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「秋草」2023年8月号
「秋草」の山口遼也です。
9月号が届いたので8月号の句のことを書きます。
どうしても水鉄砲に余る水 小鳥遊五月
明瞭なのに新鮮。水鉄砲は最後まで水を出し切ることはできない。残った水は傾けて注ぎ口から出したり、蒸発するに任せて放っておいたり。
五月さんは俳人にも見落とされてきたことをきれいに拾う。たとえば2023年5月号の〈桜餅つまむ指切しない指〉。季語の新しい側面をさりげなく提示している。大仰じゃない、ともすれば当たり前に思えるような詠み方がよい。明瞭だからこそしみじみとした味わいがある。
湖は日傘の中と似てゐたる 鬼頭孝幸
湖を見渡したときのぼんやりとした明るさや白さを思う。白日傘だろう。自分のサイズの明るさと湖の大きな明るさ。遠近感も心地よい。
昇進も蟻もそれほど気にならぬ 舘野まひろ
「それほど」が面白い。昇進も蟻も、ちょっと気になる。そういう微かなわずらわしさ。「昇進」や「気になる」といった日常のことばを自然に取り入れているのも魅力のひとつ。
まひろさんの句は親しみやすいが、隙がない。柔軟な発想から出発しても出来上がった句には伝統的な骨法が息づいている。最近好きだったのが2023年6月号の〈火少し煙に遅れ毛虫焼く〉。取り合わせもできそうだが、下五で「毛虫焼く」とダメ押し。一物仕立ての秀句となった。
一切を遠ざけ鯰しづかなる 藤井万里
ぽつんとした、あるいは堂々とした鯰のイメージがことばとして鮮やかに描かれる。「一切を」がいい。目に見えるもの以外にもいろいろなものを一切。
万里さんの句からは「俳句」のよろしさを濃厚に感じられる。2023年6月号の〈壺焼の肝ひといろの長さかな〉、5月号の〈靴そろへながら涅槃図見てをられ〉などは好きな句だ。
長くなってきたのであとは一言ずつ。
乗馬見てまた噴水に戻りけり 橋本小たか
季語がとても身近。
美化しすぎず「あるある」とか「ありそう」を詠む。
筍と八海山を並べけり 上川拓真
シンプルで好ましい景。飲みたい。
三越や冷房つんと効いてをり 中西亮太
「つんと」が三越の感じ。
ウエハースのやうな約束花の午後 栗原和子
素朴でうれしい約束。
10月号が来たら9月号のことを書きます。
「ウエハースを食べたい」ってまっすぐ思ったことないかも。皆さんはどうですか。