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「秋草」2023年10月号

 「秋草」の山口遼也です。
 11月号が届いていたので10月号のことを書きます。

釘抜の支点力点赤のまま 山口昭男

 好きな句だが、かなり感覚的な取り合わせだ。概念的なフレーズと季語を並べた句のふしぎな魅力はなんだろう。〈雪舟は多くのこらず秋螢 田中裕明『花間一壺』〉など裕明の有名句のいくつかや〈雪折や遺伝子学者易学者 山口昭男『木簡』〉なんかもそうだ。
 セクト・ポクリットの「コンゲツノハイク」で主宰は掲句を自薦句として挙げている。少なからぬ自信があるということだろう。

 こういうタイプの句では、季語の選択に最大限注意したい。概念的なフレーズにはどんな季語でもなんとなく合う感じがするし、実際に、決定的に合わないというハズレの季語が比較的少ない。動く・動かないとかとは微妙に別の話。
 季語の中には簡単に詩情を引き出せるものや、逆に、簡単に無作為さを演出できるものがあると思う。それを安易に使ってしまうと、作者がどう作ったかに限らず、句の立ち姿として嫌味な感じになってしまう。抒情的すぎていたり、「軽み」が芝居がかりすぎていたり。もちろん自戒を込めて。
 その点「赤のまま」は素直に読ませてくれるよい季語ではないか。その辺に咲くし、秋の花としてはだいぶ地味だけど、その素朴さがうれしい。釘抜を使う現場に本当に咲いていたのではないかとも思わせる。初秋の空気と釘抜の相性もなかなかいい。

 ここからは完全に好みの話だが、最近は「この人は本当のことを言っているな」と思わせてくれる句に滅法弱い(うまい句も大好きです)。実景としての情報量が少ないフレーズ+季語でいうと〈椿の実いつかよくなることいくつか 野名紅里『トルコブルー』〉とか。「椿の実」だからしみじみと読める。これ上五がたとえば「ヒヤシンス」とかだったら、素直に受け取れないような気がする。ほんまかいなと思ってしまう。自己陶酔に行きすぎない、一句としてしっかりまとめるための客観視というか。「椿の実」が決して簡単な季語ではないというのも大きい。等身大ですよという演出にも見えず、この人物と椿の実の偶然の出会いをただ楽しむことができる。

鮒ほどに金魚を育てこの会社 橋本小たか

 びっくりするほど大きくなる金魚っているよね、という「あるある」をどう一句にするか。「鮒」が大きさを、「会社」が場面をそれぞれ具体化している。普遍的な「あるある」が具体的な場面設定によって回収された、面白くも納得感の強い句。句意が明瞭で気持ちがよい。「この会社」の収め方がしみじみいいなあ。社員や来客といった人物もおのずと見えてくる。でっかい金魚を前に話が弾んだかもしれない。

何の木と思へば金亀子がゐる 鬼頭孝幸

 何の木か分からないけど、その木を見ていたら金亀子がいた。人間の心のうごきとしてかなりリアルだ。しばらく木のことは忘れて金亀子を見ていることだろう。呟きがそのまま一句になったような散文的な書き方も場面によくあっている。
 〈何の木の榾かと問へば翌桧 岸本尚毅〉も思い出される。こちらも好きな句です。

明らかに汗の人より来る電話 小鳥遊五月

 「汗」の使い方に驚いた句。電話というのは比較的使いやすいアイテムだが、あまり既視感のない仕上がりとなっている。「明らかに汗の人」って相当だ。けど、どこかではこういう場面があるかもな、という気にさせてくれる、品のよいおかしみがある。

白線に少しく嵩や日の盛 高橋真美

 道路の白線のわずかな盛り上がりに注目した、発見の句。見立てを使わず、素直で確かな描写をもって詠みきったのがよい。
 季語「日の盛」が意外と面白い。白線のもつ体積の質感が真夏の強い日差しとどこか響き合う。熱を帯びた道路も連想されるだろう。

あとは好きな句をいくつか。
蟇小学校の灯かな
 小泉和貴子
 小学校は遅くまで明りが点いていることも多い。
 田舎の小学校を思った。季語がよい。

電球に集まつてきて踊るなり 舘野まひろ
 シュールとも幻想的とも読める。シュールな読みが好き。

あまりにも冷されてゐる冷奴 中西亮太
 「あまりにも」がよい。真面目に変なこと言う感じ。

枝豆に弾かるる塩濡れる塩 加藤綾那
 するどい観察眼。美味しそう。

舟遊び絶頂にして引き返す 宮野しゆん
 「絶頂」という大仰な書き方から「引き返す」と終わる落差。
 遊びってそういうときある。


 12月号が届いたら11月号のことを書きます。
 さむいです。地軸の傾きを感じる。

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