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強くて逞しい、私の叔母。

私にはちょっと変わった叔母がいる。
母の妹とは思えないくらい男前で、逞しくて、太っ腹で豪快な叔母である。
美人なのに化粧っけもない、オシャレより子供優先な叔母。
名前をうまく発音できずに子供の頃から「むーたん」と呼んでいるのでここでもそう呼ばせてもらおう。


個人情報なので詳しくは書けないが若くして1番上のいとこを産み、壮絶な人生を送っていたむーたん。
それでもいつも子供の喜ぶことを考えて、色んなところに連れてってくれた。
普段は節約しているけど、子供達が喜ぶものにはドーンと使う。
いつも優しいけど、私をイジる時が一番楽しそうである。

この前も久しぶりに会ったというのに
走って駆け寄ったら
「ぎゃはは、こどものころから走り方変わらないね」と言いながら私の走り方を真似した。めちゃくちゃ久しぶりに会ったのにいきなりイジってくるあたりむーたんらしいと思った。
なんで私の走り方を知ってるかって?遠くに住んでるのにいつも運動会はいとこを連れて見に来てくれてたからだ。ピンク組の時はみんなでピンクのTシャツを着て応援しに来てくれたこともある。

夏休みになるたびに祖父母とむーたん達のいる街に行き、2週間くらい一緒に過ごした。海に行ったりゲームセンターに行ったり、みんなでご飯食べたりと毎日毎日楽しい夏休みを過ごしていた。
私はむーたんの車で、ドライブするのが好きだった。
B'zを大音量でかけて、まるでジェットコースターのようにスピードを出してくれる。タバコをくわえながら運転するむーたんはカッコよかった。
(我が家の家系全員B'zが歌えるのはこのせい)

2000年になる瞬間も、いとこを迎えに行く道の途中で葛西臨海公園の観覧車の前ででカウントダウンを見たのをよく覚えている。
私は車酔いが酷かったので、むーたんはいつも梅ガムを買ってくれていた。それを一枚一枚大事に食べながら車で過ごしたのもよく覚えている。
叔母、というより第二の母のような、怒られてもいつも私の味方でいてくれる、私にとって心強い存在である。いまでもずっとそうだ。

近くに引っ越した時も、反抗期で親族が私を責め立てる最中だって、むーたん一家はいつでも味方でいてくれて、私が家出するといつも探してくれて話を聞いてくれたのはむーたん一家だった。真夜中でも自電車や車で探し回ってくれて、いつも見つけると泣いてる私をよしよししてくれた。本当に感謝している。
あの時唯一の味方はむーたん達だったからだ。
それ以外からは「出来損ない」「黙って勉強しろ、お前にいくらかけたと思ってんだ」と責められてばかりいたからだ。

実父と住むことになり、進学校の推薦を蹴って通信の高校に引っ越した時
私は祖母に「破門だ。」といわれ、二度と祖母達一族に関わることを禁じられた。
でも17歳の時に義父から離縁され、戸籍が宙ぶらりんだった時
祖父から電話が来て「もう親を頼れないと思って生きていけ。苗字はやるから新聞に載ることはするなよ。そして正月は帰ってきなさい。」
と言われ、私の破門はとけた。

心配して電話をかけてくれたいとこが、電話口でいまむーたんに代わるねといって電話口に「むーたん?」と呼びかけたら
「あやか?あやかだ…あやかの声だ。」と言ってむーたんは泣き出した。
2年ぶりにきいたむーたんの声だった。
「あやかだよ。元気?むーたん。あやかは元気だよ」
「色々あって大変だったね、よく1人で頑張ってるね、たまには顔見せに来なさいよ」
と言って、むーたんはまた泣いた。私ももらい泣きしてしまった。


もう充分気づいてたつもりだったけど、私は叔母という存在から存分な愛情をもらっていたことを、この時再認識した。
お正月に家に行って見たアルバムにも、私のソロ写真がたくさんあった。覚えてなかったけどたくさんのビデオも残っていた。
母以上に、叔母は私を大事に思ってくれてたんじゃないかと思う。

何度泣いてる時に抱っこしてあやしてくれただろう。
母にもそんなことしてもらった記憶もないのに。
何度私の肩を持って守ってくれただろう。
あやかは悪くないって何度いってくれただろう。
家族旅行なんてしたことない私と弟を、何度いろんなところへ連れて行ってくれただろう。
ただの姉の子供なのに、母以上に大事にしてくれたむーたんには頭が上がらない。

今回母と離縁する前も、長文のラインに返事をくれて、その翌週に家に招いてくれた。美味しいお寿司屋さんにも連れてってくれてたくさん相談にものってくれた。
「もし祖父母があやかを悪者扱いしたら、私が証言に立つ」とまで言ってくれた。

引っ越した後も「引越し祝いだよ〜少ないけど使ってね」と引越し祝いでびっくりする値段のお金を振り込んでくれた。
かっこよすぎるよ、むーたん。
残高を見た私は改めて叔母のかっこよさに気づいた。
おかげで引越し貧乏だった私も引越し後少しだけ休みを取ることが出来た。

喋り方も歩き方も仕草も性格も、ちっちゃい頃から何一つ変わってないねとイジりながら嬉しそうに会う度に言われるからきっとそうなんだろう。
でも多分半分くらいは、むーたんの前だと甘えられるからっていうのもあると思うんだ。きっとそれは、弟もそう。

今年の正月はうんと良いお酒と、ご馳走を持ってむーたん達に会いに行こう。
そしてまだ叶えられてない、子供の頃に約束した、遅くなっちゃったけど
「初めての給料でむーたんにお寿司をご馳走する」を近々叶えよう。

血の繋がりとか、叔母とか叔父とか関係なく、大切にしてくれる家族がいること、それだけで充分だ。


むーたん、ずっとずっと元気でいて、会ったら嬉しそうにイジり続けてね。
お酒も煙草も程々にして、健康でいてね。
「未成年が煙草吸うんじゃない」って毎回言うけど、あやかもう32歳だよ。

B'zのライブもみんなで行こうね。

恋心、みんなで踊ろうね。

まだ何も返せてないから、これからたくさん返してくね。

子供の頃大泣きするたび抱っこしてあやしてくれた、むーたんに抱きしめられる瞬間がいつもいつも好きだった。悲しくて、痛くて、不安で、泣いているのにそこにはいつも安心感があった。

あんなこともあったね、こんなこともあったね、ってこれからも煙草吸いながらお酒飲んで笑い合えたらいいな。





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役満ろ萬
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