呼ぶこともあるようです。ちなみにこのうち鹿島建設爆破事件、間組爆破事件に関与した極左テログループ「さそり」は、本年1月25日に自首し亡くなった指名手配犯:桐島聡容疑者の所属した団体としても名が知られています。
 また、本事件に関連する爆弾製造法やゲリラ戦法を記載したマニュアル「腹腹時計」については、その捜査過程で逮捕された左翼評論家の太田竜という人物がいます。この人物はアイヌ解放など活動でも有名で、晩年では爬虫類人類支配説にマルクス主義理論を合成して陰謀論者として活動した経緯もありました。SNSで怪しげな政治陰謀論が跋扈するいま、決して無関係ではない事件でもあります。

 また、この時代は世界的にもマルクス主義的な左翼テロリズムが盛んで、イタリアでも1978年3月16日に当時の与党党首アルド・モーロが誘拐され、2ヶ月後に射殺された政治テロがありました。この経緯は複数の映画やノンフィクションで表現されましたが、こと近年では『夜の外側』という超大作映画でその事件の周辺を取り上げられており、決して過去のものではないわけです。

 要するになにが言いたかったかって話ですけど、題材は決して「昔の話」じゃないよ! って言いたかったです。

▼感想

 叙述トリックくさい「ですます」調の一人称で、しかもセリフから入るソリッドな導入です。小説においてセリフから開始するテクニックは、こと大衆娯楽小説としては大して奇をてらったわけではない、オーソドックスな書き出しなのですがこの導入は実は大きなデメリットがあります。
 それは読者に最初に与えられる情報が聴覚かつ言語情報だということです。つまり主要な登場人物がどこのだれで、どんなプロフィールなのかを意図的に伏せたまま、読み始めた読者をいきなり状況に叩き込むという力技になってしまいます。道端を歩いていていきなり背中から声を掛けられるようなもので、読者としてはまず振り向いて(状況を視認して)、何がどうなっているのかを判断しなければならない緊張感に包まれます。

 その一方で、読者には状況が提示されません。あるのは登場人物が3人、交互に話す会話の応酬です。
 この書き出し500字弱でわかるのは主要登場人物にあたる「江田純子」、主人公の相方「長谷川薫」、そして行間にしれっと視点人物=主人公が「吉永嶺次郎」であると情報が暗示されるのみです。かれらは警察官でしょう。そういう含みだけが序盤を構成しています。

 悪くはないのですが、ストーリー上最重要パートである3人の登場人物を冒頭の500字の会話とやりとりだけで読者に伝えるのは結構厳しいと思いました。テキストによるエンターテイメントを作る際に割と無視されがちなこととして、「読み飛ばしていいところ(≒一意的でひねりのない、平坦に読み進める箇所)」と「深読みを可能にするところ(≒伏線を忍ばせ、表現に凝り、心理的な深みやキャラクターへの愛着を促す箇所)」の波を意識してつくったほうがいいということがあります。特に序盤は快活に読者の意識を物語へと導入し、文脈のラインに乗せていくことが第一義で、それ以外の要素を載せると情報の過積載が発生しかねません。
 ことキャラクターの紹介についてはもう少し慎重に、字数と画面幅を用いて実施するほうがいい。重要人物においてはなおさらで、それを冒頭に詰め込むこと、かつ意図的に状況を理解させていない作りになってしまっているのが、「文章は上手いがストーリーとシナリオづくりでミスを犯している」という所感を得ました。言うなれば読者は目隠しをされたまま初対面の3人の会話(心の声を含む)を聞かされて、状況を理解しろと言われているようなものなのです。

 昔話が「むかしむかしあるところにだれそれが……」と始めることにはそれなりの仕掛けがあります。いまふうに言えば5W1Hを限定し、受け手にストーリーを受け入れる準備をさせることにその決定的な効果があるわけです。昨今のストーリー創作本やら、SNSで跋扈する創作論ではつねに「事件からはじめなさい」「冒頭に死体を転がしなさい」といわれていますし、ビジネスインフルエンサーだって「結論から話しなさい」というわけです。ところが、いきなり死体があったってこちらとしてはどうしようもないのです。慌てふためくか、さっさと110番通報をしなさいとしか言うしか仕様がない。仕事はそれで順調に進むかもしれませんが、物語とはそういうものではなかったはずです。
 物語を伝えるためには段取りがあります。時間・場所・人物。この3つの軸が揃って始めて物語は駆動します。上手い冒頭は、読者の側にこの「認識の入れ物」を用意するのが大変上手だ。たとえ冒頭に死体があったとしても文章の緩急によって、時間と場所が徐々に限定され、読者はだれに焦点をあてて読むべきかを描写によって理解する──そのような段取りを考えることで、この小説はもっと化ける余地を感じました。

 逆に言うと、この小説の出だしには時間と場所が行間に埋もれたまま、圧倒的な分量を会話と内面の声によってストーリーが展開していきます。場所情報が与えられるのは冒頭から2,000字強を通過した頃、「§」場面転換の後ですが、それまで延々と続く会話によって、主人公が立ち向かう事件のサマリを聞かされている手筈になっている。言ってしまえば巧妙に作られてはいても「説明シーン」でしかないわけです。世界観を冒頭で語るハイファンタジー作品と実質やっていることは同じです。
 また、作者の内部でキャラクターが完成されていることは随所から理解できるものの、語り手を含む登場人物をどういうふうに眼差せばよいかの補助線が極めて少なく、個人的には読みづらさを覚えました。文章の一文一文のつくりは無駄がなく、大変ソリッドなのですが、先述の通りストーリーを読者の想像力のうちに展開するための基本軸(特に場所と時間=情景描写)が圧倒的に不足しているのです。特にセリフと仕草、好きな食べ物や心理的なクセのなかにしかキャラクターが存在していないため、この人物が何をもってその事件に向かわせているのかの動機づけ、すなわち心理的なドラマ作りも弱い。この点、「ですます調」の語り口と重なってちぐはぐな印象を受けています。

 総じて言うと、(不本意です)かなり厳しい言い方をしなければならないのですが、書き出しコロシアムという舞台で対抗するためにほんらいストーリーとして提示しなければならないものを、プロットのまま提出してしまった、というのが所感です。この辺については総括で別途述べようと思うのですが、この企画において書き出しの本領を、「刺激的な事件を提示し、展開の速度を上げていけば読者を引き込める」と思い詰めてしまっているようなものがいくつか存在しており、本作もその失敗を犯していると分析しました。
 そんな言い方をしながらも、個人的にはもっと頑張ってほしい作品、非常に応援したい作品のひとつです。文体のソリッドな完成度の高さと、題材選び、エンターテイメントとして読ませるために作り込まれたキャラクターはどれも高水準で、書き出しコロシアムの他作品に比べて独自の強みを持っていると思ってます。個人的には最推し候補です。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(文章に無駄がないが、描写の段取りを意識したほうがいい)
構成力・場面づくり:★★★☆☆(事件を紹介する手付きは上手いが、物語の緩急があまりうまくない)
題材と切り口   :★★★★★(現代で読まれるべき題材を選択している)
趣味との合致   :★★★★★(社会派ドラマ感があってよい)
◆総合評価    :17/20

11/25加筆分(05~10)

05:幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜

▼あらすじコメント

 幻獣牧場もの(そんなジャンルがあるのかわからん)といえばいいのか、おもしろいことにSランク探索者のお話とモチーフが重複しましたね。ただ、先方があくまで「食うため」という強いエゴ・我欲に基づく強い動機づけであるのに対して、本作の主人公エルンストは戦後処理や幻獣の再就職といった、いわば他者を思いやるケアワークを志している、ある種”弱い”動機づけに基づいて行動しているように思いました。
 ここで”弱い”とあえて述べたのは、決して悪い意味で言っていません。言い方を変えると、非常に繊細で、優しい主人公です。好感が持てます。この言い方は、たまたま企画の会場内に同じモチーフがあったため比較で述べています。『Sランク探索者~』のリガが限りなく強いエゴによって行動する主体性を持つことに対して、エルンストは「困っている人・幻獣」が先にあって行動し、その行いを通じて自身の自覚していない欠陥・喪失を補うというドラマを予感しました。このあたり作風のようなものを感じますが、わたしはとても好きな書き方です。

 またこれはわたしのクセのようなものですが、扱っている題材も非常に現代的なもののように思えて、読みながら以下の書籍や社会記事で議論されている現実の問題とのリンクを感じました。テーマ性を深めたいならぜひ参考してもらいたいところです。

 いっぽうで、このストーリーを直球で進めると、「意識や言葉、人格を持った動物は食べていいの? 利用していいの?」っていう難しいテーマとぶつかり、ヴィーガンの世界とも重複する懸念があります。
 それを避けて書いてもいいとは思います。よくヴィーガンって菜食主義者と勘違いされるんですが、その根底には「人類・文明の都合で動物を搾取しない」という理念があり、それは極端に進むと毛皮や羊毛の利用、酪農などへの疑義を呈するものです。わたしはこの考え方に同意をしているわけではありませんが、興味深いなと思って一時期関連書籍を読み漁っていた時期がありました。これは余談です。本作はどちらかというと、お互いが温かい心情を寄せ合って傷や欠如を埋め合い、回復していくことを期待したほうがよいかもですね。

▼感想

 アングルが主観的な箇所から開始しますが、一人称であることが明らかになるのが15行目です。地の文の「俺」の初出のことを言ってます。スマホ・PCだとワンスクロールしてからわかるレイアウト構成になります。書籍で考えると1ページ分繰らないと得られない情報です。
 あくまで「読みやすさ」という観点ですがこの仕掛けは結構重要なことです。よほどの叙述トリックを仕掛けるのでない限り、この物語が一人称であるか、三人称であるか、あるいは二人称的なものなのかを開始の数行でわかるように示したほうがよかったと思いました。過去4作品中3作品についてはあらすじを省くと開始5行以内に語り手や主要登場人物の呼び名が地の文にあらわれ、この人物を起点にストーリーを眺めればよいのだとわかる仕掛けになっています(例外は「03:転生☆お嬢様育成ゲーム!~」で、これは二人称的に開始しますね)。この点、企画が競作であることを考慮すると、スタートダッシュでもたついたな、という所感を得ました。

