権益保持的働きが体系の修正を阻害する点に絡めて、知性や倫理、自由や平等の関係構造を再考
2020-11-002
不当利得を指摘されたとして、自己の非を認めない分の転嫁(妥当不当判定でのフラットさを欠く事に由来する、原因帰属の誤認の構成要素)込みで受け取ってる側面が強い程、
非難される筋合いのない妥当に得てる形へと修正する契機になりにくい(助け舟にしてしまう事もできるのに払いのける方向に行きやすい)と想像されますが、
権益保持の圧力が強いせいで、分捕りや泣き寝入り強いを発生させてる構造が保存され続ける形の一種なのだろうとも思います。
学者レベルでもそうした事態(特に、右派左派構図のような権益対立によって話を矮小化し、場と体系との齟齬解消を阻害する枠組みに乗っかる)に陥るのは、
引き受けざるを得ないもの(原理等)の特定(対内在対外在の二方向)に注ぎ込まれてる知性、代替可能なもの(現特定内容がそれを含んでる可能性も)をそうでないかのようには扱わない倫理、
相補関係に見える両者の不全が常態化してるが故と疑われるので、
主張の通用領域の広狭(通用してるしてない)が明確に判明するだけの共通の次元設定によって不全回避がデフォルト的な理系題材とは異なる場合、
我々は不全回避に自覚的である必要があるのだと推測されます。
なので、自覚の必要性(分捕りや泣き寝入り強いの被害者ポジションを代えるだけの解決で十分とは考えない、フリーライダー志向者に付け込まれる隙を残したままの解決を確からしいとは見なさない)はもちろん、
個々具体から一旦、具体形の差異パターンに通用を行き渡らせた抽象状態へと遡り、代替不可能な具体化条件を付し直すという、具体形の過不足抑制(実質の詰まった状態に持ってく)作業の適用範囲拡大や精度向上、
フェア(場の代替不可能な固有性に即した割り振りとしての損得や役回りへの支持)を越えては(自他を)助けない方針、これらの追求に加え、
見て見ぬ振りも大騒ぎも抑える配慮、つまり、局面と着目無視との合致の下での振る舞いに徹する姿勢の、
局面が取り出すよう求めてる確からしさ差と捨象設定との合致配慮(局面要請と捨象対象の齟齬解消)、平等対応や囚われてない有り様の中身扱い、
それらに(先の追求の形骸化を防ぐものとして)拡張させつつの追求が、その不全回避に当たるとの理解を、
さらに、近代以来のパラダイムはそこの拡張と、同種の他との差異要素捨象に特化し、主観なり主体事情なりに対する表層的要素をそうでないかのように捉えいらぬ振り回されを負ってる程度という観点の欠落など、内実不問
(同種の他との差異が根拠になる局面でも、根拠が鍛えられているいないに扱い差がない)の傾向を持つ為に、
そこの拡張とバッティングするので、上の作業の適用射程に特定時空性を加える(対常識は十代でも十分取り組める)事も拡張の中に含まれる(拡張阻害の縮減)との理解を、
知性や倫理を持ち出したり求める(教育含む)際の前提に据えてる社会へとできるだけ寄せていきましょう。