「秋草」2024年10月号
「秋草」の山口遼也です。
11月号が届いたので10月号の話をします。寒いです。
一句目、冷奴にほどよい驚きがある。外の景から一気に手元の豆腐にカメラが切り替わり、最後まで読んで初めて「松の木が見える食事の一場面」という全体像を引きの画で捉えることができる。取り合わせのゆかしさを楽しめる一句だ。松の木に美醜があるという主観的な把握が、生活感のある冷奴に飛躍するためのある種の伏線としても働いている。食べながらも松を見比べるところに意識があるというのも、冷奴らしい感じがする。
もちろん実際に松が見える食卓でなくても、松のことを思っている人の近くに冷奴がある、というくらいの空間性でも面白く読める。
二句目は夏の盛りを比喩で表現した観念的な句。「仏頭をはたく」という無礼なような、しかし書き方でいえば軽快なような、イメージしかない比喩だが、この両義的な感じが大暑の雰囲気に合ってくるとも言える。活発と気怠さ。比喩の像をはっきりと結べない感じも夏の鬱陶しさに重なってきそうだ。
こういうふしぎな比喩の句が主宰にはいくつかある。たとえば〈笑ひたる赤子のごとき雪間かな 『木簡』山口昭男〉。小川軽舟さんは著書『名句水先案内』で〈笑ひたる〉について、これもある種取り合わせの方法で作られた句ではないか、と書かれていた。字面通りに直喩として読みすぎない方が楽しめるのかもしれない。
〈なんとなく街がむらさき春を待つ 裕明〉〈落鮎はむらさきの木のなかをゆく 裕明〉〈蟬とぶを見てむらさきを思ふかな 裕明〉といった印象的な「むらさき」の句と〈悉く全集にあり衣被 裕明〉の有名句から田中裕明が思い出される。いったんは田中裕明として読んでみても面白いが、そう身構える(?)必要もないだろう。紫のよく似合う人を思う満月の夜。衣被の感触と温度は詩的でもあるが、生活の実感と身体感覚を引き出している。
この作者には「人」の句が多い。少し前は特に顕著だった。
この人に昼寝の匂ひしてをりぬ 舘野まひろ 「秋草」2022年7月号
この人に雨の水鶏を見せたくて 同 「秋草」2022年8月号
その人に暑さの似合ふ渚かな 同 「秋草」2022年9月号
この人のうしろを歩く墓参かな 同 「秋草」2023年1月号
生活に即した自然体の季語によって読み心地が爽やか。余白がちょうどよい。
草刈のあとの湿り気を詠んでくれたことがそもそもうれしい。露だったり草の汁(?)だったり。
木造の駅舎が思われる懐かしさと静けさ。さっきまで草刈をしていた外の日差しから涼しい駅長室へ、時間の経過とそれに伴う人の動きも見える。
あとは好きな句をいくつか。
水盗むきのふと同じ路たどり 松田晴貴
謎のディテール。見てきたようだ。
なんとのう吹かれつつとはゴーヤ蔓 三輪小春
「なんとのう(=なんとなく)」のゆったりした上五が心地よい。ゴーヤの蔓が自然体のまま詩になっているのにも驚いた。
禁書から紙が一枚田水沸く 藤井万里
思わせぶりな「紙」だ。こう書かれると季語も怪しげ。
鉄切つて火花はしるや立葵 水上ゆめ
動と静。無機物と植物。熱さと冷たさ。立葵の存在感もよい。
ひえびえと菌山より見る門よ 鬼頭孝幸
菌山に自分がいるという意識。見えてくる門も意味ありげに映る。
ほうたるや地質研究所の機械 竹中健人
いい取り合わせ。「地質研究所の機械」がなんだか闇の属性を持って見える。
12月号が届いたら11月号の話をします。