 というのも、小説の読み方はさまざまなのですが、現代においては比較的映像や漫画を読むように視覚的イメージを組み立てて読むことが主流のように思えるからです。これは描写がどうこう、という意味ではなく、ストーリーを展開する中心軸となる舞台・人物・アングルのことです。
 一人称は主観アングルで、三人称は俯瞰アングルで、二人称は作者が直接読者に語りかけるようなかたちで(場合によっては映像作品におけるナレーションのような役割を果たすでしょう)、それぞれ作品世界を想像するものと仮定しましょう。すると、作中で展開するストーリーをだれの目線で、どのように受け止めるべきかという冒頭の要件をより効果的なものに変えられたと感じてます。もっとも、開始一行が「俺の」というセリフに始まるため、行間情報として受け取る人もいると思うので、これはわたしの気にしすぎかもしれません。ただ、この物語が「俺」の主観なのか、「エルンスト」の客観なのかで場面の見え方が大幅に変わっていくため、アングルの固定は慎重に行うことをおすすめします。

 また、この話では改行が多く用いられています。おかげで非常に見やすい画面づくりになっていますが、読みやすさとは異なる要件であることも、ひそかに指摘してみます。
 これは雑に言うと中級者以上で考えることなのですが、文章創作における「読みやすさ」には”内容の読みやすさ”と”見た目の読みやすさ”が存在します。内容の読みやすさとここで言っているのは、上述で挙げた「主語がだれか」「時間と場所が明確か」といったことに加えて、「文脈が形成できているか」があります(文脈形成については別の作品で詳しく言及するのでここでは飛ばします)。とにかく文章が指し示す情報が明確で、順を追って読むと想像がスムーズになるようなものを指します。
 一方で、"見た目の読みやすさ"というのは、一文一文の主述関係が簡潔であること、改行が多く先に進みやすそうな文章のレイアウトを組むこと、難読語を原則用いない(ルビを振る・漢字を開くなど)でハードルを下げていくことが挙げられます。わたしがなんとなく見た界隈ではこのふたつを区別しているのが非常に少ないのですが、これはもともと別物で、この両軸を活かすことで初めて「読みやすさ」を作ることができます。

 本作は内容面では非常に面白いです。引退した冒険者、セカンドライフ(正確にはサードライフ?)による幻獣牧場、転生した相棒ヒロイン、世界観がもたらしたストーリーへの深み(戦後処理という用語を意識的に用いていることから、決してイージーなお話ではないと予感します)。ライトノベルであることを踏まえても、かなり高水準の内容を持っていると思います。
 一方で、その本筋に載せるための情報の整理が大きな課題で、それは上述した通り、見た目の読みやすさと内容の読みやすさのバランスが少々崩れているような所感を得ました。主人公自身が自己主張が弱く、周囲のキャラクターの行動に反応する形で心情を連ねていくこととこれは決して無縁ではないと思うので、非常に難しいところです。個人的には内容面での期待を込みで高評価といきたいですが、文章とレイアウトの組み立て、ストーリーラインにのっかるイメージの作りにくさから泣く泣く減点というかたちを取りました。

●おまけ(文章の速度と深度。見た目の読みやすさについて)

空白なしで166字。画像はiPhone8メモ帳アプリの画面サイズに即した改行。


空白なしで264字。iPhone8の画面サイズだと14行折り返しになる

 わたしはこの改行の有無を「速度」と「深度」(厳密にいうと漢字やルビを駆使して生み出す「密度」の概念があるのですが、ややこしくなるので一旦この2軸で考えましょう)のふたつの軸で考えてます。
 現代においてエンターテイメントノベルを作るためには、改行は非常に重要な要素です。それは文字通り、読み出しのスタートダッシュを生み出すためで、それは視線を動かす”速度”を形成します。ページをめくる、ブラウザをスクロールする、といった”先”に進む力──牽引力を作るひとつの、そしてかなり強力な要素が改行になるからです。

 一方、改行をしすぎると、回転の早いタイヤが必ずしも坂道を駆け上がれないように、内容の深みに食い込めなくなる欠点があります。いわゆる「目がすべる」というやつですね。自転車のギア、車のクラッチを上げるようにある一定の領域において心情や内面を掘り下げるにはちょっとした”遅さ”が必要になります。本記事はかなり分厚くて長い記事ですが、要所要所で改行をしないのはそのためです。考える。情景に浸る。場面の重要な人物が切り替わる。そうした重要な切り返しをするためには、改行をせずに少しずつ文章を重ねていかないと納得させる力が生まれません。
 ところがあまりに最初からそのような手口を使うと、最初から深みに入りたい人以外のハードルを上げてしまうわけです。塩梅を模索するのは個々の創作をしていくなかで自ずと考えていく必要があります。

▼評価
文章力・表現   :★★★☆☆(見やすさと読みやすさにズレがある)
構成力・場面づくり:★★★★☆(転生情報の処理の仕方が気になったが、ストーリーの中心軸はできていると感じた)
題材と切り口   :★★★★★(題材が非常に良い)
趣味との合致   :★★★★★(題材の料理の仕方では化ける)
◆総合評価    :17/20

06:奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜

▼あらすじコメント

 あらすじ情報はとてもいいです。すでに一通り読んでいますが、おそらく参加作品のなかであらすじが一番上手い。
 これは作者のなかでストーリーとシナリオ、ドラマの整理がかなりしっかりとできていて、何を面白がってほしいのかを言語化できているからこそこのような書きぶりになるのだと思います。主人公の紹介と主人公が置かれている苦境の概略、主人公が日頃何をしているかを端的に示したのちに、その主人公がいかに非日常のできごとに遭遇するかを提示する。もうひとりの主要登場人物の紹介、主人公とその人物が織りなすであろうドラマの予感、それを締めくくる客寄せ文句──と、タイあらの教科書ですね。

 また、設定上の筋書き(2つの魂のこと)と、冒頭で展開する筋書き(青年・玄布との出会いと、主人公に提示されるミッション)が順序よく展開していることも巧さの理由です。読者はあらすじから何が本編で起こるのか(表面的なできごとの進行)と、その背後で何が蠢いているのか(本質的な筋書き・いわゆるドラマやプロットの部分)の両軸を獲得し、一気に物語の奥行きを感得します。この”奥行き”をちら見せさせる技術で、強い期待を持った人も少なくないと思います。改めて精読すると感服しますわ。これ。

▼感想

 一方で、もちろん文章も上手いのですが、投票するために急いで読んだとき、妙な引っ掛かりを覚えたのも事実です。

 なんでだろう、と少しずつ整理してみたのですが、この作品はテキスト的に読んでもらう内容と場面的に読んでもらう内容が交互にスイッチするため、急にカットが目まぐるしく移り変わるような気がしたからでした。

 綺麗楼で一番安い妓女は、間違いなく凌華だ。
 だけど綺麗楼で一番稼ぐ妓女も、間違いなく凌華。

 だって凌華は色を売らない。歌も詩もびっくりするほど下手。舞うのも苦手の三拍子。
 そんな凌華が売るのは。

 この冒頭、単体では非常に明快な書き出しです。三人称による大上段のテキストで、具体的な場面を伴わない、いわば抽象的な情報を伴うものです。

 登場人物の内面や過去の実績、ステータス、プロフィール的な情報はあくまで設定としてあるものです。これを物語として読者に提供するためには、具体的な行動や場面に示していく必要があります。映画や漫画のような視覚的なものを強調する媒体では、とくにセリフや背景にそれらしきものを描くことで理解してもらう手法を取りますね。
 ですが、(映画でもナレーションなどを用いるものの)小説ではそれを地の文で、説明や語りのかたちで伝えることができます。他の媒体ではページや尺を使って説明すべきことを、小説では短く提供できる(一方で小説で視覚的なものを提示しようとすると、かなり字数と技巧を割く必要がありますね)。この開始4行はその強みを遺憾なく発揮しています。

 が、このあとセリフを挟んで得られる情報は、具体的な場面になります。

 綺麗楼の吹き抜けになっている大広間。
 その真ん中に、六百枚もの札が伏せて並べられる。

 凌華は満面の笑みを咲かせた。
 ぬばたまの黒髪に、翡翠の瞳。額には花鈿、眦には朱、唇には紅。身体にぴったりと沿いながら、大胆に腰まで切れ目の入った旗袍。
 そして足元には何故か雉がいる。だけど雉なんて目に入らないくらい愛嬌のある凌華の美貌に、札を挟んだ向こう側にいる三人の男性客たちは鼻の下が伸びていく。

 「05:幻獣牧場の王~」の中で説明したように、改行は情報の速度と深度を示します。特にこの描写において段落の分け方が上手く、前半2行分が俯瞰的な場所の情報であるのに対し、続く3行分が主人公凌華へのクローズアップ、上から下に舐めるように特徴を映していき、最後にフックとなる違和感を配置する。
 視覚的な情報、といっても結局のところ文章なので、「そして」「結局のところ」「ところが」といった接続詞による緩急がないと退屈します。その点をよく考慮したテキスト技法の塊のような書きぶりです。

 しかし。

 この後にまた、セリフを挟んで抽象情報・具体描写と交互にスイッチしてくことになります。
 最初のうちはセリフを挟むことでこのスイッチを制御しますが、次第にその敷居がなくなります。

上階から大広間の賭けごとを見物している客たちがやんやと騒ぎ出す。吹き抜けになっているこの大広間は、凌華の芸を見せるに持ってこいだ。
 これが凌華の稼ぎ方。
 出会いと運命を司る仙女である凌華が、複数の客相手に賭け遊戯をする。絶対に負けないわけではなく、稀に凌華の力の及ばない豪運の客がいるからこそ、成り立つ稼ぎ方。

