幸福(不幸回避)追求の弊害とその対処についての考察
2019-10-001
生死や優劣に拘る事自体は自然であり、むしろ生物として自ら引き受けていくべき対象なのでしょうが、
有限性をいらぬ飛躍のない(より確からしい、引き受けざるを得ない)形に持ってく事を目的としてる、
つまり、しっかりと引き受ける方向での、振り回される程度最小化を図ってるケースとそうでないケース
(資質と環境の代替不可能な要素を合わせた帰結かどうかとは無関係にできるできないに敏感等)、
という質の高低差異はあると思います。
幸福(不幸回避)追求の内実をその質追求へと替える事は、
国レベルの分捕りから個人レベルのマウント合戦まで、
これまでの人類の幸福(不幸回避)追求が齎してきた弊害の解決でもあるはずです。
ただ、その差し替えには権利がネックになると想像されるので、まず、
有限性(内外境界の存在)を与件として受容しつつ、有限性からいらぬ飛躍を取り除く働きを、
抽象化と具体化条件割り出し(抽象物が置かれる場の性質)の最大限追究と、
着目無視(次元設定に他ならず、捨象処理含む)を場の本質に即させる配慮との相補性から成る、
場の本質にしか応じさせない態度の実践と規定し、
また、必要な社会変革を、
美味しい林檎も不味い林檎も林檎は林檎だ的捨象のせいで、
フェアアンフェアの区分けを難しくしてる保障枠組み(近代型権利観)への、
場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力
(場の本質に即した割り振りの保障を内容とする正義観を具現する必要条件)を、
場(内面世界や無数にある局面含む)の管理者足る要件(権限行使資格)とする評価基準の付随と定めましょう。
ご支援の程よろしくお願い致します。