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「秋草」2023年7月号

ひと月前の「秋草」に載っている句をご紹介。
好きな句をいろいろな人に読んでほしい、という気持ちで書きます。なので句だけでも読んでいただければそれでいいかも。
「秋草」に載っている句って基本的には「秋草」でしか読めないもんな。なんだってそうですが……。

囀とその囀の間かな 山口昭男
家路なき磯巾着も皇帝も

主宰句より。
 一句目、時間的な「間」なのか、空間的な「間」なのか。どちらにしろ作者が体験した時空間の広がりや奥行がよい意味で不親切に詠まれる。「その」の一語も相まって、実感や一回性が強い。こういう句は作者のいた場所を追体験しようと想像をはたらかせてみて、それがはっきりとした像を結ばなくても十分面白い。鳥たちの求愛の声が折り重なる「百千鳥」ほどではない。疎であり密、密であり疎。囀とはそういうものに思える。
 二句目、並列の句は理屈がつきすぎると興ざめだが、掲句は新鮮だ。そもそも磯巾着に家路がないというのが面白い。そして皇帝。硬い語だが磯巾着とふしぎになじむ。これは磯巾着という季語の懐の深さかもしれない。

何するにしてもヒヤシンスが見えて 鬼頭孝幸
蝶々の真正面へ誰も出ず

 鬼頭くんの句は最近どんどん面白くなっていて、勉強になるところが多い。一句目、自然体だがヒヤシンスが非常によく効いている。ヒヤシンスの独特な華やかさが癒やしになったり時に疎ましくなったりするだろう。
 二句目は言い切りの面白さ。そして蝶々の真正面のことを考えたことがなかったことに気付く。そこで「誰も出ず」というのに改めて共感する。
 2023年4月号では〈もの落とすやうに過ぎけり去年今年〉がとても好きだった。本人は虚子の〈去年今年貫く棒の如きもの〉から出発しただけと謙遜していたが、この句なりのよさがしっかりあるだろう。そもそも〈去年今年〉の句から出発する勇気を少なくとも僕は持たない。

種売の箱へと箱を仕まひけり 松田晴貴

 しっかり人を見ているというそれに尽きる。素朴な句だが読んだときの満足感は大きい。俳句の一つの理想形だと思う。
 渋い季語を好む作者である。6月号では〈春闘や西に東に本願寺〉がとびきり好きだった。同号には〈一礼に僧のまじれり種選〉〈木から木へ鴉の声は伊勢参〉とよい句が並んでいる。

 長くなってきたのであとは好きな句を並べておきます。

花御堂水やり係掃き係 橋本小たか
 華やかな季語をさりげなく書く。

縁側に盆置いてある茶摘かな 小鳥遊五月
 見たことないけど「あるだろう感」が出ている句は強い。

壺焼や皿に置くときカタと鳴り 木村定生
 それだけの句で、だからよい。

夏の海トイレの花の褪せてをり 竹中健人
 夏ってそんな気がする。海という舞台も。

水に花橋には人の滞る 水上ゆめ
 「橋」のよろしさ。要素が多いけどまとまっている。

祭の子みな触れてゆくポストかな 常原拓
 祭の日は好奇心とか子ども心が増す。たのしい。

9月号が来たら8月号のことを書きます。よろしくお願いします。

ヒヤシンスの花言葉に「スポーツ」というのがあるらしく、そういうのもありなんですね。

おわり

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