視覚的な場面描写は太字のみ。あとはテキストで概要など抽象的な情報を示すもの

 このあたりから、具体的かつ視覚的な場面と、奇遇を操るといった抽象的な情報を含む凌華のプロフィールの紹介の間に垣根がなくなり、独自の文脈形成を生み出しますが、個人的にはこの抽象的な情報と視覚的な情報が入り乱れる文章の作り方がザラザラしているような印象を受け、勢いよく読めなかった、という所感なのです。
 じつはこれ、わたしもよくやります。が、これって字数を意識しているとき、もっというと短編を書く際の文章の組み方に近いように思いました。

 要するに、流して読んでいい箇所が全くない。

 すべての文章が短文で、要旨が明快で、正しく情報を伝達している。倒置法や体現止めといった、読ませる工夫にも富んでいる。これは一見強みに思えますが、息の長い長編を書くときにはデメリットにもなります。
 なぜなら長編を読む読者はすべての文章を正しく読解しません。それは漫画においてすべてのコマ割りを、映画においてすべてのカット(ショット)を記憶しないのと同じ道理です。長編の読者にとって重要なのは、描写や文章の正確さではなく、ストーリーを理解するための基本情報の理解と、方向性の提示のみでよいのです。あとは惰性でリズム良く、テンポ良く読ませる初速度を生み出していくことが、冒頭で必要な「抜き」の手際といってよいかなと思います。

 本作はその点、ほとんどすべての文章がストーリー上有意義なもの──すなわち読者に正しく伝達する文章で構成されすぎています。これは駆け足で物語に参加したいライトユーザーにとっては非常にハードルの高い文章の作り方だと、指摘せざるを得ません。
 喩えるなら、すべてのカットが絵的に完成されすぎたスタンリー・キューブリックやクリストファー・ノーランの映画、あるいはすべてのコマ割りが決め台詞や伏線で構成されたアート性の高い漫画作品のようなもので、すごく丁寧に考慮されて作られている分、厳しいつくりに見えます。

 もしこの小説を地続きで勢いよく読める場合、それは補足情報があるからです。つまりあらすじです。本企画はあらすじを読み、期待を煽られて本文に入ります。だから本文で高密度・高濃度の文章を連打されても、あらすじで一度理解した情報だからすぐに頭に入るわけです。
 これはただちに改善すべき事項ではないのですが、シナリオ・プロットのレイヤーの完成度に比して本文のつくりに、若干隙があることは指摘しておきます。長編、特に連載としての長編小説は、情報だけではなく雰囲気や漠然としたものを積み重ね、ゆっくりじっくりと読者を引き込むことに妙味があるわけです。それはときに本編を脱線し、迂回しつつも、山に湧いた水流が本流に集まり、大河をなして海に注ぎ込むように文章を立てていくものだとわたしは思っております。もちろん、ネット小説の舞台はこのような筋の展開の仕方と非常に相性が悪いことも承知しているため、さらに工夫が必要です。かなり困難な道だと思います。

 したがって唯一文句をつけるなら次の一言に尽きます。つまり、捨てゴマをつくるべきだ、と。
 読み飛ばしても本筋を見失わない程度に、描写や地の文を太く、厚くすること。特にライトノベル系統の読者が1作品を2時間で読めるという事実を考慮してみると、単刊の筋はその字数に比してかなり薄く、読み飛ばしを許容しながら本文を構成することを求められるはずです。本作をその冒頭の密度で読むとなると、その倍はかかるような気がします。間口を広げる、という観点でいうとこの課題は結構大きなことだと思いました。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(単発の文の巧さに対して、全体の流れをつかんでもらうような文章づくり、特に文脈形成にやや失敗しているように見えた)
構成力・場面づくり:★★★★☆(視覚的場面と抽象的な情報のスイッチが早すぎるのを、文の巧さで誤魔化している印象を受けた)
題材と切り口   :★★★★★(設定の複雑さはあるが、タイあらの明快さで読者の心を掴むすばらしいつくり)
趣味との合致   :★★★★☆(わたしは決して本作のマーケティング的な対象ではないが、内容は面白そうだと思った)
◆総合評価    :17/20

07:保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた

▼あらすじコメント

 本企画のなかのタイあら選考があるなら上位3つに入ってくると思います。理由は『奇遇仙女』と同じなので繰り返しません。
 しかしボーイ・ミーツ・ガール形式の話は非常に王道ですね(´∀`*)ウフフ
 セカイ系といいますか、主人公の住んでいる日常の世界と、今後展開するであろう社会や宇宙とのイザコザも連想し、一定の面白さが保証されている印象です。この手の物語で大切なのは、主人公にとっての相手、特にヒロインが守りたくなる存在か、ということと、それを守るためにどれだけの背伸びを主人公に強要するか、というキャラクターとプロットの作り込みが求められますね。その高低差と、絶妙な難易度設定が筋運びのスリリングさを生み出し、たどりついた先が遠くて高い場所になればなるほど感動が強くなります。そのことを期待してよいのでしょうか?(ΦωΦ)

▼感想

 文章の平易さ、衝撃的な場面から一連の流れをつくる文脈形成は非常に上手いです。たぶん『Sランク探索者~』に匹敵するレベルの平易さと流れの快調さがあります。
 文脈形成、というのは難しい言い方をしていますが、要するに読者の興味を一点に絞って、その内容を中心軸に据えたまま読者を一定の筋書きに引っ張っていくことを意味します。本作では「眼の前で脱皮する謎の人物がどんな存在であるか?」という疑問をフックに、その内容の紹介に曇りなく進んでいきます。むしろ一話6,000字、まるまる使ってこの疑問に答えていく構成だったと断言してもいい。書籍で読んだら完璧だと思います。このペースで10ページ分読んだら、もう慣性の法則にしたがってページを繰るしかない。

 少なくとも、この一連の6,000字程度の展開を見れば(「読む」のではなく「見る」)、主要登場人物が主人公とウーリャの2名であり、かれらの関係性がどう発展していくかによってストーリーとドラマが盛り上がっていくかがわかるはずです。だから2話以降の期待感があがるわけです。
 男と女が出会い、ストーリーが展開するという一連のシークエンスの設計は、先述の『奇遇仙女』と全く同じプロットだといっていいですが、『奇遇仙女』の場合はその場面にたどりつくまでにインプットしなければならない情報がやや多すぎました。それを直接的に伝達する文章力に長けていたのがかえって仇となったといっていい。本作は、ひょっとすると伏線かもしれない情報を、あくまで本編を支える一エピソード、描写の一部として省く処理に長けています。これは中華異世界と現代日本という舞台設定の差もあるかもしれませんが、こちらのほうは、「同じ内容を違う角度・場面として繰り返し表現していく」という構成術が光っています。

 例えば、ウーリャという存在は植物系の異星人だという概要情報がセリフによって与えられます。その情報を、印象的な場面でさりげなく伝えることで読者へワーキングメモリを提供したといっていいでしょう。その後、回想シーンで「水を……水を一杯くれませんか……生命維持の危機なんです」というセリフが、たんに喉が乾いているだけでなくて光合成に必要なものだということがその後の展開でも理解できますし、変な喋り方に対しても異星人だということで一旦受け止める余地が読者に生まれる。この順序が逆だったら読者は直感的に受け止めきれなかったかもしれません。あえてネタバラシをしてから先の展開を見せていくことで、読者の不快感を制御する手付きもテクニックだと思えます。
 いっぽう、ミスリードによるインプットも巧みです。回想シーンに入る直前に唐揚げの材料である鶏もも肉を取り出すのですが、まさかこれを食べるのが植物系異星人のウーリャだとは思いません。あくまで主人公の男の子が食べるものだと思ってなにげなく読み流す。ところがそうじゃない。この意外性によって、ウーリャというキャラクターの特異性・印象をさらに深くするわけです。

 よく”伏線”という言葉が、ストーリーの真相をほのめかす、暗示的な情報であるかのように独り歩きしていることがありますが、個人的にはあまり感心しない言い方だと思っています。平たく言えば「伏線」とは「重ねがけを通じて効果を示す表現の配置一般=前フリ」という意味に拡張して捉えるべきであり、『Sランク探索者』におけるテーブルを叩く拳のような韻を踏んだ演出や、本作における地味な描写がきちんと後になって回収されてものごとの輪郭を強調していくようなものも広義の伏線にあたります。
 こうした、一見するとバラバラであるものごとの筋が、散らばったり、束ねられたりすることでストーリー進行にうなり・流れが発生し、そこに意識を任せることで読者は物語を体験する快感を得るのですが、本作もその配慮が細かく行き届いており、技巧的には大変優れていると感じました。

 いっぽうで、唯一難点を付けるなら、他作品と比較してストーリー展開が遅いという短所もあります。6,000字の枠のなかで可能な最大限の技術と表現が、ヒロインの紹介というところに注力されてしまったため、他作品よりも展開のスローさが目立ってしまったように思います。同じ技量と思しき『Sランク探索者』が、3つの場面の連続で主人公が窮地に立たされていくプロセスを見るのに対して、かなりゆったりとした構えを見せたことも、書き出しコロシアムにおいてはじゃっかんの不利かもしれません(いきなり過去に踏み込んだことも初速度を下げた要因ですが、タイあらからして仕方がなかったと思います)。ですが、わたしは好きでした。

▼評価
文章力・表現   :★★★★★(文脈形成がトップクラスの出来)
構成力・場面づくり:★★★★☆(ていねいな作りだが、6,000字ならもう少しだけ先に展開を進めてもいい)
題材と切り口   :★★★★☆(ボーイ・ミーツ・ガールはよくわかる一方で、あらすじで見せる奥行きが少々物足りない)
趣味との合致   :★★★★★(非常に好き)
◆総合評価    :18/20

08:Flight to Chaos

▼あらすじコメント

 個人的には飛行機ハイジャック版の『ダイ・ハード』といった感じです。ていうか『ダイ・ハード2』がまんま空港立てこもり犯と戦う話でしたがそれはさておき。
 話の要旨が非常に明快であることから、あらすじの末尾で「思わぬ方向へ」とぼかす必要がなかった気がしました。本作はなろう界隈では非常に珍しいクローズド・サークル型のサスペンスで、だからこそ基本プロットの芯の強さとそれをラノベ的にうまく翻案した妙味が光っております。早川書房の冒険小説としても売り出せそうな感じです。

