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【たった1つの方針】 あなたにとって生きるとは? 【医療✖️禁書】
こんにちはヤク学長です. 新年明けましておめでとうございます. 新しい年を迎えたということで世界への劇薬を1つ. 今までの医療人生の中で沢山の「生」と「死」に出会ってきました. 今回は「生きるとは?」についての方針のお話.
⭐︎注意⭐︎
今回の内容は多少刺激的な内容が含まれます.
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山本 常朝の「葉隠」と言う1冊の書物がある. 江戸時代に書かれ, 今となっては埃が被ってしまうような書物だ. 当時, この書物に感化された者は後を絶たなかった.
時代を越えて様々な人に翻訳され, 日本の武士道といったものに受け継がれてきた.
ある時は「禁書」とまで言われていたこの書物.
今回はこの禁断の書物に再び光を当てる.
現代の日本では葉隠という言葉を耳にする事はなくなった. 特にこの言葉が有名になっていたのは武士の時代のこと. 皆さんは三島由紀夫はご存じでしょうか?
彼の書物にも「葉隠入門」という書物がある. 彼もまた葉隠に魅了され自分の役目を全うした人物の1人. 実際に葉隠された3 年前に執筆を終えた書物だ.
葉隠の真髄
葉隠の真髄は以下に尽きる.
「武士道と言うは、死ぬことと見つけたり」
この言葉が葉隠れの全てである.
西洋的文脈の中でのどうあなたは生きるのか? なぜ生きるか? といった脈々と「生」を追求するものとは異なり. 「死」を美徳とした教えを説いている.
果していつから我々はただただ,,,ひたすらに目的もなく, 心情とするものも無くなってしまったのか. いつから有り余る「生」を垂れ流すようになったのだろうか?
もし, 今のあなたが希望もなく, 自分の果たすべき目的は特にない.
そんな風に考えているならば,,,
あなたにとっての光や希望になるのではないかと思っている.
葉隠は,近代に至り西洋が到来する以前の日本が美徳としていた価値観の全てだった. 西洋にとっては, 西洋的文脈に対する極めて忌むべき. 極めて醜悪な. 極めて消し去られるべき汚物のような書物の1つと捉えられていたようだ.
現在は時代の闇の中で静かに息を押し殺しているのはそのため…
この先は自由を解き, あなたの心の内の情熱を解く. もしかしたら, 極めて刺激が強いかもしれないので引き返して良いと考えている.
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「武士道と言うは死ぬことと見つけたり」
この1文が全てだと述べたが, そこにこの書物から我々が生きる力を得る最大の理由を見出すことが出来る. 現在の社会で苦労の下に生きる者たちへ送るエールが・自由が,,溢れている. すべては生力と情熱の賛美であるのだ.
あなたの自尊心を回復させるには?
葉隠ほど道徳的に自尊心を解放した書物は見当たらない. 今の日本人は自尊心というものが地の底である. 世界でも有数に自分のことを蔑む文化が根付いてしまっている. どうしてこうなってしまったのだろうか?
地の底であったとしても. ひたすらに自尊心を否認すると言うわけにいかない. 「死に物狂い」の確保が寛容ではない社会の現状では,,,まぁ,,,,そうなるのも当然のことに思う.
正しい[狂気]というものを身につける必要がある.
あなたが何か行動したいなら, きっと道徳になるだろう.
もし, 何か行動したいと願っているなら歓迎すべきことだ. ただ, 覚悟して欲しい.行動したとしても世界はいつも最後の1ピースを添加することで完成される. その日が来るまで, 延々と,,ただ延々と,,,循環を始終目前に描き続けることになる.
ただ, 1ピースを添加することでのみ完成される人生において, 瞬時にその世界を完成することはずっと刺激的だし強烈な快感になることだろう.
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あるとき死を目前にした患者さんに言われたことがある.
「私にとっての最大の不幸は、生き永らえてしまったことである」
今となってはこの言葉は, 葉隠の教訓のように感じてくる.
葉隠の教訓=それは, 「行為の結果」よりも「ただ行動すること」が真の幸福だと教えている.
唯一の自尊心を高める行為は, 誰に言われたことでもなく, あなたの心のうちにある衝動や熱量を燃やすことでのみ回復する. 行動に着目することで自尊心を高めていく.
あなたも行動する準備が整ったころではなかろうか?
現代人の体調不調の原因
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生きるか死ぬかと言う場合に、「生」に執着する事は当然である. 医療に従事するが故, 沢山の生死を見てきたが大抵の人は同じ行動/精神状態になる.
ただひたすらに, 人間が美しく. ただただ美しく最後にお隠れになるときには, この生に執着することが,
いつも、、
いつも、、その「生」を裏切ることを何時も覚悟しなければならない.
あなたにとって美しく生きることが困難であると同様に, 徹底的に醜く生き, 醜く死ぬこともまた困難なのが人間というものである.
現代人の不調の根本はこれだ。
美しく生き, 美しく隠れることは, 実はあなたが「いつの間にか美しく生きる道を模索することを諦めている」というところにある.
どうして萎えてしまったのだ? いつから萎えてしまった?
現在は, あなたの一生を見ることに関しては, 大体予想できる時代である. だからなのだろうか. 平均寿命はかつてないほどに伸び, あなたの前には単調な人生のプランが描かれている.
果して自分の人生はこれで良いのか?と本当はどこかで思っているのではなかろうか?
自分の「小さな孤独」を見つけて改善することに努力している内は, まだ良いかもしれない. けれど, 孤独の解消法が見つかるとその先には何もない.
あなたの目の前には, 計算機に弾かれた退職金の金額と労働ができなくなった際の静かな退職後の老後の生活だけがある.
