無題0

立場の強い者による分捕り常態化に対し、立場の弱い者による分捕りを認める平等化(既存平等観)と認めない平等化(無いも同然)があります。後者と整合的な世界を目指しましょう。

2019-8-003

立場の強い者による分捕りが常態化してたとして、それに対し立場の弱い者による分捕りを、
認める内容の平等化(既存平等観)と認めない内容の平等化があります。

両者の扱いに差を付け、未だ無いも同然な後者(ポジションに関係なく、分捕り全般を否定)と、
整合的な対象評価(損得よりもその局面で問われるべき事を優先してないなら平和希求も否定)や世界を、
目指して、次のネック(分捕りを一定程度抑えれる反面、言い訳にもなってるもの)を解消しましょう。
左派(偽装は別)に代表される、前者の内容を持つものを善や正義かのように勘違いしてしまう人達、
場の本質に即した損得への支持不支持を区分けせずに保障をする近代型権利観やその産物と言えるもの。
(それらの解消は、己が上手くいってない時の振る舞いの問題に応用可能と期待します。)
また、それらは欧米発であり、これまでと同様、これからも彼らはその平等観の欠陥から目を背け続け、
平等の名の下にアンフェアまで保存したり保障するセンスが自浄される事はないと推測されますから、
欧米は倫理を主導する側ではなく、倫理の上書きを受ける側であると位置付ける事で、
目指すに際して、対欧米でも毅然とした態度を可能にしましょう。

例えば、差別批判は未だ、局面と着目無視との一致不一致とは無関係な、
つまり、その局面で問われてる事よりも損得を先立たせてる点は同じ、符号反転(歪み保存)レベルです。
人種の差異だろうと、捨象するしないは局面に合わせるべき(差異性同一性は局面が規定するとの観点)で、
批判の論点は、その場その場の代替不可能な固有性と着目無視との合致配慮の有無であるべきです。
理科の実験で、必要な差異を取り出すのに適した条件の設定に失敗してるなら修正する、
対差別も対格差も、小学生でもできるこれと同等な内容であるべきなのに、
実際は、不当な不利益回避や利得を追求して良いポジションの撲滅でなく、移行でしかない働きかけに、
差し替えてる人達がいるわけです。
局面の固有性に即した捨象とは無関係な既存平等観や既存理性観の弊害の一種として左派を扱い、
アイデンティティ等の資質の引き受けを否定する枠組みに対しても、
代替不可能な内在性を代替不可能な外在性で具体化させてる現象と見なせるものだけ、
(AはBだは対象となり得る全てからAを切り出す、AからBを切り出すの二点でそう見なせるか問われる)
を(嘘や演出、次善の策もその限りにおいて)肯定(十分な根拠がある扱い)する枠組みに替えましょう。

例えば、人権や主権や財産権も、民主制や市場も未だ、
ドーピングしてる選手としてない選手の扱いに差を付けない、
つまり、問われてる差異の取り出しに失敗してる管理者失格(事実や意見の話に置き換えれば知性不全)な、
大会運営と同様の有害性を抱えてる(有害性を取り除けてない体制)のに、正しいもの扱いされてます。
ご都合主義者(整合性や根拠への安易な態度)の主張を通したり、都合を反映させるのを許す態度は、
分捕り全般認めない世界、妥当な損得のみから成る(妥当な有限性の形をしてる)世界と敵対する、
分捕り加担という立派な悪行(寛容や平和、公共の福祉もその世界を損なうなら悪)なのにです。
内面世界や局面でも、自国社会や国際社会でも管理者ポジションが、管理者要件に当たる、
先の合致配慮を基盤とする、場の本質を損なわないように形式や帰結を組み上げる能力を備えるよう、
場の本質に即した着目無視や損得への支持をフェアと規定した、
フェア尊重(先の理由から知性教育でも必須)を他の教育理念に先立たせる事で、
近代の枠組み(人権と主権の対立構図等)を必要としない時代に替えましょう。

先の解消の根幹である、上の合致配慮(倫理の実質、問われてる事を違えないという存在戦略)は、
抽象化と具体化条件割り出しの最大限追究(理解力の実質、代替不可能要素抽出でも重要)と相補的であり、
両者は場の本質にしか応じさせない処理を別角度から見たもの。
そう解して、その処理を自他の状態への応答に優先する事で、ポジションに振り回される程度を抑えましょう。

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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