▼感想

 冒頭技術としては文句を付ける(というかしたくて文句言ってません。ほかの作品の方々は気分を害してしまっては非常に申し訳ないのですが……)点が少ないです。文章の明快さ、主人公の特性とその実証と言わんばかりのヒューマン・トラブル展開。それを処理しながら主人公の境遇と、背景を掘り下げ、特徴的な人物を配剤していく……映画的とも言ってよく、場面を開始1行で「@」表記で示すやり方は翻訳小説の印象もありました。描写の積み重ね方も、ライトノベルよりは翻訳小説を多く読んできたのだろうと邪推したくなるような論理の明快さがともなって、書籍慣れした自分にとっては大変好ましいストーリー展開です。
 そのため、可能なら満点を差し上げたかった。唯一相対評価として、つまり書き出しコロシアム上で優劣を付けるとするなら、第一話の文末時点でのヒキの弱さがあります。ただ、これは欠点とは言い難く、むしろ最初から最後まで読者が読んでくれるはずだという信頼によって渡された静かなバトンだと言ってもいい。とはいえ、ほかの作品が1話の最後に強いヒキを用意したことに比べてしまうと、多少地味に見えてしまう滑り出しでした。

 Web小説における冒頭は、どちらかというと週刊連載漫画やテレビドラマ的な構成を念頭においたほうがいいかもしれません。本作はどちらかというと開始から終了までの尺を極めて俯瞰的に見て、計画的に構成された印象を受けます。つまり映画的であり、単行本書きおろし的でもあります。この書き方のメリットは終わりをきちんと視野に入れているということです。一方で、完結マークがついていないと手に取る警戒心が出やすく、じつをいうとわたしもそちら寄りの人間なので、連載中に票が入らないこと入らないこと(涙目)
 だから個人的には、この作品を推したい。その思いとは裏腹に、冷静に分析を掛けてみると、やはりほんのちょっとだけストーリーの展望・見通しの弱さが仇になっているという印象がありました。特に主人公が事件に対処する受け身型の人物設定であるため、書き出しコロシアムであることを考慮した場合、もっと窮地に立たされているところ(銃撃戦か、首を絞められたアクションシーンなど)からスタートし、回想でいま書いているようなシーンを書いていく。そのほうが書き出しコロシアム1stとしてはうまくいったかも、とは思います(もちろん書き出しコロシアム2nd以降はもっと緻密な戦術が必要になり、苦しい戦いです)。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(非常に好ましいが、際立っているわけでない)
構成力・場面づくり:★★★☆☆(ヒキの弱さ、展望・見通しの弱さがある)
題材と切り口   :★★★★★(登場人物の生きている背景が極めて立体的で、取材して取捨選択をしたのだろうなと思う)
趣味との合致   :★★★★★(いっぱいちゅき)
◆総合評価    :17/20

09:奥村さん家のガーディアン

▼あらすじコメント

 意外なことに、書き出しコロシアムには力強いSFが2本もありました。やくも、SF大好き!
 AIによる一人称、それもちょっとポンコツな印象も受けるユニークな人格設定を持ったAI小説は、じつはわりとラノベ設定的にも汎用的で、類似設定としては『マーダーボット・ダイアリー』シリーズを連想します。

 本作もそのパターンといいますか、SF設定をしつつも非常にライトな読みを提供する娯楽作品の印象を受けています。ホームドラマ・サスペンス風でアンドロイドが頑張る話は、意外にも『ターミネーター2』的でもあり、題材を扱う手付きによっては名作に化ける可能性があります。期待大。

▼感想

 この人、SF読んでるなって感じです。とくにAI一人称の書き方に、早川書房の本を読んだことのある人にしかない手付きを感じる。特に人間とは異なる意識の形成プロセスをたどった存在が、生身の人間と交わるときの絶妙なコミュニケーションのズレが要所要所で光っていて、非常にジャンル好きを安心させる作りですね。
 あとSF的に気に入っているのは「ロボハラ」といった造語です。SFという分野はその舞台設定からして、特定の科学技術が進歩した世界であることを前提とすることが多いです。その結果、そこに生きる人間の生活態度やものの見方、考え方まで更新されているさまを描きます。

 例えばこれはリアルの話ですが、携帯電話・スマートフォンの登場によって、世の中はそれ以前とそれ以降で大幅に変化しました。過去に電話という手段で取られていたコミュニケーションが、メールやチャット、SNSを通じてより高頻度になり、密になりました。結果、1990年代のトレンディドラマが演出したような「恋人たちの留守番電話のすれ違い」のようなものが徐々になくなり、むしろLINE上の粘着行為やSNSストーキング、チャット会話による深刻なすれ違いまで日常的に生まれるようになっています。
 具体的にいうと、固定電話が主流だったころ、テキストや文字を用いた恐怖の演出は「バランスの狂った手書きの文字」や、「雑誌や新聞の文字を切り抜いて作った怪文書」だったはずです。しかしLINEをはじめとするSNSが主流になると、言葉足らずで句読点のあるチャットやまったく噛み合わない会話の切り抜き画像のほうが恐怖・不安を感じます。そこにあるフォントは規格品であるほど狂気を感じ、個性的な表現よりも、コミュニケーションの不和そのもののほうが生理的な嫌悪感・恐怖を催すようになりました。

 SF作品を表現するときに非常に難しいのは、こうしたちょっと先の未来の状況と、そこで起こり得る未来人の価値観・考え方が、現代人の読者であるわたしたちの生理的な直感にマッチしないことが往々にしてあることです。1950年代からのSFは、SFドラマでもそうだったように、色のついた流動食を食べ、銀色の服と奇妙なヘアスタイルをし、空飛ぶクルマに乗っていました。その当時はそれがもっとも合理的で直感的に受け入れやすい「未来」のイメージだったのです。ところが、そんな未来は21世紀にはやってきませんでした。
 現代SFはつねにこの「古びていく未来像」と格闘する運命にあります。したがって、この作品がその戦いに正面から立ち向かっているのを見ると勇気が出ます。すばらしいです。

 ラノベ的には、AI物あるあるの「機械が感情を持つ」という描写におねショタの要素を混ぜ込んだことが面白かったです。これ自体にとくに斬新なポイントはありませんが、主人公のAIに強い動機づけを与えたことは冒頭技術としてかなり高評価でした。
 いっぽう、不審者を撃退する『ホーム・アローン』型のプロットに終始してしまうのか、むしろそれはきっかけに過ぎず、今後さまざま事件を解決する連作短編シリーズになるかの感じがつかみきれず、展望・見通しの意味での構成の弱さも感じました。この辺はヒキがちゃんとあっただけに、あらすじの情報を調節するだけでもけっこう変わったと思うので惜しいですね。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(非常に安定している。SFを書いているあたりもジャンルに対する配慮がすばらしい)
構成力・場面づくり:★★★★☆(ヒキの強さに対して、ストーリーの先読みがしにくかった。もうすこし展望・見通しを示してほしい)
題材と切り口   :★★★★★(SF者の身びいきあります)
趣味との合致   :★★★★★(やくもはこういう近未来SFを贔屓にします)
◆総合評価    :18/20

10:贋作公主は真龍を描く

▼あらすじコメント

 あらすじ上手い選手権を組むなら、トップ3に入ってくると思います。
 個人的に、本企画内で「あらすじ」のみで巧さを競うのであれば、下記のようになります。

1位(同率):『奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜』
1位(同率):『「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~』
2位    :『贋作公主は真龍を描く』
3位    :『保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた』

 本作に関して言うなら、キャッチコピー(帯文)を冒頭にもってきたことでしょうか。コピーの出来も秀逸です。主人公に与えられた境遇と、目指さなければならないもの、その困難さが一目瞭然です。
 また、その後に展開するあらすじも、ほかの作品に負けないレベルで明快かつ背景情報の厚みに驚きます。こちらも物語の基礎文法にのっけた世界観情報の簡略化に成功しているのも高評価の理由です(=いつ・どこで、という形式に則って中華風の異世界を紹介しているため、非常に俯瞰的に、理解しやすいつくりとなっている)。
 いっぽう、『奇遇仙女』や『一日勇者』におけるキャラクタードラマの深み、特に”真相”を連想させる設定のほのめかしがあるのに対して、本作のあらすじは非常にストレートだったためにギリギリ下げました。あらすじ巧者はほかの作品も少なからずあり、最終的には好み(読者の欲求とのマッチング)の問題でしかないのですが、「巧さ」に限って整理すると自分のなかではこのような落着点になった次第です。

▼感想

 やはり『奇遇仙女』と比較して、導入がなめらかな印象があります。こう何度もたびたび引き合いに出されて『奇遇仙女』の作者様もいい迷惑だとは思うのですが、今回はわたしのわがままに付き合っていただくということでどうかご容赦いただければと思います。『保護したおじさん……』である程度解説してはいるのですが、本作でも文脈形成とその段取りが上手いです。例えば、冒頭すぐ。下記の概要情報を提示する場面。

北辰の奴らが七宝街に踏み込むなんて、良い度胸……!)