私は「生」と「死」について触れるといつも感じることがある.
西洋の文脈を模倣し, 近代的医療を確立した結果, 果たして人間は幸せなのだろうか?
「日本の医療は素晴らしい医療体制だ」と諸外国の方から言われることもあるが, 果たしてそれは誰にとっての誰のための良い医療なのだろうか.
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あなたの到達地点
現代社会の方向に従って進むと、「社会主義国家の理想」or「福祉国家の理想」であるか. この2つに1つの選択しかない.
あなたの自由の渇望の先には, 福祉国家の見解があり社会主義国家の果てには,,,あなたが追い求めていたはずの自由の抑制があることは想像できるだろう.
しかし, その理想へ向かって一歩を進みながら,,,同時にその理想が達しそうになると途端に退屈してしまう.
一方で, あなたが潜在意識の中に深い盲目的な衝動を隠している事を知っている.生の矛盾に満ち満ちたダイナミックな発言をSNSに発信しようか,,,クリティカルに練り込んでいる事を知っている.
いつから現実の社会で,,,あなたは無意識の中に封じこめるようになったのか?
あなたの生に対する執着
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我々の日々の生活において直面する「生死」の根本的な問題に引き戻って考えてみよう.
現代社会では死はどういう意味を持っているのか?
それが、いつも忘れられている.
いや,,,忘れられているのではなく直面することを避けているのか?
もはや人間の姿は、たかだか病院の硬いベッドの上で順番待ちをしている小さなk枯葉に過ぎなくなってしまった.
単純に我々は死を考えることが嫌なのだ. 死に充ち満ちている有効な成分を引き出し, それを自分に役立てようとすることが嫌なのである.
我々は明るい目標や前向きな目標、生の目標に対していつも目を向けている. 死が我々の生活を徐々に蝕んでいく力があると錯覚し, 出来れば触れないで過ごしたいと思っている.
死は誰にでも訪れる.
目を背けることは, 合理主義的な思想の果てにあなたにとっての「不自由」と「陳腐な人間の完成形」に辿り着く機能を営むことが大得意である.
明日も明後日も深く潜在意識の夢うつつに, 日常の輪廻を繰り返す.
葉隠には死に向き合い, あなたの「内なる爆発力」を内攻させたものを生かす過程が示されている.
私は思うに,
人間が行動を誤るとき,,,それは, 死ぬべき時に死ねないことではなかろうか.
病気による死は自然死であり自然の摂理である. しかし, 自発的な死は人間の意思によって選択ができる. 人間の自由意志の極致とするところに死を置くことは, 行動的な自殺を脈脈と練り込んできた日本独特の考え方で終着している.
日本における葉隠
現代において葉隠を取り出すとギョッとする感覚に陥るが, 一昔前の日本では当たり前の感覚だった.
積極的な自殺は西洋の自殺のように敗北ではない. いつから文脈が変わったのかは自明のことだろう.
選択によってその束縛を突破する. つまり, 葉隠は自由の行為と解釈できる. これこそが真の武士道としての生き様だった.
現代人は観念的に自分の老後をイメージできる.もし, 定年後からが老後だとすると30年以上の暇がある. ひょっとすると余りあるほど死の恐怖に怯え続けることになる. それこそ, 自分に対する残酷な殺人ではなかろうか.
人間は死を完全に選ぶことができなければ, 死を完全に強いられることもできない. 運命と自分の選択との間にギリギリに追い詰められた形でしか死に直面することができない.
=人間的選択と超人間的運命とが永久に纏わりついている.
葉隠は生きるか死ぬかと言う時に悩みし時 ,死ぬことを進めている.
ただ, 注意して欲しい. それは決して安易に死を選ぶことだとは言っていない.
我々にはその次を選ぶ基準がないからだ. ただ, 行動の純粋性を提示し, 情熱の高さとその力を肯定したとき, 生じた死を全力で肯定している.
それが葉隠なのである.
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武士道と言うは、死ぬことと見つけたり
行き着くところ「死は自由意志により選択できる」という視点から心の衝動に対する行動しやすくするための指南書である.
三島由紀夫は身をもって心を砕いた. その人生をもって現代人への体験的かつ臨床的な処方箋として提示してくれている. そんな気がしてならない.
我々は西洋からあらゆる生命哲学といったものを学んだ. しかし, 生活自体の関心がつまるところお上への媚と保身と安住の追求に終わる.
あなたが今取り組んでいることは心からの衝動に突き動かされたものだろうか?
あなたなりの心の衝動を見せる1年であって欲しい. なんのために生きるのか,なぜ, 何, どうして,,,循環を繰り返した先にきっとあなたの1点の解があるはずだ.
私も自身に言い聞かせ, 少しでも世界が良い方向に進むように医療、データ、ソーシャルなArtをドリブンし今日も「生」を模索していく.
↓
実際に葉隠がどのような行動を軸とするかは、山本 常朝の「葉隠」や三島由紀夫の葉隠入門を実際に書物を読んでいただければと思う。
後悔を残さない生き方,それが葉隠だと言うなら私は葉隠を全うする. たくさんチャレンジし失敗したとしてもいいじゃないか, 結局, あなたの失敗も成功も循環の中なのだ. あなたの人生に1つの添加があれば最高に輝く. 選択的に死を見据えることで, あなたが誰かの価値観で心を痛めたり, 恐怖に駆られることもなくなるのではないか. 無駄に生を垂れ流すぐらいならば, 心の衝動に思い切って忠実に行動してみよう. 結果, 何か添加ができたならば, あなたは人生は最高のものになるはずだ.