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この半年を踏まえ、事態を悪化させない為に摘んでおくべきものがあったとの人類全体の反省も組み込んだ、人類が今持つべきものについての考察

2020-7-002
アメリカの時事関連のスレに投稿しておきました:


解決や抑え込みが最優先なら捨ててるべきだろうものも今回レベルの災禍ですらそうならない、それが国次元はおろか、責任国際機関でも見られた事実にしろ、
米国リベラル(局面と着目無視の厳格合致を、差別に対する修正形としてこなかった)の帰結にしろ、
事態を悪化させない為に摘んでおくべきものがあったのに、
場の本質と割り振りとの一致追求(囚われてる状態からの解放作用あり)の焦点化さえなかった、
この人類全体のミス(捨象不全への軽視)の現れと言える面もあるはずです。

思うに、内外の分断解消という問題意識からの言動は、
ヨーロッパ中世で学ばれた事が生かされてない形でしょう。
採用された秩序原理が非現実的な側面を持つ以上、
その原理の担い手が個人の判断や国家の権威を縛るだけの理由も確かにあったわけで、
近代は、より現実有効的な枠組みを持ち出す事によってその縛りから解放しただけ、
つまり、近代が解決しなかった事に、外部の量的取り込み志向(先の問題意識含む)があると言えます。

それは質的取り込みへの変換として解決されるべきもので、その質的取り込みが、
場に置かれるもの全て(不当な扱いを受けるのを望まない対象を、他者や無生物や概念にまで拡張)に対し、
その場その場の代替不可能な固有性と割り振りとを一致させる態度を貫く様と見なせば、
上のミスはその未解決(状態の保存)由来という事になるはずです。
そうした理解に以下も加えて、
この半年を踏まえ、悪化阻止の為に摘むべき点も押さえた、人類が今持つべきものとしましょう。

学者レベルですら先の問題意識はじめ、表層反転(内実の確からしさへのケアがない)でもって、
解決形やビジョンを未だ語り続けてる、つまり、近代パラダイムの外に出てない。
上の質的取り込みを、場(内面世界や自国社会や国際社会、需給事情や無数の局面)の、
本質(扱いの差に反映されるべき差異、つまり、問われるべき事)を損なってない形式、帰結の組み上げに、
より近付ける余地がまだあるなら、どんな個人や国も修正余地を持つ対象と捉える枠組みへと展開した上で、
修正を阻害する類の反応(上の表層反転等)や理念使用(内実不問で個々事情の保障や反映を語りがち)には、
組しない(場の本質に即してる状態感への立脚に組する)。

国にしろ、場でもあり場に置かれるものでもある(内と外を持つ)わけで、
特性にはそれを特性として認めるのに必要な割出し方があるとの観点(特性の内実確からしさへのケア)では、
場の特性(場の本質に近いほど割り振り原理として確からしい)と場に置かれるものの特性とで区別する必要はないとも言える為、
近代パラダイム(同種の他との差異要素捨象に励んだ煽りで、共通要素捨象が埋没)により阻害されてる、
局面と捨象対象の合致に話は帰する。
(実際、資質と環境の行き来や統合として、資質変容や個々事情はあるので、主体への尊重の実態が、
確からしくなものへの確からしいもの扱いとなるのを、つまり、不当な扱いを意味するのを防ぐのは、
抽象化と具体化条件割り出し、この両者の機能不全解消。)

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欧米文系からの解放哲学。代替不可能な内外事情にしか応じない実存を解決状態として扱う主義。
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