 大陸の中央に爛熟した文化を築いて繁栄した檀国が、北の草原を故郷とする北辰族滅ぼされてもう十年になる。北辰族は截という国を建て、皇室の姓も官名も諸制度も変わったけれど、民の暮らしはさほど変わらない。地方でささやかな抵抗を続ける檀の遺臣や傍流の皇族を余所に、都では新たな支配者のもと、それなりに平穏な日常が営まれている

 特に、七宝街の危うさと賑わいと胡散臭さは、この何百年も変わらない。王朝の交代に拘わりなく、都の片隅のこの一帯には古今東西の宝物とそれを求める者たちが集まってくる。

太字は引用者

 冒頭の緊張した場面の視覚的描写に始まって、キャラクターの内面の声。もちろんキャラクターは作中世界の住人だから、読者にはわからない用語を解説なしで用いる。そこに緩急入れずに地の文が俯瞰的に情報を挟み、改行をしない段落のなかで背景を掘り下げる……そういう手際かと思います。
 本記事のなかで何度も「深度」という概念で説明したものです。ひとつの描写ターゲットや、世界観などの重要な情報は、一定以上の字数をしっかり割いてていねいに印象付けていくこと、それを読者の記憶のなかに雰囲気として残すことが肝要です。本文中でも重要なワードと背景の情報が交互に、用語を変えながら細かい積み重ねを経ており、本筋を形成しながら、ストーリーへと合流します。

 『奇遇仙女』の名誉のために言っておくと、『奇遇仙女』も決してこのことを無視しているわけではありません。究極的にはどのレイアウトが想定している読者層にとってピンとくるアプローチか、という差だと思います。
 本作はどちらかというと文芸系の小説をある程度読んだ人間にとっては馴染みやすい文章レイアウトをしています。だからわたしにうまくハマったと思います。いっぽうで『奇遇仙女』は文章を「読む」よりも「見る」──視覚的に捉えるタイプの人にはかなりわかりやすいものになっているはずです。『奇遇仙女』のほうが魂魄などの設定の複雑さがあるため、それらを冒頭の枠内でわかりやすく伝達するためには視覚的に改行を駆使することが有効です。その点正確無比の手付きであり、優れていることに変わりありません。

 さて、本作の魅力のもうひとつは、架空の美術品を描写するその厚みにあります。贋作美術品を扱う、というモチーフの都合から、作者の世界観設定元(参考資料・文献)に対する博識さもうかがえ、そのディテールを描写しつつも、その真贋を見極めるという駆け引きのなかにサスペンスの要素も見いだせます。
 あとこれは作家性/テーマの発露と言ってもよいのでしょうが、本作自体が「中華異世界」という、いわば〝贋作〟の中華歴史世界を舞台とした作品です。要所要所でそのディテールをこだわることによって、あるいは読者を試すように熟語や雰囲気を作り込むことによって、「本物である」と感じさせることの作り手としてのサスペンスをも同時に感じます。そのことに、作者自身がこの世界を「本当にあることだ」と信じる熱意のようなものを感じますし、そのことが本作のあらすじである「嘘と贋作が真実の絆を生む」というキャッチコピーに対して二重の意味をもたらします。ひとつはもちろん、言葉通りの意味で、主人公彩玉と貴公子・暁飛の関係性を予感させるものです。しかし他方では、この物語(〝嘘〟と〝贋作〟が入り混じった世界)を通じて、作者と読者の間に「真実の絆」を生もうとするクリエイターとしての熱い魂を感じました。

 わたしはこうした作者の個人的な思いを行間に読み取るような作品は非常に大好きです。今回諸事情で票を入れ損ないましたが、改めて精読すると高水準かつ文芸系の読者にも響くような内容を構築している点もあり、強い愛着が湧くようになりました。すばらしい作品をありがとうございます。

▼評価
文章力・表現   :★★★★★(高水準かつ文芸向き)
構成力・場面づくり:★★★★☆(エンタメを重視した段取り臭さは残る)
題材と切り口   :★★★★★(非常によい題材。取材の徹底も感じる)
趣味との合致   :★★★★★(後付けの好き。投票前にこのテーマ性に気づいてたら絶対に票を入れていた)
◆総合評価    :19/20

11/26加筆・追記

11:深窓令嬢の真相

▼あらすじコメント

 この作品もあらすじ上手いですねえ。なろう系の書籍の背表紙に書いてそうなあらすじじゃありません?
 実際の商業作品を連想するような構成のあらすじは基本みんな上手いと思います。ネット小説系だと、セリフを挟むとより臨場感が増すような感じがいたしますね。タイトル回収があらすじでなされているところや、タイトル自身が地口になっているところも、ライトノベル的にはかなり好感があります。難しく考えなくていいよ! キャラクターがぶっちゃけまくって楽しいよ! って作者がこそっと呟いている感じもして、作家性も感じます。

▼感想

 本作は、いい意味でなろう小説的であり、かつ、読みやすさとハードルの低さを両立した気持ちいい滑り出しの作品でした。リラックスして読める感じがありつつも、冒頭二行など改行で区切って独立させた短い文で締める。そういった生理的な緩急をうまくつないでいる印象を受けました。
 ちょびっと引っかかったのは、具体的な場面の開始1行目「ヴァロワ公爵家主催のサロン。その中心にいるすっと伸びた背筋と穏やかな笑みの姉、マリ・ド・ヴァロワを見てジャックはほっと息をついた。」の箇所で、視点人物(ジャック)よりも前に、その人物にとっての姉(主人公:マリ)が先に出るところが倒置法くさくて若干混乱したな、という感じですが些末なことです。ただ、補足的に(言い訳とも言います)付け加えると、三人称で場面への導入を行うときに視点人物から明示したほうが順序的にすんなり入ってくるかなあという気がします。この手の失点は無自覚に重ねると「読みにくさ」を生み出してしまうので、個人的にはわりと気にしてしまいます。

 純文学だって例外ではないのですが、特にエンターテイメントノベルを扱う際はスタイルとわかりやすさのバランスが常に求められます。作者はみんなおのずと独自の感性・感受性を基盤に言葉を紡ぐわけですから、文体というものは結果的に無視できません。こうしたものは作者自身が日頃ものごとをどう捉えているのかといった生活の感覚に強く根付いたもののため、原則直せないものです。
 ところが、それだけだとうまくいかないのがエンターテイメント・ノベルの領域であって、独自の表現を持ちつつも、内容のわかりやすさ、意味の誤解を少なくする、という修練がなんやかんや求められます。ビジネス文書を書かされているみたいでやんなっちゃいますね。

 本作はあくまで視点人物がジャックであり、ストーリーの骨子を考えるといわゆるワトソン役に当たるはずです。つまり、可読性という意味で突き詰めるとこのワトソン役をどこまで平凡で、事件や世界観・背景の紹介者に徹することができるかというところがこういう作品のキモだと思われます。もちろん、おおむね成功しているのですが、冒頭2行、終盤6行で急にカメラを俯瞰に引っ張り上げ、ナレーション的な文章で締めくくるなどの手付きもあって、ジャックの劇中の立ち位置が「そこにいる存在」なのか「読者といっしょに事件を見る存在」なのかがぶれた気がしました。

 ストーリーのコンセプトはあらすじやタイトルで示されている通り、大変明快な「安楽椅子探偵」のジャンルに該当し、探偵役たる深窓令嬢のぶっちゃけ感・建前と本音がスイッチするところなどが非常に奥ゆかしい、現代的なキャラづくりです。個人的には桜庭一樹さんの『GOSICK』シリーズやアガサ・クリスティのミセス・マープルシリーズのようなものを連想し、オールドクラシックといいますか、非常に伝統的で骨の太い軸を採用しているところも間口の広さの観点で高評価です。すごい!

 あと本作が本企画のなかで極めて珍しい、特徴的な要素があって、本作は参加しているほかの作品と比べてショッキングな事件・激しい感情の揺れ動き(ドラマの激変)が少ないんですよね。
 代わりに冒頭の2行が、例えば『うらみあい』のショッキングな冒頭と同じくらい読者のなかに印象をつくる働きを示していて、実は刺激的な変化がなくても「続きが読みたくなる」お話ができることの好例だと思いました。このあたり刺激が強い物語だけが優勢ではないという所感が得られて少しうれしかったですね。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(くせがなく読みやすいが、視点を人物に固定していないところが読みやすさの観点で地味に減点)
構成力・場面づくり:★★★★☆(エピソードづくりとヒキの妙味がよかったものの、地の文のうねりのせいかプロローグ感もあった)
題材と切り口   :★★★★★(ミステリ・令嬢もの、ぶっちゃけヒロインなどとマイナスをつけようのない明快なコンセプトの提示。強い)
趣味との合致   :★★★★☆(ミセス・マープルシリーズを彷彿させるクラシックなミステリの雰囲気があって好き)
◆総合評価    :17/20

12:失翼の龍操士と霹靂

▼あらすじコメント

 設定は非常に好きです。こういう空を連想するハイファンタジー作品は、好みですね。『空挺ドラゴンズ』や『ゼルダの伝説 スカイウォードソード』の世界観を感じます。趣向は違いますが、『空賊ハックと蒸気の姫』なども、こうした世界の雰囲気をつくる仲間のように思います。

 一方で、龍繰りの里に関するあらすじ上の設定が、ストーリーを作るために恣意的に設けられた設定、というふうにも読めてしまい、なろうテンプレとは異なる意味で平凡な作りであるとも感じます。
 この世界における龍の立ち位置は不明ですが、「国の要」というほどである龍操士がかなり土着的かつ因習的に育成されていることへの疑問。かつ、龍操士を見込まれた有望な人間を追放しなければならない掟の意味などが、不自然な配置となっている気がします。もしかすると世界観の謎として設定しようとしているのかもですが、本文を含め、いま表示されている情報だけでは定かではありません。これが仇になって、例えば類似の状況を提示する『幻獣牧場の王~』や『奇遇仙女~』といった作品と比較してストーリーへの牽引力が弱く感じます。いっぽう、エモさは抜群で、諸事情によって阻害され、孤独を抱えたおじさんがかつての相棒ともう一回空を見上げるという構図は大変エモい。そのエモさに全力を賭けているところもあり、もうどっちに振り切るべきかなあという塩梅の課題を感じます。

▼感想

 書き出しが完全に「追放物」のテンプレートを踏襲してますね。ある意味では、本企画において初めてテンプレート加工した冒頭を見た気がします。思えばなろうの歴史も進んだもので、わたしが小説を書き始めた頃、日間ランキング上位作品は猫も杓子もトラックに轢かれていたものですが(ときにタワマンの上層階にトラックが突っ込んだものも知ってます)、それがなんでもかんでも婚約破棄されたり追放宣告されたりと変わっていきました。しかし時代はすでにそれすらも過ぎ去ろうとしていて、こと第三回書き出しコロシアムの舞台では、その合わせ技──転生によるキャラクターの二重化や主人公と事件の紹介の加速化などと、書き出し作風の進化の最先端を眺めているような心地がします。
 本作は「追放物」の冒頭と、「転生によるキャラクターの二重化」のふたつの一般化したテクニックを駆使して冒頭を構成します。これを使った構造上の特徴は、主人公が冒頭からどん底にあることと、主要登場人物との関係がストーリーの中盤からひっくり返しの予感をはらむことの2点が挙げられると思います。おかげでストーリー空間の座標軸が非常に明快で、主人公が悩みのどん底にあるときは下の方向に秩序づけられ、主人公がストーリーを推進するときは上の方向に転換していく舞台装置を示します。よく練られています。

