➁魔法を現代に翻訳すると医療のパルプンテになるかもの話【道具】
ヤク学長です. 本日も魔法の歴史を紐解いて未来を考えてみましょう.
前回は、「魔法」や「呪術」を因果論理性の観点からみてきました.
今回は, 呪術などを用いて人の思いが具現化した「道具」に焦点をあてる. 道具には魔法のステッキのようなキラキラ・ピカピカしたもの. はたまた陰々滅滅とした怪しげなものがあるだろう!!と心躍らせて, 現在社会に因果律やロジカルさを要求される社会にパルプンテが起こるのか。。について思いをはせて進めていく.
呪術道具
呪術道具と聞いてどんなもののイメージが思い浮かぶだろうか? 恐らく鈍くてどす黒さのある風味まで感じられそうな数珠や刃物、藁人形のようなものが思い浮かぶのではないだろうか.
そのイメージで大正解である。ただ、この原点はどこにあるのか興味が沸き調べる事にした.
実は, 呪術道具の原点は「弓」である. そうなのである, 日本でも馴染みのある弓なのだ. なぜ弓が呪術道具なのか?ということだが、これには世界共通で狩猟時代に使われてきた背景がある.
なぜ, 「弓」が使われているのだろうか. それは構造から見るとわかりやすい. ヨーロッパやアメリカインディアンは丸木弓として活用していた. 材料が身近にあるものだし安価に作成しやすい. 加えて, 狩猟が当時の他の武具に比べて遠距離攻撃であるため安全だった.
日本においても同様に和弓として縄文時代から使われていた歴史がある. このようにギリシア文明や日本東南アジアなどでは「弓」が活用され, 神の力が宿る神聖なものと考えられて扱われていたのだ.
さらに時代が進むと, 弓に人間の「知恵の介入」が起こり, 集団間の争いや戦いにも使われ始めた. 特にアッシリアや古代エジプト中国などでは, 丸木弓より強力なシラカバの皮や漆で固めた良質な複合弓というものが作られている. この改良された複合弓の威力は凄まじく, この威力に魅了された人々は弓をさらに崇め奉り崇高なモノにした. よって, 弓を崇拝の対象としていたのである。
呪術道具が「弓」が起源である事を述べたが、その後はどう発展していったのだろうか?
弓から発展した呪術道具は五感における耳に干渉し始める. 例えば, 楽器への応用だ. 弓の形状した楽器というモノがいくつか思い浮かぶだろう.
弦楽器などが一例であるが, 楽器そのものを呪術としたり, 歌や音のメロディにのせて呪術的な側面を持たせていた. 呪術を音にのせ始めた当時は, 呪術の力が最大化していた. 歌の伝搬性はすさまじく人を完全に魅了してしまったのだ. 集団をいとも簡単に操作し結束力を強めてしまう効力が現れていた. そのため、歌を禁じる風習が生まれたぐらいだ.
この流れではコントロール不能になると考えた賢人達はネガティブプロパガンダが行われ, 現代人が思うような, 静寂で, 神聖そうな,鈍重で, 特に動きが無さそうなものに変わっていった背景がある.
どうやらキラキラしたモノではなくて残念が残る…….
続いて, 呪術やその道具が現代の医療とどう関係しているかみるために民間医療を例に挙げ列挙していく.
呪術と民間医療
呪術が医療として機能していた事は民間医療をたどればわかる. 現在の民間医療を列挙していく.
1、温泉治療
ヨーロッパや日本で利用されている. しかし, その地域の信仰と結びつき呪術的要素を持っているものが見受けられる. 特に日本においては「禊」としての利用が例にあがる. 当時の宿場と温泉地が結びつき「禊」として罪や穢れを落とし自らを清らかにすることを目的した行為が治療として行われていた.
2.魔除け
特に沖縄地方では盛んに行なわれていた. 符札を書いた木札や紙札を貼る風習をどこかで見たことがあると思うが, 源流は沖縄であった. シーサーなどの置物も魔除けに該当する. 人々はシーサーに願いを込めて安全安心を願った.
3.薬草と毒薬
アフリカのシャーマンを例に取ろう. シャーマンは主に薬草や毒薬を呪術道具として用いていた. このとき薬草の知識は科学的に分析してみると薬理効果があることが実証されている. 絶大な信頼性があった当時のシャーマンは集団社会の中心的存在だったといわれている.
4. 漢方薬、灸、針
東洋医学においては薬草の知識や意味を強行などの思想体系が背景にあり, 漢方薬などに用いていた. 針や灸を使った治療も見受けられる.
以上より, 民間医療を紐解くと呪術的な文脈を受けているものが非常に多い, ここで取り上げている呪術には因果関係は明確ではないものもある. 多くの者が信じれば救われるといったプラセボ効果のようなものも多分にあったことだろう, 結果はどうあれ現状から少しでも良くしたいという人の思いが形として現れたもの. それが呪術道具なのだ.
ここからは道具からいったん離れ, 呪術と社会との関係性をみる
先程, 述べたシャーマンは重要な役割を社会で担っていると述べたが. シャーマンの成り立ちをみると社会との関係性が分かるので調べてみた.
シャーマンと発展性
現代のヨーロッパの集落のまちづくりを想像していただきたい , 教会を中心とした街の装いを見せることが思い浮ぶのではないだろうか. そもそも, なぜこのような形になったのかということだが, これは施術を行うシャーマンが集落の中心にあった名残と考えられている.
なぜ中心だったかと言うと, 施術は裁判制度や法律でない時代の権威であり脅威としての「力」, そのものだったと考えられている. 集団社会を営む際には個人や全体の不安を取り除くことも重要な集団的要素であった. これを怠ると妬みや恨みなど反社会的行為に発展してしまう.
ここで大切なのは, 呪術などを活用したシャーマンも神格かされ全体が救われていたいうことだ. そこには, 稀に結果が上手くいかなくてもよい. 不安さえ取り除けば不利益よりも益となることが考えられていたのだ.
日本においても例外ではない. 地域社会の中心が寺社や神社仏閣であったことを考えると世界の構造が納得ができるのではないか.
どんな時代でも人々の願いといったものは, 基本的には一緒である. 狩猟が順調に行えたり. 大量に魚が取れたりすることだ. つまり, 豊穣を願っているのだ. 人々が住む土地が豊かになって実りの多いことだけが社会集団の願いであった. 社会集団が不安にならないようにするために. 呪術や道具が必要だったのだ.
今回述べてきたものは呪術と道具利用, 社会の様式について述べてきた. 大切な事は因果関係が特別関係ないことであったり, 社会が少しでも良くなるように人々の思いが崇拝されたものが道具であるということだ.
現代社会の劣化と再魔術化
現代の医療をみると全てがエビデンスであったり, 因果関係やロジカルといったものが要求されている. ふと,,.思うのだが, 昔に比べ医療や社会は良くなっているのだろうか. 長寿になったり新生児死亡率が減少したため肉体的には進化したのであろう. ただ、果たして精神的には良くなっているのだろうか.
科学の時代に突入しロジカルさを追求するあまり、社会を良くしたいという根本的な願いや個人の幸せといったものが置き去りにされているとは思えないだろうか. もしかしたら, そこには資本主義の呪いのようなものがあるのか, 複雑な社会構造になってしまった当然の結果だったとも考えられる.
今後、テクノロジーが加速し計算機が叩き出す圧倒的デジタルを目にしたとき、我々は因果律を超越した再び魔法なり呪術に魅了されるのだろうか…と思いにはせるしだいだ.
次回は、だんだん近代魔術に寄せていく.
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