「秋草」2023年9月号
「秋草」の山口遼也です。
10月号が(ひと月前に)届いたので、9月号のことを書きます。
のんびりしている間に11月号も届いてしまいました。矢の如し。
沸騰の水の音や薬罐の口の甲高い音が非常に端的に表現される。「滾った水が入った薬罐」というところからの省略が巧みだ。季語は「今年竹」、若竹のこと。丈は十分に高いけれどみずみずしい。ふしぎと納得させられる、よろしい取り合わせ。
同じ号の〈鷺草の孔子の如く咲いてをり〉では鷺草のたたずまいに見合った見立てが成功している。
自然体で軽みがあるが、場面の切り取り方が確かだ。「あるある」よりも「ありそう」な景の方が読んだときの意外性は大きいが、つくりものの感じが出てしまうと元も子もない。サラッと一句に仕立てる手腕を見習いたい。
同じ号では〈蕗の葉の寄り集まつて羊歯交じり〉という句もある。下五がよい。実際にこの景に出会ったときの呟きのようで真実味と臨場感がある。
これもさりげなくてよい。川の音と涼気とお高い料理を堪能しつつ、しかし話のタネは案外ない。いいところでの食事だし、相手との関係性を想像することもできる。人が登場する句のよさだ。
近況はないが、その潔さとかさっぱりした感じがかえって「貴船川床」の涼しさに合っている気さえしてくる。川の音がよく聞こえる。
七月号の同作者による〈何するにしてもヒヤシンスが見えて〉と比べると、牡丹が効いている。田中裕明の〈牡丹を大きな水輪かと思ふ〉もあるし、なにか想起させてくれそうな魅力があるのも納得できる。
何を思い出すのかを書かなかったのも面白い。読者に投げかけるというよりは、作者の中で自己完結されているよさがある。もちろん読者としてあれこれ想像することもできるが、決して立ち入れない感じがする。作者にとってなにか特別な体験が本当にあったように思える。
葉桜の明るさと、日本家屋の雰囲気の距離感が心地よい。中七下五の淡々とした述べ方も好ましい。〈秋晴の押し包みたる部屋暗し/岸本尚毅〉が少し思い出された。いい暗さ。
トマト丸かじり途中は吸ふやうに 野名紅里
あるある。「途中」をうまく詠みこんでいる。
バゲットの先尖りたる緑かな 西江友里
取り合わせが心地よい。健康的。
釣堀の隣三人まで眠し 加藤綾那
おかしみとリアリティは人を描く句の強み。
蟷螂の生まれて糊の効くシーツ 三輪小春
季語からの飛躍が面白い。
11月号が届いたので取り急ぎ10月号のことを書きたいです。つづけるのが大切。