 いっぽうで、あらすじ感想でも示したように、随所に設定のアラがあるように思えて、いささか物語への没入感を落としている気もしました。
 よくハイファンタジー系の設定の重箱の隅をつつく、異世界警察や中世警察・ジャガイモ警察などの存在が古来ネットを警らしていると評判ですが、わたしは、例えば『幻獣牧場の王~』におけるセンチメートルの設定に対してはツッコミを入れる必要がないかなと思ってます。あってもなくても変わらないし、第一語り手が現代日本と同じ知識レベルを持った人間であるため、センチメートルの表記自体が異世界的ではないにせよ、一定の理屈の範囲でフォローできると行間で把握しているからです。

 ただ、ちょっとこの作品については、野暮かつシビアでデリケートな話になることを承知で少しだけ踏み込んで整理をしてみます。
 まず、龍がいる世界。それを操る龍操士がいて、龍操士は生得的な魔力の同調によって、ようやく使い物になる希少な人材でもある。龍は特殊な因習を持つ里によって管理されるが、あらすじや本文中の記述から推測すると、国民国家を可能とする文明レベルに到達した、近代クラスの世界観・背景を有することになります。もちろん明治・大正の日本においても柳田國男がフィールドワークをしていたくらいですから、この舞台に因習村としての龍繰士の里があったって齟齬は起きません。龍操士は建国にも関わる重要な人物を「輩出」しており、西郷隆盛みたいなものをイメージすればいいんでしょうか、この辺りも問題はないはずです。

 そのかたわら、魔晶石という別個の魔力エネルギー資源のようなものが提示されます。これはおそらく石炭に該当する、作中世界の経済を回す重大なエネルギー資源で、同時に魔力を持っていない人間に魔力と同等のパワーを与えるための装置でもあるはずです。
 まだ作中でほのめかされる魔術師がどのような存在かは不明ですが、上述の世界構造を考慮すると、魔力と魔晶石のあいだには同種の起源があるないし全く別のルーツを有する異なるパワーであり、その間になんらかの区別は発生しているのは想像できますね。

 ということは。世界観の設定そのものに致命的な矛盾やアラは、存在しないということになります。

 しかし何度読み直しても、妙にご都合設定に思えるような感触が拭えず、自分も困ってます。で、ここからは強引な理屈ですが、もうひとつ気になったことについて触れつつ、なぜ設定の整合性があっても不自然に感じたのかの、ひとつの参考意見になるようにまとめてみます。

 本作でもう一個、(他作品と比較して)引っかかりを覚えたのは、人物相関図や世界観に対する言及の仕方が不自然で、極めて説明的に人物・舞台の配置が行われていることでした。
 例えば開始数行。

 重苦しい沈黙と張りつめた空気。それらに満たされているのは、この里の長や龍操士の重鎮たちが一堂に会した集会場であり、彼らの視線は一心に俺に注がれていた。
 心臓でも握られているかのような嫌な緊張感の中、口を開いたのは両親を事故で失って以降、十七歳になる今まで自分の面倒を見てくれていた里長だった。

太字は引用者

 人物の関係性を示す、ドラマ上重要な情報を、1文のなかに力技で挿入している箇所です。またもう一個。

 俺は他でもない、自らの龍を亡くしてしまったからだ
(中略)
 そう、これは途轍もない不幸だった。そもそも龍は強い生き物で、人間である龍操士より先に死ぬことはまずない。それこそ数百年に一度しか起こりえない程に。
 外の人間からすれば、馬鹿馬鹿しい話だと思うかもしれないが、これは建国にも関わった龍操士の英雄シグルズが作ったもので、少なくともこの里や龍操士の中では絶対視されていた。

太字は引用者

 この地の文は、一人称でありながらふしぎと「自分」の外──もっというと、物語の外に、聞き手を配置したときの言葉選びを感じます。急に語り手自身が(夢の中とはいえ)自身が没入しきっている眼の前の光景に対して俯瞰的な目線を取り、「自分が生まれ育ったこの里」というふうにまるで作中世界を全く知らない外部の聞き手に対して、世界のできごとそのものを指示語で対象化し、説明をするくだりを形成しますね。これは三人称ならもう少しごまかす余地がありますが、一人称でしてしまうと完全な”世界観説明”の場面になります。つまり読者は世界観に没入することを妨げられている状態なわけです。
 特に「外の人間からすれば、馬鹿馬鹿しい話だと思うかもしれないが、」と書いている箇所は決定的で、そこには紛れもなく物語の「外の人間」の感想を先取りして地の文に埋め込んでしまっている。読者は気難しい存在なので、例えば感情表現ひとつ取っても、「嬉しかった」と書くか、「笑顔を浮かべて飛び跳ねた」と書くかでだいぶ印象に差が生まれます。これは良くも悪くもひとつ極端な例を示していると思いました。

 直接的な表現は内容を伝えやすい反面、読者の想像の余地を奪います。これにはメリットもありますがデメリットもあります。「メロスは激怒した」とて、読者はその激怒を理解するだけで、一緒になって怒ってくれません。キャラクターへの同情を作れなくなる懸念があるのです。
 いっぽう間接的な表現、つまり「笑顔を浮かべて飛び跳ね」る人間を見ると、一定の直感にしたがって「このひとはきっと”嬉しい”んだろうな」という解釈が読者のなかに生まれます。この”解釈”の作業を読者にさせることが、ハイファンタジーやSFといった「世界観を前提にストーリー・ドラマを演出する文芸」には極めて重要なステップです。なぜなら読者の側が、自分から想像力を起動しなければならないからで、こうした手続きを経ないと、せっかく構築された異世界への臨場感を失うからです。

 テレビゲームにおけるコントローラの役割は、自分が手を動かして操作するキャラクターに自身のメンタリティの一部を仮託することによって臨場感を獲得します。それと似たような働きを、小説では言語表現の絶妙なさじ加減で実現可能なのですが、わたしの言いたいのはそれです。
 一方的に与えられた情報がどれほど正確無比だったとしても100%の理解はありえません。学校の授業でひたすら聞かされるだけの授業に身が入らないのと原則は変わらない。聞き手の側に興味や関心、好奇心が刺激された状態で、積極的に手を動かし、足を運んで、自分自身で獲得した情報に、どうも人間という生き物は特別な価値を感じる傾向にあるようです。特に感動やエモさを伝えるためにはあえて「引く」「抜く」といった手際が必要で、この作品の場合は、どうやって読者に臨場感を持ってもらうか、という点で技術的な課題を残してしまった、そう判断しました。

 このことに比べると別途些末なことですが、関連した話でいうと、一人称の「俺」が地の文で語るさなかに急に「本人の声」でぼやきだしてしまうことも、この手の読者の臨場感を打ち切ってしまっています。手ブレのカメラに指が映り込んでいるかのような感触です。読者の想像に任せてしまいたい箇所と、読者の余計な想像を省きたい部分とを整理し、うまく添削することでこの作品の良さはもっと輝くはずです。
 最後厳しい書き方になりましたが総合して、設定よりも地の文の技術的な課題、という結論で締めくくります。

▼評価
文章力・表現   :★★★☆☆(ちょくちょく挟まれるぼやきのようなものが賛否両論かなと思う)
構成力・場面づくり:★★★★★(場面の動き方はなめらか)
題材と切り口   :★★★★☆(設定の整合性に対してキャラの心理が設定ありきになっている)
趣味との合致   :★★★★★(題材と舞台装置の作り方は非常に良い)
◆総合評価    :17/20

13:死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい

▼あらすじコメント

 本企画はタイトルとあらすじで作品を評価しません。しませんが、もう少しわかりやすいところまで書いてほしい。渋谷のスクランブル交差点で叫びたくなる気持ちを抑えて、私やくもはアマゾンの奥地へと向かった。

▼感想

 これは、書き出しコロシアムのなかでは不利な作品ですね。。。

 率直な感想を書きますが、攻撃的に見ないよう、書いてみます。
 まず内容的なところは興味深い、というところでした。ちょっと後述しますが、いろんなもたつきを感じつつも、整理した範囲では「識途」と「未亜」のふたりが主要登場人物で、おそらく「識途」が「未亜」に片想いをしている。ところが、学校内で決して「識途」が快く思ってない「陽希先輩」に「未亜」がデートの予定を入れたことで場面に緊張感が走る、という場面設計は、書き出しコロシアム的な強いヒキを設けていて、冒頭で十円玉を井戸に投げ入れる場面と対比してきれいな構成だなという印象を受けます。また、この始点から終点にかけての流れは、具体的な描写や文章の組み方を無視すれば一連のシークエンスとして検討されたものだと判断でき、構成に関して強い考慮があったのかなと思いました。

 また、男女の青春恋愛(ラブコメではなく)というシリアスみが強い題材を扱いつつ、あらすじの文面からはローファンタジーの要素も垣間見えそうなつくりになっていて、続くストーリーの進行に対してははたしてどうするつもりなのかという(わりと好奇心的な意味で)気になった感じです。

 で、いっぽうなんですが。

 おそらくわたしがくどくど書かなくても、とは思いますが、「ここ意識するだけでもだいぶ変わったかも」というところを何点がピックアップし、採点の背景として説明します。
 まず人称。視点のブレがけっこう激しいです。PCレイアウトだと12行目くらいの後ろで「俺(一人称?)」と書かれたあと、紆余曲折あって「識途(三人称!)」に変わってしまったのはちょっと読みづらさにつながってしまいましたね。また、主要登場人物の紹介(特に「未亜が惚れている相手=陽希先輩?」)が場面ではなくて、情景のなかに埋め込まれたかたちで行われているのですが、こうした情報は、Web小説だと「わかりにくい」としてネガティブに受け止められがちです。名前と顔を一致させることを最優先と考えたほうがベターです。
 特にこの書き出しコロシアムの会場ではほかのみなさんかなり気を使っているみたいだったので、そちらが参考になるといいのですが……

 逆に言えば、大きな課題はそこに尽きるような気がします。「視点の整理」と「主要登場人物の顔と名前を早い段階で一致させること」、これがクリアできればもう少し筋や本題に入るのも早くできたし、美味しい場面が見れたかも知れないと思いました。今後の健闘を祈ります。

▼評価
文章力・表現   :★★☆☆☆(視点が未整理だと、せっかく重ねた描写が読みづらさになってしまうし、主要登場人物をもっと早く紹介してほしかった)
構成力・場面づくり:★★★★☆(青春恋愛でつくるヒキの印象が強い)
題材と切り口   :★★★☆☆(青春恋愛・ローファンタジーというのは切り方次第ではもっとイケた)
趣味との合致   :★★★★☆(題材的な興味はあります。あとヒキの意識に敬意を表して)
◆総合評価    :13/20

14:官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である

▼あらすじコメント

 このあらすじは新潮社nex文庫の裏に書いてあるような感じですね。書籍で小説を読むわたしのような人間にはあらすじってこんなもんだよね、て感じなんですが、Web小説あらすじでほかの方を見てからだと物足りなさを感じます。かなしいですね。
 しかしこの所感を得た、ということは、Webに掲載されたとき、「読みたくなる」衝動をつくるにはもっとレイアウトや書く情報の整理が必要ということになります。おそらくこのあらすじに物足りないのは、主要登場人物間で交わされるドラマの予感・見通しです。「このあらすじが示すシチュエーションは、どんな感情をわたし(読者)に与えてくれるだろうか」その疑問・ニーズに対する回答と、それを演出する表現を添えてあげることで印象値が劇的に改善したかもしれません。

▼感想

 シチュエーションの設定やコンセプトは非常に明快で、言ってみれば「にやにやしながら読む」という感じでしょうかね。恋愛があってもそうでなくても、この感触には一定のニーズがあるうえ、それを予感させるあらすじだったので、冒頭もさっさとその場面を見せてくれるという意味では最短距離を走っているように思います。
 が、一方でここまで書き出しコロシアムを読んでいると、邪な念というものが生まれてしまい、徒競走でスタートダッシュちょっと遅かったな、という感じになってしまっています。書き出しコロシアムって魔境ですね。。。もし同じ設定とシナリオを与えられたのであれば、わたしならもう、原稿用紙を読んでしまった箇所から開始1行をつくったかもしれません。そのほうがホットスタートという意味では有効な駆け出しで、この手法は『保護したおじさん…』と同じものです。

 こういうシチュエーション自体は、一定の読者層・読者グループに対して強い好感を与える一方で、他方「ノットフォアミー!」と叫ぶ界隈が一定数あらわれがちです。ミートゥーとか言い出すとややこしくなるから黙ってなさい。あと男女の分断の話もやめてください。
 個人的には、こうした話を読むときに、いちおう「本当にあったこと」として読むスイッチを入れて楽しむようにしています。そりゃもちろん、こういうクラスの高嶺の花が官能小説書いてて、それがバレて奇妙な関係性が生まれるなんて自分に起こるとは思ってないですが、「それが本当にあったら面白いじゃないか!」ってくらいの開き直りで読んでます。だって、のっけからリアリティがないなんて決めつけちゃったら、ほかの作品だって多かれ少なかれそういうもんではないですか。それを棚に上げて論じてしまうのは、感想としてそうだったとしても、わたしの個人的な気持ちとしてフェアじゃないと感じます。

 物語を構成するときのリアリティのセッティングって、わたしはいまだに最適解を持っているわけではなく、なんとなくでやっているのですが、それでもどこまで突き詰めたところで、否定的な人間はそれを「ファンタジー」と(やや侮蔑的なニュアンスを伴いながら)呼びがちですよね。
 いちおう趣味的にとはいえ、ファンタジーを真剣に書いている人間にとってこうした慣用表現はたいへん差別的だと思い、憤りを覚えるのですが、いっぽうで娯楽作品における想像力のあり方のような、漠然とした課題についても想いを馳せてしまいます。それは、成人向けコンテンツって多かれ少なかれこういう問題にぶつかって摩耗しながら書いてるよねってことです。本作はいずれそういう問題にぶつかるのでしょうか。あえて過激なモチーフを使いつつも、シナリオの流れを追っていると非常に健全で対等な人間関係を目指すお話しづくりにも見えるので、決して妄想の産物で片付けていい物語ではなく、興味深く先を読みたい題材だと思いましたね。

 ちなみにこれは完全に余談なのですが、わたしの元に毎年年末近くなるとハードなプレイを含んだレズビアン小説の原稿を送りつける大学の後輩(女性)がいるのと、ビジネスの世界でもオトナのオモチャを大量販売して一大事業を獲得した女子大生起業家が存在するなどいくつか極端なリアルの事例を知っているので、蓼科涼子=海堂院蝶子のキャラクターはまったくもってファンタジーとは思いませんでした。

▼評価
文章力・表現   :★★★★☆(簡潔にして淡々と進むよい読み心地)
構成力・場面づくり:★★★★☆(衝撃的なシーンやドラマに関わるシーンがていねいで好感が持てるが、メリハリが弱い印象。おそらく改行などの影響もある)
題材と切り口   :★★★★☆(衝撃的な切り出しと、健全な内容でバランスの取り方が面白い。可能ならもう少し先の見通しが知りたい)
趣味との合致   :★★★★☆(まあまあ楽しく読める)
◆総合評価    :16/20

15:魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~

▼あらすじコメント

 『官能小説家』と要領は同じで、物理書籍の裏側なら実際にありそうないいあらすじだが、モチーフにこだわりすぎてドラマやストーリーに対する期待がいまいち見通しがないことがある。第一話のネタバラシを防ぐ意図もあったと思うのですが、あらすじの巧さだけを取るなら、もっと内容を明かしてしまったほうが読者の導線にはなったかなと思いました。

▼感想

 地の文上手いですねえ。一人称でできる説明口調(『失翼の龍操士~』参照)と没入するための語りの整地が非常にバランスよくできていて、主人公「僕:ラーシュ」の目線で起こるできごと・思ったこと・事情や背景の理解がテンポよく直感的に入っていきます。この冒頭ができた時点でテクニカル点としては最高得点といってよく、熟練のワザマエを感じます。
 特に改行を駆使した「見やすさ」と、「内容のわかりやすさ」、そして主人公のプロフィールとして「きちんと読者に覚えてもらいたいこと」の区別が非常に冷静で、駆け足で読んだとしても、ストレスなく読ませてくれます。例えば以下の一連の文脈形成。

 僕は自分の手を見る。
 さっき見た夢の中の、ちょっとゴツッとした太くも細くもない大人の男の手を思い出す。夢の中の僕は二十代後半。実際に目の前にあるのは、ちいさなぷよぷよとした、白い可愛い手。僕は、先日5歳になった。
 そんな僕のなんの変鉄もない手だけが、今ここにある。それをじっと見たあと、ぎゅっと握る。

 今日、最近とんと見なかったあの夢を見たのは、今日が魔力測定の日だったからに違いない。

 この国に生まれた子供は、5歳と10歳になる時に魔力を測る。これは前世もそうだった。
 魔力値は、増えることはあっても減ることはないと言われているそうで、5歳で相当な魔力値が出れば国に囲われ、10歳で基準以上の魔力値が出れば学園に通うことになる。
 夢の中の僕は、5歳では年相応、10歳は基準より少し多いかな? ぐらいだった。僕はどれぐらいだろうと、昨日は眠りについた。
 絶対それが原因だ。

 僕は、魔法が好きだ。
 それには夢も関係している。

 夢の中の僕は、魔法使いに憧れ、己れに魔法適正があることを知って喜び、自分なりに精一杯、鍛練し続けた。
 きちんと組み立てればきちんとするほど、応えてくれる魔法というものが大好きで、その仕組みをいつか解明するのだと意気込んでいた。
 叶うことのなかった、夢。

 ふ、とそれを思い出して笑うと、頭の上から拳が降ってきた。

 悪夢を見て起きた主人公、という前フリがあるのが前提ですが、飛び起きて緊張状態だった主人公が落ち着くために自分の手を見る。そのシワの描写に、まだ夢の名残を重ねて、その余韻を振り切るつもりで、内面で別の話題──なぜそんな悪夢を見たのかについて原因を探すわけです。そして思い出していくうちに、主人公は自身の悪夢の原因について確信を持って行く。
 この静かな描写の連なりのなかに、「主人公はだれか」「主人公はどんな人間か」「かれはどんな場所にいて、どんな生活をしているのか」「そしてかれは何を求めているのか(あるいは欠如しているのか)」を積み上げて、おまけに心情の揺れ動き=小さいドラマを築いてます。魔力値に関する描写は読者にとってはただの世界観設定の説明でしかありませんが、実はプロットのレイヤーでは、これから主人公が立ち向かう試練を自分で再確認している内的な点検作業なのであって、それを通じて自分の内側から湧き上がった”不安”を飼い慣らそうとするドラマ的な演出にもなっています。ここで「夢」という言葉がダブルミーニングになって、当初は主人公を不安に追いやる悪夢だったものが、主人公の将来を展望する希望としての「夢」に転じる。だからそれを「思い出して笑う」というアクションに結句する。

 そのドラマを演出するシークエンスのターニングポイントとなる箇所に「僕は、魔法が好きだ」という、今後主人公の強い動機づけについての重要な情報──読者が最低限覚えておかないと今後の展開が理解できなくなる情報を、極めて印象的に配置している。ううん、プロフェッショナル。相当の文章の鍛錬がないとここまでの取捨選択ってできないですよ。

 また、視点人物の年齢的なフォローもありますが要所要所に「じぃちゃん」とか「ムッとした」といった視覚効果を伴うテキスト表現があり、ライトノベル特有の、漫画のように読めるストーリー進行も演出してます。
 あと本作だけの面白い特徴として、主人公の姉アマリアの内面のドラマが印象付けられるヒキを用意している点があります。本作の冒頭では、まるで主人公をいじめて優位に立つジャイアンのような存在として、アマリアは登場し、終始そのように振る舞っています。しかし(主人公の目線で気が付かないから当然ですが)、実はこの第一話は主人公が羽ばたくドラマと平行して、アマリアが思わぬ事態に自分の人生を獲得するというドラマが水面下で展開しています。そしてその構造は、描写の節々を拾い上げることによって、次のように推理可能です。

①グラヴェル家では代々伝統的に男が当主である
②グラヴェル家は武家であるため、当主もまた武人である必要がある
③アマリアは武人としての素質と意欲を持つ。しかし彼女は女であり、当主の資格を持たない。
④グラヴェル家現当主である父は、①②の事情から弟のラーシュに強い期待を賭け、姉アマリアにはあまり見向きしない(これは「父は女に殴られたぐらい、と取り合わない」という態度から見て推測可能)。
⑤③④の事情から、素質と意欲を発揮できない環境で成育するアマリアは、その不満を弟を殴るかたちでしか解消できない(ただし憎んでいるわけではない)。
⑥⑤の事情を察しているから母は姉の味方である。結果として、本来本を読み魔法使いになることを志している弟:ラーシュの進路はあらゆる角度から阻害されている。かれにとって唯一の脱出口は、祖父ゼビウスだった。

 この綿密なプロットのもと、第一話におけるデウスエクスマキナ(話の帳尻を付けるためにドラマの外側から解決を提示する存在)として、祖父ゼビウスがラーシュの進路を開き、同時に姉アマリアの進路も正しい位置に配置し直す。これは「姉はというと、憧れの武人の言葉に目を輝かせ、感動に打ち震えていた。」という一文から明確で、かつ「才能がありながら、女だからと後継ぎからは省かれる姉」とダメ押しのように決定打を打ちます。
 その後のシーン。荷造りするラーシュにちょっかいをかけるアマリアが、いままで殴る蹴るのかたちで優位に立っているつもりだったのが、ラーシュが飛び出す外の世界を意識してじつは自分こそが井の中の蛙だったとさりげなく気づくわけです。本を読むことを拒み、字を正しく書けず、書けないことになんら問題なく看過されてきたアマリアですが、今後のことを考えると、自分こそがグラヴェル家の当主として、(それまでお目溢しをもらっていた)あらゆる勉強を自分ひとりで対処せねばならない。おまけにその問題を解決してくれる弟はもう、これからは隣にはいないのです。心細くなるのは自然な心理だと言ってもいい。

 逆に、この立場の逆転こそ主人公ラーシュの成長として描かれるのがおそらくほんらいのプロットの目論見だったのだろうと思います。
 ところが、作者は登場人物をみな平等に愛し、描写を怠りませんでした。現状この物語に対立する人間はしても、悪役はいません。結果として、主人公の静かな対立者として描かれたアマリアにも、主人公よりももっと深い人間味のあるドラマが刻印されました。これは誤算だったと思います。これが「主人公の物語」としてのヒキの弱さにつながってしまったのですから。

 全体として、おそらくテクニカルな点としては本作は最高位の技術を持ち、滑らかに読み飛ばすことができつつも、サブキャラクターのなかに緻密なプロットと人間ドラマを構築することに成功しています。いっぽうで、この構造を理解して作品を評価されるわけでは決してないことから、書き出しコロシアムの観点では少しだけ弱さを見せてしまったように思いました。

▼評価
文章力・表現   :★★★★★(読みやすさの極意しかない)
構成力・場面づくり:★★★★☆(「主人公の物語」という観点でヒキに失敗した可能性を懸念している)
題材と切り口   :★★★★☆(同上)
趣味との合致   :★★★★★(苦みのあるドラマを、行間に隠すな!!!! ※褒め言葉)
◆総合評価    :18/20

16:「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~

▼あらすじコメント

 今回は書き出しコロシアムですが、あらすじコロシアムがあるなら本作は『奇遇仙女~』と並んで同率一位です。あらすじの開始一行でフックを掛けるって時点でかなり高等テクです。おまけに、現代で馴染みのある言い回しとファンタジーテンプレワードの悪魔合体がもたらす蠱惑的な響きが、ジャンル外の人間を絶えず誘惑し続けています。あとは『奇遇仙女~』と同じ技術の塊なのですが、いやあ、この企画ほんとに怖いですね。。。

▼感想

 ハイファンタジー畑の人間からすると、この手の、テーマパーク的に設定された「剣と魔法ワールド」にはちょっとした入っていけなさがあるのですが、きっとこれは非リア充が一人では決してネズミーランドに入っていけないあの心理的なハードルなんだなってさいきん気が付きました。
 そういう心理的な壁(専門用語では「A.T.フィールド」と言います)をなんとか乗り越えて読みますと、ふつうに上手いし面白いしで、許しがたいほどの出来栄えだと再認識しました。

 開始一行、セリフから始まる件については『かがやき損ねた星たちへ』で書いた通りで興味を惹きながら物語の渦中に読者を置くには最適な技法です。ここに加わって、「司会の紹介……」とまるで傍観しているように続く描写は、実は明確には書いてないものの、舞台袖で出場待機している語り手=主人公の心理的な状況を端的に表現していて、物語に的確に連れ込まれていくかたちとなるのです。
 しかも、そうした導入部分の成功から、立て続けにハプニングが起こる。言ってみればさっそく本題の事件が発生します。

 あと、これはもうひとつのテクニックといいますか、シンプルにすげーと思っていることですが、作中で用いられているボキャブラリーが、ぜんぶ中学生にわかる改行の頻度と文の構成で驚きます。これは直前の『魔法好きくんの流され最強譚』とはまったく別の領域で発揮された強みで、『無職転生』の小説が実現している高等テクです。
 もちろんキャラクターに即した適切な文体を取ったのだといえばそれまでですが、この作品はその見かけのイージーさに対して、結構複雑な世界構造をしており、適切な場面設計をしないとなかなか「”そういう世界”です」と言っても通じない異物感を爆弾のように抱え持っているのです。わたしがギャグ作品を決して書けないのはこれが理由で、モチーフがモチーフにごちゃごちゃを干渉しあいながら同居する、その上でストーリーを組むという作風は、言ってみれば『銀魂』のあの感じといってよく、現状それがコメディでありながら、ストーリーの進行とともにシリアスな感動に持っていける強みも同時に持っています。

 今回「書き出しコロシアム」はあくまでWeb小説としての、書き出しの面白さを~という要旨ですが、マーケ的なターゲティングの分布を考慮したときにまた異なる視野が開けるのでしょうね。個人的には、ボキャブラリーの平易さ、文字のひらき具合とキャラクターのフラットさなど、テキストを目で追いかけていくことの快感を徹底して極めたところがあり、その点非常に高く評価できます。文芸系の人間にとっては、こうしたフラットさは「物足りなさ」と言いがちですが、ライトノベルを読むほんらいの読者層にとってはこういう物語が必要なのだと思います。その地平を開いている作品として、本作もまたひとつの独自のポジションを獲得したのだろうと分析しました。すごいです。

▼評価
文章力・表現   :★★★★★(徹底してキャラ文芸の平易さを極めている)
構成力・場面づくり:★★★★★(導入の快調な滑り出しと、タイムリミットを前提とした場面設計には舌を巻きます)
題材と切り口   :★★★★☆(正直いうとこれを評価する軸は持ってませんが、強いパワーを感じます。ヤーッ!)
趣味との合致   :★★★★☆(決して趣味ではない人間でも「面白そう!」と思えるアイデアと表現力)
◆総合評価    :18/20

投票(11/22時点の投票)

 当時1~4までしか精読できてなかった(いちおう全部読みました)のですが、そのときは推し・好き嫌いの要素が勝って下記の作品へ票を入れました。採点上は厳しいことを残してしまいましたが『かがやき損ねた星たちへ』が一押しです。
 ただ、シンプルに『Sランク探索者~』が一番実力を感じました。たぶんその所感についてはみなさん同様だったかと思います。


11/22(金) 1st Set結果

1stSet結果:やはり『Sランク探索者~』ですね。
一通り精読を終えると結果的にこの内容は納得できます。

総括(採点結果と投票結果の見比べ)

※以下太字が準決勝進出作品

■八雲による採点結果

◆19点

Sランク探索者のぜんぜんのんびりできないドラゴン牧場経営(19点)

贋作公主は真龍を描く(19点)

◆18点

うらみあい(18点)

保護したおじさんの中から美少女宇宙人が出てきた(18点)

奥村さん家のガーディアン(18点)

魔法好きくんの流され最強譚~平凡教師の悪夢を添えて~(18点)

「一日勇者になろう!」 ~吟遊詩人(アイドル)の私が一日で魔王討伐まで目指す話。い、一日だけなんだからね!~(18点)

◆17点

かがやき損ねた星たちへ(17点)

幻獣牧場の王 〜不器用男のサードライフは、辺境開拓お気楽ライフ〜(17点)

奇遇仙女は賽をふる 〜悪鬼悪女討伐伝〜(17点)

Flight to Chaos(17点)

深窓令嬢の真相(17点)

失翼の龍操士と霹靂(17点)

◆16点以下

転生☆お嬢様育成ゲーム!プリンセス系になりたい私vsパンク系に育てたい転生プレイヤー(16点)

官能小説家『海堂院蝶子』は俺のクラスの委員長である(16点)

死と神男子は眠り姫を目覚めさせたい(13点)

■反省など

 『奇遇仙女』についてはちょっと好き嫌いのマッチング問題あったかなーと反省してます。かなり特殊な事情での減点だったので、相対的に上位だったとしてもやむなし、という所感でした。

■今後のこと

 すでに2ndSetが開始しており、そちらの締め切りが同様に週末です。
 そのためそちらのほうも分析などの興味はありますがおそらく分析記事事態は間に合わないと思います。本記事でももう少しデータ的なものを載せたいので逐次加筆するつもりですが、いったんはこの記事はここで締め切り、2ndSet、3rdSetの記事で企画全体の総括はしようかなと思います。

 ではここまでよんでくださったみなさま、お疲れ様でした。またの機会に、おあいしましょう。

続編


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